第5話 灰色建設の実態
振太が職場に来て、管理職達は困惑した。
今まで灰色建設に雇われた者と比べると、全く雰囲気が違ったからだ。
「凄く場違いな奴が来たぞ……?」
彼らは、そう思ったに違いない。
そして、彼らは、パワハラにはリスクがあることを知った。
訴えられるリスクや病気になられるリスク、そして自殺されるリスクである。
といっても、一般的に、これらのリスクは重視されないものだ。
そもそも、パワハラをする人間の大半は、自分が悪いことをしている自覚が無いのである。
悪いと思っていないことを、改善することはできない。
では、灰色建設の管理職の認識が、他社に比べて極端に甘いのかといえば……非常に残念なことに、そうとは断言できないことも事実だろう。
日本では、パワハラのリスクは、それほど高くないのだ。
極端なことを言うと、会社ぐるみで口裏を合わせれば、逆恨みによる嫌がらせだと主張することだって可能である。
録音されると多少は不利になるが、数千万円の賠償をしなければならないリスクなど皆無に等しいので、会社が潰れるような恐れは無いと言っていいはずだ。
パワハラを受けた者が、うつ病を発症したり、自殺したりすると、会社にとってのリスクは高まる。
だが、「パワハラ自殺で会社が潰れた」などということは、滅多に起こることではない。
本来であれば、振太はパワハラに耐えられず、うつ病になり、訴訟に発展していたに違いない。
だが、そうなる前に、社長は管理職達に警告した。
「何かあったら、責任は取ってもらうからな?」
社長が振太を採用したのは、これを狙ってのことだった。
社長からの警告を受けて、管理職達は、パワハラのリスクに初めて気付いた。
何よりも、「振太がパワハラを訴えたら、社長に怒られるかもしれない」ということが、管理職達にとって最も怖かったはずだ。
その影響もあって、管理職達のパワハラは、若干改善した。
劇的に改善したわけではなく、徐々に改善していったのだが……。
波紋を広げつつも、振太は総務課に配属され、事務員として働き始めた。
最初は雑用だけを任されたが、会社は猫の手も借りたい状況だったので、バイト並みの仕事であっても、迷惑がられることはなかった。
しかし、振太は、すぐに強い違和感を覚えた。
灰色建設は、今まで振太がいた世界と比較すると、異世界に近い場所だったのである。
社内では、頻繁に怒鳴り声が響いていた。
管理職は、自分の部下に対して、「お前がやってることは仕事じゃねえ!」「馬鹿野郎、ちょっとは自分で考えろ!」「仕事中に、何度も便所に行くんじゃねえよ!」などの、ブラック企業そのものの発言をしていた。
自分からそれほど離れていない場所で、こんな暴言がしょっちゅう吐かれている場所で仕事をするのは、大変な苦痛である。
こんな環境で仕事をさせられること自体が、もはやパワハラだろう。
普通に考えれば、社内の実態を知った時点で、振太は退職すべきだった。
だが、振太は退職しなかった。
原因は色々とあるが、一番の原因は、振太の認識が甘かったことである。
振太は、「日本の企業には、こういう会社が多いんだろうな」と思っていた。
彼自身がパワハラを受けていなかったこともあり、「サラリーマンの洗礼」程度の認識しかなかったのだ。
サラリーマン経験が無く、比較対象が飲食店のアルバイトのみだったので、灰色建設が「厳しい会社」の標準から逸脱していることに気付くのが遅れたのである。
振太の父親は昭和のサラリーマンなので、灰色建設の内情を話しても、「その程度のことは普通だ」「どこでもやっていることだ」「そんな些細なことを気にしていたら、サラリーマンはできないぞ」などと言った。
管理職の過重労働についても、「昔は休みが週1日だった」「会社に泊まることなんて珍しくなかった」といった発言をしていた。
ただし、後になって、振太の父親ですら、灰色建設のことを「酷い会社だ」と評価するのだが……。
灰色建設でサラリーマン人生を始めてしまった振太は、すぐに行き詰ることになる。
これは、客観的に見れば、退職するチャンスだった。
しかし、振太はその機を逸した。
それこそが、「グレー企業」の恐ろしさだと言えるのである。
※なお、いわゆるパワハラ防止法が施行されたのは、振太が灰色建設を退職した後である。