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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第二章

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17/33

1.春と、進路と、孤独な夜と

春は、やっぱり匂いでわかる。

制服に、ほんの少しだけ残る冬の冷たさ。

でも風がやわらかくなると、どうしても思い出す。

あの秋の日。初めて西園寺青豆に会った日のことを。


海翔がこの学校に来たのは、去年の秋だった。

理由を聞かれれば「家庭の事情」とだけ答えたけれど、実際はもう少し青臭い。

前の学校で殴り合いをして、退学になった。

喧嘩の理由はよく覚えていない。ただ、胸の奥にこびりついた“どうせ俺なんて”の苛立ちだけが残っている。


家では兄が常に正解を言い、両親はそのたびに「さすが」と笑った。

海翔が何かを言っても、「おまえも頑張れ」と言われるだけ。

それは応援の言葉の形をしていたけれど、実体は“関心の終了通知”みたいなものだった。

退学になっても、金髪にしても、ピアスを開けても、一度失くした関心はもう得られなかった。



そんなとき、彼女を見た。

西園寺青豆。

綺麗な子だと思った。

自分を見るときだけ、ほんの少しだけ怖がっている。

それなのに、まるで見透かすようにまっすぐ見つめてきた。

まっすぐなのに、震えてコップの水みたいに揺らぐ眼差し。


“ああ、この人、俺の中にある怒りが見えるんだな”と、海翔は思った。

怖いのは、彼女の方じゃなくて、見透かされた自分の方かもしれないのに。




---


そして今、春。

教室の前の黒板に、クラス分けの紙が貼られている。

文理で分かれた名簿。

二階堂は文系、青豆と俺は理系。

三人で過ごした半年間が、あっけなく終わった。


「すずめと離れるの、初めてだね」

「そーかな?じゃ、私あっちだから」


二階堂すずめは興味がなさそうに背中越しに手を振り、隣の教室へ消えていった。


「えー…寂しいじゃん…。」


青豆が寂しそうに手を振り、そのままゆっくりと降ろした。


「青豆、俺は一緒だよ。嬉しくないの?」


そう言ったら、青豆は耳まで赤くして「へあ?」って変な声を出した。


チャイムが鳴る。

教室の窓からは、桜の花びらがひとつ入ってきた。

――春。

新しい始まりと、まだ終わっていない想いの季節。


西園寺青豆と藤堂海翔。

ひとつの春を、同じ教室で迎える。

それは、恋と受験と、少しの不安が入り混じる、

――“青春の最終ラウンド”の始まりだった。




西園寺青豆は面白い。

不運が向こうから「やあ」と手を振ってくるタイプの人間だ。

本人は真剣に悩んでいるけれど、避けられた試しはほとんどない。


たとえば、読みたかった本は図書館で全部予約済み。

仕方なく本屋に行けば、年に一度の定休日。

友達のグループラインに送ったメッセージは、七人もいるのに既読が一向につかない。


世の中には“運の良い人”と“悪い人”がいる。

そして青豆はきっと、“物語を引き寄せる人”だ。

そんな青豆が、春、いよいよ高校三年生になった。




---


海翔と青豆は、図書館デートをしていた。

半分は勉強。もう半分は趣味。

青豆の好きな本はだいたい専門書で、厚くて、重くて、そして高い。


だから図書館は、青豆にとってのパラダイスだった。

今日は、荷物持ち要員――つまり海翔――もいる。

「完璧」と青豆は心の中でガッツポーズを決めた。


けれど、運命とは、そういう時に限って気まぐれだ。

読みたかった三冊すべてが、まさかの「貸出中」。

しかも予約は数十件待ち。


「……全部、埋まってる」


青豆は、返却予定日の数字を睨みつける。

どう見ても、しばらく帰ってこない。


(いや、これ絶対あれだ。先週のテレビ特集のせいだ)


前から好きだったのに。

ずっと前から知っていたのに。

にわかファンに先を越された気がして、ちょっとだけ、悔しい。


「人気出る前から推してたのにな」


ぼそりと呟く青豆に、海翔が笑う。


「そういうの、ファンあるあるだね」


「……笑いごとじゃないんだけど」


拗ねたように言いながら、青豆は本棚に背中を預けた。

その横顔が少し赤い。照れているのか、苛立っているのか、本人にも多分わからない。


「じゃあさ、別の本探そうよ。今日出会う本が、青豆の新しいお気に入りになるかもしれない」


海翔はそう言って、何気なく手に取った一冊を青豆に差し出した。

タイトルは『偶然という名の必然』。


「……くさいタイトル」


「でしょ?でも、今の青豆に似合う」


青豆は小さく息を吐いて、表紙を開いた。

たぶん中身は難しい。けど、たぶん、今日の青豆にはちょうどいい。


――愛情も、本も。

欲しかったものが手に入らない日ほど、なぜか記憶に残る。

海翔はやっと手に入れた青豆(あいじょう)の眩しさに目がくらんだ。




図書館を出たあと、ふたりは駅前のカフェに寄った。

外は春らしい風。テラス席には、ノートパソコンを開く大学生たち。

青豆はメニューも見ずにをカフェラテ頼み、海翔はアイスコーヒーを選んだ。


「青豆は進路って決めてる?」


アイスコーヒーの氷を掻き混ぜながら、海翔が何気なく聞いた。


「うん。建築系の仕事に就きたいから、建築学部に行くつもり。」


あっさりとした答え。

でもその声の芯は、しっかりしていた。

『家は?継がないの?』という海翔の声はついぞ出てこなかった。

氷がカランと音を立てる。


「建築…?意外」


「そう?小さいころから家の間取り見るのが好きで。

 それに“形になるもの”を作りたくて」


“形になるもの”。

その言葉が、海翔の胸の奥に残った。

自分はどうだろう。

形にしたいものなんて、思い浮かばない。


「すごいな。もうそこまで決めてるんだ」


「すごくなんかないよ。やりたいって思っただけ」


青豆はストローで氷をつついた。

その横顔がまぶしくて、海翔は少しだけ目をそらした。


自分は、なんとなく理系が得意で理系にしただけ。

得意=選択。

それでいいと思っていたけど、青豆を前にすると、

その“なんとなく”がやけに心もとない。


「……俺さ、何も決まってない」


自嘲気味に言うと、青豆は首をかしげた。


「じゃあ、大学行ってから、決めればいいじゃん」


「え?」


「それから決めたって遅くないよ。人生って、思いつきでも案外なんとかなるし」


軽いようでいて、妙に説得力があった。

海翔は笑う。


「青豆ってさ、運悪いのにポジティブだよね」


「不運とポジティブは両立するんだよ」


“そのバランス感覚、ほんとずるいな”と思いながら、

海翔は温くなったアイスコーヒーをひとくち飲んだ。


――青豆の世界には、ちゃんと未来がある。

そして、自分の未来は、まだ輪郭すらぼやけている。


それでも、となりにいるこの時間だけは、

誰よりも確かな“今”だった。





次の日、青豆は本屋に行った。

オフィスビルの一階にある、専門書も扱っている大きな本屋だ。

父からもらったお小遣いを握り――正確にはPayPayに送金されているので、

スマホをしっかりと握りしめて、

意気揚々と自動ドアの前に立った。


――定休日のお知らせ。


「……え?」


信じられない。

年に一度の定休日。

よりによって、その一日に当たる確率とは。

もう少し、世界は私に優しくてもいいのでは。


でも、がっくり項垂れながら見上げたその瞬間、

ガラスのビルに反射する空の色が妙にきれいだった。

青でもなく、水色でもなく、少し白を含んだ曖昧な色。


「建物って、空を映すんだな」


ぽつりと呟いた。


ガラスに映るのはただの空じゃない。

その日、その瞬間の天気、光の加減、時間――

全部を写して、全部を変えていく。

人もきっと同じなのかもしれない。

その時の気持ちとか、人との関わりとか、

一瞬で表情を変える。


青豆はもう一度ビルを見上げた。


「建築って、生き物みたいだな」


その瞬間、自分の中で、

“大きな建築物を作りたい”という気持ちが、

ただの夢から、少しだけ現実に一歩近づいた気がした。


――不運の定休日が、人生の設計図の1ページになるなんて。

ほんと、人生ってタイミングの悪い奇跡でできてる。





ベッドの上で青豆は悶々としていた。

友達のグループラインに送ったメッセージは、

メンバーが七人もいるのに、既読が一向につかない。


ほとんど文系で、クラスも遠く離れてしまった。

数Ⅲと古文が壁のように、青豆とみんなを隔てている。


『クラス別れちゃったから、一回カラオケでも行こうよ!』


そう送ったのは、夜の8時。

たぶん皆、課題とか恋とかテレビとか――

それぞれの“今”を生きている時間。


……でも、七人全員が見てないって、そんな奇跡ある?


もしかして私、空気読めてない?

いや、読む以前に、理系の波長と文系は反発するのかもしれない。

同じWi-Fiに繋がってるはずなのに、電波が届かない感じ。


送信した自分がちょっと切なくて、

でもそれ以上に、笑えてきた。


「まぁ、いっか。そんな夜もある」


青豆はスマホを伏せて、ベッドに突っ伏した。

既読がつかない画面も、

今の青豆には、ちょっとした静寂みたいで悪くなかった。


――青春って、返事が来ない夜にも、ちゃんと存在している。




青豆のグループラインが未読のまま夜を迎える頃、

海翔も自室でスマホを握っていた。

正確には握ってはいるけれど、画面を見る余裕もなく、

ただ、青豆のことをなんとなく思い出していた。


去年の秋――転校初日。

教室のドアを開けた瞬間に見たあの子。

まっすぐで、でも水みたいに揺れる目。

怖がっているのも、ちゃんと感じた。

それなのに、いつもいつでも声を掛けてくれた。


「青豆って、いつもまっすぐで、でも少し不器用だな」


独りごとみたいに呟く。

あの子は今、何してるんだろう。

課題に追われてる?漫画読んでる?

それとも、友達に未読無視されて悶々としてる?


あり得る――

そう思って、ふっと笑いがこみあげる。


ふと、去年の自分を思い出す。

優秀な兄へのコンプレックスと、親に認めてもらえないもどかしさで

反抗的になっていたあの頃の自分。

青豆に出会って、少しだけ変われた気がする。

誰かを、ただまっすぐに応援したい――

そんな感情が芽生えていることに、少し驚いていた。


そして、夜の静かな自室で、

海翔はそっとスマホの画面を閉じる。

未読のメッセージの向こう側にいる青豆の笑顔を、

頭の中でそっと思い浮かべながら。


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