エピローグ.FaceTimeとコーヒーと、少しの距離
彼女の名前は、西園寺青豆。
今日も、少し不運で、少しだけ幸せ。
そして彼の名前は、藤堂海翔。
今日も、少し幸運で、少しだけ不器用。
そんな二人が、
お互いを見つめ合うには、十分な夜だった。
⁻⁻⁻
「青豆、いい?」
海翔が、ほんの少し息を詰めて言う。
その声が、彼の誠実さをぜんぶ物語っている。
「いいよ。でも、その前に、ちょっと話してもいい?」
「うん」
彼は彼女の手を取り、指先に唇を落とす。
まるで、“これが最後の理性”と言うように。
「初めて会った時のこと、覚えてる?」
「転校初日?」
「海翔のことちょっと怖かった。でも、なんだか目が離せなかった」
――知っている。あの時の君の視線。
「毎日話すうちに、怖くなくなって」
「水族館に行ったとき、好きだなって思ったの」
青豆が彼の頬に触れる。
「それは初耳」
「初めて言ったもん」
笑い合う。
笑いながら、ふたりの空気が少しずつほどけていく。
「海翔のやさしいところが好き」
「やさしい話し方が好き」
「私に優しくしようとしてくれるところが好き」
「でもね、今日は――優しくしなくてもいいよ」
海翔の顔が一瞬で赤くなる。
きっと誰よりも真面目な人なのだ。
「そんなこと言われたら、ほんとに優しく出来ないかも」
「うん、それでいいの」
堰が溢れた。
心の底に蓋をしていた激情がこぼこぼと湧きあがって溢れる。
彼女を怖がらせないために我慢していたことすべて。
溢れる激情に飲まれそうになりながらも、海翔は青豆を見続けた。
いつでもどこか冷静に物事を見極めている自分がいる。
そう、育てられてきたから。
でもいい。それはきっと彼女の、ひいては自分の為になる。
「や、さしく、しなくていいって言ったのに…」
「俺が青豆にやさしくしないわけないじゃん」
彼女が可愛らしく抗議する。
海翔はいつものように優しく笑って答えた。
⁻⁻⁻
ふと目を覚ますと、隣に彼はいなかった。
起き上がると、かすかにコーヒーの香りがした。
――夜の熱が、朝の香りに変わっていた。
「おはよう」
海翔が申請書類を片手に、コーヒーを飲んでいる。
なんだか、一晩で大人みたいに見違えた。
「次、会えるの半年後かぁ」
「半年なんて、あっという間だよ」
――ほら、言うことまで大人。
「ううん、きっと長いよ。すっごく」
「じゃあさ、離れてても同じ時間に勉強しよう」
「同じ時間?」
「うん、FaceTimeで。話さなくてもいい。
こうして画面越しに、お互いのノートが見えるだけでいい」
青豆は笑った。
その笑顔が、まるで“まだここにいるよ”と言っているみたいだった。
⁻⁻⁻
ざわざわとした大学の教室。
日本に帰国した時が嘘だったかのように
海翔は、勉強漬けの日々にあっさりと戻ってきた。
『カイ・サイオンジ!ちょっと来なさい』
西園寺、と呼ばれ教室が静まり返った。
教授に呼ばれ、二、三言葉を交わす。
席に戻ると、周りにわっと人が集まってきた。
『カイ、どういうこと?結婚したの?』と、友人のエミリアが聞いてくる。
海翔は『した』と誇らしそうに指輪を見せた。
その幸せそうな顔に、この日、彼に恋していた女の子たちの失恋が決定した。
一方、こちらは青豆。
日本の大学の食堂。
「え?青豆、結婚したの?早くない?」
一緒にお昼を食べているグループ全員が青豆を見た。
彼女はちょっと気まずそうに笑う。
「なんで?」
「まぁ…いろいろあって」とかわす。
「青豆の“いろいろあって”は本当に色々あるからなぁ…」
友人の一人が意味深に笑う。
「幸せ?」
「うん、幸せになるよ」
「なら、言うことないね」
彼女たちは口々におめでとうと言った。
私たちの幸せの形が受け入れられたようでうれしかった。




