前編
王太子夫妻に待望の王子が誕生した。これにより、何かあった時の保険として将来が曖昧だった第二王子である私もいずれ臣籍降下することが決まり、婿入り先を探すため婚約者の選定を行うことになった。
兄である王太子と齢が離れていたことは幸いだったといえる。十五歳という年齢であれば、身分と年まわりが私と釣り合う令嬢もまだ婚約していない者が多い。
…いや、私の将来が確定していなかったからこそ、令嬢たちの家もこの時を待って婚約者を定めていなかったのだろう。
兄は東国の王女を娶ったが、他国に政略的に有効な、目ぼしい相手はもういない。私の将来は新たな公爵家を興すより、国内の有力な貴族と婚姻で結びつくのが最善とされた。
明日からさっそく、候補となる令嬢たちをひとりずつ招いて話をすることになっている。
両親…国王と王妃は、私の意志を尊重すると言ってくれた。この中であればどの令嬢を選んでもいい、という数人の候補は国王夫妻と重臣たちが決めたことではあるが、そこからの決定は私を信用して任せてくれたのだ。
「生涯ともに過ごす相手なのだから、相性が大切よ。私たちの立場は政略結婚が当然だけど、仲良く暮らせるならその方が国の平和も保たれるわ」
母である王妃は十五歳の私を気遣い、平易な言葉でふんわりした理由を語った。両親は政略結婚の成功例で今なお仲睦まじく、息子たちにも立場上望みうる限りで安らぎのある家庭を作ってほしいと願っている。
とはいえ私も若年といえど王家の教育を受けてきた身だ。王族として自分の感情だけで安易に決めてはいけないことは理解している。もっとも国のためとなる相手を選び、そののちに両親がしたように、相手と友好的な関係を築けばいいのだ。
顔合わせでは相手の令嬢をよく観察し、本質を見抜かねばならない。
──最初に招いたのは公爵家のひとり娘、アーデルハイト嬢だ。
私のひとつ下の十四歳ではあるが、さすがにしっかり教育されているようで所作は美しい。ドレスや髪飾りも公爵家の財力をしっかりと証明している。
輝くような金髪は緩やかに巻かれ、澄んだ空色の瞳は…ふくふくとした瞼や頬に埋没していた。
王宮の庭園に用意したお茶の席で、当たり障りのない会話の一部として私は質問した。
「あなたがいちばん興味を持っていることは?」
アーデルハイト嬢はにっこり笑って答えた。
「美味しいものをいただくことですわ!こちらのお茶菓子も、どれもとっても綺麗で美味しそうですわね!」
「…そうか。あなたのために用意したものだ。好きなだけ食べるといい」
私の言葉に目を輝かせたアーデルハイト嬢は、ぽっちゃりした身体をテーブルに乗り出し…上品に、だが次々と菓子を口にしては感嘆の声を上げた。
公爵領の特産物である蜂蜜や乳製品について。先日南国の果物を使った珍しい菓子を初めて食べて感動したこと。だがその果物は日持ちがしないため、この国ではめったに口にすることができず残念であること。
「王宮のお菓子もさすがですわ、想像以上に美味しくて感動、いえ感激しております!菓子職人の方を心の底から尊敬いたします!」
合間に紅茶で喉を潤しながら、アーデルハイト嬢は楽しげに語り続けた。
そんな話を表面上はにこやかに聞きながらも、私は内心落胆していた。
食べることが何より好き、というのは決して悪いことではない。だが将来の公爵夫人として、貴族の最高位の身分で食べ物に執着しているというのはどうなのか。
王子である私の伴侶として、国を支えていくためには思慮が浅いといわざるを得ない。
嬉しそうに菓子を平らげる彼女を侍女たちが微笑ましく見守っているのを横目に、私は密かに“失格”という言葉を頭に浮かべていた。
──次に顔を合わせたのは、侯爵家の長女であるマルガレーテ嬢だった。
妹は二人いるが男子は生まれなかったため、マルガレーテ嬢が婿をとって家を継ぐことになっている。私と同い年で、今年学院に入学した。
ちなみに学院の入学は、明確な理由がない限り貴族の義務だ。王族は警備上の問題で家庭教師に学ぶため、私は入学していない。
マルガレーテ嬢は痩せぎすといってもいい体型で少し変わったデザインのドレスをまとい、栗色のくせのある髪を個性的な髪飾りでまとめていた。
今回も庭園でお茶を飲みながら、前回と同じ質問をしてみる。
「あなたがいちばん興味を持っていることは?」
「私、ドレスが大好きなのです!宝飾品も!今日のドレスと髪飾り、実は私がデザインして作ってもらったものなんです。いかがですか?」
「…ああ、よく似合っていると思う」
マルガレーテ嬢は誇らしげに微笑み、ドレスの生地や色味、シルエットの考察から合わせるアクセサリーについての意見、時代によって流行する髪型と化粧の変遷にいたるまで熱心に語り続けた。
「東国の服飾文化もエキゾチックでとても素敵なので、いつか王太子妃殿下のお話もうかがってみたいですわ!」
考察や意見が見事なのか的外れなのかもわからず、食べ物の話以上に私は困惑した。
貴族の女性にとってドレスや宝石が社交生活の上で大切な武器であることは理解できる。流行を作り出すのも大切な仕事であることも知っている。だがあまりにも着飾ることばかりに夢中になっているのはいただけない。服飾という表面的な部分だけこだわることは、浪費につながり侯爵家の財産を食い潰す恐れすらあるのだ。
この令嬢も“失格”だな…
侍女たちが彼女のドレスや髪飾りを興味深げに見つめている中、私は心の中でそう判断していた。
──三人目は辺境伯長女、コーネリア嬢。
辺境伯には長男がいたが、二年前に国境付近で起こった北国との小競り合いで傷を負い、それ以来体調がすぐれないと聞いている。次期辺境伯の座はコーネリア嬢に譲り、相談役として妹を支えたいと考えているらしい。
ひとつ年上であるコーネリア嬢は、ブロンズ色の髪を令嬢にしては短めに切り揃え、そばかすの散る顔を私に向けると気負いなく挨拶を述べた。
お決まりとなった庭園の茶会で、私はこれまたお決まりの質問を口にする。
「あなたがいちばん興味を持っていることは?」
「領地の探検?とでもいいますか、山歩きが趣味ですね。幼い頃から兄と一緒に剣や弓を習ってきたので狩りもできますし、夢中で獲物を追いかけていたら同行していた友人を撒いてしまったこともあるんです、ふふふ」
「…自領を知ることは、大切だな」
学院に在学中ではあるが、休暇に入るとすぐに帰省して領地を駆け回る日々。日焼け止めを忘れるせいで髪も肌も傷んでしまい、母にしょっちゅう叱られている。だが兄に代わり辺境を守るためには、城で大人しくしてはいられない。
「…というのは建前で、まだ踏破していない場所がたくさんあるのです!」
兄から突然自分に任された、次期辺境伯という重責。それに応えるために令嬢らしからぬ生活を送っているなら立派である。だがコーネリア嬢の場合、それ以前から変わらぬ生活だったようで、もともと性に合っていただけだろう。
辺境からは王都の社交界に頻繁に来られるわけではないが、貴族女性として最低限の気品は持っているべきだ。それが山歩きの挙句、同行者を撒くなど問題外ではないか。一応貴族としての立ち居振る舞いはできているようだが、行動も言動も勢いがあり余り、ガサツ…いや、活発が過ぎる印象だ。
元気なコーネリア嬢に侍女たちが思わず笑顔になっているのを見ながら、私は今回も“失格”と声に出さず呟いた。
──最後は筆頭伯爵家の長女、カタリナ嬢である。
カタリナ嬢にも嫡男となる兄がいたが、西国に留学中にあちらの公爵令嬢を射止めて婿入りしてしまった。そこでカタリナ嬢が伯爵家を継ぐことになり、私の婚約者候補として加えられることとなったのだった。
…ちなみにその公爵令嬢は、近隣の国において私と釣り合う最後の相手だったのだが、我が国の貴族が繋がりを持つことも悪い話ではない。伯爵家の力も増したため、爵位としてはやや劣るものの私が婿入りしても遜色ないであろうと判断されたのだ。
私と同い年のはずだが、カタリナ嬢のきつく編まれた黒髪と眼鏡の奥の冷静な視線は年齢不相応な印象を受ける。
大人びているとよく言われる私だが、カタリナ嬢の大人っぽさはまた種類が違うように思う。
「あなたがいちばん興味を持っていることは?」
「読書を好んでおります。文字を覚えてからは父にねだってドレスの代わりに本を買ってもらうようになり、足りなければ兄に与えられた冒険小説を奪うように読んだり、母が愛好していたロマンス小説を盗み読みしたり、メイドが回し読みしていた耽美小説とやらを掠め取ろうとして隠されたりもしましたね」
「…小説であればなんでも良いのか…」
兄が送ってくれる西国の小説と我が国の小説の違い、恋愛小説におけるヒーローと冒険小説のヒーローの違い、物語のような現実と現実的な物語について。そうした分析をするのも楽しいと、態度だけはあくまで冷静にカタリナ嬢は語った。
「学院でも図書室に入り浸りですわ。読みたい本をあらかた借り尽くしたので、最近は自分で小説を書き始めました」
読書が趣味というのは令嬢として悪くないと思えたが、娯楽としての書物ばかりを好んでいるようでは教養を深めるどころか、夢見がちで現実を見ていないのではないかと不安になる。見た目と態度が落ち着いているだけで、結局は空想の世界に遊ぶ子どもなのだろう。
『耽美小説』という言葉にわずかに反応した侍女をなんとなく目にとめつつ、私は最後の候補であるカタリナ嬢にも“失格”の判定を下したのだった。
「…えぇ、それじゃあ結局婚約者は決まらなかったんですか?」
「父上も母上も、しばらく様子を見ようと言ってくれた。今後成長するにつれ、私の考えも変わるかもしれないからと。今のところ気が変わってあの令嬢たちの誰かを選ぶとは、自分でも思えないのだが…」
──ここは候補者たちと茶会をした庭園ではなく、離宮の中庭である。
私は子爵家令嬢のリーゼに、候補者たちとの茶会の結果を話し終えたところだった。
リーゼは私の乳母の姪であり、来年から学院に通う準備のため先日領地から出てきて乳母の屋敷に滞在している。乳母への届け物をするため登城した際に知り合い、それ以降ちょくちょく話をするようになった。
キャラメル色のふわふわ揺れる髪と同色のぱっちりした瞳。王子である私にも人懐っこく接してくれる気さくな人柄。ふと母の言っていた『仲良く暮らせる相手』という言葉が頭をよぎり、私は婚約者候補の令嬢たちに投げかけた質問をしてみることにした。
「リーゼがいちばん興味を持っていることはなんだ?」
「そうですねぇ…みんなが幸せになるにはどうしたらいいのかな?って考えることはあります。私なんかがこんなこと言って、格好つけてるみたいで恥ずかしいんですけど」
「いや、シンプルだが大切なことだと思う」
私は深く頷いた。令嬢たちに質問するたび、私はこうした返答を期待していたのだ。国のため、民のために何ができるかと考える姿勢。まだ幼い身では具体的にどうすれば良いかわからず、思いついても実行する能力も権限もない。それでもそうした思いが心の内にあるとないとでは大きく違う。
私はついに、求めていた相手を見つけたと思った。
──リーゼが恐縮しつつも求婚に頷いてくれたため、私はさっそく両親に婚約の許可をもらいに行った。
「…子爵令嬢か?婿入りするのはお前だから、それで良いというのなら何も言わないが…」
選定された令嬢たちを全て断った上、子爵令嬢を選んだのだからもっと反対されると思っていた。だが父上も母上も渋い顔はしたものの、最初から突っぱねるつもりはなさそうなのが意外だった。相性の良い相手を見つけた私の希望を、おそらく叶えたいと思ってくれているのだ。
「そのことですが、私は兄上の補佐として城にとどまりたいと思います」
王子が子爵家に婿入りするのはさすがに難色を示されるだろう、ということはわかっていた。リーゼの実家はあまり裕福ではなく領地も遠い。国の役に立つために、臣籍降下せず王城で公務を担う方を選ぶことにしたのだ。
リーゼも賛成してくれていた。私の能力を惜しみ、田舎の子爵家に埋もれるよりこの先も王族として力を発揮するべきだと言ってくれたのだ。
リーゼはひとり娘だが、両親の意向で家は縁戚の男子に継がせ、リーゼはもともと他家に嫁がせる予定だったそうなので問題はない。
「今後も王族として公務を任せるとなると、これから相当教育を受けないといけないのよ?リーゼ嬢はもっと大変だわ。学院に通うのと並行して、高位貴族の礼儀作法を飛び越えて王子妃教育を詰め込まれるのだから」
母上が心配のあまりか、まるで子どもをなだめるような口調で言い聞かせようとするが、自信に満ちている私は力強く言い切る。
「リーゼは努力すると言ってくれました。無論私も精進いたします」
「…ならばとりあえず仮婚約を結び、二人の教育を開始しよう。適性や進行具合を見て正式な婚約について、また今後どういう道を選ぶかをあらためて決めることとする」
仮婚約というのが不満でなくもなかったが、頭から反対されることを思えば私に寄り添って考えてくれたことを感謝すべきかもしれない。結果を出せばいいだけのことなのだ。
不安材料はリーゼの教育が順調に進むかの一点だが、皆の幸せのため王子妃として立つ決心をしてくれたリーゼなら、私のために努力すると言ってくれたリーゼならば必ず成し遂げてくれるはずだ。
それから私たちの教育が始まった。臣籍降下する予定だった私はこれまで一般教養と領地経営などを中心に、兄に比べて余裕のあるスケジュールで授業を受けてきたのだが、今後も王子として責務を負うための教育は内容がまるで違ってくる。昼夜問わず追い立てられるように知識を詰め込む毎日は、さすがの私も根を上げたくなるほどだ。
それでも王族に残るため、兄の、国の役に立つことを必ず証明しなければならない。補佐となった時のために私にも数人の側近候補が置かれるようになったのだが、共に学び共に将来を歩む仲間として、彼らと励ましあえることは重圧の中でも救いとなってくれた。学院に通わず学友というものの居ない私には、彼らの存在が新鮮で貴重でもあったのだ。
…対してリーゼの王子妃教育は、なかなか順調とは言いがたいものがあった。
子爵令嬢には厳しいであろうことは最初からわかっていたが、身分差にもかかわらずチャンスをくれた両親のためにもなんとか乗り越えてほしかった。
だが私は急かすようなことを言わず、とにかくリーゼの心が折れてしまわないよう休憩に誘っては気分転換をさせた。未来の王子妃といってもリーゼは現在子爵令嬢であり、学院で学ぶことは免除されない。学院の勉強と王宮での講義を両立させるのは大変なことだ。
お互い苦難の日々が一年、二年と過ぎていく。そしてその日もふんだんに茶菓子を用意させ、講義を済ませたリーゼを労おうと中庭に招いたのだが、席に着いたリーゼは俯くばかりで手を伸ばそうともしなかった。
「王子妃教育は厳しいだろう。無理をさせて申し訳ない」
「…私のほうこそ、出来が悪くてごめんなさい。本当ならもっと頑張れるはずなんですけど…学院での生活があんなに辛くなければ、もっと集中できるのに…」
リーゼの言葉は後半になるほど小声になったが、私は聞き逃さなかった。
「学院生活が辛い?どういうことだ?」
「あ、すみません。なんでもないんです…」
健気に首を振るリーゼを説き伏せ、何があったのかを辛抱強く聞き出す。
仮婚約ではあるが、未来の第二王子妃となる子爵令嬢の存在はすでに広まっている。常に注目されていることも気疲れがするが、さらに令嬢たちの中には身の程知らずだと陰口を叩いたり、正面からあからさまに圧力をかけてくる者もいるというのだ。
「圧力をかけるということは、高位貴族の令嬢だな?まさか…」
私はかつて顔合わせをした四人の令嬢たちを思い出していた。結局あれから一度も会うことはなかった。だが全員が学院に在籍しているので、リーゼは避けられないのだ。
四人の名をあげると、リーゼは「…皆さんは…殿下に選ばれなかったことが悲しくて、私のことが許せないと思っているでしょうね。でも誰が、ということは問題じゃありません。身の程知らずなのは本当で、殿下の隣にはもっと素敵な人が立つべきなのもわかってます。正しいことを言われただけなのに…まるで苛められたみたいに、告げ口するようなことはできませんから」と瞳を潤ませながら答えた。
「それでも、殿下のそばにいたいのは…私のわがままです」
涙目で私を見上げるリーゼに愛おしさを感じながら、私は同時に怒りを抑えられなかった。誰が、ではなく皆さん、という言い方は令嬢のひとりではなく、四人全員がリーゼに酷い行いをしているに違いない。
このように純真な令嬢を、身分が低いというだけで虐げるなど言語道断である。私に選ばれなかった嫉妬で愚かな真似をするとは、身分が高いといえど…いや高いからこそ醜さが際立っている。四人を“失格”と断じた過去の私は間違っていなかったのだ。
…その後も王子妃教育はなかなか捗らず、そのたびにリーゼは学院で受けた仕打ちに心を痛めていることを言葉少なに打ち明けた。
リーゼは自分の力で乗り越えるので、私に何もしないでくれと言う。いずれ王子妃となるのだからこの程度の苦痛は耐えられる、と。私の権力をあてにせず、自ら立ち向かおうとするリーゼは素晴らしい女性だとあらためて思ったが、だからといって知らぬ振りでやり過ごすなど私の気がおさまらない。
──数ヵ月後、王宮で大規模な夜会が開かれた。領地を離れられない者以外はほとんどの貴族が出席しているはずだ。
私はリーゼを伴い出席していた。私が贈ったドレスをまとい、妖精のように愛らしいリーゼを周囲に見せびらかすように会場をゆっくりと進む。
そして歓談の時間となったところであらかじめ命じていたとおり、侍従に四人の令嬢を呼びに行かせた。リーゼには黙っていたが、全員が揃いさらに衆目がある中で、私は令嬢たちを糾弾するつもりである。
…やがて私とリーゼの前に、四人の令嬢が揃って姿を現した。
読んでいただき、どうもありがとうございました!