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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第二章

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19/33

3.セミファイナル夏期講習

『青豆、そろそろ、名字呼びやめない?』


唐突に電話で提案され、青豆はふと考え込んだ。


「うん、海翔って呼ぶね。…あは、恥ずかしい」




---



そんな会話を海翔とした週初め

かき氷を食べて、頭がキーンとなる、西園寺青豆。

暑さを我慢して辿り着いた図書館が休館日だった、西園寺青豆。

道を歩いていたら、セミにセミファイナルされる、西園寺青豆。


夏の世界は不条理だらけ。

歴史的な猛暑だからと言って、不運は待ってくれない。

そんな西園寺青豆の一週間、始まります。



まずはかき氷。


都内の有名かき氷店。

インスタで見つけて、どうしても食べたくて。汗だくになって並んだ。

店内に入った瞬間、悟った。上着が必要だった。


(さっむっ…!)


見れば皆、上着を持参している。そんな、事前に教えておいてよ…


出てきたかき氷はこれまた特大サイズで、

数口で頭がキーンとなる。

思わず顔をしかめる。

寒さと冷たさと痛さのトリプル攻撃。

まだ半分以上残っているのに、これ以上食べられる気がしない。


「香澄と一緒に来るんだった…」


例え、たかられたとしても。



さらに、暑さに耐えて辿り着いた図書館。

閉まっている扉を見て、思わず肩を落とす。

休館日?いや、そんな偶然ある?

信じられず、入口をぐるりと回る。


「……あるのか」


勉強道具がいっぱいにつまったカバンの重みまで、

今日の不運の象徴に思えてくる。


歩きながら、さっきの図書館の件を気にせず、深呼吸――

と思った瞬間、道路に何か黒くて小さいものが転がっている。


セミの死骸……?


跨ごうとした瞬間、突然じじじじっ!

セミが生き返ったかのように暴れ出す。


「うわっ!」


足に直撃。硬くて地味に痛い。小さな悲鳴が自然に口から出る。

これが噂のセミファイナル――

青豆、軽くショック死しかける。


「ちょっと…勘弁してよ……」


背中をそっとさすりたくなるほどの夏特化型不運が彼女を襲う。



そして、夜、お風呂から出て部屋に戻ると

藤堂海翔からの電話が鳴った。

慌てて机の角に駆け寄る途中

足の小指をぶつけ、思わず地面に小さく飛び上がる。


「うぅぅ…痛い!痛い!痛い!」


まるで不運のフルコース。

かけ直したが、時すでに遅し。

その夜、電話は通じなかった。


不運に継ぐ、不運。ちょっと挫けそう。

青豆はベッドに突っ伏し、ため息をついた。





---



出会いは日常に転がっている。

青豆は塾の夏期講習で出会ってしまった。


「あ、桜井先生…」


一年前、家庭教師をしていた桜井がそこにはいた。


「何?元カノ?」


桜井の隣で、どう見ても年上の妖艶な女性が、からかうように笑う。


「違いますよ。元教え子。青豆ちゃん、久しぶり」

「夏期講習の子?なら、受け付けはあっちよ」


妖艶美女、塾の先生らしい。


「あ、ありがとうございます!」


青豆は礼を言って、その場から逃げるように立ち去った。


どうしよう、ここの夏期講習…やっぱりやめる?

しかし、申し込み料を支払った今、撤退はただの愚行に思える。

いや、庶民感覚が邪魔してるのかもしれない。


結局、講習受講料>気まずさと回答を出すしかなかった。

夏期講習だって、受験だってタダじゃない。

養ってもらっている身でキャンセルするなんて、申し訳なさすぎる。


青豆はそろりと教室を覗き込む。

知り合いは居ない。桜井も居ない。

ホッと息を吐いたその瞬間。


「好きな席に座っていいよ。」

「さ、桜井先生…」


「その反応、傷つくなぁ」


そのセリフ、絶対傷ついた感じしないですけど。

むしろ笑い飛ばそうとしてる。


青豆は疑り深い目で桜井を見上げる。桜井は相変わらず飄々として、つかみどころがない。

チャイムが鳴り、青豆は慌てて一番後ろの席に

小さくジャンプしながら滑り込む。


「授業始めるぞー」


桜井が慣れた様子で教室の皆の注目を攫った。



「なぁ…なぁ!」

「私?ですか?」


「そう。さっき桜井と話してただろ?知り合い?」


兄です、という嘘が一瞬頭を掠める。

やめよう

ややこしくなるだけだ。


「元家庭教師です」

「だってさ!モモ、良かったな!」


茶髪の学ランの男が、斜め前の女の子の背中を軽く叩く。

モモと呼ばれた女の子は「七瀬ってば、いいって言ってんのに」と言いながらも、ホッとした顔をしている。


――なるほど、恋バナだ。

ここは学び舎であり、恋も芽生える場所。


(…いや、芽生えさせないでほしい。今は受験期です)


「そこ! おしゃべりするなら出てってもらうぞ!」


容赦ない声が飛んでくる。

えっ、待って。私、被害者です。

完全に巻き添えタイプのやつ。


桜井の目がこちらを射抜く。

心臓が、ひゅん、と音を立てて縮む。

これでいつもの皮肉を言われたら――

うん、心臓、止まる。

きっと、いい感じのタイミングで。



授業が終わると、先ほどの女子が近づいてくる。


「さっきはごめんね」


長い袖からのぞく小さな白い手。

リップでつやつやしたピンクのくちびる。

ゆるふわにまとめられた、柔らかそうな茶色の髪。


――私、女子力の塊です。

そう言わんばかりの自己主張。

いや、むしろ叫んでいる。眩しい。

青豆は一瞬たじろいで、「気にしないで」とノートに視線を落とした。


「桜井せんせーって、彼女とかいるのかな?」


……来た。コミュ強の第二波。


「さあ? あ、でも元カノは菜々緒風の美人でした」


(あなたとは正反対のね)


「えー、マジでぇ……」


――そうなんです。でも恋愛至上主義なところは似てるかもしれません。

……あ、それは西野カナのほうだった。


「西園寺」


その瞬間、よく通る声が教室を切り裂いた。

がやがやした空気が一気に静まる。

桜井が、教室の入口に立って、こちらを見ている。


やめてくれ。

夏期講習の初日から、目立ちたくない。


「書類に不備があった。ちょっと来なさい」


――書類、という単語で、教室の緊張がゆるむ。

助かった。けれど、視線はまだ痛い。


西野カナ風の恋バナ女子は、私に手を振るフリをして、堂々と桜井に手を振った。


(その度胸、少し分けてほしい)


「書類ってなんですか? ハンコとか要りましたっけ?」


だったら取りに戻らなきゃ――と踵を返した瞬間、

桜井に腕を掴まれた。


「こっち」


導かれたのは、個別相談指導室。

蛍光灯の消えた灰色の教室。

誰もいないのに、空気だけがざらざらしている。


パチ。

灯りがついた。狭い部屋に白い光が広がる。


「あの?」


青豆は遠慮がちに口を開く。

桜井はドアの前に立ったまま、静かに言った。


「なんで、突然辞めたの?」

「え?」

「家庭教師。俺が告白したから?」


……何の話?


頭の中で緊急警報が鳴る。

(警戒レベル3、避難経路の確認を開始)


「違います。」


――完璧。今のは完璧な回答。


「その、いろいろあって……ちょっと勉強どころじゃなくなったっていうか」


(うわ、言い訳みたいになった)


「実は…母が亡くなって」


桜井の表情が一瞬で変わる。

驚きと、申し訳なさと、優しさが混ざったような目。


「……そんな事情があったんだ。ごめん。てっきり、避けられたのかと思って」


――なんであなたが傷ついた顔するの。

こっちが困るじゃない。


青豆の心臓が、どきん、と大きな音を立てた。

教室の蛍光灯が、まるで呼吸をしているように、少しだけ明滅する。


蛍光灯の下で一瞬だけ、沈黙が続く


「大変だったね。お葬式に行けなくて申し訳ない」

「いえ、先生は知らなかったですし。父と母は離婚してるので、西園寺本家とは直接関係ないです」


桜井の目がまた見開かれ、悲しい色を宿す。

――そう、それ。

同情とか、もういいから。


「でも、現国の成績は落ちてなかった。頑張ったんだね」


今度は労わるように、柔らかい光を帯びる。

七変化って、こういう人のことを言うのかもしれない。

少なくとも、カメレオンより器用だ。


「あ、それは彼に教えてもらって…」


――あ。

桜井の“七変化”に気を取られて、口が滑った。

顔を上げた時には、もう遅い。


桜井の瞳が、ゆっくりと皮肉の色に戻っていく。

ああ、帰ってきた。

一番やっかいなモード。


「そっか。あの彼?」


(あのって、どの?)


脳内で思考がぐるぐると回る。


「…そうです」

「それは――」


桜井が言いかけ、ふと青豆の髪に手を伸ばしかけた、その瞬間。

チャイムが鳴った。

空気が一気に現実に戻る。


桜井は軽く咳払いをして、

「じゃあ、また相談があったらいつでも声をかけて」


唐突に、“良い教師”の仮面をかぶった。

その切り替えの早さ、まるで舞台俳優。

――抜け目ない。


青豆は小さく頭を下げ、


(先生、たぶん私、相談しても素直に話せないです)


と心の中だけでつぶやいた。




---



塾を出ると、外はまだ明るかった。

夏の夕方特有の、じっとりとした空気が肌にまとわりつく。

自販機の光が、ぼんやりと足もとを照らしている。


青豆は、スマホを取り出した。

LINEの画面を開く。

一番上には「海翔」の名前。

最後のトークは、昼間送られてきたスタバの写真付きメッセージ。


《夏期講習どうだった?》


――報告、するべき?


元家庭教師に再会したなんて言ったら、

余計な心配かけるだけかもしれない。

でも、黙ってたらバレた時、怪しまれる気がする。


“桜井先生に会った”と打っては消し、

“偶然、塾で再会した”と打っては消す。

文章が完成するたびに、指が止まる。

送信ボタンが、やけに遠い。


ポケットの中で、スマホが熱を帯びていく。


「……ま、いっか」


呟いて、スマホを閉じた。

視界の端で、カップルが笑いながら自転車を押している。

その笑い声が、やけに遠く聞こえた。


帰り道の風が少しだけ冷たくて、

青豆は思わず腕をさすった。



---


夜中のサンフランシスコ。時刻は午前2時。

海翔は寮のラウンジの片隅で、パソコンを閉じた。

窓の外では霧が街を包み、坂の上の街灯がゆらめいている。

日本は夕方6時。青豆はもう塾を終えて帰り道のはずだ――そう思いながらスマホを手に取る。


「……まだメッセージなし、か」


ため息がひとつ漏れる。

彼女が忙しいのはわかっている。受験勉強だって、夏期講習だって始まっている。

それでも、少しだけ寂しい。


机の上には、分厚いアメリカ史のテキストと、語学の教材が積み上げられていた。

大学の授業が始まるのは9月。

けれど今は、留学生向けの少人数セッションで、英語でアメリカの歴史を読む授業が毎日ある。慣れない言語に宗教観まで入ってきて頭はパンク寸前。


サンフランシスコは、元々スペインの入植地。スペイン語で『San(サン)Francisco(フランシスコ)』という、“聖フランシスの町” という意味。ついでにロサンゼルスは『“El(エル) Pueblo(プエブロ) de() Nuestra(ヌエストラ) Señora(セニョーラ) la() Reina(レイナ) de() los(ロス) Angeles(アンヘレス) del(デル)o(リオ) de() Porciúncula(ポルシウンクラ)”(ポルシウンクラ川の聖母マリア=天使たちの女王の町)』から、略して “Los(ロス) Angeles(アンヘレス)”=天使たち に。


元スペイン領という土地柄、スペイン語の勉強まで入ってくる。

というか、切る所そこなんだ、という感想。


青豆が居たら、「ヘリコ・プターとか、キリマ・ンジャロと似てるね」って、言いそう。


『カイ、まだ勉強してたの?』


同じ寮の友人、デイビッドが顔を出す。

背が高くて、笑うと少年みたいな目をするアメリカ人。


『ああ、あとちょっとだけ』

『よくそんな頑張れるな。あとでハンバーガー食べに行こうぜ。』


『…いいよ』


笑って返したけど、たぶん行かない。

もうすぐ青豆が塾を終える時間だ。

英語のノートを閉じて、メッセージアプリを開く。

指が自然に彼女の名前の上で止まる。


《勉強どう? こっちはアメリカ史に苦戦中》

《そっちは夏期講習どうだった?》


文章を打って送信する。

その瞬間、霧の外でサイレンの音が遠くに響いた。

こっちに来てから、夜の音にまだ慣れない。

誰もが自由に笑っているように見えるのに、ふとした瞬間、自分だけが違う時間の中にいる気がする。


スマホの画面が光った。

“既読”の文字。

……青豆、今、日本で塾帰り。

胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなる。


《夏期講習、めっちゃ疲れた》

《そういえば、桜井先生が居たよ》


海翔はその一文に釘付けになった。

なんで、今さら。


もうとっくに退場したと思っていた、3つ年上の大学生。

皮肉っぽい笑いを湛えた、“モテ”の象徴のみたいな。

震える手で、文字を打つ。


“なんで?”

いや、違う


“偶然?”

ちょっと嫌味っぽい


“知ってる人が居て良かったね”

そんなこと全く思ってない


画面の前で、指が止まる。

あまり長い時間かけると、迷っていると思われる。

ああ、何を書けばいいんだ、

そんなこと考えてる自分が、少しだけバカみたいだ。


「いや、どう考えても偶然だよな…」


画面に向かって、何度も小さく首をかしげる。

誰も見てないのに、ため息をつく。

こんな時、日本なら二階堂すずめが「また悩んでるー」と小突いてくるのに。


《そっか、桜井先生か…》


送信ボタンを押す指が、ちょっと震えた。

青豆の顔が頭に浮かぶ。

あの時のちょっと困った顔、照れた顔、全部。


「……やっぱり、面白いやつだな、青豆は」


ひとりで笑う。

文字でしか会話できないのに、なんだか彼女の気配を感じる。

不思議だ。


ちょっとだけ、安心する。

ちょっとだけ、悔しい。

小さく息を吐き、再びスマホに手を伸ばす。


短い文章で、でも、ちゃんと伝えたい。

“桜井先生”という文字を消す。


《そっか。夏期講習、無理しすぎないでね。》


送信。

スマホを置く。

深呼吸。

自分だけが、ちょっと大人になった気がした。

でも、画面の“既読”を見て、思わずまた小さく笑う。

青豆は、やっぱり俺を振り回す。


海翔はサンフランシスコの架空の大学(Pre-Med)に通っています。

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