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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第一章

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5.父が捕まった日、マックを食べた夜

深夜、長めに入った風呂から出ると、携帯が振動した。通知を開くと、ニュースアプリの見出しが目に飛び込んできた。


《西園寺義治、脱税容疑で逮捕》


青豆の胸の中で、ゆっくり、確実に血の気が引いていく。えっと……えっと……今日は平和じゃなかったのか。


香澄がバタンと部屋から出てくる。


「おねえ!!……お父さんの名前が出てる!どういうこと?」


青豆は言葉を失う。母はどこだ、義母は?家はどうなる? 


頭の中で、不運の連鎖が脳内で並び始める。

そのとき、すずめからLINEがきた。

いや、すずめからだけじゃない。友人とのグループライン、クラスの連絡用オープンチャットからもひっきりなしに通知が来る。


青豆は震える手ですずめのLINEを開いた。


《ニュース見た? 青豆、大丈夫?》


青豆は、返信の手を止めた。

大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。


誰か大人に連絡しなくては。

青豆は父親に電話をかける。

――出ない。


次に、実母の緑子。

――出ない。


義母の京香。

――もちろん、出ない。


出ない三連発。

人生ゲームなら一回休みだ。


そのとき、プルルルル、と家の電話の電子音が鳴った。青豆は反射的に受話器を取る。……取ってから、しまった!と思う。警察だったら?記者だったら?NHKの受信料だったら?


『もしもし、西園寺さんのお宅ですか?』


「えっ」


『青豆ちゃん?』


受話器の向こうから聞こえたのは、家庭教師・桜井の声だった。いつもは皮肉の一言多い彼が、今日は妙に柔らかい声をしている。


「桜井先生……どうしよう。お父さんがっ……」


父の報道以来、初めてまともに話せる“大人”の存在。

青豆は縋るように言葉を吐き出し、ひっくひっくとしゃくりあげる。

桜井は、ただ聞いて、ただ受け止めてくれた。


そして、最後に一言。

『こういう時こそ、いつも通りにして、逃げないこと。君なら出来るよ』


電話が切れる頃、青豆の胸の中の大洪水も、少しだけ引いていた。


そして――。


どんなに来てほしくなくても、朝は来る。

夜のカーテンを開けた瞬間、外からパシャパシャとシャッター音が響いた。

無数のフラッシュ。無数の知らない顔。


「なんで。私たち、悪いことしてないのに」


青豆の胸の奥に、じわっと火がついた。

闘争心。反骨心。ついでに意地。


「香澄、学校行くよ」


「え?おねえ、本気?」


パジャマ姿で泣きはらした顔の妹が、心底呆れた声を出す。だが青豆は制服のボタンを留めながら、鏡に映った自分に向かって言った。


「うん、本気。本気で、普通に行く」


普通じゃないのに、普通を選ぶ。

それが、西園寺青豆のやり方だった。



---




学校に行けば、噂は当然のように追いかけてくる。


「ニュース見た?」


「西園寺家、大丈夫かな」


耳の奥でざわざわする声に、青豆は肩をすくめる。

親友のすずめがざわつくクラスメイトを詰まらなそうに見つめながら言った。


「青豆、こんな時でも学校には来るんだね、あんた」


口だけは明るく飛ばすけれど、背中の影はちゃんと支えてくれる。「ありがとう」と言う前に、青豆は深く息をついた。


転校生の海翔が、ざわつくクラスメイトに向かって静かに吐き捨てた。


「くだらない」


一瞬で、ざわめきがスッと消えた。

青豆は思わず背筋を伸ばす。

誰かが息をしただけで音が響きそうな、妙に張りつめた空気だ。


(なんで、一言でこんなに静かにできるんだろう……)


クラスメイトの陰口に黙って耐える青豆を、明らかに庇ったその言葉。青豆は胸の奥で、微妙な安心感を覚えた。




---


家に戻れば、妹・香澄と二人でソファに並んで座った。体温を感じるくらいくっつくのは、小学生以来だ。手足を伸ばせば、自然に背中や肩が触れる距離。妙に落ち着く。


お手伝いの森さんには、安全のため当分来ないように言ってある。父の秘書・田島さんと実母には連絡がつかずじまい。


唯一つながった義母は――


電話の音が鳴る。何度目かの電子音で、やっと応答があった。


「京香さん!今どこっ!?」


「ごめーん!今、ロスにいるの。」


まさか、京香は父の逮捕を知らないのか。

青豆は怒鳴りそうになるのを、必死で堪えた。

だって、この瞬間、自分が冷静でいないと、香澄まで巻き込むことになる。


「お父さんが、捕まったの!!」


「知ってるわよぉ……だから、ロスに来たの。ほとぼりが冷めるまで、こっちで遊んでるから。義治さんが帰ってきたら教えてくれるぅ?」


「は?何言ってんの!?」


ツーツー、と電子音が鳴る。切られた。

大人なら助けてくれる、という青豆の希望は、見事に打ち砕かれた。

ならば、子ども二人で団結するしかない。


「お父さん、警察にいるのかなぁ?ウチら、どうなるんだろう?」


「大丈夫だよ」


香澄が泣いた。青豆も泣きたかった。

でも、泣き崩れる妹を前に、私は平気なふりをするしかなかった。


私は西園寺青豆だ。

こういうときは、強く見せなきゃ。


それがたとえ、どんなに不条理な日でも。


夕飯の時間になると、すずめと海翔が家に来てくれた。なぜかウーバーを引き連れて。


大きな紙袋を二つも抱えて、まるで宝物を運ぶかのような様子。ハンバーガーと大量のポテトを、リビングの低いテーブルにところ狭しと並べ、四人で囲む。


青豆は涙を堪えながら、しなしなのポテトを頬張った。人生初めてのマックは、とんでもなく美味しかった。咀嚼のたびに、ささやかな幸福が口の中に広がる。


「おいしい…」


不完全だけれど、確かに“青豆の居場所”がそこにあった。少しずつだけど、世界は意外と味方かもしれない、と信じたくなる夜だった。






---


「いや~ごめんごめん!め~んごっ!なんてな!!」


とんでもなく軽い謝罪。

これ、父の義治(よしはる)である。


世の中に空気以上に軽いものがあるとすれば、

青豆は迷うことなく父の謝罪、と答えるだろう。


「もうっ!義治さんったら!私、心配で夜も眠れなかったんだからぁ」


これ、義母の京香である。


いったいどういう神経をしているのだろうか。

神経の太さ選手権があったら、文句なしでダントツの1位だ。


「もう、学校とかめっちゃくちゃ大変だったんだからねっ!新しいスマホ買ってもらわなきゃやってらんない!」


これ、妹の香澄である。


あんなに泣いていたのに、ちゃっかりしている。

妹という生き物は、どうしてこうも図太く、したたかに生きられるのか。

羨ましさと微笑ましさが、同時に胸に押し寄せる。


「……」


そして、これが私、西園寺青豆である。


崩壊寸前に見えたこの家族、絶妙に手強い。

そして、なぜか何事もなかったかのように、食卓を囲んでいる。


悲しいことも、辛いことも、過ぎてしまえば、まるで幻だったかのように消えてしまう。


(うん、私は大丈夫。きっと明日も、なんとか進んでいける……いや、進んでいくしかないんだ)






---


「はぁ?そんじゃ、秘書の田島に脱税の罪を被せられそうになったってこと?」


「うん、まあ、そういうこと、かな?」


放課後の教室で、すずめと海翔の二人だけに事の顛末を説明した。茜色に染まった窓の向こうから、部活のざわめきが聞こえてくる。


すずめが「田島のクソヤロー!」と大声で窓から叫ぶ。ちょっと怖いのでやめてほしい。

あと全国の田島さんに失礼。


本当に田島さんが悪いのかどうか、青豆にはわからない。真相は闇の中だ。余計な藪をつつくつもりはない。世の中には、大人の事情というものが存在する。

そして大人たちは、いつも都合よく静かにしてくれるわけでもない。


いや、むしろ青豆の頭の中では、義治の軽い謝罪と京香の悠長な態度が、勝手にコントラストをつけて暴れまわっている。


「良かったな」


海翔が柔らかく笑いかける。


え、と青豆は思う。

だって、とても優しい笑顔だったのだ。不覚にも、ときめいてしまった。ああ、こういう時に限って、心臓は勝手にピアノの鍵盤を叩くように跳ねる。


なんでこんな――


「そんじゃさ!今日は青豆のおごりね!この前のウーバーでお小遣い使いきっちゃってさ」


すずめが軽い調子で言う。


青豆は、ちゃっかりしてるな、と苦笑する。

いやいや、そもそもお前、お小遣い月10万以上もらってたよね?それをなぜ、私の為に“使い果たした感”で押し通すのか。

したたかすぎる、妙に感心してしまう。


「今、頷いたじゃん!絶対!おごってもらうから!」


なんと強欲な親友だろう。


「ね!藤堂も!一緒に行くよ!」


そして、やっぱり強引だ。



肩の力を少しだけ抜き、青豆は小さく息をついた。

世界は容赦なく、不運も連鎖するけれど、支えもまた、どこからかひょっこり現れるものだ。

そして、今日も私は、生き延びたのだ。


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