十二月二十五日
本当の誕生日は十二月二十五日。
マリア・ウィンゲイトとして覚醒した瞬間、スズランは自分が生まれた経緯をも知った。やはり心の奥底に自分のルーツを知りたいという欲求があったのだろう。神の力がそれに応えた。
そして実母の名と、彼女の身に降りかかった不幸を知った。
実の父親の名と、その所業と共に。
「母は、この屋敷で働いていた。そうですね?」
「は、はい……」
隠しても無駄だと悟ったのだろう。実父は素直に認める。
彼女の名はコチョウ。美しいが生まれつき脳に障害を抱えていた娘。両親を火災で失い、天涯孤独の身になった彼女は当時の領主だった先代の厚意で屋敷の使用人として雇われた。父親が彼の知己だったことも理由である。
コチョウは普通の人間より頭の回転が鈍く、察しも悪かった。けれど真面目な性格だし物覚えは悪くなかった。教えたことはきちんとできるようになり、けして仕事で手を抜くような真似もしなかった。
彼女は先代に気に入られていたし周囲も温かく接していた。そのままなら、幸せで平穏な一生を過ごせたに違いない。もしかしたら誰かと結婚できたかもしれない。ヒメツルはその家の子として生まれ育ったかもしれない。
そんな可能性を、目の前の男が摘んだ。
「貴方は父親の目を盗み、何度も母を自分の部屋へ連れ込んでいた。欲望の捌け口に使い、それでいてあの人が私を妊娠すると、事実が明るみに出ないよう追い払った」
いや、追い払ったなんて言葉では生温い。
捨てて来たのだ、犬猫のように。
「母は貴方を慕っていた。その感情を利用して連れ出しましたね。皆に内緒で二人だけで旅をしようと言って。母はその言葉を信じ、貴方が用意した木箱の中に隠れた。
貴方は祖父も騙した。将来のため勉強したい。そう言って宝石の取引を装いカシマまで足を運んだ。けれど本当の行き先は別。あなたは木箱の中に隠れさせていた母をカシマの隣国で降ろし──置き去りにした」
彼女は当時十七歳。けれど知能は幼子。帰り道などわからなかった。自分が住んでいた街の名前さえ知らなかった。
クルクマの故郷でクーデターが起きてから四年目。あの地域はすでに地獄だった。彼はその地獄の中で母が死ぬことを期待したのだ。犯罪の証拠を隠滅するために。
この男は母の体を弄び、そのくせ保身のために切り捨てた。何もわからない少女を遠い異国で置き去りにした。彼女を探す祖父や他の使用人には山へ迷い込んでしまったのではないかと空々しく訊ねたらしい。そして、あらかじめ用意しておいた服の切れ端を捨てて他の者達に見つけさせ、深い谷底に落ちて死んだのだと思わせた。
それが事実。神になったことで知った真実。
「も、申し訳ありません、でした……」
領主はその場に膝をつき、頭を垂れる。ウィンゲイトの力がその内心を見透かす。罪の意識はあるらしい。けれど、それ以上に自己を案じる気持ちが強い。情けない。こんな男が父親だなんて。
悲しいことに先代当主はもういない。七年前に他界した。祖母も十年前ならまだ生きていた。
会いたかったのに。血の繋がる祖父母に一目でいいから会ってみたかった。
この男は領民達から慕われている。名君とまでは言わないものの、けっして民を虐げることのない優しい領主様だと。
母と自分を地獄に突き落としておいて、ずっとここで善人面をしていた。
許せない。どうしたって許せない。
なのに──
(私の中の彼女が私を止める。彼を殺させてくれない)
悔しさで気が狂いそうだ。この手で消し去ってやりたい。今の自分になら簡単にできる。実母の仇を討てる。
けれど自分は、スズランであると同時に万物の母マリア。
マリアに彼は殺せない。彼もまた彼女が愛する夏流 賢介の一部だから。
「……贈り物は受け取りました」
「っ!」
顔を上げる領主。一瞬、瞳が輝いた。許されたのかと期待して。
しかし、すぐにその顔は恐怖と後悔の念で歪む。
見なければ良かったと。
「二度と私に関わらないでください」
彼は、慈悲深きはずの女神に憎悪の眼差しを向けられ震え上がった。失禁して嗚咽まで漏れ出す。上手く呼吸できない。圧迫感に逆らって鼓動を刻む心臓は破裂しそう。
いっそ死んでくれれば。そう思いながらスズランは実父を睨み続ける。
殺しはしない。それならマリアも許してくれる。
「私は貴方を忘れます。そうしなければ殺してしまう。怒りで世界を滅ぼしてしまいかねない。だから警告に来ました。
もう一度言います。絶対に、二度と私に関わらないでください。次は我慢できるかわからない」
それが彼女にできる最大限の譲歩。
(記憶を消すこともできる……でも、消してやらない。せめて苦しみなさい。お母さんが味わった恐怖と痛みを一生かけて理解すればいい)
彼は結婚してないらしい。子もいない。
良かった。
不幸になるのは、この男だけだ。
村に戻ると、もう夜中だというのに両親とクルクマが起きて待っていてくれた。
「……殺さなかったよ」
何をしてきたか、過去に何があったのか、ようやく全てを打ち明ける。
それから母の胸に飛び込んで泣いた。
「えらいわ……そんな人、スズが手にかける価値なんて無いのよ。よく我慢したわね」
「頑張ったね」
優しく頭を撫でてもらって、心の中の荒波が鎮まり始めた。何もかも憎みそうになっていた自分が自分に戻っていく。
「なんだ、あーしと同郷じゃなかったのか、残念」
クルクマは冗談を言って和ませてくれた。下手なそれに、無理矢理笑いながら言い返す。
「別に構いませんわ。生まれたのはカシマだし貴女と同郷ということにしておいて。あの街の方が、あいつの治める土地よりずっとマシ」
「スズちゃんにそう言ってもらえるなら故郷の連中も喜ぶよ」
微笑しつつ、かつてヒメツルの過去について訊ねたパン屋の女将のことを思い出すクルクマ。名案だと思って提案する。
「今度、またあのパン屋に行ってみない? 女将さんも会いたいだろうしさ」
以前、お披露目の後で一度だけ足を運んだことがあるのだ。お忍びで。
「そうですね……行きましょう」
「あら、カシマへ行くの? なら今度はお母さん達も行きたいわ」
「お父さんも一度、スズが生まれたところを見てみたいな」
「うん、ショウブも連れて、みんなで行こう」
自分には家族がいる。
血の繋がらない、けれども最高の家族が。
それに──
【ママ……元気出して】
「ありがとう、ミナ……大丈夫、すぐ元気になるから」
今はこの胸の中に、もう一つの家族も宿っている。
(だから安心してね、お母さん……私、生まれて来て幸せだよ)
実の父なんてどうでもいい。愛する人々と一緒にいられることこそ自分の幸せ。
その時、スズランは思いつく。
「そうだ──」
「ん?」
「お父さん、お母さん、ちょっと相談があるんだけど」
一ヶ月後、ココノ村の墓地に墓が一つ増えた。コチョウと名が刻まれたその墓には村民達の手で常に花が供えられ続けたという。
彼女の娘は言った。
「ずっと先のことだけど、私が死んだら遺灰は半分こっちに入れて。こっちのお母さんも寂しがらせたくないの」
墓前で手を合わせる時、彼女はいつも幸せそうに笑っていた。




