Vol.14
――待って。違う、違うの!
「優太待ってっ……!」
気がついたら衣は顔を上げると優太にそれだけを必死で叫んだ。
「衣どうし……」
「迷惑なんかじゃないよ……」
突然待てと衣に言われた太の方はなにがなんだかわからず聞こうとするが、衣はただ、優太を引き止めるのに精一杯で優太の言葉なんて聞いていなかった。
「今日言ってくれたこともされたことも忘れろ言われたって、そんなの無理だよ……」
「いや、だから、それは悪かったって」
優太も優太で衣の話をちゃんと聞いていないのか何か勘違いして謝る。
「もう!だから、違うんだってばっ!」
――どうしよう、何を言ったらわかってもらえるの……?
「あたしも優太が好き」って言ってしまえば話はすぐ終わるのに、恥ずかしさが先に出てしまいどうもその言葉が口に出せない衣は他の言い方を考えるのだが、残念ながら優太には何1つ伝わらない。
それが悔しくて悲しくて、だんだん優太の顔がかすんで見えなくなっていく。
「あたしはただ恥ずかしかっただけ……優太が、いつもの優太じゃなかったからちょっと怖くなっちゃっただけ……イヤだったんじゃない……」
――優太ごめんね……だけどあたし、これ以上言えない……。
この期に及んでまだそう思ってしまう自分に情けなくて涙が出る。
あれほど未散に忠告を受けたにもかかわらず衣はしくしくと泣き出してしまっていた。
「……衣、もういいから」
言葉に詰まった衣を見ているうちにいたたまれなくなり、優太はドアのノブを手からはなしていた。
もしかしたら今から自分がしようとしていることは衣を泣かせることなのかもしれない。
嫌われることなのかもしれない。
だけど……もう嫌われたってかまわなかった。
――衣が泣いてるんだもん、ほっとけねーよ。
「衣、もういいから泣くな」
涙を拭い続ける衣に近寄ると優太は衣の前に座り、自分の腕を伸ばしてそっと衣を包み込んだ。
「衣が泣きやむまでだから。でも、やだったら言って……?」
――こんなことできるの、もうこれで最後なのかな。
優しく衣の髪を撫でながらそんなことを思う優太にもじわっと涙が溢れ出す。
――もう少し、もう少しだけでいい。泣きやまないで、やだって言わないで、このままでいさせて……。
衣に言ったこととは裏腹に気持ちは反対のことを思ってしまう。
衣を抱き締めているその腕は無意識のうちに力が篭っていく。
そして衣は……優太の腕をはなすまいと学ランの袖を握り締めていた。
衣ちゃんもう大丈夫だから泣かないで――。
まだ幼い男の子の声が耳にこだまする。
その声は……幼き日の優太の声。
クラスの男子にからかわれて泣いてしまう自分をただ1人、いつも守ってくれた優太は「あっち行けっ!」といじめっ子たちを追い払ってくれて、
「衣ちゃんが泣きやむまでこうしててあげるね」
小さい体を一生懸命に伸ばして自分を抱きしめてくれた。
そんな遠い日の優太を衣はふと思い出していた。
あれから月日は随分流れたにもかかわらず、優太の腕の中のあたたかさはなにも変わってなかった。
そして優太の「泣かないで」も昔と一緒で優しい。
「……優太はさ」
衣は鼻を少しだけ啜り上げながら喋り出した。
「あたしが泣いてるといっつも『泣くな』って言ってくれて抱き締めてくれた。それだけが毎日意地悪されてたあたしの支えだったってこと、優太知らないよね」
「衣、今なんて……」
衣の話に優太の腕は緩んだ。
けれど衣は「それから」とまた話し始める。
「ちっちゃいのにバスケなんか始めちゃったもんだからどうなるんだろうって心配だったけど、今じゃ超有名人になって……なのに『バスケができたって生きていけない』ってスポーツ推薦全部断って優太は勉強頑張った……それで今もまた同じ高校通えてて」
あたしね、と衣はまた続ける。
「優太から『先生からスポーツ推薦の話をされた』って聞いたとき、もう諦めてた。高校はきっともう優太とは一緒じゃない、今よりも優太はもっともっと遠い人になっちゃってあたしなんか手の届かない人になっちゃって……いつかはあたしのことなんて忘れるんだろうな……って」
だから、と衣はまた続ける。
「奇跡だって思った、信じられなかった……ていうより、今もまだあんまり信じてないけど……」
「あのなぁ」
衣の話に優太は衣の頭を撫でながら少し呆れたように言葉を返す。
「『バスケ』は衣が見てるの好きなんだろ?」
優太は衣から腕をはなすと笑って衣を見つめた。
「小6の部活決めるとき衣がそう言ってたから俺はバスケにした。チビなのになにもバスケを選ばなくてもってみんなに言われたけど、俺には関係なかった。もし衣が『サッカーを見るのが好き』って言ってたらきっと今頃はサッカーやってた。それしか衣に俺を見てもらえるチャンスはあの時はなかったから」
「…………」
初めて聞いた『優太がバスケを始めた理由』に衣は言葉が出ない。
そんなこと言ったっけ?という表情で衣は優太を見つめ返した。
それを見た優太は ほんのちょっと困ったように笑ったがすぐに「ま、いっか」と呟き、衣の頬についた涙の痕を右手の親指で拭った。
「衣のそばにいられるんだったら、衣が俺を見てくれるんだったら、俺は何だってする。だから必死で勉強もしたしスポーツ推薦も惜しくなんかなかった。だから先生に大嘘ついて断った。衣が見てないのにバスケやってても俺にとっては無意味なんだよ」
わかった?と優太はまた笑った。
「……優太」
「うん?」
涙声の衣が優太を見上げ、優太はそんな衣を見下ろした。
すると……衣は突然優太に突っ込んできた。
「好きっ!」
「おろわっ?!」
さっきまであんなに言えなかった言葉もすんなり言いながら、衣は優太に抱きついた。
衣のその行動は優太には予測不可能な範囲だったので優太は衣の勢いに押されひっくり返りそうになったが、かろうじて抱きとめた。
「衣のその返事のほうが俺からしてみたら奇跡だって……」
衣の背中に手を置いてそれを呟いた優太からは、笑顔と少しの涙がこぼれた。
かなりの時間をかけてようやくお互いの想いがお互いに伝わった。
そんな瞬間だった。