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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第一章

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4.不運セット、藤堂つき

お昼に食べたおにぎりの海苔。

なぜか上あごにべったり貼りついて、はがれない。

授業では出席番号を間違われ、なぜか私が当てられた。放課後には、日直でもないのに荷物を運ばされる。


……これが今日の不運三連発。


海苔と出席番号と荷物。並べても役に立たないセット。


けれど、もっと面倒なのは人間関係だ。

藤堂海翔。怖い転校生。

彼が今日、ほんの少し――嫉妬したように見えた。


以上、今週の西園寺青豆。


ああ、青豆の人生は今日も絶好調に傾いている。

海苔と出席番号と荷物が味方してくれる日は、果たして来るのだろうか。


いや、多分、来ない。いや、来なくていい。






お昼に食べたおにぎりの海苔。

それは、本来ならただの食べ物で、胃に落ちて一件落着のはずだった。


しかし今日のそれは、なぜか上あごにべったり貼りつき、まるで自分の意志でそこに留まっているかのようだった。


口を開けば、わずかに引っかかる。

舌を動かせば、くっつく海苔がついてくる。

飲み込めば、より強固にくっつく。


がやがやと騒がしい昼休みの教室の中、私だけが格闘していた。


取れない。どうしても取れない。

もしかしたら、これは宇宙規模の陰謀かもしれない。

いや、単に運が悪いだけかもしれない。

そして、少なくとも青豆の午後は、この海苔によって支配されることが確定した。


そのとき、海翔がちらりと横に立つ。

無言で、少し首を傾げ、青豆の口元をじっと見ている。


「……西園寺、そんなに必死な顔して何してんの?」


不思議そうな声に、青豆は舌を押さえつつ眉をひそめる。


「必死じゃないもん……ほんのちょっと格闘してるだけ」


いや、完全に必死だ。

海翔は申し訳なさそうに、笑いを押し殺している。肩が微かに震えているのも見える。なんだ、この小さな敗北感と安心感の混ざった空気は。


口内の海苔と心の焦りを同時に抱えながら、青豆は微妙に救われた気がした。



授業中。

今日の日付の出席番号を呼ばれる……はずだった。

しかし、先生の中でカレンダーが一日止まっていたらしい。


当然のように青豆が当てられる。

教室の全員が、まるで予定通りの出来事かのように「そうだよね」という顔でこちらを向く。裏切者たちめ。先生、違うんです、と言う前に、黒板のチョークが進んでしまう。


言い訳を口にするタイミングも逃し、青豆の心は小さく混乱する。出席番号のひとつ違いが、なぜか世界の終わりのように思えてくる。いや、世界は別に終わっていないのに、教室の視線は正確無比に、私を小さな舞台の主役に仕立て上げる。


深く息をつき、私は手元のノートを無理やり見つめる。そうすれば、少なくとも自分の思考だけは、まだ支配下に置ける気がするのだ。



さらに、放課後。

なぜか教室の荷物を運ばされる。

日直でもないのに。責任者でもないのに。


「頼んだよ」と、にこやかに笑われる。

断れる人は、世界にどれだけいるのだろう。

いや、世界に、というか――少なくとも私、西園寺青豆には無理だ。


重い荷物を抱えながら、青豆は心の中で小さな抵抗を試みる。

「いや、誰か他の人にやらせても……」


しかし現実は無慈悲で、笑顔の命令は絶対だ。

仕方なく歩を進めるたび、肩にかかる荷物と世界の理不尽さを同時に味わう。不運というのは、重さも見た目も、こうしてじわじわと押し寄せてくるのだ。




---


放課後の教室。青豆は海翔に数学を教えていた。

問題集のページを指し示しながら、ゆっくり説明する。


「ここはこうやって、式を変形するんだよ」


海翔は無言でうなずき、ノートに書き写す。

青豆はその静けさに、少しだけ気後れする。

だって、海翔は怖い。近寄りがたいオーラ全開。

でも、こうして隣に座っていると、なぜか落ち着く自分もいる。


「……西園寺って、数学得意なんだね」


海翔が珍しく自分から口を開いた。

青豆は軽く肩をすくめる。


「まあね。現国は苦手だけど」


海翔の手が止まる。ちらりと青豆を見た。


「現国?」


「うん……作者の意図とか、文章の裏に隠れた意味とか、よくわかんなくてさ」


青豆はノートをちらりと見て、小さく笑った。


「確かに、苦手そう」


それはどういう意味だろうか。単純?単細胞?

しかし、青豆は敢えて聞かずに話を進めた。


「だから、Y大の家庭教師をお願いすることになったの。文学部だから現国担当ね」


”家庭教師”というワードに海翔が眉を少し上げる。


「家庭教師って男?」


「え?うん…」


「へぇ……俺が教えようか?」


「え? いいよ、いいよ!」


青豆は慌てて手を振る。


「勝手に親に決められて、最初は嫌だったんだ。でも今は、家庭教師も案外悪くないかなって思ってるし」


「俺もそう思えたらな…」


海翔の金髪が夕陽に赤く染まる。

なんだか、話を聞いてほしい、とでも言いたげな目をしている。

青豆は思わず、その視線にちょっとドキッとした。


「……ねえ、なんで金髪にしてるの?」


つい口を開いた。

海翔は一瞬、目を伏せる。

そのまま、しばらく沈黙が流れる。

変な間。青豆は少しだけ落ち着かない。


「親がさ、俺に価値観押し付けてくるんだよ。金髪は――反抗期の逃げ場みたいなもん」


「ふーん……逃げ場か。……私の逃げ場は、やっぱり“すずめ“かな。あの子が一番大事。だから、藤堂の金髪も、きっと大切なものなんだよね」


海翔が柔らかく微笑んで、胸の奥が少しキュッとする。

ふわふわした心のどこかで、彼の孤独が少し理解できた気がした。


「お前ん家の親は?」

「うーん?うちは放任かなぁ?お父さんは三回結婚してて、お母さんとは十歳くらいから一緒に住んでない。血がつながってない妹がいるけど、あ、でも仲はいいよ」


「意外と複雑……ごめん」

「えー、謝んないでよ。私は気にしてないし」


「親、勝手だなって思わん?」

「思う、思うよ!だから、会ったときは文句いっぱい言って、こっちも勝手にしてやるんだ、って思ってる」


言葉の端々に小さな強さと、ほんの少しの優しさが混ざる。青豆の言葉は、気がつけば海翔の胸に刺さっていたらしい。海翔は短く息をつき、少しだけ肩の力を抜く。


「……お前ってさ、なんか不思議」

「別に…普通だよ。」


青豆は少し照れたけれど、意識して強めに言った。


「青豆って呼んでいい?」

「うん、どうぞ」


心の中で、青豆はふと気づく。


(あれ?なんでこんなこと話してるんだろ?)


無言でノートを書き続ける海翔を横目に、青豆はさらに思う。


(そういえば、藤堂のこと前ほど怖くない、意外と近くにいても平気だな……なんて)


小さな疑問と観察が、午後の教室にふわりと漂った。

世界は少しずつ、だけど確実に、青豆の味方になりつつある気がした。


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