スイレンの葛藤
「ふう……」
(やはり私が意見すべきことではなかったな)
カンパニュラはスイレンの様子を見て反省する。つい老婆心を働かせてしまったものの余計に悩みを深くしただけだったようだ。自分が言った程度のことなど彼女はとうに思案していただろうに。
ただ、しかたがないことでもある。
なにせ彼は昔、スイレンを──
「……やはり一度、先生の元を訪ねてみます」
「ココノ村へ?」
「ええ、陛下からはいつでも良いと言われていたのですが、なかなか決心がつかず今まで先延ばしに。でも、ようやく決断できました」
きっと師に遠慮していたのだろうな。察したカンパニュラは胸中でのみ苦笑を浮かべる。彼女は昔から慎み深い。
「では、この書類だけチェックをお願いします。問題が無ければ後は我々が仔細を詰めて進めておきますので」
「例の試算ですね」
「ええ」
書類の束をスイレンに渡し、頷くカンパニュラ。二年前の決戦の後、世界はその姿形を変えた。球体の中に作られた平らな世界だったものが球体の表面に変化したのだ。
もっともマリア・ウィンゲイトが成したその奇跡は自分達人間のようなちっぽけな存在にとってなかなか実感し難い。海の向こうに別の大陸が見えなくなったことで世界が丸くなったのだなと時折思い出すくらいだ。
ところが、より大きな──たとえば東の大峡谷にかけた橋のような巨大構造物には問題を生じさせてしまった。大地が緩やかに弧を描くようになったことで、どうも橋の一部に余計な負荷がかかっていたらしい。
そのため先日、橋が壊れた。
完全に崩落したわけではないのだが、しばらくは通行禁止にせざるをえない。魔道士を動員したとしても復旧までにはかなりの時を要する。スイレンが今読んでいるのは、より具体的にどの程度工期が必要か、予算はどれだけかかるか、そして莫大な工費をどこから捻出するかといった案を取りまとめたものである。
彼女は別にその道の専門家というわけではない。けれど師ロウバイに他の生徒より長く学んだことで様々な分野の深い見識を有していることは事実だ。そして当然、師の後継となったことで王からの信頼も篤い。彼女が良しと言えば、その一言が王の承認を得る助けとなる。これはロウバイがいた頃から続く、この国独自の慣習。
やがてスイレンは書類の束をまとめ直し、机を二度三度と叩いてきちんと端を揃えるとカンパニュラに向かって返却した。
「見た限り、問題はありません」
「ありがとうございます。では、この通り王に提出いたします。スイレン様はタキアで羽を伸ばして来てください。先生にもよろしくお伝えを」
「はい、それはいいのですが」
「駄目ですよ」
彼女が言いたいことを察し、皆まで言わせず釘を刺す彼。
彼女は今までで一番深いため息をついた。
「やはり駄目ですか」
「ええ」
スイレンはこう言いたかったのだ。
昔のように、もっと気さくに接してくれと。
けれど彼女は大賢者ロウバイの後継。王と王妃に続く権力者。王子の教育係も任されており、その影響力は絶大。
そんな彼女を昔のように“妹扱い”するわけにはいかない。たとえ本人が望んでいるとしても。
──ロウバイは身寄りのない子や、事情があって親許にいられない子供を自分の屋敷で養っていた。カンパニュラも彼女に拾われた戦災孤児の一人。
スイレンには親がいたが、自ら望んでロウバイに弟子入りし数年間彼や彼の兄弟達と共に生活した。あの頃の仲間にとってスイレンは家族の一員であり誇りなのだ。
「兄代わりだった者として、もう一度だけ忠告を。立場を自覚しましょう。今のあなたは私達の妹でも姉でもない。我が国が誇る賢者の後継。生錬の魔女の二つ名をもらった王の腹心なのですよ」
「……はあ」
カンパニュラが去った後、しばし間を置いてスイレンも執務室を出た。そして今しがた王に暇を告げ、改めてタキア訪問を許可してもらったところである。
「向こうにも連絡しておかなければ」
ミツマタやユリはいきなり押しかけて村の人々を驚かせたそうだが、自分はそのような不作法はしない。村を訪れる前にタキア王にも挨拶をしておいた方がいいだろう。まずはその旨、正式に申し入れる。
(しかし便利になったものだ)
通信室と名付けられた部屋。ここには、この広い城においてもまだ一台しか設置されていないゴッデスリンゴ社製長距離通信装置がある。見張りの兵士達は彼女の顔を見るなり敬礼。
「スイレン様!」
「ご用件を、お聞かせ願います!」
「所用でタキアへ出向くことになりました。そのための連絡です」
「はっ、了解です! どうぞ!」
「ありがとう」
彼等が開けてくれたドアから中へ入る。そこには若い女性が一人座っていた。
「あら、スイレン様」
「ホトトギスさん、またお願いします」
彼女はこの通信機を開発した魔道具メーカー・ゴッデスリンゴの人間。便利な装置ではあるのだが、相手との距離が遠いほど通信が不安定になるという欠陥が残っており、解決に向けたデータ収集のためイマリに常駐し続けている。
一応身綺麗にはしているのだが、黒髪は伸ばしっぱなしで目の下にはいつもクマがあり、どうにも不健康な印象が拭えない。
けれども仕事はできる人物で、タキア王城への接続を頼むとあっという間に大陸の反対側の国と繋いでくれた。
「──というわけで、入国を許していただけないでしょうか」
『構いませんよ。ロウバイ様のお弟子さんなら遠慮は必要ありません』
「ありがとうございます」
『いえいえ、事前にこのような連絡を入れていただけることの方が稀ですからな』
はは、と乾いた笑い声を向こう側で上げたのはタキア王その人。ミツマタやユリら七王に軽んじられているような、そんな気がしてしまうのだろう。
なんとも言えない。あの二人の場合、そこまで気が回っていないだけだとは思うのだが。
ともあれすんなりと向こうの許可も下りたので、次はココノ村に繋いでもらうよう頼む。するとホトトギスは渋い顔をした。
「スズラン様か……」
「いえ、今回は先生に相談を……」
「でも、スズラン様のいる村でしょ?」
「え、ええ、まあ……」
どうもこの女史、スズランに対し複雑な想いがあるようなのだ。詳しくは聞いたことがないのだが、父親が昔キョウトの魔道士隊にいたとは聞いたことがある。それと関係あるのかもしれない。
(この人にはなんとなく訊き辛い。スズランさんにそれとなく訊ねてみよう……)
彼女が“最悪の魔女ヒメツル”で女神の生まれ変わりだとわかってからも友人としての交流は続いている。今回も師だけでなく彼女の意見を伺うつもりだった。
『どうぞどうぞ、お待ちしてます』
通信に出たのはカタバミ。師とスズランに伝えておいてくれるらしい。彼女に久しぶりに会えることも楽しみである。亡くなった弟さんが自分と同じ名だったそうなのだ。その話をスズランから聞いて以来、こちらも親近感を抱いている。
「さて、では行ってきます」
「え? 早速?」
「あまり長く国を離れたくないもので」
先程のように文官達に対するアドバイザーとして働いている彼女だが、その他にも騎士達への剣術指導、王子の教育係、さらにはロウバイが養っていた子供達の世話までも引き継いでいる。仕事は常に山積み状態。
「そのうち過労死しますよ」
常に疲れた顔をしているホトトギスにまで呆れられ、苦笑いと共に言葉を返す。
「大丈夫です。私には先生から学んだ医術と治癒魔法がありますので」
「そういう目的で使うもんじゃないと思いますけどね、絶対」




