第3話 灰色建設の社長
灰色建設の社長は、いわゆる就職氷河期世代の人間である。
日本がどん底の状態だった時代に、営業マンとして多くの契約を獲得した実績を、今でも誇りとしている人である。
一言で言えば、「伝説の営業マンだった社長」だ。
その話を聞いた時には、凄い人だ、と振太も思った。
しかし、この社長には、こういう人にありがちな弱点があった。
それは、自分と同じ努力と能力を、自分の部下にも求めてしまう、という弱点である。
社長は、ことあるごとに言った。
「売れないのはお前ら自身が原因だ。時代のせいにするな!」
「わざと目標を低く設定して、楽をしようとするな。そんな甘ったれた根性だから売れないんだ!」
「土曜日を休みにしたら売り上げが落ちた。だったら休むな!」
「お前らのことだから、夜には飲み屋に行って、愚痴でも言っているんだろう。そういう奴は、一生売れるようにならないぞ!」
「休みの日に何をしているんだ? 売れない奴は、休みの日を使って勉強するべきだ!」
「わが社のお客様は、数百万円、数千万円を支払ってくださっているんだ。何よりも大切にすべき存在だ! お客様が離れたら、お前らのせいだ!」
「工事現場を、工事の担当者だけに任せるな。売って終わりだと思うから、いつまで経っても成長しないんだ! 休みの日であろうと、お客様のことを忘れるな!」
「以前は、大雨で現場に雨漏りが発生した際には、夜遅くでも社員の大半が駆け付けて対応した。そういう気持ちが大切なんだ!」
常に、こんな調子である。
これでは、付き合っていられないと思うのは当然だろう。
社長の頭の中は、明白なブラック企業だった時代から、ほとんど変わっていない。
はっきり言えば、灰色建設が「グレー企業」なのは社長が原因である。
社長は、氷河期世代の人間だ。
だから、会社など、簡単に潰れることを知っている。
多くの会社で、リストラにより、職を失う人がいることも知っている。
あえて良い表現を使うなら、ハングリー精神がある、と言えるだろう。
だが、一連の発言を知っていて、灰色建設で働きたいと思う人は、ほとんどいないはずだ。
私生活の全てを犠牲にして働く時代など、とっくに終わっている。
法律の話をするならば、社長の命令でプライベートな時間を仕事のために使ったら、給料を支払わねばならないのが本当のところである。
要するに、社長は「休日は自分からサービス残業をするのが当たり前だ!」と言っているようなものなのだ。
とんでもないパワハラ発言だが、現実には請求するのが難しいので、灰色建設に限らず、泣き寝入りするサラリーマンが多いのが実態である。
法律のことは置いておくのであれば、社長の発言には、多くの「本当のこと」が含まれていた。
1ヶ月の売り上げが0円である営業マンの側にも、問題があることは確かだろう。
しかし、相手が営業成績の悪い社員であっても、パワハラが許される時代ではないのである。
本当は、業務時間内に、売り上げを増やせるように指導するべきなのだ。
だが、社長に苦言を呈すことができる者はいなかった。
そして、多くの社員が、静かに去って行った。
ひょっとしたら、昭和のサラリーマンは、「今時珍しい、やる気のある社長だ!」と、灰色建設の社長を称賛するかもしれない。
だが、会社の売り上げは落ちる一方だったので、とても褒めるに値する社長ではないだろう。
単純に、営業マンが退職して減り続けたから、売り上げが落ちたのは不思議なことではなかった。
なお、灰色建設の売り上げが最高になったのは、消費税が引き上げられる少し前である。
建設の契約は高額なので、消費税が上がる前に契約しておこうとする人は多いのだ。
そうして、駆け込み需要を獲得すれば、反動減があるのは当然だろう。
だが、社長の頭には、「増税前は普通ではなかった」という考えはなかった。
すぐに売り上げを回復させて、記録を更新することばかりを求めていた。
現実離れした結果を求められたために、営業マンの士気が下がってしまい、むしろ売り上げが落ちていることを、認識できていなかったのである。
そんな社長だが、「この会社を変えたい」という考えは持っていた。
だったら、まずは社長を変えろと言いたいところだが、そんなことを言える人間はいない。
会社を変える手段の1つとして、社長が目を付けたのが振太だった。
社長が振太を気に入った理由は、いくつかあった。
例えば、振太が、少し名前の知られている大学を卒業していたことだ。
東大や早慶のような、立派な大学には遥かに及ばないが、灰色建設にとっては、それなりの高学歴だったのである。
ちなみに、社長の時計はロレックスであり、スーツも高級ブランドのものである。
そう……社長には、ブランド志向があったのだ。
面接の際に、スポーツの話などで盛り上がったことも影響しただろう。
灰色建設のようなワンマン企業では、そういう、社長の好みに大きな影響力があるのだ。
加えて、灰色建設は人手不足であり、猫の手も借りたい状態であった。
そして、社長は、管理職の意識を改革したいと思っていた。
「部下のホワイト化」を目指して、社長は振太を採用したのである。