ざまぁされました
辺境の地、そこにある古ぼけた家屋に私はいた。
同じように古ぼけたベッドの上で、パーティー用のドレスを着たまま横たわる。
汚れた窓から差し込む陽の光に当てられて、豪華なその服だけが虚しく輝く。
「はぁ……お腹空いた……」
ダメだわ。
お腹が鳴りそう。
本当ならこんなことになる前に、従者達がやって来て食事を用意してくれる。
私に相応しいお屋敷と、相応しい食事。
お召し替えをして、優雅に食事を楽しんでいるはずだった。
でも、今は誰もいない。
朽ち果てつつあるこの場所は、しんと静まり返っている。
あまりの静寂に、収まっていた苛立ちがぶり返す。
「ちょっとぉ! 本当に誰もいないの!? 私はミレッカー公爵家の正当な後継者なのよ!? こんな扱いが許されるわけが……!」
私の声に返答する人なんていない。
助けてくれる人もいない。
どうして。
どうしてこんなことに
「もうっ! 許さない! 絶対に許さないんだから!」
私は昨日のパーティーを思い出し、歯を食いしばった。
●
エルミラ・ミレッカーの名を知らない者は、王国には存在しない。
王家を支える中核でもあるミレッカー公爵家の次女。
容姿端麗が人となった愛くるしさ、そして圧倒的な魔法の才能を持つのが、この私だった。
まぁ、選ばれた人間だから当然なのだけれど。
特に魔法で言えば歴代最高、そして国一番とまで謳われたこともある。
幼い頃から今に至るまで、逆らう人なんていない。
どんなワガママだって聞いてもらえる。
だから数日前のパーティーだって、意気揚々と参加した。
「さぁ、今日は皆にどんなお願いを聞いてもらおうかしら」
「お、お嬢様……」
「そうだわ! 国一番の宝石でもおねだりしてみましょう! 王家が管理していたから、今まで手が出せなかったのよね~! でも、あんな綺麗な宝石を仕舞ったままにしておくなんて勿体ない! やっぱり、同じ国一番である私の元にあるべきだわ! 貴方もそう思うわよね?」
「は……はい……」
持ち前の笑顔で皆を虜にするのが、私の喜びの一つ。
下僕達を従えつつ、優雅にパーティーを楽しむ。
丁度酔いが回ってきて、そろそろ例のおねだりをしてみようかしら、と思った頃だったわ。
その時点では、背後に人がいることなんて気にも留めていなかった。
グラスに注がれたワインをもう一度口に含んだその時。
ガチャン、という音と共に私の首元に首輪が嵌められた。
何よ、これ。
そう思った瞬間、目の前に馴染みの男が現れる。
「エルミラ・ミレッカー。君の横暴な振る舞いもここまでだ」
私の婚約者であり、銀髪碧眼の第一王子、クラウス殿下だった。
いつもは私に対して優しい笑みを浮かべているのに、その時だけは諦めに近い目で私を見ていた。
「度重なる他貴族への脅迫と侵略行為。強大な魔法と権力を盾に王家すらも脅かす君を、最早看過することは出来ない」
「く、クラウス!? 何を訳の分からないことを言っているの!?」
「無駄な抵抗は止めるんだ。封魔の首輪によって、君の魔法は全て封じられた」
「っ! 冗談にしたって笑えないわ! 早くこの首輪を外して!」
クラウスの言葉は本物だった。
不覚を取ったあの瞬間から、首輪の力によって全ての魔法を封じられていたのだ。
詠唱はおろか、魔力を巡らせることすらできない。
侵略行為?
脅迫?
冗談じゃないわ。
私は意味不明なことを列挙する彼に抗議する。
けれど周囲の連中は誰も動かなかった。
貴族だけでなく衛兵も、下僕すらも私を助けようとはしない。
「ちょ、ちょっと貴方達!? どうして誰も動かないの!?」
「まだ分からないのか。ならば、彼女を此処に呼ぼう」
パーティーに参加していた全員が、こちらを見ていた。
奇異、憎悪、傍観。
好意的な視線は一つもない。
今まで感じたことのない剥き出しの感情を前に、流石の私も気圧された。
それだけじゃない。
クラウスの言葉に応じて、一人の女が進み出る。
その姿を見た私は、思わず目を見開いた。
「エルミラ、久しぶりね」
「お、お姉さま!?」
カルメラ・ミレッカー。
ミレッカー公爵家の長女であり、私の姉にあたる人。
今日のパーティーには呼ばれていないはず。
それにいつもは薄暗い表情ばかりだというのに、今だけは私を真っすぐに見つめていた。
反抗という名の視線。
その瞬間、私は全てを理解した。
「ひ、酷いわ、お姉さま! クラウスを、皆を誑かしたのね! どんな手を使ったのか知らないけど、こんな非道が許されると思っているの!?」
「非道? 随分な言い草ね? 貴方が私に行ってきた数々の仕打ち、忘れたとは言わせないわよ?」
「な、何の話……」
「惚けても無駄。それは貴方が一番分かっているはず」
動揺の欠片もない冷静沈着な言葉を聞いて、口ごもった。
蔑視という話にも心当たりがない訳じゃなかった。
お姉さまには生まれつき魔力がない。
その体質のために、代々継ぐはずの紅の髪色ではない、漆黒の髪を持って生まれた。
才能のない姉と、才能あふれる私。
生まれた時点で決まっていた事実。
だから優秀な人材を輩出する家系でもあったミレッカー家で、お姉さまは爪弾きにされていた。
私は愛され続け、お姉さまは遠ざけられた。
「自覚はあったわ。私は貴方には及ばない。だから少し前までは、それを受け入れるつもりだった。皆が手を差し伸べてくれるまではね」
「!?」
「貴方、ワガママが過ぎたのよ。今まではその強大な魔力で皆を従えていたようだけれど、御し切れない力なんて誰も望まない。そして周りから愛想を尽かされ、王家にすら危険視されたことに、今の今まで気付かなかった。代わりに私は、私を認めてくれる人達を大切にしたの。こんな私を支えてくれる皆に、自分の出来ることをしてあげたいと思った」
続いてお姉さまに寄り添う女たちが現れる。
彼女達は、前々から私の言い分に反抗していた生意気な男爵令嬢達。
それ以外にも何人かの騎士が、クラウスすらも、お姉さまの側へと歩み寄っていく。
「まさか、こんなに上手く行くとはね」
「思った以上に擁護の声も出てこないし……」
「もしかすると、今までは魅了の魔法で皆を従えていたのかも?」
ヒソヒソと聞こえる声を聞いて、残りの者はバツが悪そうに、その場に立ち尽くすばかり。
まさか、皆がお姉さまの味方だったというの?
あり得ない。
お姉さまには、何の取り柄もないはず。
「そんな……嘘でしょう? 私はクラウスの婚約者で! 次期王妃で! 皆から愛されるはずなのに!」
「……すまない、エルミラ。王家に目を付けられた以上、私もお前を庇い続けることは出来ない」
「お、お父さま!? どうしてっ!?」
一緒に参加していたお父さまも同じだった。
いつもは困ったように微笑む顔が、分が悪いと悟ったのか、焦燥に駆られた表情をするだけだった。
何が起きているのか、全く分からなかった。
訳が分からない。
信じられない。
「どうしてよっ、お姉さま! ここまでするなんて! そんなに私のことが嫌いだったの!?」
「……だとしたら、何だというの?」
今まで私に従ってきた空気が、私を悪と断じるものに一気に反転する。
呆然とする中で、衛兵達に荒々しく肩を掴まれる。
私を擁護する者はいない。
中には嘲笑するような表情をする者もいたけれど、ショックのあまり呆然とするしかなかった。
「この時を以って、エルミラ・ミレッカーを辺境の地へ追放する。無論、君との婚約も破棄させてもらう。君がいつか、本当の意味で自分を省みる日が来ることを祈っているよ」
クラウスから一方的な婚約破棄を告げられる。
それを拒否する権力も、魔法も封じられた。
参加者全員があの場で賛同したということは、既に国王も了承していた話なのかしら。
お姉さまからの冷たい視線を受け、私は辺境の地へと追放された。
誰からの援助もなく、馬車で乱暴に運ばれた先は、森の中にある古びた家屋。
悠々自適な生活から一転、食事すら満足に取れない状況に突き落とされたのだった。
それが昨日のパーティーで起きた、忌まわしい出来事。
●
「脅迫はしたかもしれないけど、魅了魔法なんて使ってないわよ! 脅迫はしたかもしれないけど!」
こんなの絶対におかしいわ。
大体、魅了なんていう雑魚魔法を、私が使う訳がないじゃない。
私にはこの美貌だけで十分。
宝石のように輝く深紅の髪、そして神が創造したとしか思えない愛くるしさ。
才色兼備という言葉が人となったのが、この私。
勿論、男達は全員平伏してきた。
それを魅了魔法だと言うなら、ただの見苦しい嫉妬だわ。
そもそも、脅迫だって同じこと。
生意気な態度を見せたお姉さまや、男爵令嬢達が悪い。
私より陰気で出来が悪いのに、コソコソと他の貴族に接触して、ミレッカー家の品位を貶めようとしていた。
だから脅しただけ。
確かにまぁ、その、少しやり過ぎたこともあるわ。
虫の居所が悪くて酷いことを言ったり、魔法で水を引っ掛けたりしたこともあった。
でもそれは皆だって同じじゃない。
幼い頃からお姉さまはずっと虐げられていた。
お父さまが、そうしていたんだもの。
それが普通だと思っていた。
なのに、私だけが悪者扱いだなんて納得いかない。
挙句の果てに、パーティー中に婚約破棄と追放ですって?
まさか、私一人に全てを擦り付けてお終い?
ハッピーエンド、ってこと?
感情のままに首輪を引っ張る。
ダメだわ、全然外れる気がしない。
国一番の魔法使いでもある、この私の力を完全に封じるなんて。
特注で作り出した封印級の首輪なのね。
鍵穴もないし、きっと第三者の、しかも魔法に精通した人間でないと外せないのだわ。
何という失態。
少しお酒が入っていたからって、背後に気を許していなければ、こんなことにならなかった。
そもそも妙に酔いが回るのが早いと思っていたのよ。
あぁ、憎たらしい。
この首輪さえなければ、天罰という名の報復を下してやれるのに。
お姉さまも、クラウスも、王族を含めたあの場の全員を跪かせてやれるのに。
と言うか、それ以前にお腹が減り過ぎて動く気になれない。
「うぅ……お腹が空いて、何もやる気が起きない……。絶対に、絶対に許さな……」
そう言いかけた時。
コンコン、と遠くで扉の叩く音が届く。
聞き間違えじゃない。
この古びた家屋に、来訪者が現れたのだ。
一体何のためにと思ったけれど、察した私は軋むベッドから思わず飛び起きる。
此処に訪れる理由。
それは分かり切っていたことだった。
そう!
今の状況が冤罪であると、改めて判決が下ったのだわ!
当然よ!
あんな愚かな裁定がまかり通る訳がないもの!
きっと私を屋敷へと連れ戻す馬車が来たに違いないわ!
身体を奮い立たせて部屋を出る。
玄関というにはあまりにも貧相な通路を抜け、勢いよく木造の扉を開けた。
あぁ、ようやくこの薄汚い場所から解放される。
空腹も忘れて、自然と安堵の表情を浮かべた。
「ほら、見なさい! やっぱり、私の無実が証明され……!」
けれど目の前に現れた人物は、私の予想に反したものだった。
「――」
黒い仮面を被った金髪長身男が、そこにいた。
こちらをジッと見下ろし、静かに呼吸を繰り返している。
いや、誰なのよ。
ここは仮面舞踏会の会場ではないのだけど。
ローブを纏う姿は旅人のようにも見えるけれど、私の知人にそんな恰好をする者はいない。
第一、連れ戻しに来たというなら、もっと相応の様相があるでしょう。
ここまで酷い仕打ちをしてくれたのだ。
片膝をつき、泣きながら詫びるのが常識というもの。
それなのに、その場にジッと立っているだけで服従の意志を見せない。
呆気に取られていると、仮面男が頷いた。
「成程。やはり愛とは難しい」
「は……?」
意味が分からなさ過ぎて、私は素っ頓狂な声を上げた。