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6 策略の魔女の過去-失敗への恐怖

翌朝、王国軍は包囲陣形を取りながらバルディアへの最終攻撃準備を整えていた。しかしルシアンは、昨夜のアスモデウスとの会話が気になっていた。


「完璧でなければ、生き残れない」──その言葉には、深い恐怖と絶望が込められていた。


「ルシアン、作戦の最終確認だ」ガルスが声をかけた。


「はい。しかし、その前に一つ提案があります」


「何だ?」


「まず住民の避難を優先させませんか?彼女は住民を人質に取っていると言いましたが、実際は住民の心を掌握できていないはずです」


エリアが首をかしげた。


「根拠は?」


「昨夜の彼女の反応です。『感情は予測不可能』と言った時、明らかに動揺していました。つまり、彼女は論理的分析は完璧にできても、人の感情を理解することが苦手なんです」


ルシアンは地図を広げた。


「住民たちは指導者の命令で表面的には従っていますが、心の中では故郷を愛し続けている。その気持ちに訴えかければ、内部から状況を変えることができるはずです」


「しかし、どうやって住民に接触する?」


「私が一人で街に入ります」


「危険すぎる!」ガルスが即座に反対した。


「いえ、むしろ安全です。アスモデウスは完璧主義者です。計画にない行動を取られると、かえって慎重になる」


1時間後、ルシアンは白旗を掲げて単身バルディアの城門前に立っていた。


「アスモデウス様!話し合いがしたい!」


城壁の上から、アスモデウスが姿を現した。


「また来ましたね。今度は何の用でしょう?」


「住民の皆さんとお話がしたいのです。あなたの統治がいかに素晴らしいか、この目で確かめたくて」


アスモデウスは一瞬迷った。これは彼女の計算にない行動だった。


「...どういうつもりですか?」


「つもりも何も、純粋な好奇心です。バルディアの住民が本当にあなたの判断に納得しているなら、それは見事な統治術だと思います」


アスモデウスの完璧主義的な性格が、ルシアンの挑戦を受けて立たせた。


「...よろしい。ただし、武器は持たせません。そして、私が同行します」


30分後、ルシアンはアスモデウスに案内されて街の中を歩いていた。


街の様子は確かに平穏だった。商店は営業を続け、子供たちは街角で遊んでいる。しかし、人々の表情をよく見ると、どこか諦めたような影が見えた。


「いかがですか?平和そのものでしょう?」アスモデウスが得意そうに言った。


「確かに」ルシアンは頷いた。「しかし、あの方々はいかがですか?」


ルシアンが指差した先には、広場の隅で小声で話し合っている住民たちがいた。彼らの表情は暗く、時折不安そうに周囲を見回している。


「あれは...」アスモデウスの表情が少し曇った。「一部の不満分子です。どの統治にも反対する者はいるものです」


「そうでしょうか?彼らと話をしてみませんか?」


「無駄です。彼らは感情的で非論理的な...」


「だからこそです」ルシアンは微笑んだ。「あなたの統治の完璧さを証明する良い機会ではありませんか?」


アスモデウスは迷った。完璧主義者として、自分の統治に欠陥があることを認めたくない。しかし同時に、予想外の事態への対処に不安を感じていた。


「...よろしい」


二人が住民たちに近づくと、人々は警戒した表情を見せた。


「こんにちは」ルシアンが穏やかに声をかけた。「私は王国軍のルシアンと申します。皆さんの生活について、少しお聞かせいただけませんか?」


「王国軍?」初老の男性が驚いた。「しかし、もう降伏したと...」


「私たちは降伏を受け入れていません」ルシアンははっきりと言った。「皆さんの真の気持ちを知りたいのです」


住民たちがざわめいた。アスモデウスが口を挟もうとしたが、ルシアンは続けた。


「市長のベルナルド様の決定について、皆さんはどう思われますか?」


「それは...」住民たちが互いに顔を見合わせた。


「正直にお話しください。ここは皆さんの故郷ですよね?」


「そうです!」若い商人が声を上げた。「ここは俺たちが生まれ育った土地だ!誰かに明け渡すなんて...」


「黙りなさい!」アスモデウスが厳しい声で制した。「あなたがたは現実を理解していない。王国はこの街を見捨てるのです」


「見捨てる?」老人が眉をひそめた。「しかし、王国軍が救援に来ているではないか」


「それは一時的なものです」アスモデウスは冷静に説明した。「戦力比、補給線、政治的重要度...全てを分析すれば、王国がこの街のために長期間戦い続けることは不可能です」


住民たちの表情が暗くなった。アスモデウスの分析は論理的で反駁しがたかった。


しかしルシアンは違う角度から話しかけた。


「確かに、数字だけを見れば厳しいかもしれません。でも皆さん、この街に何があります?」


「何があるって...」


「家族、友人、思い出、そして未来への希望」ルシアンは温かい声で続けた。「それらは数字では測れませんが、皆さんにとって何よりも大切なものではありませんか?」


「そうだ...」女性が涙声で呟いた。「私の子供たちが初めて歩いた道、主人と出会った市場...全部ここにある」


「私の祖父が建てた家も、代々続く商売も...」


住民たちの目に光が戻り始めた。アスモデウスは困惑していた。


「しかし、現実的に考えて...」


「現実と理想は矛盾しません」ルシアンがアスモデウスに向かって言った。「確かに困難はありますが、不可能ではない。人は数字だけで生きているわけではありませんから」


「数字だけでは...?」アスモデウスの表情に動揺が見えた。


「そうです。愛、希望、誇り...そういった感情が人を動かす時、どんなに不利な数字も覆ることがあります」


その時、一人の少女がルシアンの元に駆け寄ってきた。


「おじさん、本当に王国軍が助けに来てくれるの?」


「ああ、きっと」ルシアンは少女の頭を撫でた。「君たちは決して見捨てられない。君たちの故郷を守る価値があるからだ」


少女は安心したように微笑んだ。その表情を見て、周囲の大人たちも希望を取り戻し始めた。


アスモデウスは立ち尽くしていた。自分の完璧な計算が、一人の男の言葉で崩れ始めている。


「なぜ...なぜ私の分析が通用しないのです?」アスモデウスが呟いた。


「あなたの分析は完璧です」ルシアンは優しく答えた。「ただ、人間は完璧な論理だけで生きているわけではないのです」


「では、どうすれば...」


「まず、自分の感情と向き合ってみてはいかがですか?」


「感情?」アスモデウスが眉をひそめた。「感情など、判断を曇らせるだけの...」


「本当にそうでしょうか?あなたが『完璧でなければ生き残れない』と思うようになったのは、いつからですか?」


アスモデウスの顔が青ざめた。


「それは...」


「きっと、過去に何か辛い経験があったのでしょう。失敗を恐れるあまり、完璧を求めすぎるようになった」


「黙りなさい!」アスモデウスが声を荒げた。「あなたに何がわかると言うのです!」


住民たちが驚いて後退した。しかしルシアンは冷静だった。


「わからないからこそ、教えていただきたいのです。あなたの痛みを」


アスモデウスは震えていた。長年封印してきた記憶が蘇りそうになっていた。


「私は...私は帰ります。今日の交渉はここまでです」


アスモデウスは踵を返すと、急ぎ足でその場を去った。


住民たちはルシアンの周りに集まってきた。


「本当に助けてくれるのですね?」


「ええ、必ず」ルシアンは力強く頷いた。「皆さんの気持ちがあれば、どんな困難も乗り越えられます」


その夜、城の一室でアスモデウスは一人で過去の記憶と格闘していた。


(なぜ...なぜあの男の言葉は、こんなにも心に響くのか?)


彼女の脳裏に、封印していた記憶が蘇った。


まだ人間だった頃、彼女は小さな領地の軍師として仕えていた。頭脳明晰で戦術に長けていた彼女は、領主から絶大な信頼を寄せられていた。


しかし、ある戦いで彼女の計算に僅かな誤りがあった。その結果、多くの兵士が命を落とし、領主も戦死した。


「お前の計算違いで、皆が死んだのだ!」


生き残った兵士たちの罵声が、今でも耳に残っている。


それ以来、彼女は完璧でなければ生きていけないと思い込むようになった。一つの失敗も許されない、常に最善の答えを出し続けなければならない、と。


(だが...今日あの男は、私の完璧な分析を感情論で覆してしまった。これでは、私の存在価値が...)


アスモデウスは頭を抱えた。自分のアイデンティティの根幹が揺らいでいる。


一方、王国軍の陣営では、ルシアンがガルスに報告していた。


「住民の心は王国側に傾きました。明日、内部から蜂起が起きるはずです」


「それは良いが...アスモデウスの様子はどうだった?」


「動揺していました。彼女は過去に大きな失敗を経験している。その恐怖が、完璧主義を生み出している」


「つまり?」


「彼女を倒すのではなく、救う必要があります。彼女もまた、心に深い傷を負った犠牲者なのですから」


ガルスは複雑な表情を浮かべた。


「敵を救うなど...」


「敵だから救わないのではなく、苦しんでいるから救うのです。それが、本当の勝利につながるのではないでしょうか」


夜が更けても、アスモデウスは眠ることができなかった。ルシアンの言葉が、頭の中で繰り返し響いている。


(完璧ではない私に、存在価値はあるのだろうか?)


初めて、そんな疑問を抱いた夜だった。




【ルシアンの心理学講座 #6】


今回使用した技術:『完璧主義の心理的背景』『集団心理と個人の価値観』『トラウマと防衛機制』


■ 完璧主義の心理的背景

完璧主義は多くの場合、過去の失敗体験から生まれます。


発生メカニズム:

1. 重大な失敗を経験

2. 失敗への過度な恐怖が形成

3. 「完璧でなければ受け入れられない」という信念

4. 完璧主義的行動パターンの確立


問題点:

- 柔軟性の欠如

- 創造性の阻害

- 人間関係の困難

- 慢性的な不安とストレス


■ 数値化できない価値の力

人間の意思決定には、定量化困難な要素が大きく影響します:


定量化困難な価値:

- 愛着・絆

- 誇り・アイデンティティ

- 希望・夢

- 正義感・使命感


重要性:

これらの価値は数字では測れませんが、人の行動を決定する強力な要因となります。


■ 防衛機制としての完璧主義

アスモデウスの完璧主義は、心を守るための防衛機制です:


機能:

- 再び失敗することへの恐怖からの保護

- 自己価値の維持

- 他者からの批判の回避


問題:

- 本来の自分との乖離

- 人間的な成長の阻害

- 真の人間関係の困難


ビジネス・日常応用例:


完璧主義者との接し方:

- 能力を認めつつ、完璧でなくても価値があることを伝える

- 失敗を学習機会として捉える文化の醸成

- 過程を評価し、結果だけでなく努力を認める


自分の完璧主義との向き合い方:

- 「良い完璧主義」と「悪い完璧主義」を区別する

- 80%の完成度でも十分価値があることを認識する

- 失敗から学ぶことの価値を理解する


注意点:

完璧主義者の背景には深い心の傷がある場合が多いため、批判的ではなく共感的なアプローチが重要です。

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