気にいるやり方、気に入らないやり方
「何ですって?」
ふざけた提案に、つい反射的に答えてしまった。
手を組む?
私とこの男が?
呆気に取られていると、コンラートが口の端を更に吊り上げた。
「貴女自身、今の状況は腹に据えかねているのでしょう? 次期王妃とまで噂されていた中、一転して明日の食事すら満足に取れない有様となった。庶民のような衣服に身を包んでいることがその証拠です」
「何が言いたいの?」
「貴女に衣食住を提供しましょう。私はこの一帯の領主ですから、一人の女性を養うくらいの財力はあるつもりです。貴族のご令嬢として何不自由ない生活を約束します」
「へぇ? 私を養うだなんて、随分な言い草ねぇ? でも貴方、言っていた筈よね? 王家にこの話が伝わればタダでは済まないって」
「確かにその通りです。しかし、やり方は幾らでもあります。例えば……」
惚けるように視線を宙に送った後、わざとらしく指を立てる。
「貴女の死を偽装して王家を欺く、とか」
「……」
「今回の追放……王家は貴女の死を望んでいるものと私は考えています。あの護衛も、私の見立てでは王家から派遣された見届け人。必要となれば、貴女を手に掛けるに違いありません」
「……は?」
「ですがご安心を。事故死となるように護衛の目を欺くことが出来れば、全て解決します。遺体はダミーを用意すれば良いだけ。王家もそれ以上は追及してこないでしょう。後はその首輪ですが、これも領主としての私の力で解決策は必ず導き出せます。そう、私なら貴女を救うことが出来る。いや、私にしか出来ない」
自信満々にそんなことを言ってのける。
要は私一人では何も出来ないって言いたいのね。
だから救ってやる、助けてやる。
上から目線も一切崩さない。
自分が圧倒的に有利と思っているから、断られるなんて微塵も思ってもいない。
あぁ、嘘でしょ?
ようやく出てきた言葉がこれ?
ここまで来ると正気を疑いたくなるのだけど。
黙ったままでいると、何を勘違いしたのかコンラートが距離を詰めてくる。
向かい合っていた席から立ち上がり、私の隣に並んだ。
「代わりに、お互いの不利益になることには干渉しないようにしましょう」
「……それが、貴方が私に課す条件ということ?」
「そうです。決して悪い条件ではない筈でしょう。貴女は再び貴族の一員として生きられるのです。それだけではありません。首輪を外すことが出来れば、追放刑に処したクラウス王子やカルメラ嬢にすら、報復を下すことも出来るかもしれませんよ?」
ねっとりとした声色が耳まで届く。
もう良いわ。
聞いていられない。
私を死んだことにするだの、小さいことには目を瞑れだの。
この蛇男は、敷いていた線をアッサリ踏み越えた。
すうっと息を吸って、長い溜息を吐く。
それでもまだ分かっていない間抜け当主に、私は視線を向けた。
「で? 馬鹿げたジョークもそれで終わり?」
「え……?」
「随分と下らない長話だったわね。今まで聞いてきたどんな話よりも不快だったわ」
「あ、あの……私の話を聞いていたのですか……? これは貴女にとって破格の提案で……」
慌て出す蛇男。
未だに私が理解できていないと思い込んでいる。
だから勢いよく立ち上がって、纏わり付く空気を片手で振り払った。
「私にだって、気にいるやり方と気に入らないやり方があるのよ! 貴方みたいな下種男と手を組むなんて、こっちから願い下げだわ!」
「なっ!?」
「大体、何なの? その反吐が出そうな笑みは? 私が乗ってくると思って随分と余裕綽々だったみたいだけど、勘違いも甚だしくて虫唾が走るかと思ったわ! 誘拐婚までしておきながら、この才色兼備である私と手を組むだなんて、たとえ神が許しても私が許さない!」
押し留めていた感情を全てぶつける。
大体、この私を意のままにできると思っている時点で愚かしいわ。
誰がこんな下種男の言うことを聞くのよ。
誘拐婚だってそう。
目当ての女に拒絶されたからこそ誘拐をしたのだから、自分がどれ程信用されていないかなんて、考えれば分かるでしょうに。
いえ、分かっているなら初めからこんなことはしないわね。
鼻で笑っていると、コンラートの表情が見る見るうちに変化する。
ぎこちない笑みが一転、悔しそうに歯を剥き、本物の蛇のように牙を向き始める。
「この……! 人が下手に出ていれば、何処までも付け上がるッ……!」
ようやく全ての仮面を剥ぎ取ったみたい。
気味の悪かった敬語も消え去り、怒りに満ちた表情で私を見下ろしてくる。
「自分がどんな立場にいるのか理解していないのか? お前はもう貴族ですらないんだぞ?」
「……」
「哀れなものだな。未だに自分が選ばれた人間だと思っているとは。お前は俺に命令できる立場じゃない。逆だ。俺がお前に命令できるんだよ。今この場で剣を抜いて、斬り伏せることだってできる。それをしないのは、偏にお前の才能を買っているからだ。性格は最低最悪の下劣でも、お前の身体には使い道があるからな」
「案の定、その本性はこの前の賊より低劣だったわね。貴方みたいな男の発言を聞いているだけで、私の清らかな精神と魂が穢されるわ。それに誰が最低最悪ですって? 自己紹介はとっくに済ませたでしょう?」
「貴様……! 減らず口を叩けるのも今の内だぞ! もうお前に逃げ場はない!」
更に顔を赤くして怒鳴り出す。
本当にうるさいわね。
声の大きさで威圧して、従わせようって浅い考えが透けて見える。
そもそも貴族であるかどうかなんて、この男が決める話でもないわ。
不愉快極まりない。
すると蛇男がテーブルの上に置かれたカップを指差す。
今までの怒鳴り声かは知らないけれど、注がれた紅茶の水面が僅かに揺れていた。
「睡眠薬だ。その紅茶に即効性の薬物を混ぜ込んでおいた。抵抗された場合を考えてのことだったが、やはり正解だったな」
「あら、そう」
「今更恐ろしくなったか。例の護衛も今頃、気を失っていることだろう。安心しろ。お前諸共、事故死ということで処理する。そしてお前だけは一生この屋敷に閉じ込めてやる」
既に私達は紅茶を口にしている。
もしかしてだけど、雑貨屋の店主と同じようにする気なのかしら。
確かに私が絶世の美女であることは疑いようもない事実。
その眩しさに当てられて手に入れようと思ったのが、私達を招いた理由ってこと?
成程ね。
多少のことなら武力と権力でねじ伏せる。
何も出来ない女だと思っているからこそ、馬鹿みたいにペラペラと喋ってくれたのね。
本当に呆れた。
私はそこにあったカップを手に取る。
そしてもう一度息を吐いた。
「だと思ったわ。この紅茶、明らかに鮮度が悪かったもの」
「何だと?」
「バレずに飲ませたいなら、予めミルクティーにでもして色を誤魔化せば良かったのに。妙なプライドが邪魔をして出来なかったのかしら。それとも、私がストレート好きなのを知っていて? どちらにしても、薬品を溶け込ますなんて……私だけでなく茶葉に対する冒涜でしかないわ。力が使えたなら、一瞬で消し飛ばしているところよ」
私だってその位の目利きはある。
公爵令嬢とは、あらゆる時と場合に柔軟に対応する力が求められる。
紅茶や睡眠薬の知識もその内の一つ。
そもそも出回っている睡眠薬は、液体に溶け込ませた際に色が変化するよう、悪用防止が徹底されている。
だからこの蛇男も、人体に効くギリギリまで量を減らしたようだけど。
それでも僅かに色が変わるし、橙色と赤橙色の見分けなら直ぐに判断できる。
仮にミルクティーであっても、コーヒーであっても同じこと。
だから初めに紅茶を差し出された時点で、薬が盛られていることは分かっていたわ。
でも飲んだ。
いえ、飲んであげた。
これは哀れな役目を掴まされた、茶葉に対する情けなのだから。
私は手に取ったカップに口をつけ、睡眠薬入りの紅茶を一気に飲み干した。
「どう? これで満足?」
「な、何をやっている? 気でも触れたか?」
「そう思うのは、貴方が間抜けだからよ。ねぇ、その薬はどの位で効果を見せるの?」
「そんなもの、直ぐにやって来る! 今にも抗えない程の睡魔が襲って……!」
焦ったコンラートは声を荒げ続ける。
けれど、一向に私は眠らない。
確かにあんなつまらない長話を聞かされたから、眠気くらい来るかと思ったけど、不快感の方が断然上回っていて目はパッチリ。
睡魔の、すの字も出てこないわ。
ようやく異変を感じた蛇男は、私を前にして何歩か後ろに後退した。
「何故だ!? 何故眠らない!?」
「貴方は多くの間違いを犯しているけれど、特別に一つ教えてあげるわ」
「な、何の話だ!?」
「私の隣にいた男は、ただの護衛なんかじゃないの」
そう言って、カップを置く。
この男は何度も私の神経を逆撫でした。
でもその中で一番腹が立ったのは、あの金髪に対しての物言い。
彼が私を手に掛けるためにやって来た刺客、と言ったこと。
何故一番なのかは分からない。
でも、思わず「は?」と言ってしまうくらいには腹が立った。
冗談じゃないわ。
貴方みたいな下級貴族が、私達の何を知っているというのよ。
だからこそ高らかに宣言する。
「私の一番弟子よ」
直後、部屋の外から大きな衝撃音が鳴り響く。
ズン、と響くような重い音。
それは合図。
予めあの弟子と決めていた、反撃の狼煙だった。
「な、何だ!? 何が起きている!?」
予想外の連続に頭が追い付いていないコンラート。
待ってあげるほど寛大じゃないし、我慢強くもない。
立ち尽くす無能当主を置いて、私は部屋を横切り応接室を出た。