後編
「──で、その結果がコレなわけですね」
馬車の中で向かい合う殿下を、俺は眇めた目で見つめた。
長い道中、気を遣った会話も限度がある。沈黙も相手が相手のため心安らかではない。殿下も同様だったのか、俺の遠慮ない態度に思うところがあったのか、これまでの経緯をぽつりぽつりと話すようになった。
悲劇の主人公のように苦しげな表情で俯く殿下の話は、はっきり言ってどの角度から見ても呆れることしかできない。
「リーゼ嬢の話だけでよくそこまで暴走しましたね。その話にしたって、リーゼ嬢は狡猾に…じゃない、慎重に苛めた相手の正体は明かさなかったんでしょう?せめて事前にあらためて確認するなり独自に調査するなり、やりようはあったでしょうに」
「…高位貴族でリーゼを苛める動機がある令嬢が、あの四人以外にいるか?」
「いっぱいいますって」
子爵令嬢のリーゼの立場から見れば、自分より高位の者は学院に大勢いる。作法も勉強もおぼつかないリーゼに苛々して当たる令嬢もいただろう。
そもそもリーゼの証言は、かなり水増しされていた。勉学に支障をきたすほどの嫌がらせなどなく、王子妃教育が進まない言い訳にしていただけだ。決めつけた殿下の方から令嬢たちの名前を出され、思わせぶりな態度で乗ってみせたにすぎない。
「だが、一度は婚約者候補に挙がっておいて、選ばれなかったというのは他の令嬢より恨みが深いだろう」
「まずそこから疑問なんですが、なぜ選ばれなかったことを口惜しがってると思ってるんです?っていうか、貴方が選ぶ立場だと思ってます?」
この国の女性は強く賢く、興味を持ったことにはとんでもない才能を発揮することがある。爵位を継ぐのが男女どちらでも許されているのも、過去に実績を積んだ女性たちの功績だ。
だからこそ現在では娘が生まれると、本人が望めば男子と同じ教育を受けさせるし、好きなことややりたいことがあれば徹底して支援する家が多い。
…リーゼがいずれ他家に嫁ぐ予定だったのは、本人に爵位を継ぐ気概も能力もないと両親が見切っていただけだ。
あの四人は教育も受けてきた上、好きなこともやりたいことも存分にあった。
王族との婚姻など、とくに望んでもいなかっただろう。家のためいつかは結婚する気があったとして、それが殿下である必要はない。殿下に気に入られようと思っていなかったことは、顔合わせで自分の好きな事柄を延々語った態度でもわかる。
むしろその時に殿下が少しでも内容に興味を持ったり歩み寄る態度を見せたら、婚約しても構わないと思われていたかもしれない。殿下である必要はないが、殿下ではいけない理由もなかったのだから。
多少言葉を選びつつ俺は説明したが、殿下は納得できないという顔をしている。
「それではまるで、自分が進む道の邪魔さえしなければいいと考えているようではないか」
「まるで、じゃなくて実際そう考えてるんですよ」
「私は臣籍降下しても、王族に生まれた使命を忘れる気はなかった。婿入り先でも国のためとなるよう尽力するつもりであったのに、そんな考えで迎えられるなど…」
「めちゃくちゃ国のためになってるじゃないですか。四人とも」
「…」
公爵家のアーデルハイト嬢は『好きな果物をもっと食べたい』という一心で父である公爵に相談し、自身でも考え抜いた末に交易品の輸送方法に革命を起こした。領地にある港ではそれまでと段違いの速さで荷が届くようになり、きっかけとなった果物も、原産地の南国と安定した取引ができるようになったのだ。
また領内の特産品を熟知しており、それぞれの産地で名物となる料理や菓子の調理法を考え出した。公爵領はいまや美食の地と名高く、名物を味わうため公爵領を訪れる者、目的地は違っても向かう際に公爵領を通過する旅行者が増えている。
侯爵家のマルガレーテ嬢は領内で自身のデザインした服飾品の店を出し、大成功をおさめてあっという間に王都に支店を開いている。望み叶って王太子妃の知遇を得てからは東国の商会とも繋がり、かの国の意匠を取り入れたドレスを流行させて王太子妃を喜ばせた。
生地からこだわって作られたドレスは、侯爵領で生糸の製造から織り上げる工程まで行われている。雇用先となる産業が増えたことで侯爵領は活気にあふれ、マルガ織りと呼ばれる独自に開発された生地は他国でも知られるようになっていた。
辺境伯家のコーネリア嬢は殿下との顔合わせ後、いつもどおりに領地の山を『探検』していた時に偶然鉱山を発見した。そこからは稀少なオーロラダイヤの原石が産出され、辺境は経済的に大躍進を遂げる。領地の軍備が強化されたことで、これまで何度も侵攻を試みてきた北国も迂闊に手を出せなくなりなんと協定を結ぶことに成功、少しずつ国家間の交流も始まった。
さらにその後、いつもどおり『狩り』にいそしんでいて偶然温泉を発見したらしい。調査の結果源泉は豊かで泉質も良かったため、大規模に開発してリゾート地にする計画が進められている。コーネリア嬢本人は、温泉で兄の身体が回復することを期待しているとか。
筆頭伯爵家のカタリナ嬢は学生の身で華麗に小説家デビューを果たした。濫読の成果あってさまざまな作品を驚異的な速さで書き分けており、童話に夢中の子ども、冒険小説に胸をはずませる少年、恋愛小説にときめく少女、ロマンス小説にうっとりする淑女、耽美小説に魂を奪われる侍女…は定かではないが、さまざまな年代の愛読者が存在している。
そしてカタリナ嬢の小説には実在する場所を舞台にしたものも多い。モデルとなった湖や高原などは公表されているため、愛読者が実際にその風景を見ようと伯爵領を訪れることも珍しくはなかった。兄が婿入りした公爵家を介して西国でも翻訳出版され、好評を得ているという。
「講義で教わったはずですよね?今やどの領地も栄えに栄え、財力も各方面への影響力も絶大な上に他国との関係まで変えている。王家が決して機嫌を損ねられないほどの力があるんですよ…四人の令嬢たちのおかげで。そんな彼女たちが今さらリーゼ嬢を気にする理由があります?」
「そ、それと女性としての嫉妬はまた別ではないか」
「嫉妬とは?リーゼ嬢が令嬢たちに勝る点なんてありましたか?好きなことにまっしぐらな方々ですが、それに誰にも文句を言わせないよう、礼儀作法も学業もきちんと修められていましたよね。
…まさか、皆様が貴方に恋しているとでも?」
「…」
先ほど丁寧に説明した話を聞いていなかったのか?納得がいっていないようだったが、あれは『本人が婚約を望んでいなかった』という点を信じられなかったんだろうか。
──この人、自分が思ってるよりだいぶ頭が悪いんだよなあ。
理知的に語りもっともらしい結論を出すので思慮深い印象を与えるが、論理の道筋は自分の感情に沿うよう捻じ曲げているだけだし、『国のため』と事あるごとに口にするが、具体的な考えは何も思いつかない。
学業は家庭教師についていたため他者との比較はされなかったが、学院にいたら成績は中の上程度だったのではないだろうか。それだけに王太子補佐の教育を始めると相当苦心していて、リーゼの慰労と言い訳をしては自分もサボりがちだった。
国王陛下も王妃殿下も、次男の能力は把握していたから何度も様子を見ようと提案していたのだ。平凡な息子の将来を安泰なものにするために優秀な令嬢を婚約者候補に選んだのに、結局本人は親心を解せず子爵令嬢に求婚してしまった。
能力に見合った婿入り先かもしれないと、それも許す気でいたところに臣籍降下を止めるという発言。難しいだろうが努力するというならひとまず教育してみよう、という期待と諦念の混ざった決定。
側近候補も急遽選定されただけでなく、本当に将来必要になるか怪しかったから適当に指名したのかもしれない。
なにせ俺が選ばれたくらいなのだから。
伯爵家次男で騎士を目指し、将来の目標に向けて武芸だけでなく学院の勉強にも励んだので成績も辛うじて上位で卒業できた。やっと目標だった騎士団への入団が決まったところで、突然王命で呼び出されたのだ。側近候補として第二王子に仕えてみてほしい、と。
俺は他の側近候補と違い、剣の腕を見込まれ護衛を兼ねた役割を任された。
仕えて『みて』ほしい、という辺りがお試し感満載だが、俺が試されているというより殿下が王太子補佐になれる可能性が低かったからだろう。
現にこうしてやらかしたしな…
「リーゼ様とはクラスも離れており、接点はございません。何より学院は定期試験を受けて合格点を取りさえすれば出席を免除されるので、家業で多忙だった私はほとんど登校しておりませんわ」
「私はお友だちに商品への意見や感想を伺うために出席はしていましたが、それ以外の時間はやはり自店の運営にかかりきりでした。ですから学院にいる時の行動は常に証人がおります」
「飛び級制度を利用して早期に卒業済みのため、とうに領地に戻っております。それ以来王都に出てきたのは今日が初めてですし…そちらのご令嬢とはお会いしたことがないと思いますが、在学期間は重なっておりますでしょうか?」
「学年が違うこともあり、リーゼ様?はお見かけしたことがございません。授業以外の時間は常に図書室におりますので、司書の方に確認していただければ私が調べものと執筆で誰にも関わる時間がなかったことが証明されるでしょう」
夜会で殿下にリーゼへの仕打ちを責められた令嬢たちは、その疑惑を瞬殺してみせた。曖昧な内容の告発に、ちょっと調べればわかるだろ、と言わんばかりの明確な反証。被害者であるはずのリーゼは殿下が告発を始めた時から真っ青になって止めようとしていたし、令嬢たちの反論を聞いた周りの視線が集中すると「こちらの方々が苛めたなんて、私は言ってません!」と言い捨ててその場を逃げ出す始末だ。
あとに残された殿下の、呆然とした顔は忘れられない。
ちなみに四人の令嬢は、殿下と顔合わせをした前後に茶会で知り合い親友となっていたらしい。それぞれの道を邁進するため忙しく、直接会う機会は少ないものの文通や領地の訪問で交流を深め、お互いの夢を応援し助け合うかけがえのない仲間となったという。
殿下が陛下の指示で回収された後、令嬢たちは何もなかったかのように久々の再会を喜び盛り上がったそうだ。
「話を聞いて思ったんですけど、殿下が婚約者候補の令嬢に『興味を持っていること』を聞いて、その返答で判断したって嘘ですよね」
「なっ…」
「十代半ばのご令嬢が、いちばんに国のためとか民のためとか考えます?いくら貴族でもそこまで使命感に燃えてませんって。素直にその時楽しいと思うことを答えるのが普通でしょう…殿下に取り入るつもりがない限り」
リーゼの返答はもちろん、殿下に取り入るつもりだったからだ。
「だから殿下の言った理由は断るための後付けです。本当は単に…
見た目で選んだんでしょ?」
もう言葉を選ぶ気にもなれず、俺は真正面から疑問をぶつける。
「…違っ…そんな訳…」
殿下が顔を真っ赤にしているのは、見当違いのことを言われた怒りではなく図星を指された羞恥からとしか思えない。
当時はぽっちゃりしていたアーデルハイト嬢。
痩せっぽちでひどい癖毛だったマルガレーテ嬢。
傷んだ髪に日焼けとそばかすが目立つコーネリア嬢。
ひっつめ髪に眼鏡で老けて見えたカタリナ嬢。
…それに対して、外見は可憐な美少女だったリーゼ。
『感情だけで決めてはいけない』と思っていたからこそ、『国のためになる相手』を選んだことにしなければならなかった。だから自分に都合のいい論理を組み立て、それを理由に希望を通すという得意技を使ったわけだ。
それでも理由が本当だと言い張るなら、その前からリーゼだけを呼び捨てにして親しくしていたことをどう説明するのか聞きたいところではあるが。
「容姿だけではじいておいて、相手からは好かれてると思っていたと?…いや、彼女たちが自分を好きだと、思いたかったんですか?婚約を断って以来、初めて顔を見たあの時から」
「…」
あの時。呼びつけた令嬢たちが目の前に立った瞬間、殿下が動揺を押し隠していたことに俺は気付いていた。ずっと会っていなかったため、本人かどうか自信が持てなかったのかと思っていたが。
──多忙な日々を送っていたアーデルハイト嬢は、領地を飛び回り運動量が増えたことで体重が落ち、メリハリのある素晴らしいプロポーションになっていた。
ほっそりした顔はそれまで埋もれていた大きな瞳、通った鼻筋など本来の優れた造作が顕れており、縦巻きにした金髪も相まって途轍もなく豪奢な美女に変身を遂げていたのだ。
マルガレーテ嬢は細身を活かしたデザインのドレスをまとい、自ら開発した髪油により手強い癖毛を柔らかく波打つ艶のある髪に変化させていた。この髪油はアーデルハイト嬢が輸入させた果物の成分を使っており、画期的な品だと巷で評判らしい。
化粧の研究も怠らないおかげか整った顔立ちはさらに華やかさが加わり、流行の最先端を行く、いや生み出すに相応しい洗練された淑女という印象を与えた。
女性にしては上背があり、手足の長いコーネリア嬢はマルガレーテ嬢が考案した斬新なドレスを着こなしていた。騎士の制服や男性用の夜会服を参考にしたというデザインは、コーネリア嬢のスタイルの良さと凛々しさを引き立ててまるで男装の麗人のような雰囲気があった。
ちなみにコーネリア嬢とマルガレーテ嬢は、温泉の美容効果の調査を依頼するなど事業での関わりもある。領地を訪問したアーデルハイト嬢が山に連れ出された際に見つけた珍しい茸に着目し、高級食材として国中に広めた結果どちらの家にも利をもたらしたという逸話もあった。
以前のコーネリア嬢が叱られる原因となっていた日焼けとそばかすは、これもマルガレーテ嬢の開発した化粧品で改善されていた。そこに顕れた意思の強さを感じさせる美貌と潔い断髪は倒錯的な色気を感じさせ、夜会に出席していた男女どちらからも熱い視線を向けられることになった。
眼鏡を外して絹糸のような黒髪を下ろしたカタリナ嬢は、切れ長の目をした神秘的な美女だった。シンプルなドレスは均整の取れた肢体を際立たせ、身に着けているネックレスは辺境伯領で産出されたオーロラダイヤを侯爵領で加工した最高級品。他の三人も友情の証として、それぞれに似合うようデザインされた一点ものを着けていた。
カタリナ嬢の小説の中で描写される料理や菓子は実際に食してみたいと公爵領を訪れる者を呼び、登場人物がまとうファッションは令嬢や夫人たちを侯爵領の商会に向かわせた。辺境の自然は冒険小説や騎士であるヒーローに憧れる少年たちの聖地となり、他国ではガイドブックとしての役割も果たしていて我が国への観光客が増加した。親友である令嬢たちが、繋がりのある国に本を紹介した結果である。
「…どなたを選んでいても、豊かな領地での贅沢と有能で美しい妻、社交界でもてはやされる未来が手に入ったでしょうに」
走る馬車の立てる音に紛れるよう呟いたつもりだったが、力のない目で睨まれたところを見るとしっかり聴こえていたらしい。こちらは殿下の迷走で将来の計画を狂わされたのだから、このくらい言わせてもらっても許されると思うが。
リーゼを結婚相手に選んだものの、内心子爵家への婿入りは不満だったのだろう。
下位貴族となることも辺鄙な領地に移ることも、生活のレベルが格段に落ちることも避けたかったのだ。
そしてリーゼもまた、王子妃として権力をふるい華やかな暮らしを送ることを望み、殿下に王宮に残ることを提案した。
だが『国のためになる』有能な令嬢たちに難癖をつけてしまっては、王太子の補佐となる未来はない。本来なら臣籍降下しても王族である事実は残ったはずの殿下は、王位継承権も元王族が持つさまざまな権利も全て放棄して子爵家に婿入りすることが令嬢たちへの謝罪表明とされた。
もっとも、令嬢たちはたいして気にしていない。あまりにお粗末な断罪は誰ひとり信じることもなく、名誉が傷つく暇もなかったと笑っていたくらいだ。
「まあ、本来の予定通り婿入りするだけだからめでたいことですよね。お相手はご自身で選んだ女性ですし」
「…私に見る目がなかったことは認めよう。ではそんな私が選んだリーゼは…本当に…私が思っているような女性なんだろうか」
夜会で自分だけ逃走するのを目の当たりにしたことで、ようやくリーゼに不信感を持ったようだ。
「ギリギリ嘘はついてないんじゃないですか?苛めは少々大げさに言っただけ、誰に苛められたかは明言しなかった。『みんなが幸せになるにはどうしたらいいか』と思ってもその先を自分で考える気はなくて、『努力する』と決心したのは本当だけど能力が追いつかなかった、ってとこですかね」
「…ずいぶん手厳しいが…お前はもとからリーゼを嫌っていたのか?」
「っていうか、本性を知ってますからねー。子どもの頃からのつきあいで」
「何だと?」
「子爵領はもともと、縁戚から養子をとって継がせる予定だったのはご存知ですよね?打診されてたの、俺なんですよ。次男だから」
最初はリーゼと結婚して婿入りすることを提案されたが、はっきりと断った。心の中でリーゼを呼び捨てにしているのも幼馴染みという関係性だったからであり、だからこそその性格もよくわかっていた。
儚げな容姿を武器に、相手が望む振る舞いを察知して上手く自分の得になるよう事を動かそうとする。それももっと計算高ければ本当の武器になり得たかもしれないが、基本的に楽な方に流れるタイプなので野心に見合う努力は苦手。両親もそれに気付いていて爵位を継がせるのを諦めたのだ。
俺が学院に入学する頃から疎遠になっていたが、久しぶりに会ったリーゼは何も変わっていなかった。
殿下はリーゼに出会ってから周りが目に入っていなかったが、俺は一応伯爵家令息のため他の貴族のこともある程度知っている。四人の令嬢たちの活躍も、多忙により公の場にあまり姿を見せないが、今では美しく変貌しているということも聞いていた。
「…そういえばあのご令嬢方も、婚約の噂がありますね。アーデルハイト嬢はなんと、コーネリア嬢の兄上を口説いておられるとか」
領地を訪問した際、アーデルハイト嬢の食に対する情熱と行動力を賞賛してくれたという。さらに例の茸を最初に持ち帰った時に「それ昔、山の中で野宿した時に食べたことがあるよ。美味しかったし生きてるから毒はないと思う」とあっさり言ったことが何故かアーデルハイト嬢の心を動かしたらしい…と語られる真偽は不明だが、「身体に良い食事を徹底的に研究して、私が必ず健康を取り戻して差し上げますわ!」とアーデルハイト嬢が宣言していることは事実である。
「マルガレーテ嬢は王太子妃の弟君、東国の第四王子でしたか…その方と親しいそうですよ」
かの国の民族衣装に惚れ込み、自ら訪れて東国の文化を学んでいる間にお互い惹かれたようだ。デザインや材質などの表面的な情報だけでなく、歴史的背景や工法までの知識を貪欲に吸収しようとするマルガレーテ嬢と学者気質の王子の間では、両国の言語が入り交ざった会話が尽きることはなかったという。
「カタリナ嬢は西国から押し掛けてきたファンに毎日のように求婚され続けているとか。あちらの伯爵家の三男だったかな」
彼女の小説の虜になって伯爵領まで会いに来た彼は、カタリナ嬢の豊富な知識と創造性、寝食を忘れて執筆に没頭する姿勢に感動して「身の回りの世話も雑事も全て僕が引き受けるから、傍に置いてほしい」と従者志望なのかと思うようなことを言いながらまとわりついているらしい。口説き文句を増やすため、我が国の言葉がどんどん上手くなっているとか。
他国の王族や貴族との婚約は各方面の思惑もあり、順調に結ばれるかどうか微妙なところである。コーネリア嬢の兄上も療養中の身であり、辺境を離れ公爵領を治める決断をするかは未知数だ。
だがあの令嬢たちであれば、自らが望むことであればなんとしても叶えてみせるに違いない。
…そして俺も、今度こそ望みを叶えるつもりだ。
「そろそろ子爵領に入ります。先に戻ったリーゼ嬢が迎えに来られるかもしれませんね」
事情が判明したのち、除籍や王宮を出る準備のため残った殿下に先立ってリーゼは子爵領に帰された。王都を追い出された、と言った方が正しいかもしれない。
仮婚約から正式な婚約をすっ飛ばし、殿下とリーゼの婚姻は既に成立させられている。
憂鬱そうな表情を隠さない殿下に、俺は構わず続ける。「これが側近…“候補”と“元”が付きますが…まあ護衛としての、最後の仕事です。子爵領まで送り届けたらお別れですね。今後のご活躍をお祈りしております」
「…そういえば、お前はこれからどうするんだ?子爵家に私が婿入りすることで、継げる爵位はなくなったのだろう。平民として騎士になるのか?」
「そうですね、騎士にはなります。そしてあの方に認められることができれば、伯爵家から婿入りすることになりますね…辺境伯家に」
目を見開く殿下に、俺は今まででいちばんの笑顔を向けた。「貴方がコーネリア嬢を“失格”にして下さったことに感謝いたします。子爵家を継いでくださることも。これで心置きなく辺境伯領に向かえる」
最初はコーネリア嬢を娶る気でいたため、子爵位を貰うのも悪くないと思っていた。だがその後彼女は辺境伯を継ぐことになり、婿を取ることになってしまった。子爵家当主となってしまったら、辺境伯家への婿入りが難しくなる。子爵夫妻は良い人たちなので力になりたい気持ちはあるが、コーネリア嬢を諦めることはできなかった。
夜会の一幕は殿下の独断による暴走だったが、俺が密かに喜んでいたのも確かだった。側近候補を辞められる、またとない機会が訪れたのだから。
「…子どもの頃に出会ってからずっと、俺はあの方の隣に立つことを目標にしてきました。少し回り道はしましたが、これからは予定通り、辺境の騎士団に入団して精進して…あの方を振り向かせてみせます」
家同士の親交があったことで、幼い頃はよく辺境伯領に遊びに行っていた。
同じ幼馴染みであるリーゼとはまるで違う、行動力抜群できっぱりした性格の女の子が新鮮で、ともに領内を駆け回るうちに女の子は初恋の相手に変わっていた。
俺も相当直情的な性格のため、自覚したとたん「大きくなったら結婚しよう!」と口に出しており、即座に「私より強くなったらね!」と返されたのだ。
そこから俺の目標は騎士となり、領地を訪れることはなくなっても交流が途絶えないよう折に触れて手紙を送ったり、彼女が王都にいる時は一緒に出掛けた。まあ行き先は鍛錬場であったり、武具を扱う店ではあったが…
他に好きな相手がいないことは本人に聞いているし、俺のことは恋愛感情は不明だが好意を持ってくれていると思う。
側近候補などにされてからも、鍛錬は続けてきた。もう山で撒かれるようなヘマはしない。
「子爵領までの護衛を引き受けたのも、実家の伯爵家が近いので両親に今後の相談をするためのついでだったんですよねー」
「…お前…」
「あ、あれリーゼ嬢じゃないですか?愛する夫を迎えに来たわりに引きつった笑顔に見えますけど…気のせいかな?
それでは殿下…じゃなかった。フェルディナンド様、どうぞお幸せに」
読んでいただき、どうもありがとうございました!