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Monster  作者: 如月 望深
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螺旋の塔

「近寄らないで! 気味が悪い」

 ヒステリックな女の声と、怯えるような眼。幾度も繰り返し与えられてきた孤独。

 上体を起こして息をつく。自分の部屋のベッドの上にいるのだと確認して、夢だったのかと気付く。久しぶりに、こんな夢を見た。忘れていたと思っていたのに。

 ───あのひとの影に、今も怯える。

 起きたベッドに再び背中を預け、額に手の甲を乗せて目をつぶる。こんな夢を見るのは、今朝の出来事のせいか。

 今朝方、リーゼが城から庭に出て行くのを見かけて、思わず追いかけた。

「こんな時間に、何をしていた?」

 そう訊いたのは、他意はなかった。

 はず、なのだが、リーゼが口ごもったので、俺はリーゼに後ろめたいことがあるのではないかと考えた。

「怒らないから、言え」

 強い調子でリーゼを問い詰めた。

「ち、違います。私、怒られるようなことをしていたわけではありません」

 するとリーゼは涙声で抗議した。

「ただ、朝摘みのバラの紅茶を、殿下に召し上がっていただきたくて…」

 そこで初めて、リーゼが大事そうに抱えている籠に庭のバラが摘まれていることに気付いた。リーゼにこそ他意はなく、ただ、俺に美味しい紅茶を飲ませたいという好意からくる行動だったのに。

 俺は、リーゼを疑ったのだ。

 唯一、幼いころから側付きをしているロゲール以外に、俺のこの瞳に怯えることなく真っすぐ見つめ返してくれる人だったのに。


 朝食の支度に来たリーゼは怒っているようだった。何も言わずに黙々と仕事をこなし、俺はリーゼを疑った後ろめたさから、何も言えずに、気まずい朝食を終えた。

 その後しばらくして、部屋にロゲールがやってきた。幼い頃から俺の近侍をしているため、付き合いは家族よりも長い。今ではこの城の執事兼家令で、城の主である俺以上に城を仕切っている。

 リーゼは俺直属の侍女なので、他の使用人のように執事の管理下にはないが、当然ロゲールがリーゼと俺の気まずい雰囲気に気付かぬはずはなかった。

「リーゼロッテ様から、今朝のことをお聞きしました」

 俺が眉根を寄せると、ロゲールは穏やかに微笑んで見せた。

「あなた様に信用されていないことが悲しいと、おっしゃっておられました。素直にお詫びなさいませ」

「何で俺が。あいつは兄の手の者だと自分で認めたんだぞ」

 リーゼは、俺の監視を言いつけられていると白状した。俺はそれを知っていて城に置いていた。だから、そこに信頼関係などなくても、不思議はない。

「では、何故後を追われたのです? リーゼロッテ様が今までの侍女と同じだと言うのなら、放っておけばよかったではありませんか」

 ルーイ様は王宮から送られてくる侍女を疎ましく思っていらしたのでしょう? と、ロゲールが続ける。

「リーゼロッテ様に、お側にいて欲しいと願っていらっしゃるからではありませんか?」

 俺が黙っているのをいいことに、訳知り顔のロゲールはなおも続ける。

「リーゼロッテ様がいなくなれば、また前に戻ってしまわれると、恐れていらっしゃるのでしょう? リーゼロッテ様がいらしてから、城が明るくなりましたものね」

 …確かに、リーゼが来てから、この城の雰囲気は格段に良くなった。俺に怯えるばかりだった使用人たちが、次第に俺に親しみの目を向けるようになったのだ。そのきっかけは、やはりリーゼだった。

 ある日、会う使用人たちに口々に礼を言われるという奇妙なことがあった。何事かと思っていると、部屋の掃除などを担っているメイドが二人連れでやってきた。

「ルートヴィッヒ殿下、昨日はありがとうございました」

「え?」

 またか、と思った。今日に限って、何故使用人たちは競うように俺に礼を言うのだろう、と。

「リーゼロッテ様が、殿下のお心遣いだとおっしゃって、美味しい紅茶を淹れてくださいました」

「ああ…、あれか」

 やっと合点がいった。そういえば、昨日、リーゼは俺に許可を取っていたのだ。「今日のフレーバーティーは出来が良かったので、お城の皆さんにもふるまっていいでしょうか」と。それを俺は許した。ただ、出来の良い紅茶を多くの人に飲んで欲しいだけなのだと思っていたが…。

「昨日、紅茶を俺からの心遣いだと称して使用人たちにふるまったそうだな」

 その日のお茶の時間にリーゼに問い質すと、「いけませんでしたか?」と問い返された。「いや…」と答えれば、「良かった」と笑顔になった。

「みんな、殿下のお心遣いに感激していましたよ。私たちの仕事は対価をもらっているとはいえ、お仕えする方に感謝されれば、やはり嬉しいですものね」

 それで、リーゼは使用人たちに『殿下の皆さんへの日ごろの感謝の気持ちを込めたお心遣いですよ』と言って紅茶をふるまったらしい。

「…お前も、嬉しいのか?」

「はい。私も殿下が紅茶を美味しいとおっしゃってくださると、嬉しいです」

「…今日の紅茶も、美味いな」

 正直な感想を述べると、リーゼは「嬉しいです」と頬を染めた。その花のようにはにかむ様子に、心が和む。

 不思議な女だ。ずっと、昔からそうしていたように、俺の近くに当たり前のように馴染んでしまった。

 最初から、奇妙な女だった。王子という俺の肩書に臆することもなく飄々としていた。呼ばれる以外は部屋に来るなと命じると、今までの侍女たちと同じように聞き入れたが、他の女とは違って城の中を歩き回ってばかりいた。そして三日もすると飽きたのか、俺の部屋に紅茶を持って押し掛けた。

 兄に俺の監視を命じられているのだろうと脅しをかければ、あっさりと認めた。俺に睨まれても、負けじと視線を返してきた。それで調子が狂ったのだ。

 興味本位で茶の席に付き合わせてみると、美味そうに紅茶を飲みながら、市井でアルバイトをしていた話を聞かせたりした。リーゼのくるくるとよく変わる表情や、市井の人たちへと向けられる温かな眼差しは、俺には触れたことのないものだった。

 俺の目の前に座って、俺の瞳を真っすぐに見つめ、媚もへつらいもない温かな感情をさらけ出した彼女の微笑みは、彼女の淹れる特上の紅茶同様、俺の生活に欠かせないものになっていた。

 それに気付いたのは、城から遠ざかる彼女の背中を見た時。このまま、彼女が振り返ることなく去ってしまったら───。


 その日のお茶の時間、リーゼは気まずそうな顔をしながらも、いつもどおりに紅茶を持ってやってきた。彼女が出したお茶菓子は、いつもコック長が作るケーキとは異なる素朴なものだった。

「これは…」

「私が作りました。前に働いていた食堂のおかみさんに教わったんです」

 ロゲールの言っていたとおりだった。今日のお茶菓子はリーゼの手製だと、さっきロゲールがわざわざ教えに来たのだ。「毒など入っておりませぬから、召し上がってあげてください」と、言い置いて。

 フォークで切り分け、口に入れれば、ほろりと柔らかなスポンジが解け、はちみつの優しい甘さが口に広がった。

「美味い」

 そう感想を漏らせば、ほっとしたようにリーゼが微笑んだ。そして、甘い香りのローズティーを差し出す。今朝摘んだバラを使ったのだろう。

「…リーゼ、……すまない」

 今朝のことを謝ると、リーゼは笑顔を見せた。

「何を謝るんですか? 私は、こうやって、殿下が私の作ったお菓子を召し上がってくださるだけで嬉しいです」

 リーゼはよく、俺に「嬉しい」という言葉を掛けてくれる。俺の行動や、言葉に、「嬉しい」と返してくれる。それは、今までにない経験だった。

 今まで、誰も俺に「嬉しい」などという感情を、くれはしなかった。



 暗い塔の螺旋階段を昇りながら、恐怖のためか俺の腕にかじりつくようにしているリーゼを見やり、この塔の上に立った時、彼女は何と言うだろうかと考えた。「嬉しい」と、いつものように微笑んでくれるだろうか。

 首なし騎士の幽霊が出るという噂の北の塔に、リーゼの興味と負けん気を挑発して連れて来た。本当は、この塔には幽霊などではなく、もっと根の深いものがあるのだということを、一言も告げずに。

 引き返すなら、今のうちだ。

 リーゼはまだ肝試しくらいに思っているだろう。本当のことを告げずに、戻ることもできる。だけど……。

 目をつぶって腕にしがみついているリーゼに、声を掛ける。

「リーゼ、目を開けてごらん」

 塔の頂上に着いて、足を止めた俺に倣って立ち止まったリーゼは、ゆっくりと目を開けた。そして、辺りの様子に目を瞠る。

「……綺麗」

 まさか噂の塔がこんな風になっているとは思わなかったのだろう。塔の天井部分と壁面上部に施された青いステンドグラスによって、真夜中の月の光が塔内部に青い幻想的な灯りをともしていた。

「すごい…」

 青い光を見上げ、リーゼが呟く。狙いどおり、リーゼはその美しさに感動しているようだった。満月が天頂に昇る真夜中が、この塔の最も美しい時間だ。

「北の塔に首なし騎士の幽霊が出るなんて、まったくのデマ。この塔に人を寄せ付けないために、かつての城主が意図的に流した噂だと言われている」

 その、意図を告げれば、リーゼは逃げてしまうかもしれない。

「…騙したんですか?」

「俺は北の塔に首なし騎士の幽霊が出るなんて、一言も言っていない」

 逃げられないように、リーゼの手を繋いだまま、彼女を追い込みにかかる。

「でも、騙したのは確かだな」

 ───もう、後戻りはできない。

「え?」

 戸惑う声ごと、胸に抱え込んだ。

「ここへ来ることの意味を、教えずに連れて来た」

 俺に抱きすくめられて固まっているリーゼの耳元に囁く。

「ここは、城主の『特別な人』だけに許された場所だ」

 そっと腕を解き、リーゼの瞳を覗き込む。

「この意味が、わかるな?」

 言われていることの意味がわかっているのかいないのか、リーゼは目を丸くして俺を見上げて、ぽかんとしている。俺をじっと見つめたまま、表情さえも動かないリーゼに心は急いて、リーゼの手を掴む指に力が入る。

「頼む、何か言ってくれ」

 沈黙に耐え切れずに請う。

「……嬉しい…です」

 期待していた言葉をリーゼが口にしてくれて、安堵する。

「また、連れて来ていただけますか、殿下」

「ルーイ」

 愛称を呼ばせようと試みると、その意図を汲んでリーゼは微笑んだ。

「ルーイ様」

 その、花のような愛らしさに、思わず手を伸ばす。

「お前が望むなら、何度でも連れてこよう」

 頬に触れ、瞳を捕らえる。

「リーゼ」

 ゆっくりと親指で唇を辿ると、恥ずかしそうにリーゼが目を伏せた。そっと唇を重ねて、彼女の温もりを確かめる。

 ───満月の夜、この螺旋の塔で、君を捕まえる───



 塔からリーゼを部屋に送り、自室へ引き上げようとすると、リーゼが引きとめた。

「あの、殿下…ルーイ様、お部屋にラベンダーティーをお持ちしますね」

 今朝言っていたことを遂行するつもりらしい。俺が寝不足なのではと心配して、安眠に誘うハーブティーを淹れてくれると言っていた。

「いや、今夜はいい」

 どうせ意味がないだろうと断った。気分が高揚して眠れそうにない。

「どうしてですか?」

 断られたのが不服なのか、リーゼは引き下がらない。俺の気持ちを知っていながら、まだ、ただの侍女でいられると思っているのかと呆れる。

「こんな夜中に俺の部屋に来て、襲われても文句は言えないぞ?」

 耳元に口を寄せて囁くと、リーゼは顔を真っ赤にして俺から離れた。それから、慌てて「おっ、おやすみなさい」と部屋の中へ逃げ込んだ。もちろん、それは部屋に来させないための戦略だったのだが、こうもあっさり引き下がられると少し落胆する。

 ところが、リーゼはすぐにドアから顔を出し、俺の様子を伺うように近付いて、素早く頬にキスをした。

「よく眠れるおまじないです。では、おやすみなさいませ、ルーイ様」

 赤い顔のまま早口でそう言うと、今度こそ隠れるようにドアを閉めた。

 しばらくその場で呆然としていた俺は、ふわふわとした足取りで自室へ戻った。ドアを開けて中に入り、ドアを閉める。持っていたカンテラの灯りを消すと、ドアに背を預けてずるずると力なく座りこんだ。

「……参った」

 顔を覆う手が、顔の熱さを感じ取り、それが真っ赤になっているだろうと教える。


 捕まえたつもりが、───捕まったのは、俺か。

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