10話 メス堕ちと自己性愛
「……買ってしまった……」
僕の前には、通販サイトから届いた物体がある。
手のひらサイズの電子機器に、それぞれを体に固定するためのバンド。
……うん。
フルトラッキングの機材だ。
◇
「レイきゅんレイきゅん、今日はうぇぇぇぇ……え? マジ?」
「笑うか?」
「いや、俺ちゃんも持ってるから笑わないけどさ。早くない……?」
モニターの向こうでドン引きしている美少女アバター――ドン引きの仕草すらかわいいのが腹立つな――が、ヒカルの声を発する。
「まだ1ヶ月よ……? あ、しかもユーザーランク上がってユーザーになってる……」
「笑うか?」
「ここまでどハマりしてるだなんて……」
「笑うか?」
ああ、笑うなら笑え。
僕もお前のことを笑ったんだ、お前には僕を笑う権利がある。
「……おいくら万円?」
「入門用のやつだからな、2万ちょいのだ」
「ならまぁ……セーフ? いや、高いよ?」
「笑うか?」
「ちょっと止めて? レイちゃんのかわゆい姿からその声聞くとやけに怖いから止めて? 笑わないから!?」
――帰ってから1時間くらいを格闘していた僕。
最近は半分監視されながらのVRライフなだけあって、こいつにはもう何を隠そうと無意味だ。
だから、正直に白状した。
どうせバレて、そうしたら笑われるからな。
「……かわいいモーション、一緒にやる……? せっかくだし……」
「……やる……」
もう――こうなったらヤケだ。
飽きるまでのあいだ――とことんまでハマってやろうじゃないか。
◇
「疲れたぁ……」
「だよねぇ、フルトラッキングは基本立ってるから、スマホとかPC、ゴーグルより遙かに疲れるんだよぉ。家の中に居るのに外出してる感じ」
僕はぐったりしている。
ただパソコンの前で立ったり移動したりし続けるだけなのに、予想以上に疲れるんだなこれ……。
しかもあっちこっちぶつけたし……。
「まー、これってば演技してるわけだし? つまりはドラマとかに出てる人みたいなことを、普通の学生がいきなりしてるわけだからそりゃあ疲れるよねぇ……」
「あー……」
「良くて演劇部ってとこ?」
「普通に話してるだけ……のはずなんだけどな……」
「けど」
目の前から――ああ僕に教えるって言ってきただけあって歩き方すらかわいいなちくしょう――ヒカル、いや、ヒカリが、地面に倒れ込んでいる僕の上からのぞき込んでくる形で、
「……ぱんつ見えてるぞ」
「じゃあ見たくない?」
さっ、と、片手で隠す美少女。
ああ。
「見たい……」
「素直でよろしい」
ちくしょう、こいつのぱんつが水色縞々だからちくしょう。
「なぁ、言っちゃって良い?」
「何を?」
「うん」
僕をじっと――僕は机の上のモニター見上げてるだけだけど、やつからすればVRな3Dで直接に、膝に手を置いてしゃがんでいる感じなんだろう。
「その倒れ方。めっちゃえっちで正直襲いたくなるわ」
「やめて」
「正直むらむらしてきた」
「やめて?」
「……って、俺ちゃんでもなるから、それ、絶っっ対他の人の前でやるなよ? ガチ恋されても知らないからね?」
「……そうする……」
「あ、ちなみにこれがスクショ」
生まれてこの方十数年、まったくその気がなかったのに――たったの数時間で、こいつすらドン引きするレベルの色気を得てしまった。
その絶望にうちしひがれながらもスクショ――なんでもギミックを導入すると、その場で撮ったスクショをVR上で他人に見せられるんだとか――を見上げた僕は――。
――――――どくん。
心臓が、跳ね上がる。
そこには、横から地面に倒れ込んで片足から生足になっていて、スカートがめくれて白いぱんつがちらりと覗いていて。
片手を地面に、片手を無意識で顔の近くにやっていて、さっきまでの演技指導でわざとそれっぽい――つまるところ顔を赤くして潤んだ表情にしていたもんだから、それはまるで。
「襲われるも期待ありげな感じで見上げてくる美少女。うん、これはヤバいわ」
「ああ……ヤバいな」
「……スクショ、送っとく……?」
「……道を踏み外しそうだから消しといて……」
「うん……そうする……」
「…………………………」
僕は急いで起き上がる。
表情もデフォルトに。
でも、さっきのは脳裏に映っている。
「………………………………」
「………………………………」
静寂。
気まずい時間が流れる。
「……メス堕ちしちゃったら……まぁ、責任は取るよ……? 誘ったの、俺ちゃんだし……その、今後の人生とか……?」
「………………………………」
「まぁ、既に手遅れだったら……うん……」
「笑うか?」
「笑わない……いや、笑えないねぇ……」
「あははははははははははは」
「ひぇっ」
乾いた笑いが漏れる。
ああ。
今さらながら――僕は、とんでもない世界に、興味本位で突入してしまったんだ。
「……あとさ」
「うん」
「心なしか、声も……いや、低さとかは変わってないんだけど」
「うん……動画で女声講座とか……」
「見ちゃった?」
「家族が居ない時間に」
「おっふ」
「まぁ、声が高くなっただけで男ってのは分かるんだけどね」
「いやいや……ショタボイスなら女子認定する人はするよ……?」
頭を抱えてしゃがみこんで、ぱんつ丸出しなヒカリ。
なのに「でも僕の方が色っぽいんだよな」って考えているのを自覚しているから余計に罪悪感しかない。
「……俺ちゃんは、いや、俺はね。どんなレイちゃんになっても応援してるからね……」
「ああ……」
クラスでも特段目立たない――いや、中村はともかく僕は本当に目立たない、特徴も何もない、平凡で地味で「佐々木? ああ、居たね」ってレベルの、良くも悪くもノーマルでフラットだった僕。
そんな僕は、もう。
「……そういえば。VRゴーグルも、なんだけど」
「……まさか」
「うん……」
「そう……」
――貯金は、尽きた。
お年玉とかを真面目に蓄え続けた僕が、そのすべてを吐き出したんだ。
僕は男として、もう、終わったのかもしれない。
「……VRになったら俺ちゃんのおっぱい、揉んでいいからね……」
「自己性愛にハマるよりは友人のVR姿で欲情する方が万倍マシか……」
「うん……単性生殖は環境変化に弱いからね……」
「生産性が皆無だからな……」
「そうそう……うっかり気温が変わっただけで絶滅しちゃうから……」
「それならせめて、遺伝子のエラーで突然変異を期待しないとな……」
2人、立ち尽くすVR空間。
ああ。
そうだったな。
VRなチャットは魔境だって――始める前から知ってたじゃんか、僕。
◆◆◆
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