手と手
鷹丸は晴姫の左手を握っている。
彼女の安全をどうすれば確保できるかを考えている。
それは今に限った話ではない。常日頃から、二人で旅をはじめた時からずっとだ。
故に、鷹丸は自然とその解答を思い浮かべていた。
それは全力の逃走である。
この里に至る道中。岩々でできた細道を二人は通った。
あそこなら、迷路のように道が枝分かれになっている。視界が悪く隠れる場所も多くある。
そして、鉄槍の長さという優位を押し付けて、敵を一人ずつ一方的に殺すこともできる。
そんな思惑があったがために、彼は必要以上に殺意を込めた。
「ただでは死にませんよ。必ず、少なくとも十人は道連れにしますから」
彼は、ここで応戦するのだと敵に印象づけたのだ。ここで戦う。殺し合う。大した武器も持たない彼らには、死がずっと近いものになる。
そうなれば自然と彼らは思う。
ここで死んでも構わない
こんなところで死にたくない
あの人が死んだらどうしよう
そうなる前に殺してやる
そんな感情が目や表情に表れる。それぞれのその感情の違いに"隙"が見つかる。
鷹丸はそう踏んでいた。
しかし、彼らの表情は変わらない。平然と何事もないように、鉄槍を持つ殺意に満ちた青年に近づいてくる。
そんな中で、彼の耳に篠笛の音色がやってくる。
「鬼の気配です」
この晴姫の報告によって、状況が更に悪いものなのだと鷹丸は理解した。
「晴姫様! すぐに逃げますよ!」
だが、逃走経路が鷹丸には見えていない。
彼女が傷つかない安全な方法が浮かばない。
故に、足が動かない。
「お二人さん。逃げないでください」
抑揚のない声で里長は二人に声をかけた。
その老いた手に握られた包丁を自身の首に当てている。
「逃げないでください。ワシら全員が罰を受けることになってしまう」
里の者達も一斉に同じ行動を取る。それぞれがそれぞれの武器を首に当てる。
鷹丸はこれを無視できる。だが、彼女はそうはいかない。
晴姫は鷹丸の手をギュッと握る。
「鷹丸様。私は逃げたくありません」
「何を言っているのですか! この状況はあまりにも部が悪い! 一度撤退して……」
「撤退して状況は良くなるのですか? この方達の犠牲で作った状況が、良いと言えるものなのですか?」
鷹丸は苦虫を噛み潰したような顔をする。
彼にとっての優先は晴姫の安全である。だが、彼女の優先は全体。里の者達の命。そして、鷹丸が彼らの死を背負わなくて良いようにすること。
「私達ならできます! 鷹丸様!」
彼女は自身の危険を顧みない。自身が矢面に立つことを恐れない。
故に、二人の思いは噛み合わない。
「わかりました……」
鷹丸がそう言った束の間。
無邪気な男児の大きな声が二人の側を抜けていく。
「あれー? 思ってたのとちがーう」
声は山側。鷹丸は即座に視線をそちらに移した。
彼の瞳に最初に映ったのは、年端も行かない少年のような小さな体躯。半纏を着込んでいるがその合間から見える肌は緑色で、頭には一本の角が生えている。
「あれー? 逃げないのー?」
小鬼よりも大きく、鬼よりも圧倒的に小さい体であるが、その化け物はヒトの言葉を流暢に話す。鬼人である事は明白であった。
「ここで止まって」
その小柄な鬼人は二本の棒と一畳の畳で作られた簡素な輿に乗っていた。それを担ぐのは六歳から十歳の児童八人。その脇で更に幼い子供二人が篠笛を吹いている。
鬼人が乗る輿は、二人から三丈《10メートル》ほどの所で立ち止まっていた。
「君たちとね。お話がしたかったんだ」
小さな鬼人はそう言うと、相手の返答を待たずに話を続ける。
「天狗に言われて、鬼を二体も封じないといけないんでしょ? 」
鬼人は無邪気に笑った。
その言葉に鷹丸は一瞬目を丸くする。
「なぜ……なぜそれを知っている?」
「天狗に怒られたんだー。勝手に俺の領地に入るなって。でもね、君たちの相手をすれば許してくれるって。天狗は君たちが来るのを待っていれば良いって言ったけど、それじゃあ俺様が不利だから。もう一体の鬼の近くで準備しとこーって」
その言葉を聞いた晴姫が呟く。
「そんな……わざわざ天狗はそんな取引を?」
「俺様から倒しにくるべきだったねー。ここに来るまでに鬼人になっちゃったよ!」
鬼人はケラケラと笑う。
かと思えばピタッと笑うのをやめた。
「だけどね、君たちは一旦後。先にやらないといけないことがあるんだ。爺さん。早く持ってきてー」
その言葉に里長と数人は急ぐように駆けていく。
すぐに戻ってきた彼らは一つの大きなつづら箱を運んできた。
「まさか……!」
つづら箱は鬼人の目の前で開けられる。
その箱を鷹丸は知っている。背負うことができるように肩紐が付けられたあの箱は、彼が女の子の亡骸を運ぶために用いたものである。
鬼人は乱雑に箱の中に手を入れた。
出てきたその手は軽々しく軽率に女の子の足を引っ張り出してくる。
鬼人と女児の体格はさほど変わらない。だが、悠々と片腕だけの力でその亡骸を持ち上げている。
「これが例の逃げたガキかー」
そして、鬼人は何も持たない左手でクイクイっと招き寄せるような仕草をする。すると、千鳥足でヨボヨボと歩く男女が鬼人の前で跪いた。
汚れた着物から伸びる手足は痩せ細り、顔面は蒼白で目は虚。亡者とも呼べるようなその二人は、里を徘徊していた女の子の両親であった。
「へー、人を歩かせ続けたらこうなるんだ」
鬼人はそう言うと手に持つ亡骸のふくらはぎに噛みついた。柔らかなその肉を噛みちぎり、咀嚼し、吐き捨てる。
「鮮度が落ちていて不味い」
そう言って、鬼人は夫婦の前に亡骸を落とした。
「あー、ごめん。縛りを解いていなかったね」
鬼人はパチンと指を鳴らす。
男女の首がガクンと落ちたかと思えば、すぐに顔は上がりその視線は目の前の亡骸へ。
声は枯れていた。
涙も枯れていた。
疲労によって動かない足を引きずり、懸命に手を伸ばす。
二人の細腕が、冷たくなった小さな手に触れる。
その光景を見た緑色の悪鬼は笑い転げていた。
「なんと……なんと……」
近くにいた里長は無表情のまま呟いた。
そして、苦しむ男女の側に駆け寄ると、二人が抱きしめることのできる位置まで、小さな亡骸を優しく運ぶ。
笑い声がピタリと止んだ。
「ねぇ……なんでそんなことするの? そんなことがして欲しくて、縛りを弱くしてるんじゃないのに……」
緑の鬼人は畳の上で胡座をかいている。
鋭い目つきで里長を見下ろしている。
「お前……自分で自身の首を捻じ切れ」
緑色の人差し指を里長に向けて、鬼人は言った。
「あ、首だけの力でやれよ。手足は使うな」
里長の目が虚に変わる。その老体に似合わずスッと立ち上がると、その直立の姿勢で首が右に向く。
グググ、グググと首は回りはじめ、背後にいた鷹丸の目にその彼の無表情な横顔が映る。
グググ、グググ。
しかし、人の首の可動域には限界がある。その顔は真後ろには行かず、鷹丸に横顔を見せるのみ。
次第に老いた顔は小刻みに震え、まるで茹蛸のように真っ赤になっていく。それに伴い、また笑い声が響きはじめる。
そして、スッと糸が切れたかのように里長は倒れた。その老爺は気を失っていた。
鷹丸は大きく息を吐いた。晴姫の感情が繋がれた手から彼に伝わってきていたからだ。
鷹丸は目を見開いた。彼女の感情と同じものが彼の胸中にもあったからだ。
二人の繋がれていないもう一方の手。
力強く握りしめられている鉄槍と錫杖に黄金が宿る。
繋がれた手には信頼と鬼への怒りが宿っていた。




