先に逝く者
(三)
永禄四年九月十日・辰の刻過ぎ(午前八時三十分頃)。
相変わらず異様に濃い霧の中で、山本勘助はこの半刻余りの間、どれだけの敵と遭遇し、撃退してきた事だろうか。
戸石城の戦いから十一年後の川中島に立ち、彼は己の老いを痛感していた。
何しろ、もう六十九才だ。
体が思うように動かない。
膝の下が不規則に揺らぎ、蛇行するのを止められない。
溜りに溜った疲労のせいか、随分と軽くした筈の鎧が重く感じられ、立っているだけでも辛かった。
足回りを守っていた雑兵は交戦の度に減り、最早、疎らに取り囲んでいるだけである。
矢を受けた馬から降りた後、勘助は自ら何度となく敵と切り結んだ。若き日に磨い抜いた兵法の腕は未だ彼を支えているが、やはり酷く衰えている。
鎧に覆われていない部分の彼方此方で布地に黒く沁み、足元へ滴り落ちる血の、不快な熱と粘りを感じる。
出陣を申し出た際、勘助は「時の巡りを味方にする」と主に誓い、「ならば此度も年の数だけ持ち堪えよ」と言い返された。
その瞬間、武田信玄は微かな笑みを浮かべた気がする。
乱世に名高き甲斐の虎が、久々に人としての素顔を垣間見せた事が示す破格の信頼を噛み締め、勘助は闘志の炎を掻き立てた。
ここでやらんで、どうする。
何としても誓いを果たし、妻女山から「啄木鳥隊」が戻るまで凌ぐべく奮戦してきたが、途中まで数えていた負傷の数はとうに判らなくなっている。
六十九に届かずとも二十や三十の手傷なら、おそらくは既に己が体へ刻まれているであろう。
その上、溜った疲労が奪ったのは個々の痛みだけではない。意識が朦朧とし、肝心要の「時」の感覚が失われつつある。
できるものなら腰を下ろし、ほんの少しでも休みたい。
しかし、隊が移動する足を緩めたなら、組みやすしと見た敵が一層集い、殺到して来るだろう。
何せ頼れる友軍は、もう近くにいないのだ。
先程まで行動を共にしていた武田信繁の隊とは、押し寄せてくる敵を視界に捉えた時点で袂を分かっている。
主力の援軍として迎撃に参加する信繁に対し、勘助の役目は適宜に遊撃を繰返し、味方陣営の間を行き来して相互の連携を保つ事にある。
別れるのは当然の選択と言えよう。
問題なのは、敵が押し寄せてくる勢いである。
上杉謙信は、濃霧の為に出遅れた分を取り返すべく足軽隊を分割して再編成。
前衛を突進させて敵戦力を削り、消耗すると直ちに後衛と交代させる特殊な陣形を敷いていた。
一度退いた部隊も、他の部隊による攻撃が一巡するまでに体勢を整え、再び前に出てくる。その交代の回転数を上げる事で、上杉軍全体が前進する速度、圧力が飛躍的に増していた。
一方、飯富昌景、内藤修理ら武田軍前衛は常に鋭気十分な敵兵の猛攻で後退し、分断されて各自孤立、延々と守勢に立つ悪循環へ落ち込んでいく。
後の世に言う「車懸りの陣」である。
視界が確保し難い状況で進攻を急ぐには最適の策であり、この調子で行くと「啄木鳥隊」が駆け付けるより早く信玄が座す旗本本陣へ到達するのは自明に思われた。
信繁は危機感も露わに旗下へ進撃を命じ、綻びかけている鶴翼陣形を補強しようと試みる。
勘助も乱戦に身を投じ、上杉軍が圧倒的に優勢のまま、辛うじて自陣の完全崩壊を防いできたのだが、最早限界と思われた時、霧の向うで銃声がした。
若干だが風が出てきているから、最前線辺りでは霧が薄くなり、飛び道具が仕えるようになったのだろう。
あの厄介な「車懸り」が一層勢いづくに違いない。
勘助が耳を澄ますと、彼方に人の叫びも聞こえる。
「我こそは武田左馬助信繁なり。度重なる兄者の御恩に、今こそ報いようぞ」
血を吐く様な雄叫びは、鳴り響く銃声の連続に呑み込まれ、どよめく敵兵の歓声へ変わった。
あぁ、身罷られたか、典厩殿。
確信と悲哀が同時に胸を突き、勘助は天を仰いだ。
あれ程の器を持つ男が、敵将の刃ではなく一介の足軽が放つ銃弾に倒れたのだとしたら、余りに理不尽で惨い成行きに思える。
しかし、戦の形が大きく変わりゆく過渡期に生を受けた以上、それもまた「時」の必然かもしれない。
一層切なく感じられるのは、死の間際に名乗りを上げ、兄との絆を叫んだ信繁の心根だ。
勘助の知る限り、信繁は信玄をあくまで主君として敬い、一度たりとも人前で兄と呼んだ事は無い。
呼べない事情もあった。
信玄が武田晴信であった昔日、二人の父である信虎が信繁の方をより高く評価し、跡取りと見なしていた事実は本人達の意志に関わらず、どうしても後を引いてしまう。
晴信が武田家の実権を握った後も、引きずりおろして信繁を主君へ担ごうとする動きが一部の重臣にあり、今川家で軟禁中の信虎もそれを望んでいた筈だ。
家督を巡る骨肉の争いは戦国の習い。
その上、晴信を含む家中の全てが認める天賦の才に信繁は恵まれていたから、何をしようと腹を探られる立場にいた。
誰に対しても心を押し隠し、ひたすら忠義を強調する他、途は無かったであろう。
そうしなければ何時粛清されるかも知れない、寄る辺なき立場に信繁はいたのだ。
威厳溢れる容貌の下、主従であり、兄弟でもある二人が甲斐人特有の情の濃さと繊細さを秘め、密かに苦しんでいた事実を勘助は知っている。それを知り得たのは、外から来た根無し草の俺だけ、との自惚れもある。
自然と叫びが聞こえた方角へ足が向いた。
今更、何も出来ぬにせよ、信繁の為に一矢報いたい気持ちが止められなかった。