これも美貌のため
お姉さまはお母さまのことを知っている。
私が物心つく前まではベッタリだったと、従者たちが教えてくれた。
だからある日、私はお姉さまに事情を聞くことにした。
元々あんまり好きじゃないし、私と違って魔法も使えない。
でも、美しかったお母さまを知りたい。
同じようになりたい。
そんな思いで、いつものように掃除をしているお姉さまに教えてもらおうとした。
(ねぇ、お姉さま? お母さまって、どんな人だったの?)
(……)
(お父さまに聞いても、私によく似ているって言うばかりで何も分かんないのよね~! お姉さまなら知っているんでしょう? まさか、お掃除ばかりでお母さまと話したこともなかった、なんて言わないわよね?)
(……)
(ねぇ~、聞いてるの~?)
(私は……)
少し苛立ちを覚えながら聞き続けると、お姉さまは目を逸らして言った。
(私は何も知らないわ)
呆然としたわ。
そして何度聞いても同じだった。
どれだけワガママを振りかざしても、知らないの一点張り。
駆け付けたお父さまが叱っても、全く反省した様子はなかった。
その時、気付いたの。
お姉さまは、お母さまを独り占めする気なんだって。
教えてくれないのも、きっと私に嫉妬しているから。
私がお母さまを知らないからって、優越感に浸っているに違いない。
陰気なクセに、お掃除してばかりのクセに。
優しいお母さまのことを知っているクセに。
許せない。
その瞬間から、私はお姉さまが大嫌いになった。
●
あれから何日か経った。
料理だの洗濯だの掃除だの、相変わらずやることは多い。
余計な所で手を取られるっていうのは、本当に面倒だわ。
魔法が使えたら一瞬で出来ることなのに。
でも結局は同じことの繰り返し。
面倒だと思いながらも、慣れれば自然と手が動いてくれる。
皿を割ったのも一度だけだったし、何でも出来る私だから当然の結果ではあるわね。
まぁ、ちょっと包丁で指を切ったこともあったけど。
馬鹿弟子がすぐに駆け付けて、聖魔法で治してくれたし。
って、ダメダメ。
これ以上、あの金髪に恩を売ったら余計に調子が狂っちゃう。
今までは自分で治せたし、その程度で下僕に頼るなんてしなかったのに。
失礼します、とか言って私の手を取るなんて。
いきなり触れられた私の気持ちも考えなさいって。
ドキッと……じゃない!
イライラするでしょ!?
本当に変な所でお節介が過ぎるのよね!
ともあれ、そんな馬鹿弟子の適性紋様は徐々に把握できている。
やっぱり私と傾向が似ているのが功を奏したみたい。
そこそこ魔力量もあって、結構な数の試行錯誤を繰り返せている。
お蔭で既に中級の聖魔法、中等症程度の傷や病気なら治癒できるようになった。
勿論、全ては私の手腕によるもの。
太陽のように眩く光る、私の選ばれた才能があってこそ。
だから一応は順調。
そう、順調のはずだったわ。
けれど時間の経過とは恐ろしいもの。
遂に恐れていた異変が現れる。
「な、なんてことなの……」
「何か不測の事態が?」
朝になって、寝起きの手入れをしていた私は重大なことに気付く。
よろよろと居間に辿り着き、目を丸くする弟子に惨事を伝えた。
「髪が枝毛になってる!」
「……」
「な、何よその顔は……」
「その……あんまりにも絶望的なお顔だったので、もっとこう……」
「ちょっ! その大したことないな、みたいな口振り! 有り得ないんだけど!?」
本当にこの金髪って男は、どうしようもないわね。
冷静に考えてみなさいよ。
私の美貌が崩れるということは、私の存在そのものが薄れるということ。
首輪を外すことと同じくらい、重要なことなんだから。
「枝毛の外的要因となると、主にストレスが挙げられますね」
「もう両手じゃ数え切れないくらい言えそうだわ」
「現状は髪油でケアするしかないでしょう。確か先生は、町で同様のものを購入されていましたよね?」
「……ちょっと合わなかったみたい」
痛い所を突かれて視線を逸らす。
確かに予防はするつもりだった。
私だって美容に無頓着な訳じゃない。
初めてあの町に降りた時、色々な美容品を手に入れていた。
髪油もその内の一つ。
けれど買った髪油は量を調整してもベタついて、私の髪に合っていなかったのよね。
正直、失策だったわ。
ここが辺境の寂れた場所だということを忘れていた。
「香りの良さ重視で選んだけど、相性ももっと考慮すべきだったわ。でも今まで使ってきたモノなんて、従者が全部用意してくれていたから、銘柄とか知らないし」
「貴族のご令嬢が使う髪油となれば相当な高級品でしょうし、そうそう手に入るものではありませんね。私のものも、参考にはならなそうです」
「……何? 貴方も持っていたの?」
「適度に使うくらいに、ですが。原材料は確か、隣国に咲く花の実だったような……?」
思い出すようにそんなことを言う。
どうりで時折いい香りがすると思った。
って、何ちょっと親近感抱いているのかしら。
確かに顔は良いかもしれないけど、この金髪の美容とかどうでも良いじゃない。
問題なのは私自身。
このまま放置するなんて有り得ないわ。
これ以上、私の美貌に傷をつけることは許されない。
可及的速やかに対処しないと。
「買いに行くわ」
「いってらっしゃいませ。それでは私は残りの紋様の是非を確かめておくので」
「何を言ってるのよ。貴方も付いて来るのよ」
「そこに愛は……」
「愛は関係ないんだけど? そもそも百合のような清純さを持つ美女師匠を、一人で行かせるなんて気が利かなすぎでしょ? 寧ろそこに、ご自慢の愛とやらを当てはめなさいよ?」
「しかし先生も、一人でお出掛けすることに慣れて頂かないと」
「全然慣れてますけど? 荷物持ちが欲しいだけですけど?」
「荷物持ち……そこに愛は……」
「いいから一緒に来なさいっ!」
この金髪の態度は一向に変わらない。
私一人で買い出しに行かせるなんて、冷静に考えておかしいでしょ。
ここから町までどれだけの距離があると思っているのかしら。
弟子なら大人しく首を縦に振っておけば良いのよ。
口答えだけは達者なんだから。
「確かに強盗の一件もありましたし、不安になるのも当然でしたね。私の配慮が……いえ、愛が足りていなかったようです。お付き合いしますよ」
だから不安じゃないんだけど?
と言いたいけど、そうですかと返答されて来なくなるのも嫌だし。
必死に押し留める。
落ち着きなさい、私。
これ以上、馬鹿弟子の言動に振り回されていたら新しい枝毛が増えちゃうわ。
冷静に、そして慎重に事を運ぶのよ。
プルプルと震える私を不思議そうに見る金髪の視線に耐えつつ、私達は朝食を取った後に町へ繰り出した。
でも結局、歩くことには変わりないのよね。
未だに慣れないわ。
見えるのは半端に舗装された道と生い茂る木々だけで、公爵邸の庭先を歩くのとは訳が違う。
庭師の手で美しく整備された自然とは大きくかけ離れているし、疲れるし。
チラリと見ると、金髪は歩調を私に合わせつつ隣を歩いている。
抱えて運んでくれなんて言える訳もない。
言ったところで絶対聞かないんだもの。
さっきみたいに、そこに愛はない~とか言い出すんでしょうね。
ホントどうやって生まれ育ったか知らないけど、この頑固さは私より上なんじゃないかしら。
「貴方って、旅する前は何をしていたのよ」
「取り立てて言えるようなことは何も。家族と平穏に暮らしていただけです」
「平穏って……仲悪かったわよね?」
「はい。なので、兄弟間で話し合えたことは殆どありません」
「全然平穏じゃないでしょ、それ」
「はは……。一応、話しかける努力はしていたのですがね……」
困ったような表情を浮かべる。
こんな有様だから、兄弟から鬱陶しく思われていたんじゃない?
元々仲が悪いのに、無理に話そうとするから更に険悪になるなんてよくある話だし。
いえ、別に私とお姉さまのことを言いたい訳じゃないけど。
「何でそんなに仲が悪いのよ? 切っ掛けくらいあるんでしょう?」
「さて、何故でしょうね。私自身、見当もつかないのです」
「……」
「そんなお顔をされなくても。ですが、それこそが原因の一つなのかもしれません。私たちには信頼というものがありませんでした。あるのは、騙し合いと化かし合い。信用すれば寝首を掻かれるとでも思っているのでしょう。そして私は、それに疲れてしまった」
彼の青白い瞳に諦めのような感情が見えた。
「逃げた、と言っても良いのかもしれません。ですが旅をすることで、気付いたこともあります。本来、人とは憎しみ合うものではなく、助け合うことも出来ると」
「助け合う、ね」
「先生はどうですか。何か気付きましたか」
「何かって……」
いきなり話を振られて返答に迷う。
まるで私が今まで助け合ったことがないみたいな言い方。
一々癪に障るわ。
でも確かに、助け合いなんて今まで一度もしたことがない。
私は基本、何でも出来たし。
他の貴族や民から依頼があったら魔法で即解決して、沢山の報酬を貰った。
彼らの困りごとなんて、私にとっては利益を貰うための動機。
それ以上でもそれ以下でもなかったわ。
(私は何も知らないわ)
不意に以前の記憶が蘇る。
お母さまを知らないと切り捨てた、かつてのお姉さまの姿。
そう、助け合うなんて馬鹿馬鹿しい。
あの言葉があろうがなかろうが、私はお姉さまのことが嫌いだった。
そんな相手に、どうして手を差し伸べないといけないのよ。
「興味ないわよ。そんなこと」
「成程。となると私がそうだったように、自ら体験するという過程が必要かもしれません」
「何を言って……」
「先生。ここは一つ、人助けをしてみてはいかがでしょう」
思わず足が止まる。
この優男は。
この馬鹿弟子は何処までも変なことを言ってくれる。
「はぁ? 何を言い出すかと思えば、また突拍子もないことを。何で私がそんなことしなくちゃいけないのよ」
「私の推測ですが、先生にはそういった経験が少ないように見えます」
「だ、だったら何よ。私は次期王妃でもあったのよ。そんな私が簡単に手を差し伸べてみなさい。それを目的にした輩が、寄ってたかって来るんだから」
利益があるかどうかを見極めるのも大事なこと。
私は勢いよく腰に手を当てた。
「貴族として、軽んじられるのは自身の地位を揺るがすことにも繋がるわ。畏怖されてこそ、私という存在は輝くのよ」
「ですがそればかりでは、誰かに優しくするという方法すら分からなくなってしまいます。私も未だに褒められていませんし」
「だっ!? 誰が誰を褒めるですって!?」
その話は終わったでしょ!
またもや耳を疑う発言。
私が誰かを褒めるなんて有り得ない。
褒めたところで見返りなんてないし、相手が付け上がるだけじゃない。
師として、選ばれた人間として、正しい在り方は崩しちゃいけないの。
と言うか、どさくさに紛れて褒められようとしているんじゃないわよ。
「この程度のこと、私の弟子なら出来て当然! 寧ろこんな平民生活に耐えている私を褒めてほしいくらいよ! っていうか、褒めなさいよ!」
「頑固ですね」
「誰が頑固よ、この馬鹿弟子優男っ! 変なことを考えている暇があるなら、歩きながらでも今日分の紋様を消化しておきなさい! 無駄口を叩くなら、その分だけ上乗せするからねっ!?」
温かい視線を向ける金髪に思いっきり反論する。
あぁ、もう。
何でこんなに感情的になってしまうのよ。
今までならもっと冷酷な態度を貫けたはずなのに。
これが正しい在り方だなんて到底言えない。
全部この男のせいだわ。
本当にムカつく。
「先生、その先に小さい石が突き出ています。躓かないよう気を付けて下さい」
「わ、分かってるわよっ!」
そしてムカつくはずなのに、やっぱり苛立ちという程の感情も湧いてこない。
一種のむず痒さを覚えつつ、私は振り払うように町に向かって歩き続けた。