英雄候補の冒険譚
自分は平凡な人間だ。
日々を懸命に生き、それなりの人生を送って死ねたら幸福だろう。
そんな風に思っていた。
あの日、あの少女に出会うまでは。
「…朝か」
僕は15歳、名前はウィル。黒髪黒瞳の平凡な人間だ。
窓辺から差す日光を肌に感じて、ベッドから身を起こす。
何年も変わらない一日の始まりの動作だ。
適当に手櫛で髪を申し訳程度に整えると、出かけるのに必要な荷物を整理する。
護身用の短剣、小盾、採取用の背負い袋、少しばかりの財産が入った小さな袋、これだけだ。
宿の扉を開くと、手すりにつかまりながら一階へと降りていく。
その最中に、声がかかった。
「やぁ、おはよう。ウィル君」
「おはようございます、マリアさん」
いつも通りの挨拶。
この宿屋の主人であるマリアさんとのやりとりだ。
年齢はおそらく二十台(詳しい年齢は教えてくれない)、銀の長髪に深紅の瞳の女性だ。
白いローブ姿でカウンター越しに気怠そうな笑みを浮かべながら声をかけてくる。
「今日も仕事かい?勤勉だねぇ、偶には休んでも良いだろうに」
「そうは言っても、働かないと食っていけないので…」
「備えはそれなりにあるだろうに。相変わらず生真面目だね」
これもいつものやりとりだ。
自分は思ったことをそのまま口にしただけなのだが、マリアさんは、やれやれと肩を竦めながら苦笑を浮かべている。
「君は勤勉だがもう少し遊びというものを覚えた方が良い。ただ生きるというのは、なかなかに退屈なものなんだよ?」
「覚えておきますけど、動けるうちは動いていたいものなので」
「うーん、勤勉だねぇ。慎重と言った方が良いかな?二等級に上がる気はないのかい」
二等級と言うのは、帝国共同労働者組合…通称、ギルドの階級の事だ。
上から順に特級、一等級、二等級、三等級となっている。
自分は、今のところ三等級だ。
二等級に上がれば、割のいい仕事が大分増えてくるのだが…。
「…魔物の討伐とかやらないといけないんでしょう?命を懸けるのはちょっと…今でも暮らしてはいけますし」
「もう実績は十分に積んだろうに。私は君ならやれると思っているよ」
マリアさんはそう言ってくれるが、自分には踏ん切りがつかなかった。
言葉に詰まっていると、マリアさんは頬杖を突きながら手を振った。
「まぁ、宿代をちゃんと収めてくれればこれ以上うるさくは言わないさ。呼び止めて悪かったね、いってらっしゃい」
「…いってきます」
少しだけ頭を下げて挨拶を済ませると、宿の扉を開いて表へと出た。
行きかう人々とぶつからないようにうまい具合に避けながら、人の多い大通りをまっすぐに進んでいく。
暫く歩いていくと、ギルドのある建物が見えてきた。
このギルドは支部らしいが、この街の建物では指折りの大きさがある。
ギルドに到着すると、街から集められた依頼の張り出された掲示板へと向かう。
狩猟活動や物品の納品など、依頼内容は様々だ。
いつも受けている薬草採取のクエストを受付で受注し、そのまま街の外の採取先である森へと向かおうとすると、見知った顔から声がかかった。
「ウィールくーん、こんにちはー」
「…こんにちは、ローズマリーさん」
恐らくはにこやかに(少し恐ろしいような気がするが)話しかけてきたのは、二等級のローズマリーだった。
歳は自分の二つ上。
赤い長髪、赤いマントをなびかせて、魔法杖を肩に担ぎながら尊大な態度で遠慮なくこちらへと近づいてくる。
「アタシのチームに入る件、考えてくれたかな?今日こそは良い返事がもらえると嬉しいんだけど」
「いや、自分三等級なんで…」
「そんなもの、申請すれば一発で昇格確定よ。あなたが来てくれると、とても嬉しいんだけど」
「…」
「決めきれないって顔ねー…あなた、そういう…」
「おーい!お嬢!仕事の時間だ、行くぞー!」
何かしら言いかけたところで、彼女のチームメンバーの全身鎧の大男から声がかかった。
隠すこともなく舌打ちをすると、彼女は踵を返しつつ一言残した。
「次に会うときは、良い返事を期待してるわよ!」
ほんの少しの疲労感を感じながら、僕は彼女を呼んだ大男の人と目が合って、軽く手を振り合った。
薬の元となる赤い花の採取を進めながら森の奥へと進んでいく。
この森は危険な魔物は少なく、万が一遭遇しても、十分に逃げ切れるような相手ばかり。
街の外では比較的安全だ。
特にトラブルが起こることもなく、これまたいつも通りに折り返し地点にしている中心の湖に到達した。
そこで、自分の日常は変わったのだった。
「はぁ…」
小休止に湖から水を一口ぶん手で掬い、喉に流し込む。
背負い袋の中身を確認すると、おおよそ半分強と言ったところの薬草が入っていた。
「帰り際にも拾えば問題ないな…と」
呟きながら、青空を見上げる。
特に天気が崩れそうな様子もない、今日は予定通りに仕事を終えて帰れるだろう。
そうしていると、マリアさんの言葉を思い出した。
「君ならやれる…か。でも、自分一人くらいならこのままで…」
そんな風に考えた瞬間――突如として、湖の上空に光輝く魔法陣が浮かび上がった。
「!?」
驚いている間もなく、魔法陣は一瞬の輝きを放ち消滅した。
その直後、光の眩しさに対しとっさにかざした手の隙間から見えたのは――。
「女…の、子?」
咄嗟に見えた範囲では、自分と同程度の年齢に見える金の長髪をたなびかせた少女だった。
呆けている時間はなかった。
何故ならその少女は魔法陣のあった場所から自由落下し、派手な水飛沫とともに水面に吸い込まれてしまったからだ。
ややあって、何の反応もないことを確認して顔が青ざめる。
このままでは、間違いなく彼女は溺れ死んでしまう。
「ああ、もう!何なんだよこの状況!」
状況を整理することも許されないまま、僕は少女を助けるために靴と背負い袋を脱ぎ捨てて湖へと飛び込んだ。




