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転生者殲滅  作者: kyow
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第1話 王姉アーニスと嵐を呼ぶ剣

 エルダンティーク王国の王都、城塞都市アルハンゲラは謀反により陥落せり!。

 王都行政を束ねるアルハンゲラ公爵が王家に対し叛乱を起こしたのだ。

 最強のアルハンゲラ騎士団が、王城を防衛する近衛騎士を一蹴し、麗しの「白馬宮」を人馬で踏みにじっていく。

 尖塔に翻るエルダンティーク王家の象徴、白馬旗は乱暴に引き下ろされ、代わりに赤地に黄金の神聖文字をあしらったアルハンゲラ公旗が掲げられた。

 折からの西風が巨大な紅旗をはためかせると、その様は宮殿の尖塔を舐める炎のように見えた。



 重厚なフルオーケストラの劇伴と美麗なオープニングムービーで、エルダンティーク王国に起こった悲劇が語られる。

 前王の突然の死と、少年王の戴冠に始まる王国の内紛だ。

 僅かな供回りだけで王都を追われた少年王エルキュールが、各地の忠臣に頼り、小さな戦力から地方を転戦して力を蓄え、有能な武将達を従えて国内を再統一する。

 そして、王国内紛の原因となった周辺諸国との外征戦争に突入していく。

というのが、名作SRPG(シミュレーションアールピージー)(かん)()の紋章』のストーリーだった。



 先程から木々の枝を揺らしていた風が、()()()と音を立て、アーニスの長めに結った三つ編みを大きく(なび)かせた。

 王都アルハンゲラへと続く街道を見下ろす小高い丘は、東側の稜線を掘り下げて(なら)しており、近付かれない限り、仮設の壕陣地に集結した人馬の存在を気取られることはないだろう。

 背後に(しつら)えられた天幕の屋根もばたばたとはためいたが、風の中ではその音は聞こえない。

 アーニスは風に揉まれていた長い金髪を兜の中に押し込み独りごちた。

 『駻馬の紋章』は、こんなに描写が緻密なゲームだっただろうか?


 丘陵陣地から眼下の街道を憮然とした表情で見下ろす姫騎士「アーニス」。

 彼女は、自分が女子高への通学途中に交通事故に遭ったことを「思い出した」。

 大使館ナンバーを付けた黒いステーションワゴンが、明らかにタイミングを合わせて、路地の前を通る彼女に車体を当ててきたのだ。

 体が潰れて折れる衝撃、跳ね飛ばされる感覚。そして視界はグルグルと回り「彼女」の意識は遠のいていく。

そして、

 気付いたときには、スマートフォン版をかなりやり込んだ名作SRPG『駻馬の紋章』の世界に「アーニス」として存在していたのだ。

が、本当にゲームの世界に転生したなどとは思っていない。

 創作物であるゲームの世界に転生するなど、そんなことがあるわけない。

 もし、あるとするならば、

 これは、死にかけた自分が最期に見ている、恥ずかしい脳内妄想なのだ。

 しかし、それがなぜ、よりによって『駻馬の紋章』なのか…、


 彼女は、今の自分を明確に「アーニス」と認識しているが、元の自分の名前や素性が思い出せない。

 家が割と裕福だったこと、都内の有名お嬢様学校に通っていたことなどはおぼろげに覚えていたが、それ以外が全くと言っていいほど思い出せなかった。

 それは彼女にとって異常なことだった。

 「アーニス」になる前の自分は、記憶力に(ひい)でていて、周囲からも博覧強記の天才お嬢様のような扱いを受けていた。

 一度見たら忘れない。百科事典すら丸ごと暗記、という噂を聞いて、テレビ局の取材が来たこともある。

 実際には記憶力以外は人並みだったのだが、勉強らしいことは子供の頃からした覚えがない。

 覚えてさえいれば、知識さえあれば、記憶力で解決できる教科科目はパーフェクトなのだ。

 理数系の科目であっても、公式・解法丸覚えで80%以上正解が取れてしまう。


 その自分のアイデンティティーともいえる卓越した記憶力が、今は正常に働いていない。

 自分や家族の顔も名前も思い出せないのだ。

 思い出せないことがあるという事実。

 彼女は自分が死にかけていて、自分の脳細胞が壊れかけていると確信していた。

 交通事故は彼女の頭脳に深刻なダメージを与え、恐らくは生死の境を彷徨っている。

そして、

 『駻馬の紋章』世界に転生した「アーニス」もまた、絶体絶命の窮地にあった。


 眼下の松林を東西に走る街道、それを伺う丘陵上の仮設陣地で、麾下の騎兵大隊と共に叛乱軍を迎え撃とうとする「彼女」の名は、

王姉 アーニス・ド・エルダンティーク

 オープニングムービーの最後で、少年王の退路を確保するため、迫り来る叛乱軍に無謀な突撃を敢行し、騎兵大隊は包囲され退路を断たれ全滅。王姉アーニスも壮烈な戦死を遂げる。

 『駻馬の紋章』を10回以上周回プレイしている彼女は、駻馬の紋章の全イベント・全マップ・全武将データを完全に記憶していたが、「アーニス」についてはほとんど何も知らなかった。


 イベント戦闘中に部隊に指示を出す描写はあったが「王姉アーニス」が武将ユニットかどうかはわからない。

 記憶の中の武将データにはアーニスの記載は無かったのだ。

 しかも、オープニングイベント以後、「王姉アーニス」に関わるイベントやストーリーは無く、少年王の回想シーンにも出てこない。

 大団円のトゥルーエンディングにおいても、王族はおろか少年王さえもアーニスのことを思い出さず、ゲームクリア後の周回ボーナスで武将として使えることもない。

 つまり、アーニス・ド・エルダンティークは、ストーリー最初のイベント戦闘で戦死すること以外の設定を持っていないのだ。



 街道の結地を見下ろす丘陵に集結した騎兵大隊は、あと5分もしないうちにムービー通りに丘を駆け下り、街道を東進してくる敵前衛部隊に突撃を開始する。

 否応なしに王姉アーニスの最期を追体験してしまう流れだ。

 これはまずい。

 転生前ならば、「少年王レベル1クリア」や、「敵全ユニット撃破クリア」など、高難度のやり込みプレイの数々をこなし、自主的駒落ちプレイ(舐めプ)でも余裕で全マップクリアできる自信があったが、それは全データを、全マップを、全シナリオを詳細に記憶していたからだ。

 だが、このイベント戦闘についてはユニットや武将のデータが一切存在しない。

 つまり、強制負けイベントの可能性があった。



 『駻馬の紋章』は中世ヨーロッパ風の内陸国を舞台とした、同時行動型のSRPGだ。

 魔法無し、航空ユニット無し、海上ユニット無しのシンプルなSLG(シミュレーションゲーム)であり、ルールは騎兵をメインとした地上戦闘に特化している。

 「駻馬の紋章世界」は過去の疫病によって人口が極端に減っており、人間の価値が非常に高い。

 通常、戦闘の主体となる歩兵の大部隊は存在しないのだ。

 攻撃も防御も、騎兵と騎乗歩兵が機動戦を行う。

 本来、歩兵が担うべき敵地占領・防御陣地といった役割は騎乗歩兵が下馬して行うが、兵士の密度が低いため、力で騎兵を止めることはできない。

 しかし防御に回れば、即席の防御陣地でも容易に騎兵に()かれることはない。そして騎乗歩兵は専門の歩兵に比べて占領効果こそ弱かったが、いざとなれば乗馬後退して次の防御地点で再度陣地展開することもできる。

 一度陣地を展開してしまうと防御正面の変更が難しい歩兵とは違った利点だ。


 全体的に防御側に有利なルールだったが、その均衡を覆す役割は、部隊ユニットを指揮する「武将」に与えられていた。

 武将ユニットはスキルポイントを消費することで、武将が持つ「スキル」を使用することが出来る。

 名も無き低レベルのモブ武将であっても、騎兵指揮官である限り【突破】を持っており、高確率で敵防御陣地を突破できるのだ。

 指揮ユニットである武将の能力は部隊の戦力に加算され、武将によっては【一点突破】や【快速】などユニット固有のスキルもある。

 ほとんどの戦闘で、武将の能力が勝敗を決するのが『駻馬の紋章』だった。



 アーニスはこのイベント戦闘についても覚えている。

 ステージ1−1、ストーリー本編最初のチュートリアル面だ。

 岩山が南に迫り出して街道が屈曲している戦場の要点を奪い合い、重装騎兵が容易に機動できない松林を利用して、地形効果、包囲効果、支援効果を駆使し、自軍に有利な場所で戦闘を進めることを学習する。

 全てイベントムービーでアーニス達が敵軍にやられたことだ。


 『駻馬の紋章』について、攻略本はおろかROM吸い出しデータに至るまで記憶しているアーニスだったが、オープニングイベントのこの状況に直面するのは初めてだった。

 明示されていないものの、考察同人誌によれば敵部隊は王都から少年王エルキュール一行を追ってきたアルハンゲラ騎士団の騎兵1個大隊だ。

 騎兵2個中隊と騎乗歩兵1個中隊、そして軽騎兵1個小隊から成る150騎の大隊戦闘団で、率いる武将の名前はROMデータにも書かれておらず不明だった。


 敵の騎兵大隊を同じく1個大隊で迎え撃つという十分に勝算のある戦いだったか、『王姉アーニス』が取った街道上での(とっ)(かん)戦術が意味不明で無謀すぎた。

 駻馬の紋章を熟知した今の自分、『転生者アーニス』ならば、きっと一方的に勝てる。

 「駻馬の紋章」のゲーム知識で無双するのだ。

 どこまでが自分の脳内妄想なのかわからないが、せっかく駻馬の紋章世界に転生(?)したのだから、敵の追っ手を退け、大陸一の美少年と誉れの高い、少年王エルキュールのご尊顔くらい拝んでおこう。



 アーニスの背後には、3個中隊に編成された重騎兵130騎と、本部小隊の軽騎兵10騎が待機中だ。

 重騎兵が駆る馬は、国王直下の近衛連隊と同じく巨大な重馬で、王都から離れて作戦することは想定されていない。

 だが、騎兵大隊には長距離移動で疲弊した風も無く、替え馬も糧秣も用意されていない。

 「駻馬の紋章」には補給・兵站の概念は無い。

 部隊は、完全充足状態でこの場所に「配置」されたのだ。

 マップの西の端から現れる敵騎兵大隊も同じ状態なのだろうか?。


「指揮官はどこか!。」

 アーニスは声を張り上げた。

 イベントムービーの姿から想像したよりは、甲高く若い娘の声だったことに驚く。王姉アーニスは年齢さえ不詳なのだ。

 吶喊命令を待っていた兵達はざわめいたが、その中から(いら)えは無い。

 アーニスは続けた。

「大隊長はどこか!。」

 今度は兵達の声は静まり、白馬に跨がった完全武装の重騎兵がアーニスに馬を寄せてきた。

 白銀の兜の面頬を上げると、その下は浅黒い肌に黒髪の、まだ若い男の顔だった。

 その顔にアーニスは見覚えがある。

 青年モブ武将のグラフィック3種類のうち、色黒黒髪タイプだ。

 目鼻立ちは整っていたが目立つところはない。要はモブ顔なのだが、こうして見ると意外にイケメンだ。

「自分が…大隊長かと存じます。」

「名は。」

 男はアーニスの問いに一瞬逡巡したが、

「ございません。」

と、はっきりと答えた。


 やはりそうなのだ。

 この騎兵大隊の全員がアーニス同様に設定を持たないイベントキャラだ。

 そして、このままイベント戦闘で敵軍に突撃を敢行し、王姉アーニス共々全滅する。


 アーニスは、大隊長と名乗り出た男に問いかける。

「私を知っているか?。」

「もちろんです、王姉殿下。」

「そうか。」

 アーニスは何となく安堵した。お互いイベントキャラであっても、兵士達にとって自分は王姉殿下なのだ。

 アーニスは部隊の将兵を見渡した。

「では、私が(けい)の代わりに部隊を指揮してもよいな?。」

「…と、申されますと。」

 大隊長は浅黒い顔に戸惑いの表情を浮かべる。それはそうだろう、運命(シナリオ)に従い、今から全軍突撃するところだったのだから。

 アーニスは口元に余裕の笑みを浮かべ、大隊に命令を下す。

「突撃は中止!、急ぎ部隊を再編成する。中隊長小隊長は直ちに集合せよ!。」



 アーニスは天幕の風下側に隊長達を集めた。

 小さな天幕は、王族の子女であるアーニスのために用意されたもののようだった。その割には侍女の一人もこの場にはいないのだが。

 中隊長3名小隊長11名が整列すると、その前に大隊長とアーニスが立った。

「卿らに作戦を伝える。」

 アーニスは大隊長に手伝うよう促し、乗馬用の長いマントを肩から外した。

 集まった兵たちからどよめきが上がる。

 マントの下から現れたのは、鮮やかな真紅のドレスアーマーだった。

 真っ赤な薄手の耐火キルトに、オレンジ色のエナメル革と金銀のスパンコールが至る所に縫い付けられた豪奢な革鎧だ。

 スカートはピン止めで太腿までたくし上げられており、乗馬用のタイツが膝から足首まで露わになっている。

 中世基準の「駻馬の紋章世界」では王族の子女にあるまじき破廉恥な姿だ。

 アーニスは慌てず騒がず、スカートをを止めていたホックを外す。

 膝丈まで持ち上げられていた裾がすとん、と落ちるとスカートのコルセットの補助板が後ろに開き、その上に装飾用のフレアーが縫取られた真っ赤なスカートがふわりと広がる。

 騎乗時にスカートを畳んでおくための、折りたたみ式のバッスル機構だ。

 ゲームの作中そのままの姫騎士用ドレスアーマーだが、真紅のドレスアーマーなど設定でも見たことが無い。

 アーニスの記憶にある服飾の歴史ではバッスル機構は19世紀の発明なので、中世を舞台にした「駻馬の紋章」には不釣り合いな過剰な装飾だった。が、ドレスアーマーは見た目重視のそういう設定なのだから仕方がない。

 それに、登場する女性キャラは甲冑の姫騎士が多いのだから、自分もそうだと思い込み油断していた。


 アーニスは、何事も無かったかのような落ち着きを見せ、小隊長二人にマントを広げて持たせた。

 携帯用の火種からチャコールの燃えさしを(つま)み上げると、大きく腕を伸ばしてマントに地図を描き始める。

 堅く良質な木炭は、マントの表面に黒々とした線を引いていく。

 兵たちから、またどよめきが上がった。

「なんと、敵の布陣まで!。」「斥候もまだ戻っておりませんのに!。」

 簡易な地図を書くことなど全ステージの全マップを記憶しているアーニスには容易(たやす)いことだった。

 このイベント戦闘のマップは、「駻馬の紋章」本編のステージ1−1。

 戦闘の基礎を学ぶチュートリアル面だ。

 イベント戦闘ではアーニスと騎兵大隊は、敵部隊に無謀な吶喊攻撃を仕掛けて、チュートリアル通りに地形効果・支援効果・包囲効果を活かした攻撃でタコ殴りにされて、僅か8ターンで全滅する。

 このマップの広さ(狭さ)に対して、敵味方合わせて2個大隊のユニットはトゥーマッチだ。

 そして、森林が広がるマップの中央に街道が通り、ユニット進入不可の岩山が街道を南に()げている。

 北側の森林は山地+林で移動力3を消費、南側は平坦地だが整備されていない黒松の林で移動力2を消費する。どちらにせよ騎馬の移動力は極度に制限される。

 ユニットが配置できるのは街道上と、街道沿いに(まば)らに散らばる草原だけだ。

 長い戦線が構成しづらく、左右の連携も前後の連携も取りにくい、大戦力が集中しにくい地形であり、彼我の戦力が多いだけに混乱する。

「この戦場の要点は、岩山が南に迫り出して街道を曲げているこの地点だ。」

 アーニスは地図のほぼ中央、街道を表す二本線が下に曲がっている箇所を示した。

「北側の防御は岩山に委託して、街道上に本隊となる2個中隊を、そのすぐ南の森林に支隊1個中隊を配置し敵本隊を牽制。次の一手で本隊・支隊とも前進し攻撃適地を奪取する。」

 街道と森林に挟まれたこのポイントは、味方2ユニットで敵1ユニットを攻撃できる攻撃適地で、チュートリアルではこのポイントを先取できるかで勝敗が決まっていた。

 敵が防御の不利を悟って中央を下げるならば、こちらは主力が前進。戦線の右側から敵主力を拘束し圧力を掛ける。

 攻撃適地の利点を捨てることになるが、その時は2個中隊対2個中隊の主力同士の決戦に移行するだけだ。

 大隊長が発言を求めた。

「左翼部隊と敵の間には森を挟むので、味方支隊では敵部隊を完全には拘束できません。敵は部隊を分けて、更に南に森を迂回してくるのではないでしょうか?。」

 表情には出さなかったが、大隊長の意見具申にアーニスは驚いていた。

 「駻馬の紋章」では、武将ユニットは武力・スキルなどのパラメータが付いただけの駒であり、知略パラメータはスキルの成功率にしか寄与しない。

 作戦も戦術も、全てプレイヤーが考えて行うのだが、この「駻馬の紋章世界」では武将ユニットは本当に指揮官として振る舞っているようだった。

 アーニスは大隊長に小さく頷きかけ、腰から引き抜いた指揮杖で地図の中央近くを指す。

「その場合は中央突破するよう見せかけて注意を引きつつ、左翼南側の中隊を後退させ森に侵入させる。」

 敵味方共に行動制限のある地形だが、こちらが戦闘陣の一部を森の中に延ばすことにより、迂回を試みる側にさらに遠く迂回することを強いる作戦だ。

 アーニスは続けた。

「たとえ迂回が敵の陽動であっても、延翼した中隊はこちらの弱点にはならない。最終的には森の縁まで前進して逆包囲する構えを見せておけば、主力部隊の戦闘中も敵を拘束出来るだろう。」

 敵味方とも、戦闘に直接参加できるのは2個中隊のみ、残りの1個中隊は予備または遊兵となる。

 予備を陽動に使うか、迂回に使うか、それとも本隊の突破機動に合わせて使うかだが、敵がいずれの策を取ろうとアーニスは対応できると考えていた。

 今のアーニスは、この戦闘の勝利条件を理解している。

 イベント戦闘でアーニスと大隊が全滅するまで8ターン。

 つまり、8ターンの間敵軍を足止めし、マップの中央の線を敵ユニットに超えさせなければ、少年王の一行は逃げ延びられるはずだ。

 そもそもこのマップは、騎兵大隊同士が正面から激突するにふさわしい規模ではない。

 なぜ「王姉アーニス」は、そして有能な大隊長は、吶喊戦術を選んでいたのか…。


 大隊長は半歩下がり一礼した。

「命令のままに、王姉殿下(マイハイネス)。」

 続き、各隊の隊長たちも、一斉に片膝をついて頭を下げる。

「御意!。」「王姉殿下のご命令のままに。」



 隊長たちに解散を命じたアーニスを大隊長が呼び止めた。

「お待ちください王姉殿下、お顔に炭が付いております。兵に水を用意させますので暫しお休みください。」

「そうか、頼む。」

 アーニスはそう言い、天幕の中へと入っていく。

 我ながら堂々としたものだ。

 兵たちに対する毅然とした態度や、自然に発揮する聡明さは、「王姉アーニス」になる前の自分とは懸け離れている。

 アーニスにはそれが不思議だったのだが、その理由もわかった。

 今の「アーニス」には恐怖や不安への完全耐性があるのだ。

 それは呪いのアイテムの効果だった。

 赤いドレスアーマーの腰のベルトに細い鎖で()がった、女持ちとしては大振りな黒いサーベル。

 真鍮の環が()まった黒塗りの鞘に、象牙で作られたアイボリーの(つか)

 重厚な作りのサーベルの中で、そこだけ場違いに優美なカーブを描く、金色に磨かれた真鍮(ブラス)細工の護拳。

 ゲームに登場する通りのデザインだ。


 「駻馬の紋章」国内統一編の終盤、少年王の配偶者選択イベントで、配偶者(ヒロイン)候補の少女が武将の場合にギフトとして与えられる、失われたはずの王家の秘宝だ。

 駻馬の紋章世界でただ一つのマジックアイテム。女性専用の呪われた魔剣、『村正(ムラマサ)』。

 (なかご)を磨り上げて片手剣に仕立てているが、元は日本刀という設定だ。


 魔剣(ムラマサ)には、所持しているだけで三つの効果がある。一つは、

「武将レベル+5」 仮に配偶者候補の姫騎士がLv1の武将だったとしても、レベルがプラス5されLv6になる。

 モブ武将の多くが登場時にLv5であることを考えると、それを上回る武力とスキルは強力だ。

もう一つは、

「恐怖無効」 武将ユニットの隠しパラメータである【恐怖】。その恐怖に対する完全耐性を得る。

 いかに強大な敵に(まみ)えても、奇襲に遭って逆境に陥っても、(すく)んで行動パラメータが下がったり、パニックを起こして逃走したりしない。

 ビビることなく、死ぬまで戦えるのだ。

 これのおかげで、今のアーニスにはお飾り同然の革鎧で戦場に突入することへの恐怖も、本当の自分が死にかけていることへの恐怖もなかった。(因果関係がおかしい気もするが)

 最後の一つが問題で、

「虜囚無用」 投降した敵武将ユニットが隣接したエリアにいる場合、自動的にこれを殺害する。プレイヤーではコントロールできない。

「駻馬の紋章」では、武将ユニットを手に入れる主要な手段が捕縛・投降なので、常に気をつけていないと投降してくる武将全てが呪われた姫騎士に殺されてしまう。


 失われた王家の秘宝とは何のことはない、イベント戦闘で斃れたアーニスの遺品だったのだ。



「失礼いたします、王姉殿下。」

 天幕の外から兵の声がした。

「入れ。」とアーニスは無造作に答える。

 兵士が二人がかりで、アーニスの背の高さほどの鏡台を持って入ってきた。

 今しがた外で組み立ててきたと(おぼ)しき、縦長の鏡が付いただけの簡易な鏡台だが、四本足の洗面台が(しつら)えられている。

 天幕の床は剥き出しの地面だったが、兵たちは鏡台をガタつかないように設置し、大きな壺の水で洗面台を満たすと一礼して出て行った。

 顔に付いているらしい炭の跡を洗い落とそうと鏡台の前に立ったアーニスは言葉を失った。

 ものすごい美人が鏡の中からこちらを見つめ返している。

 これが「王姉アーニス」なのか?。

 薄い唇に青白い肌(ペールスキン)。白いリボンで高く結い上げた金髪。そして、意志が強そうなヘイゼルの瞳。

 だが思っていたよりも優しい目だ。もっとキツイ顔なのだと思い込んでいた。

 年齢はよくわからないが少女ではない。二十歳にも見えれば二十五歳にも見える。

 「駻馬の紋章」世界にはゴージャスな見た目の貴族令嬢や姫騎士は(あま)()存在したが、ここまでの美女はいないと思われた。

 「駻馬の紋章世界」随一の超絶美少年、少年王エルキュールの実姉であればかなりの美形でもおかしくはない。

 が、村正(ムラマサ)や真っ赤なドレスアーマーの件といい、死ぬために存在するイベントキャラとしては、いくらなんでも盛りすぎではないだろうか。


 我に返って顔を洗う。タオルで顔を拭って、唇に紅を差していたことに気付き眉を(ひそ)めた。

 いろいろと時間が無い。天幕はこのままここに置いていく。

 アーニスの乗馬は軽騎兵用の中馬、栗毛の(ひん)()だ。天幕の柱に結わえてあった手綱を取ると、(あぶみ)にブーツの先を掛け軽やかに騎乗する。

 折からの強風に煽られたマントの隙間からドレスアーマーの赤い色が時折覗き、エナメル革の革鎧はマントの下でカチカチと軽い音を立てた。


 警戒・前衛を兼ねた、本部小隊の軽騎兵がアーニスの後ろに整列する。

「?、なぜ私の後ろに集まるのだ。」

「いえ、王姉殿下のお背中に地図がありますので。」

 アーニスは苦笑する。

「卿ら前衛は地図を頭に叩き込んでおけ。斥候が戻れば卿らの出番だ。」

 程なく斥候が戻り、敵の布陣がアーニスの予想通りであることがわかった。

 大隊長は右腕を高く上げ隊員の注意を引いた。

「王姉殿下、ご命令を。」

 アーニスは大隊長に小さく頷きかけた。静まりかえる中、アーニスの声が鋭く響く。

「我らはここで逆賊を足止めし、国王陛下をお守りする。前進せよ!。」

 号令一下、騎兵大隊は整然と前進を開始した。


 作戦開始を指示したものの、アーニスはすぐに悪い予感が当たっていることに気が付いた。

 今のアーニスにはマップ全体を見渡すことのできる「神の視点」が無い。

 そんな気はしていた。「アーニス」はゲームのプレイヤーではないのだから。

 とはいえ、「駻馬の紋章」も2周目プレイ以後は目視索敵ルールが適用されて、前衛部隊から見える範囲しか状況を把握できない。やり込みプレイヤーだったアーニス自身も視界制限には慣れている。

 それよりも、自分を含めた武将ユニットのステータスを見ることが出来ないのが深刻な問題だった。

 そもそも「王姉アーニス」が武将なのかもわからない。大隊長のレベルもスキルも把握できていない。

 特に敵武将については注意が必要だった。

 イベント戦闘では最初から乱戦になっていたので敵武将については全くわからなかったが、高レベル・ハイスキルの武将は戦局を容易にひっくり返す。

 「駻馬の紋章」の主人公、少年王エルキュールは、Lv11で【二回行動】を習得する。

 ここぞという時にスキルポイントを消費して【二回行動】を行い、敵陣を突破したり敵将を捕縛したりするのが必勝パターンだった。

 そして、【二回行動】スキルを持った武将ユニットは、国内統一編終盤には敵側にも現れる。

 ゲーム本編では、敵武将についても前衛部隊が接敵すれば武将名とステータスを見ることが出来たが、今はそれができない。

 ステータス確認は、プレイヤーである少年王にのみ許された能力なのかもしれなかった。


 緩やかな丘の斜面を整然と駆け下りる130騎の重騎兵たち。

 疎らに生えた広葉樹の林を抜けると、密集していた二列縦隊の隊列の間隙は、徐々に広がっていく。

 敵の斥候に、こちらが行動を起こしたことを敢えて見せるのだ。

 ふと、アーニスは不意に懐かしい香りを嗅いだ気がした。

 人馬の噎せるようなにおい、立ち上る砂埃の乾いたにおいに混じって、松茸の香りを嗅ぎ分けた。

 松茸山が近くにある。

 日本とは気候が異なるヨーロッパにもオウシュウマツタケという松茸の近縁種があるのをアーニスは知っていたが、「駻馬の紋章世界」にも存在するのかは不明だった。設定にはそのような描写は無かったはずだ。

 アーニスは行軍中の大隊長に馬を寄せて声を掛ける。

「隊長、キノコの匂いがしないか?。」

「は?、」と大隊長は面食らったようだったが、

「王都周辺の赤松の林には、大きな(くさびら)が生えるとは聞いております。」

 赤松の林であれば松茸が生えていてもおかしくはない。

「ですが、おが屑のような臭いで、筋張っていて硬いキノコといいますが。」

 大隊長は「駻馬の紋章世界」の一般知識を答えたようだ。特にキノコを食べない文化ではないらしい。

 アーニスは小さく鼻を鳴らして笑った。

「卿は知らんのか。本当に美味いのは、まだ傘の開いていない地面から出たばかりのものだ。味よりも香りと歯触りを楽しむキノコなのだ。」

「王姉殿下はよくご存じで…、」黒髪に黒い瞳の青年武将は戸惑い気味に答える。彼の存在理由(レゾンデートル)は戦場にしかなく、キノコはその範疇には無いからだ。

 丘を下った部隊は街道へと進みつつあったが、街道脇の樹木は黒松だった。

 黒松から採れる特産の松脂と松タールは、ゲームの設定にも出てきている。

 風に乗って流れてきた松茸山の匂いは、この近くのものではないようだ。

 松茸の香りは、アーニスの記憶野を強く刺激した。何かを思い出せそうな気がする。



「伝令!。」

 戻ってきた斥候が2騎、アーニスと大隊長の元に走り寄ってくる。

「前衛部隊先頭、敵軍と接敵!。敵軍は騎兵2個中隊、騎乗歩兵1個中隊から成る、大隊戦闘団と思われます。」

 考察同人誌にあった推測通りだ。騎乗歩兵が通常の歩兵なのか戦闘工兵なのかは見ただけではわからないだろう。

 アーニスは本部小隊の軽騎兵2騎を伝令として前線に戻すと、大隊に指示を出した。

「全軍突入!、岩山の南の線を先取し横陣に移行!、攻撃戦線を形成せよ!。」

 各中隊は突入を開始した。アーニスと本部小隊は、騎兵2個中隊の突入を指揮しつつ街道と岩山の間に布陣する。

 敵軍も突入を開始し戦線を形成するが一手遅い。攻撃適地に誘い込まれた敵小隊が挟み撃ちに遭い、敗退する。

 次いで、支隊である南側の1個中隊が突破の気配を見せて敵の反撃を誘った。

 敵右翼の突出を攻撃適地で撃破すると、以後敵は容易に突入してこない。戦場のイニシアチブはこちらが握っている。

が、アーニスは戸惑っていた。

 ゲームと異なり、目視と伝令報告だけでは行動中ユニットが(部隊が)多くて、敵の動向を把握しきれていない。

 部隊ユニットで戦場を飽和させて、敵軍の行動に制限を加えるというのはアーニスの作戦通りだったが、少々上手くいきすぎていないか。

 現在、彼我とも主力の2個中隊同士の一進一退の戦闘に移行している。

 戦闘に参加していない1個中隊は、いずれ使うつもりの予備兵力ではあったが、使っていない今は遊兵だ。

 敵の予備兵力がこちらの策通りに南側の迂回を試みているのであれば、こちらも予定通りに予備の1個中隊で対応するのだが、敵の動きがわからない。

 嫌な予感がする。思った以上に敵部隊が拘束できていない。

 いつの間にか、敵にフリーハンドを渡してはいないか?。見えないところで何かが起きていないか?。

 アーニスは大隊長を手招きすると、岩山の方を指さした。

「中腹まででよい、身軽な者に岩山の向こうを偵察させよ。」

 大隊長の命を受け、直ちに右翼2騎の兵が鎧を外し戦列を離脱。岩山に取り付くと、馬を飛び降り自力で斜面を駆け上っていく。その姿は敵からも見えている。

 敵陣は動いた。

 岩山側の主力を全軍突出させ、戦線を押し出してくる。

 斥候が何かを見つけるまでもない。敵は見られては困ることをしていたのだ。

「押し戻せ!。」大隊長の指示で本隊2個中隊が突撃。5分も経たずに敵主力を容易に押し返した。

 なぜなら敵主力の方が数が少ないからだ。


 斥候の帰還を待つまでもない。敵の別働隊、1個中隊が北進しているのだ。

 北側の森林は、移動力3を消費する森林+山地地形だ。

 騎兵の移動力は平地で3なので、そもそも騎乗したままでは進入できない。

 騎兵は馬を引いての徒歩移動になる。徒歩状態の重騎兵は戦闘行動のほとんどが制限される。移動速度も歩兵と同じ1だ。

 騎乗歩兵にしても森林内は騎乗転換と武器使用に制約があるため、同じく戦闘には制限がある。

 つまり、騎兵も騎乗歩兵も移動力は1/3になっている。

 北方の山地を迂回するには8ターンどころではなく掛かるはずだ。

だが、

 アーニスは違う予想をしていた。

 「駻馬の紋章」には、騎兵部隊が騎乗のまま山中に進軍できる武将スキルがある。


 斥候が戻ってきた。

「申し上げます!、敵騎兵中隊は、山地内を騎乗移動しております、下馬移動ではございません!。」

 岩山の反対側を目視できる地点まで進出した斥候は、眼下の山地斜面、赤松の林の中を進む敵騎兵の姿を確認した。

 やはりそうか。

 山地を通常移動するためには武将スキル【山越え】が必要だ。

 山地補正の必要移動力+2が無効化され、密集度の低い赤松の林の必要移動力+1のみが残る。

 騎兵は、スキルポイントを消費することで移動力2を発揮できるのだ。

 アーニス自身の過去には、このマップで【山越え】スキルを発揮した記憶は無い。

 周回プレイを何周もしたところで、ステージ1−1では少年王自身はLv1、側近武将もLv7で、習得下限レベルがLv30の【山越え】を使えたわけがないのだ。

 逆に、別働隊1個中隊を率いる敵武将は、Lv30以上ということになる。


 部隊ユニット数が多すぎるこの戦場では、戦況によっては遊兵を他の用途に容易に転用しうる。

 今考えてみると、敵が自軍から2個〜3個小隊を抽出し遠距離迂回をさせる決断をするタイミングはいくらでもあった。

 イベント戦闘で「王姉アーニス」が、無謀とも思える初手の全軍吶喊で戦線を混乱させ、高レベル武将を含む敵ユニット全てを拘束する捨て身の戦術を取っていたのには、このためだった。

 「神の視点」もステージのマップ知識も持たない王姉アーニスには、これしかないという理由があったのだ。


 押し黙ったアーニスはマップ詳細を思い返していた。

 マップ東側の街道は崖崩れの跡を南側に大きく迂回している。かなり高次面で登場する北隣のマップでは、その上流側がダム湖になっていた。

 移動力2で山越えをしてくる敵中隊に、遠回りするルートを通るしかない移動力3の味方騎兵が今から追いつく事は出来ない。

 完全に詰んだのか。


 いや、まだ手がある。

 このマップ、ステージ1−1には南東の河岸段丘に隠し通路がある。

 攻略本にも記載の無い隠し要素だったが、少年王Lv1クリアに挑戦したときに発見した。

 以後も隠し通路はほとんどのマップで現れる。

 少年王を常時行動不能にしておくという極度の縛りプレイでは、自軍の武将が一人少ない状態で戦わざるを得ない。小部隊同士の戦闘でも地形を利用した機動防御に頼るしかないのだ。

 河岸段丘に開削された通路はその数少ない防御適地だったが、その先にある涸れ沢の河床を街道代わりに利用できる。

 平坦な河床は街道同様に中隊規模・大隊規模の騎兵が通行できる、容量の大きな通路だ。地形障害は無い。

 南に曲がる街道をショートカットできるため、山越えを行った敵中隊が街道に到達するまでに先回りが出来る。

 山越えの敵軍は、例えるならばアルプス越えをしてローマに攻め込んだハンニバルやナポレオンだ。奇襲効果は高いが、味方から一切の支援が受けられない。一定時間しか戦力を発揮できない孤軍だ。

 高速移動が出来る軽騎兵で敵軍の頭を押さえ、3ターンの間持ちこたえられれば、同じく街道から隠し通路を急行してくる騎兵中隊が合流し逆襲できる。


 問題は、山越えをしてくる推定Lv30以上の敵将を止められるかということだった。

 アーニスは、疑念を持ちながらも事実を思い返していた。

 今までの戦況から考えて、アーニスか大隊長の少なくともどちらかはLv30以上の武将ユニットのはずだ。

 能力値に大きな武将補正がなければ、例え短時間でも敵主力と拮抗することは難しい。

 そして敵大隊に、指揮官として高レベル武将ユニットが複数いることは考えにくかった。

 通常は大隊長クラスの指揮官でLv20、中隊長クラスではLv10が普通で、Lv30以上の武将ユニットとなれば、「駻馬の紋章世界」では連隊長ないし、その上位の師団長クラスになる。

 叛乱軍、アルハンゲラ騎士団の規模は1個軍団。約4個師団だ。

 第1師団長を兼ねるアルハンゲラ公爵を除くと、師団長クラスの高レベル武将は3名しかいない。

 少年王の追討に、その1名が師団や騎兵連隊より小回りの利く大隊戦闘団で派遣されたというのは納得がいかなくもない。

 王姉アーニスの麾下に、名も無き騎兵大隊と正体不明の高レベル大隊長がいることに比べればよほど自然だ。

 アーニスは大きく一つ深呼吸をした。

 よし、怖くない。私は、まだ行ける。

 これが魔剣による偽りの気持ちだということには目を瞑ろう。


 アーニスは大隊長に近付き、他の兵に聞かれぬよう小さく耳打ちした。

「我らは敵に先手を取られた。だが、まだ打つ手はある。」

 大隊長は驚いたようには見えなかった。まさかこの事態を予見していたのか?。

 アーニスは続けた。

「まず本部小隊10騎を先行させ、次いで本隊から抽出した3個小隊で、山越えしてくる敵中隊を追撃する。」

「ですが、王姉殿下の描かれた地図では、街道は岩山の崖を大きく南に迂回しております。畏れながら軽騎兵での脚でも追いつけないかと存じます。」

 アーニスは身に纏ったマントをグルリ、と回し、地図の描かれた側を大隊長に向けた

「…ここに、抜けられる通路があるのだ。本部小隊は私が率いる。」

 アーニスは、岩山の縁と河岸段丘の高い土手が交わるポイントを指差す。

 大隊長は、黒い瞳でジッとアーニスを見つめた。

「…なぜ、王姉殿下がそれをご存じなのかお伺いしても?。」

 アーニスはニヤリと笑って答える。

「それはエルダンティーク王国、国防上の重大な秘密だ。いずれ卿にも教えてやろう。」



 アーニスは本部小隊の軽騎兵10騎を呼び寄せると、兜と胸甲、籠手以外の防具を外させた。馬甲(うまよろい)も含め全てだ。

 偵察や伝令を主任務とする本部小隊は、普段から重装甲は纏っていない。それが更に軽装となっては、敵騎兵と正面から当たれないだろう。

「我らは敵の術中に嵌まった。しかし、まだ負けたわけではない!。

 敵は山越えをしてくる1個中隊だ。我らは更に先回りして迎え撃ち、これを叩く。」

 アーニスの言葉に小隊員の間に緊張した空気が流れる。

「速度こそ命だ。我らは、重い馬上槍ではなく剣で敵を討つ。」

 アーニスは腰から魔剣を()()()と引き抜き、革紐を手首に巻いて剣の峰側を通して革紐ごと握り込んだ。

 兜と胸甲のみの防具でサーベル突撃を行うのは「駻馬の紋章世界」では知られていない。

 ナポレオンの軍隊が用いた19世紀最新のメソッドだった。戦訓では、馬上槍装備の重騎兵を速度と機動力で圧倒できる。

 手首を剣に固定するのではなく、片刃の刀身の峰の部分に革紐を巻いて、梃子(てこ)の原理で力を加えるのは、祖父の学んでいた小野一刀流の、室内戦闘の書物で読んだライフハックだった。

 祖父自身のことは全く思い出せなかったが、小野流の強力な片手撃ちはアーニスの記憶に強い印象で刻まれていた。

 これら「駻馬の紋章世界」の外の知識で、数に(まさ)る敵軍を迎え撃つ。


 アーニスは戦線後背の街道上に杭を立て、鎧と兜を杭に被せた。頭の高さは馬上の騎士に合わせてある。

「一度だけやってみせるので覚えよ!。」

 そう言い、鞭を当てることもなく愛馬を走らせた。

キン!

 すれ違いざまの一撃。魔剣は鋭い音を立てて兜を抉った。

「前からでも後ろからでも必ず右側から斬りつけろ。相手は騎士でも馬でもいい。敵はわかっていても簡単には防げない。」

 くるりと馬を反転させ更に斬りかかる。

「何度か試して掠め斬る間合いを掴め。速度に応じて握りを緩め、常に剣の先端のみを当てよ。」

 馬も体も思うように動く。アーニス個人の武力パラメータはかなり高い。

「切っ先が欠けても怯むな。さらに肉薄して斬りつけよ。小隊、前へ!。」

 アーニスに促され、剣を革紐と共に握り混んだ兵が1騎、また1騎と走り出す。

 本部小隊10名の人馬が相次いで殺到すると、杭に括り付けられた鎧と兜は瞬く間に(なます)に刻まれ、破片は無残に地に転がった。


 ただ一度だけのサーベル突撃の訓練を横で見ていた大隊長は終始無言だ。

「隊長。」小隊の緊急訓練を終えたアーニスが右手の魔剣の護拳の中に通した革紐の締め具合を調整しながら大隊長を呼びつける。

「戦線を維持し続け、敵主力を拘束せよ。余剰戦力の動きに気をつけろ、南側に迂回させるな。」

 アーニスは早口で作戦をまくし立てた。

「我らを追従する1個中隊は、敵に気取られぬタイミングで各中隊から小隊を抽出せよ。急げよ、だが気付かれるくらいなら遅らせてもよい。」

 アーニスは、何か言おうとした大隊長の言葉を封じるように、言葉を被せた。

「2個中隊の敵を圧倒し拘束することは卿にしか出来ぬことだ。国王陛下をお救いするため頼むぞ、頼むぞ!。」

 大隊長は答えない。その眼差しは暗さを帯びているように見えた。

 暫しの沈黙の後、

「もう何も申し上げません、承知いたしました。王姉殿下は貴女(あなた)にしか出来ないことを為されますよう。

 …ご武運を、王姉殿下(マイハイネス)。」

 大隊長はそう言い、兜の面頬を下げると、一礼して部隊の指揮へと戻っていく。


 アーニスは軽騎兵用の兜の向きを僅かに直した。

 村正(ムラマサ)のおかげか恐怖は全く感じなかったが、非常に危険なことをしているという自覚はあった。

 アーニスが着用できるサイズの軽鎧の替えはない。かといって体に合わない鎧を着けていては戦えない。

 アーニスはドレスアーマーで戦いに臨む以外にないのだ。

 真っ赤なドレスアーマーを騎乗用マントに隠し、本部小隊10名に号令を掛ける。

「もう一度言う、速度が命だ。卿ら、我に続け!。」

(えい)!」「(おう)!」

 喚呼一声!、11騎の人馬は、無人の街道を()のように駆け出した。



続く



こんにちは。

コミケで小説を発表しているkyowといいます。


大昔はコピー誌、今はCDメディアで作品を頒布しています。

そろそろ円盤頒布は難しい時代になってきましたので、版権物はpixivで、オリジナルはこちらで発表していきたいと思います。

https://www.pixiv.net/users/18319


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