表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

トリップトゥムーン

 ピンとこないのも何かワケがあること。そんな風に言い聞かせてみて、日焼けでヒリヒリする首元をちょっと撫でる。思いのほか桃を味わう機会が多かった夏。存分に甘く、美味という他ない絶品はあろうことか極楽を幻視させさえした。なぜか温泉に近いイメージの極楽には蝶が舞っている。二重螺旋を描いて舞い上がる二匹の蝶を追う視線の先には黄金に輝く球体があった…ような気がした。



 その球体によく似たスーパームーンがちょっと前に話題になった。カーテンを閉めた窓からこぼれ落ちた淡く心地よい光に包まれて、<月というものはあんなに綺麗なのだな>と今更ながらに思い、スマホで撮影してもイマイチの画像にしかならないのがつくづく残念。リアルではそれほどでもないが、ネットの方では趣味の合う人達との繋がりが段々密になってきたのを感じ、『月が綺麗ですね』という投稿でも素朴に共感してもらうだけで何かが満ちるように感じられる。



『ほんとうに月が綺麗ですね』



 同じ趣味であること以外、性別も年齢も謎の多い…このご時世だとセキュリティー的にそれはそれで健全なのだけれど、とにかく色々謎な人物からリプライを貰ってしまって変にドギマギもした。妄想的になってしまったのは最後にハートの絵文字を添えられていた為だと弁明しておく。なんとも甘美な月影に、幻想的なイメージが加わり、うとうとと微睡んでいた時間はそれはそれは素敵なものだった。



 結局、今のところはそれきりの話なので何かがあるというわけではないけれど、直売所で食べたのとは違う種類の桃を見掛けてその場に立ち止まってしまった。



<この桃を食べたらまたあの感覚が来るだろうか?>



そんなことをぼんやり浮かべていた夏。




 淡いとしか言いようのない何かを忘れ去ってしまったような頃になって、ドラッグストアの冷蔵庫で品定めをしていたらコーヒーのブランドと思っていたロゴで『ピーチーティー』が販売されていることを知った。梅雨に入りかけの季節にあっては桃の現物を見るべくもなく、じめじめになりがちな心地を少しでも緩和できればと思い手に取ってみたら、思いのほか『美味』で驚いた。何かの偶然なのか、その日の夕方のニュースを見ていたら気象予報士が、



『今日は『ストロベリームーン』が見れるそうです。好きな人と一緒に見ると恋愛成就の願いが叶うと言われています!』



と自分には馴染みのない言葉を発した。少し調べてみてスーパームーンだけじゃなくて、赤みがかったそのような月を見れる日が存在するという事を知り、何故だか急にソワソワし始めた。曇りがちな空なので夜に見れるかどうかは怪しかったけれど、とりあえず外に出てみたら確かにそれっぽい色の月を目撃。



<こういうところで嬉々として写真を撮っちゃうあたりが『自分』なんだよなぁ…>



そんな心の声を聞きながら収めた写真をやはり丁寧に加工して投稿。



『今日はストロベリームーンだそうですね!綺麗なお月様です』



添えた文章に我ながら『あざとさ』が透けてみえる。ただ、そういう素朴な「ことば」を時代が求めているように感じるのも真実ではある。その日中、言外の「何か」を期待し、幾つかの「いいね」はいただけたものの期待通りにはならない事を思い知る。




ピーチティーという響きには少し厳ついダンディーな顔のロゴが『人生そんなものなのさ』と語りかけているかのよう。




ただ、その夜の夢だけはとびきり印象的だった。



『月の暮らしはどうですか?』



気付くと鈴のような声が耳朶をくすぐっている。うっすら視界に映ったのは寝室のような落ち着いた場所のようにも感じた。



『とても心地よいですね。地上の喧騒を忘れてしまいます』



芝居がかったようなセリフを発する自分。まるでずっとそこで暮らしていたかのような言葉だ。



『福島の桃は素晴らしいですね。昨年は売り上げも過去最高額だったとか』



何故か急に地元の話題を口にする声の主。場面にはミスマッチな発言ではあるが、



『やはり『あかつき』は美味しいですよね。今年も豊作だと嬉しいです』



と急に我に返って常日頃思っていた返事をしてしまう。



えにしは結ばれゆくものです。わたしはここでお待ちしておりますゆえ』



打って変わって意味深な言葉が最後に聞こえた。返事をする前に甘美なその時間は幕切れとなった。




「どういう意味ですか」




目覚めた瞬間にベッドの上で思わず呟いた一言。どういう意味なのかは今もって分からないが、寝起きに飲んだピーチティーの味で再び何かを幻視しそうになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
夏の「桃」が見せてくれた現実の、そして幻想の関係性。 実際の桃からピーチティーになるところが、なんともなんとかさんらしくて、ひょうひょうとしていてほっこりでした。日常ってそういうものだなあと思いました…
ピーチティーおいしいですよね(*´ω`*) 件のブランドのものはまだ飲んだことないのですが、学生の頃はほのかな甘さが好きでよく飲んでいました。 桃そのもののおいしさを知ったのは大人になってから、押し付…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ