第6話 灰色建設の総務課長
振太は、雑用でない仕事を任された途端に、自分がこの会社に向いていないことに気付いた。
与えられた業務に、全く集中できないのである。
振太の上司である総務課長は、「電話を取るのは総務課の仕事だ! 電話が鳴ったらワンコールで取れ! でないと相手に失礼だ!」と繰り返し言った。
そのため、電話が鳴ったら、一瞬で取れる体勢でいる必要があったのだが……振太の仕事の能率は、極めて悪いものになった。
振太は、今やっている作業に没頭するか、全く集中できずに作業をするかという、極端な性分だったのである。
没頭していれば、周囲の音が聞こえなくなるし、集中していないと、進みが遅くミスを連発するのだ。
おまけに、振太は対人スキルが低いため、電話対応も上手くなかった。
さらに、仕事を教われば教わるほど、振太は「仕事ができない社員」と化していった。
灰色建設には、似た書類が何種類も存在しており、処理方法も紛らわしいため、少しでも気を抜くと、何の意味もない作業を行うことになってしまうのだ。
そして、皆が異常なほど忙しいために、仕事を丁寧に教わることは出来なかった。
総務課長は、「分からないことは、すぐに質問しろ!」と言い、質問すると「この程度のことは自分で考えろ!」と言う、典型的な駄目上司だったのである。
結果として、振太はミスを繰り返す。
酷い時には、全ての作業をチャラにするための「新たな仕事」を大量に生み出し、改めて最初から仕事をする必要を生じさせた。
完全に足手まといだった。
総務課長は、振太の使えなさに呆れ返った。
そして、「お前には、仕事を改めて教え直す。だが、今は忙しいから、とりあえず1種類の書類の処理と、雑用だけやってろ」と命じた。
しかし、灰色建設の管理職は、週1日の休みで、長時間残業をしているのである。
丁寧に仕事を教える時間など、確保できるはずがない。
それは、総務課長の下で働いている総務主任や先輩社員も同じだった。
総務課は、灰色建設の中では主任や平社員が頑張っている部門だったが、それでも極めて多忙な状態だったのだ。
あまりにも申し訳ないので、振太は総務課長に、退職を考えていることを伝えた。
しかし、課長は、振太に言い聞かせるように言った。
「二戸、ここで諦めてどうする? お前はずっとフリーターだったから、簡単に仕事が出来るようにならないことは当然だ。休みの日に作業を振り返るとか、そういう努力をすれば、時間がかかっても改善していくことは可能だろう? お前は、そういう努力をしているのか?」
総務課長は、これを善意で言っていた。
それは、課長自身が、そうやって仕事ができるように成長してきたからだろう。
そう……課長は、社長が言っていることを、正しいことだと認識していたのである。
仕方がないので、振太は、家で自習を繰り返した。
それにより、彼の仕事は少し改善したが……元々の適性の低さは、最後まで克服できなかった。
自習の強要も含めて、1つ1つの出来事について「日本の社会常識」からのフォローが可能であるところが、「グレー企業」の怖さだと言っていいだろう。
灰色建設の平社員が一番苦しんでいるのは、管理職からのパワハラなのだが、仮にそれをパワハラとして訴えても「大したことじゃない」「他の会社でもよくある」「お前も悪い」「甘えているのではないか」「そのうち慣れる」「細かいことを気にしすぎだ」「上の人間だって大変だ」「結果を出してから文句を言え」等々、いくらでも指摘や反論が返ってくるものなのである。
明白なブラック企業であれば、こうはいかない場合もあるはずだ。
例えば、社長が社員を殴って骨折させたら、社長は傷害罪で逮捕されるだろう。
家族などの身近な人間だって、すぐに退職することを勧めるに違いない。
膨大なサービス残業であれ、常識を逸脱した連勤であれ、一部のブラック企業慣れしている人以外は、退職を勧めるはずだ。
ちなみに、労働基準法を守れば、最大でも12連勤が限度のはずである。
暴言にしても、内容が酷いものであるほど、退職を勧められる確率は高まっていくだろう。
言い方や状況にも左右されるが、「お前には生きている価値が無い」とか、「死んで償え」などといった発言はアウトである。
しかし、サービス残業が毎月10時間ならば、どうだろうか?
無論、法的には問題である。
だが、それを問題視する社員の方が、問題社員扱いされるのが日本の実態ではないだろうか?
特にパワハラの場合、内容によっては、逆ギレ扱いされることも珍しくないだろう。
振太のように、「自分が罵られたわけではない」場合など、精神的被害の深刻さについて、理解してもらうことは困難である。
明確にブラック企業だと断言する根拠が乏しいことこそ、「グレー企業」の大きな問題点なのである。
振太には、そもそも「日本の社会常識」が狂っていることを、「グレー企業」の存在が裏付けているように思えた。