7.私たちは、今日も少しだけ不運で、ちゃんと幸せ
桜が咲いて、舞って、散っていく。
青豆は卒業式に向かっていた。
…そう、いつも通り“少しだけ”不運を引き連れて。
玄関を出て三歩。鳥のフンが肩に直撃。
散歩中の犬は、青豆にだけ牙をむき、
そして、卒業式に来るはずの藤堂海翔は――来ない。
天気は曇り。青豆の心も曇り。
春のはずなのに、なんだか冬の続きみたいな朝だった。
人は、期待した分だけ落ち込む生き物だ。
浮かれた分だけ、がっかりする。
そんな感じで、青豆の一週間は始まった。
卒業式の朝。
アイロンをかけられた制服を着て、鏡の前で一回転。
「うん、完璧。」
そう思った瞬間――小鳥の訪れ。
肩に白い“新デザイン”を落としていった。
「これ、新作?」と聞かれたら、「ええ、新作の小鳥コレクションです」とでも答えるしかない。
いや、聞かれたくない。心底。
――着替えよう。
昨日までの皺のある制服に袖を通す。
想定内。予定通り。
強がりの練習は、もう慣れたものだ。
けど、胸の奥では、ちょっとだけ今日の運が心配になる。
通い慣れた道。最後の通学路。
あ、いつものワンちゃん。
最近ようやく仲良くなれたと思ってたのに――今日に限って、吠えた。
牙をむいて、うなって、完全に敵扱い。
飼い主さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
青豆は「いえいえ」と肩をすくめる。
その直後、後ろから来た友達がその犬を撫でた。
尻尾、ブンブン。ご機嫌。
……え、私にだけ?
別にいいけど。急いでるし。
うん、ちょっとだけ、強がってみる。
しかし、なんだか嫌な予感がする。
この調子なら、卒業式にはきっと別のトラブルが待っているだろう。靴下に穴があくか、スマホを落とすか、あるいはもっと大きな、運命的な何か。
ポケットのスマホが震えた
《ごめん。卒業式、行けない》
時間が止まる。
鳥のフンより痛い。犬の牙より鋭い。
“来ない”というたった三文字が、胸の奥で大きな音を立てた。
《なんで?約束したじゃん》
と打って、既読がつかない画面を見つめる。
曇り空がますます重くなる。
青豆は人波に揉まれ、足を踏み出す。
でも、先ほどとは違い一歩が重い。
重い身体を引きずるように、学校まで歩く。
「おはよ。青豆、最高の顔してんじゃん」
昇降口ですずめに出会う。
軽口をかまされても、返す元気はない。
「おはよ」
小さく挨拶して、のろのろとスリッパに履き替える。
「どうしたの?テンション低くない?」
「海翔、卒業式来ないって」
「ふうん?で?」
「で?ってなに?約束したのに来ないんだよ。」
「え?そんだけ?…たった、それだけ?」
“それだけ?”
すずめの顔に書いてあった。。
彼女にとって“それだけ”でも、青豆には“大事件”なのだ。
「だって、卒業式は一緒に出るって約束したのに…」
「事故に遭ったわけでも、一生会えないわけでもないんでしょ?」
心底不思議そうに、すずめが確認してくる。
青豆は独り言みたいにつぶやく。
「そっか――そうだね」
……そう言われると、そうかも。
たしかに、永遠の別れじゃない。
青豆は小さく笑う。
「会えないわけじゃないもんね。なんでこんなに落ち込んでたんだろ?」
「そうだよー!もー!びっくりすんじゃん!」
すずめがいつもの調子で肩を組む。
青豆もいつもの調子で「重いって」と笑う。
今日――私たちは、高校を卒業する。
青豆も、すずめも、海翔も。
この学び舎を、巣立っていく。
校舎の桜は満開で、曇っていた空は晴れていた。
春の光に照らされて、少しだけ胸が締め付けられる。
歩き出す足取りは、まだ少し重いけれど。
重さの中に、希望も混じっていることに気づく。
卒業――それは、終わりであり、始まりでもあるのだ。
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海翔は、大学に提出しなければならない卒業証書を受け取るため、
高校の卒業式に出る予定だった。
でも――どうしても外せないセミナーが、同じ日にあった。
卒業証書は後で受け取ればいい。
青豆にはごめんと謝ろう。
そう自分に言い聞かせて、結局、セミナーを優先してしまった。
そして今日まで――卒業式に行けないことを、青豆に言えなかった。
(これって…別れる原因になったりして…)
セミナーの合間、トイレの鏡の前でふと考える。
青豆からのLINEが怖くて、見れない。
きっと怒ってる
いや、呆れてるかも
もう見放されたんじゃ――
自己嫌悪で胸がぎゅっと締め付けられる。
スマホが震えた。
《帰ってきたら、焼き肉おごること》
可愛らしい犬のキャラクターが、怒ってる顔のスタンプと一緒に、画面に一瞬だけ現れる。
あ――消えちゃう。
慌てて画面をタップすると、予想外にLINEが開いて既読がつく。
返事をしないといけない状況に置かれ、心が決まる。
海翔は指を動かし、打ち込む。
大丈夫、絶望感はもうない。
《ごめん。このセミナー終わったら帰る。帰ったら絶対焼肉奢るから》
続けて、土下座している犬のスタンプを添付。
数秒後――既読。
そして、《OK》と同じ犬のスタンプが返ってきた。
海翔は、深く胸をなでおろし、会場へ戻った。
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「卒業式はごめん」
「そういうのさぁ、気にしなくていいよ」
焼肉をほおばりながら、青豆がぽつりと言った。
「そういうのって?」
ざわめきと煙の中、言葉の意味がいまいちつかめなくて、海翔は目を細める。
「卒業式とセミナー、どっちを優先するか迷ってたでしょ?学業優先してよ、大学生なんだから」
海翔は、納得したような、してないような顔。
「だって…遠距離って努力しないと気持ち離れるっていうじゃん。時差もあるし、俺たち努力しないと、連絡すら、すれ違うし。二度と会えなくなるよ……気持ちも離れちゃうかも」
青豆は笑う。
「そしたら、それまで、かなぁ…」
……さらっと言う。怖いくらいに。
海翔が目を見開く。それって、実質別れる宣言?
「違う違う!ちょっとの間で、気持ちはなくならないって。在学中は学業に専念しよってだけで」
「…いやだ」
青豆、目を見開く。拒否されると思ってなかった顔。
「青豆、すぐ周りに男が寄ってくるじゃん。定期的に威嚇しないと心配でしょうがない。しかも桜井と同じ大学だし」
「先輩、呼び捨てにしない」
「いっつも正しい事言う」
子供っぽいと思う。だが、納得出来ないことを分かった振りすることが大人なら、海翔は大人じゃなくていい。
「え?わたしが悪いの?」
あ、やばい。喧嘩になりそう
「っ…!そうじゃなくてっ!」
青豆のまっすぐな目に射抜かれて、海翔は気まずさに目をそらす。
「俺が努力するのは許して欲しい。また迷うかもしれないけど…」
「じゃあ、せめて迷ってるのは教えてよ」
妥協案、というやつ。
「うー…」
「じゃあ、一年待って」
一年?と顔を上げる海翔
“待つ”という単語に、焦燥と期待が入り混じる。
「Y大の留学プログラムがあるの。二年生の一年間だけだけど、サンフランシスコの提携大学に留学出来る。留学して、足掛かり作ったら、向こうの大学に編入するから。待ってて」
「青豆…何それ?どういうこと?」
「私も離れてるの、辛いってこと」
言葉を噛みしめる時間が、少しだけ長い。
「一緒に、住めるってこと?」
「違うよっ…!飛躍しすぎ」
「来年になったら、サンフランシスコに来てくれるの?」
「うん」
「その後も留学出来るように頑張ってくれるってこと?」
「うん」
「俺のため?」
「私のため」
「もう一回聞くけど、一緒に住めるってこと?」
「…それは応相談」
海翔は信じられないものを見るように青豆みつめ、呆然とする。
席を立って、座った。
何がしたいんだ、という目で見られた。
「青豆って、俺より男前だよな」
「褒めてる?」
青豆がちょっと嫌そうな顔をした。
「二階堂と妹ちゃんに恨まれそう」
「そこは…がんばって」
きっと大丈夫。また問題にぶつかるけど、二人なら乗り越えられる。
青豆は焼肉をほおばり思った。
あの日の予感は半分当たって、半分外れた。
不運は相変わらず青豆の背中を追いかけてくる。
でも、彼女は思う。
“悪運の分だけ、人生に味が出る”って。




