第7話 灰色建設の退職者
振太が足手まといと化したこと以外にも、総務課は問題を抱えていた。
振太の後に雇われた事務員が立て続けに退職する中で、先輩社員が1人辞め、さらに総務主任が寿退社を申し出たのだ。
灰色建設は、実質的にはブラック企業なので、機会があれば退職しようとすることは当然だった。
総務課長は、主任に頼み込んで、退職を待ってもらいながら、社長に即戦力となる人員の補充を直談判した。
振太に総務主任の代わりができるはずがないので、使える人間を雇うことは当然の措置だろう。
社長は、営業マンだった時代の人脈を使って、同業他社で働いた経験のある、ベテランの事務員を1人雇い入れた。
そして、課長は、ベテラン事務員に追加して、新たな事務員を2人同時に雇うことも進言していた。
これは、振太も退職するリスクを織り込んでの措置だった。
ただし、総務課長は、振太が退職を示唆したことを、社長に伝えなかったのだが……。
社長は、課長の進言を受け入れた。
振太が足手まといになることは、採用を決めた社長にとっても意外なことでなく、その方が振太にとって良いと判断したのである。
転職して入社したベテラン事務員は、退職前の総務主任から仕事を教わり、急激に灰色建設の仕事ができるようになっていった。
引き継ぎを終えて、総務主任が退職した後で、新人2人が入社すると、振太は一気に暇になった。
ベテラン事務員は、振太にできる仕事など、簡単に覚えてしまった(ように見えた)。
そして、雑用は新人に任され、振太の手元に、仕事はほとんど残らなかった。
この時、振太は、社内失業という言葉を初めて知った。
しかし、たった2週間で、振太に仕事の一部が戻された。
それは、新人の片方が退職してしまったからだ。
なお、これは、振太にとって3人目の後輩の退職だった。
辞めた3人は、揃って、1ヶ月も勤めずに会社を去ったのである。
この頃になると、鈍い振太であっても、灰色建設の異常さに気付いていた。
気付くのが遅すぎるが、振太は、総務課の後輩がすぐに辞めることについては、軽く考えてしまっていたのである。
というのも、総務課に入る者は、建設会社に勤めた経験の無い者ばかりだったからだ。
やはり、建設業界は厳しい。
他の業界から来たら、ビックリするのは当然だよな……。
振太は、その程度の認識だった。
少しだけ、自分の忍耐力について、誇らしい気分になったほどだ。
飲食店のアルバイトの中には、勤め始めて1日で辞めてしまう人だっていた。
そんな環境でフリーターを続けると、「長く勤めることが正しい」という感覚になってくるのだ。
頭では、1日で辞める方が正しい会社も存在することは、知っているつもりだったのだが……。
環境が影響して、早期退職者に慣れている振太だったが、他の部署の社員については、違和感を覚えていた。
特に工事部については、転職者のほとんどが、他の建設会社の社員だった者達だ。
しかし、経験豊富なはずの者達が、たったの数ヶ月で辞めてしまうのである。
あまりにも異常で、振太が最もおかしいと思った要素だ。
営業部だって、似たようなものだった。
入る者は、ほとんどが営業マンだった者達であり、営業するために入社したはずだ。
だが、やはり数ヶ月で退職してしまうのである。
振太は父親に言った。
建設会社というのは、せっかく正社員として採用されても、こんなに人が辞めるのか。噂に聞いていた以上だ、と……。
すると、振太の父親は、非常に驚いた様子で言った。
「お前が勤めている会社は、そんなに社員が辞めるのか? それは、あまりにも酷いな。かなりおかしい会社だ」
その時、サラリーマン失格の男と、昭和のサラリーマンの意見が初めて一致した。
灰色建設は酷い会社だ。
退職に向けて動いた方が良い。
実は、振太の父親は、灰色建設が時代遅れの非常識な会社であることに、かなり前から気付いていた。
だが、フリーターだった自分の息子が採用された時点で、問題のある企業だということは、当然のことだと理解していた。
そして、ちょっとしたパワハラ程度で逃げ出すようであれば、振太に将来は無いと考えていたのである。
だから、灰色建設をフォローするような発言を繰り返したのだ。
振太が入社して少し経った頃に、社長の問題発言を伝えたところ、父親は「昔の男は、そういうことを言うものだ」と言った。
その発言を聞いて、振太が、社長は氷河期世代の人間であることを伝えると、父親は非常に驚いた様子を見せた。
灰色建設の社長の言動は、昭和のセンスに近いものだったのである。
昭和の時代、社長は、まだサラリーマンではなかったはずなのだが……。
優秀とされるサラリーマンは、上司の言うことを、無条件に鵜呑みにして、実行する場合がある。
振太は、悪い文化も完全に受け継いでしまう、日本のサラリーマンの恐ろしさを知った。