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西園寺青豆の不運  作者: 雨水卯月
第一章

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11.世界は続く、どこまでも

水臭いって、何だろう。

なんだか、妙に距離を感じるときに使う言葉。

でも本当の意味を考えると、ちょっと面白い。


元々は、食べ物や酒の味が薄く、水っぽくて物足りないことを言ったらしい。つまり、水っぽい=味気ない=冷たい。そこから、親しいはずなのに、なんとなく心が寄せられない相手に対しても「水臭い」と言うようになったとか。


なるほど、そう考えると、水臭いっていうのは、味の薄い料理と同じように、ちょっと寂しい感じを伴う言葉なんだ。だから、誰かに「水臭い」と言われたら、それは悪口というよりも、距離を測っているサインなのかもしれない。


でも、青豆は思う。

やっぱり、「水臭い」って、もう少し優しい響きにしたほうがいいんじゃないかって。

だって、味気ないだけの距離感なら、温めようと思えばどうにでもなるのだから。




「めんどくさっ」


「『水臭い』ってどうして水が臭いんだろう」、という話始めを一言でぶった切られる

青豆の背中に凭れ掛かりながら、すずめが漫画をめくる手を止めずに言った。


「酷い、もうちょっと真剣に聞いてくれたっていいじゃない」


あれから――母の葬式、初七日、四十九日まで、全部終わった。

振り返ると、長かったのか短かったのか、よく分からない。墓は西園寺家らしく立派だったけれど、青豆の目には小さく見えた。


「それよりさぁ!最近の漫画、タイトルも漢字が難しくて読めないんだよ!」


「知ってる?」とすずめが興奮気味に漫画を差し出す。


「そんなわけないじゃん…漫画って子ども向けに作られてるんだから」


あんなことがあったけれど、すずめの態度は揺るがない。

変わったら、それこそ水臭い、だ。

青豆は漫画を手に取り、タイトルをじっと見つめる。


――読めない。

高校生の漢字力をもってしても、読めない。


「ね!読めないでしょ?」


すずめが何故か誇らしげに言った。


「ホントだ。本当に読めない…そんなことあるんだ」



そんな晴天の霹靂があった、月曜日。


レジで後ろに列を作ってしまったのに、小銭があと一円足りなかった。ああ、目の前でため息混じりに待つ人たちの視線…。悪気はないのに、なぜか罪悪感で胸がぎゅっとなる。


どうしても名前が思い出せないクラスメイトがいる。もう2学期末なのに。あー、なんだっけ…。机の向こうでにこにことしているあの人の名前が、頭の中で霧のように消えかかる。


待ち合わせの直前、まだ会えてないのにスマホの充電が切れた。充電器もない、連絡も取れない、頭の中で時計の針がやけに速く進む気がする。


小銭も、名前も、携帯も。今日の不運三連発。どれも、並べても何の役にも立たない。

それでも、すずめが隣で漫画をめくりながら笑っているのが、ちょっとだけ救いだった。

青豆は深く息をつき、心の中で呟く。


――今日も、ついてない。でもまあ、いいか。





---


朝のコンビニ、レジでのことだった。

列に並び、順番を待つ間、心の中で「今日は順調、順調」と繰り返していたのに、最後の瞬間に限って現実は小さな罠を仕掛けてくる。


小銭が溜まったから久しぶりに現金で払おうと意気込む。

あれ、なんか足りない……。


レジの列は後ろに人がずらり。ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も頭を下げる。

青豆の心臓は軽く跳ね、冷や汗がじんわり手のひらを濡らす。


「あと一円……」


誰かが呆れた顔で待っている。

いや、呆れたというより、失笑かもしれない。

小さな一円玉が、こんなにも世界を止めるなんて。

この一円のせいで、私の心も、列も、時間も、全部止まってしまったみたいだ。


結局、「電子マネーで払います」と言うと、

後ろから盛大なため息が聞こえた。




どうしても名前が思い出せないクラスメイトがいる。

山田?高橋?それとも佐藤?――。


机の向こうでにこにことしているあの人の顔はしっかり覚えているのに、名前だけが頭の中で霧のように消えかかる。手が震えるわけじゃないけれど、口が重くて開かない。


「えっと、先生呼んでるよ」


もう12月なのに、まだ名前覚えてないなコイツという目で見られたことを、青豆は確実に感じた。絶対に覚えてないと思われた。その通りだけど。




そして、最後の不運がやってきたのは、待ち合わせの直前だった。

青豆はカバンの中でスマホを取り出し、軽く胸を撫で下ろす。


(よし、時間ぴったり。これで藤堂にも会える)


しかしその直後、画面に赤いバッテリーの警告が点滅した。


――え、今?

待ち合わせ場所まではあと数分しかない。

充電が切れれば、連絡もできない。

青豆の心臓がきゅっと締め付けられる。

周囲の景色が、時間が、まるでスローモーションに見える。


「頼む、もうちょっと…!」


でも、運命は意地悪だ。バッテリー残量は無慈悲にゼロになる。

目の前の街路灯の明かりが、青豆の焦る心に反射してぎらぎら光る。

周りの人々の声も、ただ遠くでぼんやり響くだけ。


――こんなに焦ったのは久しぶりだ。


青豆は深呼吸して、心を落ち着けるしかなかった。

「……まあ、会えるよね、きっと」と小さくつぶやきながらも、ポケットの空っぽのスマホを握りしめる手は、ほんの少し震えていた。



「ごめん!遅れて!!」


海翔は待ち合わせぴったりに、しかも息を切らしながら走ってきた。


「遅れそうってLINEしたんだけど、既読つかなくて!焦ったっ…」

「ごめん、充電切れちゃって…」

「ははっ…青豆らしいや」


海翔は爽やかに笑った。

笑う。笑うんだ、海翔は。以前の影のある鋭さはどこへやら、今日はまっすぐな人懐っこさが全開だ。


(可愛い…私の彼氏、世界一可愛いんですけどーー!!)


青豆は思わず海に向かって叫びたい衝動にかられた。

いや、ここは公園のベンチ前だけど。


今日は今年最後のデート。クリスマスデートだ。

なのに、私ったら充電が切れるとか――

女子力というより、人間力、いや計画力の欠如をここに極めてしまった。


「充電器、貸すよ」

「神っ!!」


青豆は心の中で拝む。拝むしかない。

後光が差して、天使の輪っかまで勝手に浮かんで見える気がする。


「行こうか」


海翔が手を差し出す。青豆が差し出された、手を握る。


デート先は、当然のようにディズニーランド。

ベタ・オブ・ザ・ベタ。

でも、人間って案外ベタに弱いものだ。


入り口でキャラクターのぬいぐるみを見た瞬間、青豆の目が輝く。


「かわいい……でも、なんでこんなに高いの?」

「カチューシャ買う?」


うわ、もう、いきなり優しいこと言わないでください。

心臓がぎゅーっとなる。


二人でおそろいのミッキーとミニーのカチューシャをする。

もちろんクリスマス仕様だ。

混雑の中を歩きながら、海翔は「はぐれるといけないから」と手を差し出す。

海翔はさりげなく歩幅を合わせて、笑顔で「大丈夫?」と気遣う。


もう、もう…!


ジェットコースターの前で青豆が足をすくめれば、

藤堂は「大丈夫、俺も怖い」と共感してくれる。

青豆は怖さと甘さで頭がふわふわする。


そして、定番のベタ・アトラクション。

シャッターが光った時、青豆は思わず目をつぶった。

後から「やだ、目つぶっちゃった」と顔を覆う。

藤堂は「じゃあ、絶対買お!思い出す度に笑えそう」と笑う。


青豆の中で、「ベタ・オブ・ザ・ベタ」のデートが、こんなにも特別になるとは思わなかった。

ベタなものほど、人の心をふわっとくすぐる。

すずめには絶対言えない。奴ならきっと鼻で笑うに違いない。「青豆、そんなので感動するの?」って。


最後に花火を見上げた瞬間、なぜか胸の奥がちくりと痛んだ。

青豆はそっと海翔の肩に顔を寄せる。

海翔も、少しだけ頭を青豆に寄せた。


「きっと、青豆は俺がいなくても大丈夫だろうけど」


どきん、と胸が跳ねる。

それは、よく聞く別れの前触れみたいな言葉じゃないか、

と青豆の心がひんやりする。


「でもきっと青豆は、一人じゃ泣かないだろうから。青豆がいつでも泣けるように、そばにいるよ」


「っ…!」


青豆は涙を必死で堪える。

あのとき、母が亡くなった日に封印したはずの涙を、海翔はたやすくほどいてしまう。

なんでこんなに、簡単に。


ゴンドラの上で手を握られたこと、コースターで叫んで笑ったこと、チュロスを口に押し込まれたこと。

どれもベタで、でも全部が心の中で輝いている。


「や、やだな…藤堂の前だと、私、めちゃくちゃ弱くなっちゃう…」


西園寺青豆、一生の不覚。

いや、彼の傍にいる限り、ずっとこんな調子かもしれない。

でも、悪くない。


泣く私も、笑う私も、海翔は受け止めてくれる。

青豆はそっと海翔の胸に縋りつき、ほんの少しだけ涙を零した。


世の中は不条理で満ちている。

けれど、時々、ほんとうに気まぐれに、幸運の女神が笑うこともある。




これで終わりです。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!

いつか、藤堂verの続きが書けたらなぁと思っています。

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