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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第二章

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エピローグ 父子関係、それぞれ

青豆は、父親と仲が悪いと思ったことはない。

ただ、特別いいとも思っていない。

“空気のような関係”といえば聞こえはいいけれど、

妹の香澄いわく――「あれは、他人より他人行儀」だそうだ。


「お父さん、おはよう」


久しぶりに、家で見る父の姿。

青豆は歯ブラシをくわえたまま挨拶し、

ドライヤー片手に準備を続ける。


「青豆さん、どこか出かけるの?」

「うん。留学の説明会。今度、同意書のサインお願いね」


父が少しそわそわして、玄関までついてくる。

そんな様子を見て、青豆の胸の奥がほんの少しあの感情を思い出す。


「本当に留学しちゃうの?」

「なに? 今さら。散々、私と香澄のこと放っておいたくせに」


――言ってから、後悔した。

声にトゲが混ざった。

父の顔が、目に見えて曇る。


ショック。落胆。後悔。

その全部を足しても足りないような表情。


「申し訳ないと思ってますよ。仕事ばかりで、あなたたちを放っておいたこと」


ああ、そうだろうな。

本当にそう思ってるんだろう。

でも、今さら責めても仕方がない。

責めるつもりもない。


青豆はもう、とっくの昔にその感情を手放してしまった。今はただ、巣立つ準備をしているのだから。


「私は大丈夫だから。香澄のこと、ちゃんと見てあげて」


父は少しうつむいて、

「あなたも、私の娘ですよ」と言った。


その言葉に、青豆は曖昧に微笑む。

その笑みが精一杯のやさしさだった。


「行ってきます」


ドアが閉まる。

リビングに残った父の気配が、

いつもより少しだけ、静かだった。



---


西園寺家と時を同じくして

もう一人の“親子”も、似たような空気の中にいた。



「カリフォルニア大学のPre-Medに入学できたらしいな。」


――久しぶりに帰省した息子への、第一声がそれだった。


一年経って、ようやく気づいたのか。

海翔は落胆を通り越して、ただ呆れた。


きっと誰かに「有名大学だ」とでも言われたのだろう。勲章のように扱われるのは、もううんざりだった。


「知らないの?アメリカの大学は“入るより出るほうが難しい”んだよ。あんまり俺に期待しない方がいいんじゃない?」


軽く言ったつもりが、父の目が鋭くなった。

反抗的だ、とでも思ったのだろう。


――この人の浅さは、なんなんだろう。


青豆や、あの子の周りの人たちと比べると、まるで深さがない。ただ上辺だけで生きているように見えた。


もう話すこともない。

彼は玄関に立つ父の横を通り抜けようとした。


「待ちなさい」

「……何?」

「付き合っている子がいるんだろう。今度、家に連れてきなさい」


――どこで聞いた。

部屋を手配してくれたエージェントか? それともSPの誰か?俺の周りには、どうしてこう“味方”がいないんだろう。


「無理だよ。彼女、留学の推薦取るために今すごく忙しいから」

「推薦なんて取らずとも、藤堂の権力(ちから)でどうにでもなるだろう?女の子がそんなに勉強する必要はない」


その瞬間、海翔の中で何かがぷつりと切れた。


頭が沸騰するように熱い。

――青豆に、こんな言葉を絶対聞かせたくない。

身内がこんな恥ずかしいことを言う人間だなんて、知られたくない。


「アンタに紹介するくらいなら、家を出るよ」


祖父の遺産を受け取ったばかりだった。

“もう金は出さん”と言われても、卒業までは自力で何とかなる。


久しぶりの帰省で、滞在先を自宅にしたのは間違いだった。

海翔は床に置いた荷物を掴み直し、玄関を逆戻りする。


(ホテルでも取ろう)


「待ちなさい!」


父の声が背後から追いすがる。

けれど、海翔は振り向かなかった。

扉が閉まる音が、やけに乾いて響いた。


---


蝉も鳴かないほどの暑さ。

地球も「今日は無理」と言っているようで、外を歩く人の姿はまばら。

そのぶん、喫茶店の中は静かだった。


「おまたせ」


顔を上げると、青豆が向かいに座る。

手には、大学の封筒。白くて、ちょっと重たい未来の匂いがする。

海翔は、開いていたパソコンを閉じ、青豆にメニューを渡す。


「どうだった?」

「けっこう、いっぱい来てたよ」

「スペインとかドイツなら、枠に余裕あるけど、英語圏は人気みたい」


青豆は笑う。

いつもの調子で笑っている。けれど、目の奥が少し泳いでいる。


「無理しなくてもいいよ」


そう言いながら、心の中では叫んでいた。

――無理してでも、来てほしい。

――ずっと一緒にいてほしい。

――本当は、手をつないでこのまま帰りたい。


でも、そんなことを言える身分ではない。たぶん。


「何言ってんの。行くよ、絶対行く」


青豆は力をこめて言った。

その声に、少しだけ安心して、少しだけ寂しくなる。

強い人を好きになると、こういう副作用があるらしい。



「青豆、今日部屋に来ない?」


彼は今まで一度も、家に誘ったことがない。

だから、青豆は少し驚いた顔をして、間を置いてから言った。


「うん、いいよ」


結局、留学の資料を開くのも、海翔の部屋ですることになった。


「……ここ、ホテルだよね?」

「うん。今、ここに泊まってる」

「家じゃないの?なんで?」

「なんでだろうね」


海翔は曖昧に笑って、答えを濁した。

青豆は一瞬眉を(ひそ)めたが、すぐに表情を整える。


「なんかあった?」


部屋に入るなり、青豆は心配そうに海翔の手を取った。

その指先は、ほんの少し冷たかった。


「うーん……」

「言いにくいこと? 私に言えない?」


「そうじゃない。ただ……」

「父親と、分かり合うことは、もう絶対にないんだなって、思っただけ」


「つらい?」

「つらくないよ。知ってたし」


「じゃあ、寒い?」

「夏だよ?」


海翔は苦笑する。

でも、自分の笑い声が少し震えているのがわかる。


「前に言ってたじゃん。悲しいことがあると、寒くなるって。手、冷たいよ」

「青豆は、すごいな。そんなことまで気づいちゃうんだ」


「ホントは、ちょっとだけつらい……。

一緒にいてほしい。一時間だけでいいから」

「うん。いいよ」


青豆は海翔をそっとソファに座らせ、正面から抱きしめた。

柔らかい沈黙が部屋に落ちる。

エアコンの音だけが、規則正しく、遠くで鳴っている。

しばらくして、海翔がぽつりと言った。


「青豆、その姿勢、苦しくない? ……ここに、座る?」


海翔が軽く膝を叩いてみせる。

冗談のようでいて、どこか本気の響きがあった。


「えっ……だ、大丈夫。これで平気だから!」


青豆は慌てて笑いながら、距離を取ろうとする。

けれど、すぐに自分の腕の中で小さく息を詰める海翔の体温に気づき、動きを止めた。

どちらともなく沈黙が流れる。

時計の針の音が、チクタクとやけに大きく響く。


「でも…この態勢だと、顔にちょうど胸が「す、座るね!」」


青豆は慌てて、海翔に身を預ける。

そして、そっと身を寄せ、海翔の肩に額を乗せた。

その動作だけで、海翔の呼吸がほんの少しだけ深くなった。


「なんか…これ、すごく落ち着く」

「そ、そうかな」


青豆はどこかそわそわした様子で答える。


「青豆」

「…なに」

「ありがと…」


すぅと青豆の匂いを吸い込んだ。

夏の、汗と太陽の匂いがした。

家族と訣別した日は青豆の匂いで満たされた日になった。



大人になるって、

「もう大丈夫」って誰かに言いながら、

実はその人の腕の中で“まだ大丈夫じゃない自分”を見つけることなのかもしれない。


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