Monster 4
いつもどおり朝餉の準備をする私に、殿下は何も言わなかった。私のほうでも特に何も話しかけなかったので、静かに朝食が進む。
殿下の朝食が終わり、御膳を下げると、今度は私たちの少し遅い朝食となる。殿下の着替えを手伝って戻ってきたロゲールと一緒に私は朝食を摂っている。執事と侍女は、他の使用人たちとは少し立場が違うので、彼らは私たちと一緒に食事はしない。他の使用人たちは、それぞれ担当ごとに食事をしているらしい。
ロゲールと共に食卓について、私は口火を切った。ずっと考えていて、誰かに聞いて欲しくて、それにふさわしい相手はロゲールしかいなかった。
「ねえ、ロゲール。殿下は、どうして私のことを信用してくださらないのかしら? やっぱり、私がエーリッヒ殿下に監視を言いつけられているって、バラしたのがいけないのかしら」
けれど、私が正直に話したことでルートヴィッヒ殿下の態度は軟化したようにも思える。それなら、信用されない理由は、やはり私自身にあるのだろうか。
「どうして突然そんなことをおっしゃるのです?」
食事の手を止めてロゲールが尋ねた。私は今朝の出来事を話し、殿下が私を追って来たのは、きっと私を信用していないからだと主張した。
「わたくしは、信用していないというのとは、少し違う気がしますがね」
笑みを浮かべてロゲールは答えた。
「ルーイ様は、きっとリーゼロッテ様を好いておられるとお見受けします。でなければ、毎日一緒にお茶を召し上がったりしません」
今まで王宮から送られてきた侍女たちは、まともに侍女の仕事などさせてもらえなかったのだとロゲールは言った。侍女を自室に入れることさえ嫌って、その徹底した拒絶の態度ゆえに侍女たちは次々に辞めていってしまったのだと。
「ルーイ様はきっと、恐れていらっしゃるのです」
「何を?」
「心を許した者に、拒絶されることを。──いえ、だからこそ、人に、心を許すことを」
思った以上に深刻な答えが返って来て、私は言葉を失った。
確かに、ルートヴィッヒ殿下は少し偏屈なところがあるけれど。話してみれば意外に素直で、正直で。そんな、ことを、恐れているなんて。
「ルーイ様の噂をお聞きになったことがあるでしょう?」
「ええ…」
モンスター、翼を隠した悪魔、地に堕とされた天使。不気味なあだ名ばかりを持つ第二王子は、王宮のはみ出し者だと、人々は陰口を叩いた。
その神秘的すぎる金色の瞳は、怪物が宿る証しだと。それゆえに、実の母である王妃様にさえ毛嫌いされて、王宮に居場所のなかったルートヴィッヒ殿下は、王宮を追われるように、このグラウ城へ籠ったのだと。
貴族社会とは距離を置く貧乏貴族の私の耳にも、私の周りにいた市井の人たちにも、容赦のない噂話は届いていた。
「王妃様は、お生まれになったばかりのルーイ様の瞳をご覧になって、気味が悪いとおっしゃられたのです」
もともと王子の世話は乳母がすることになっていたので、ルートヴィッヒ殿下は問題なく育てられたが、王宮では実母に毛嫌いされる王子の扱いに頭を悩ませた。父王さえも息子の顔を見るのを億劫がり、小さい頃は遊び相手になってくれた兄も、歳を重ねるにつれ疎遠になっていった。
次第に、王宮にルートヴィッヒ殿下の居場所はなくなった。
兄のエーリッヒ殿下の勧めで、ルートヴィッヒ殿下は居を王都のはずれのグラウ城に移し、それ以降、王宮との関わりはほとんどないという。
「ルーイ様は、そのようなお育ちもあってか、人と距離を置くようになったのです」
初め、ルートヴィッヒ殿下が私を拒絶した時、ロゲールは殿下を「人見知り」だと言った。その背景には、そんな哀しい過去があったんだ。
「ですから、人に好意を向けられることに、慣れていらっしゃらないのです」
ロゲールは自分の息子の話でもするように、優しい笑顔を見せた。
「それに、あなた様に対する好意も、どう表現すればよいのかわからないのです」
「好意?」
そりゃ、嫌われてはいないと思うけど。そういえば、うっかり聞き流したけど、私のことを殿下が好いているとか、このじーさん言っていたような気が。誤解を招くような言い方は慎んで欲しいわ。
「ルーイ様が、庭に出て行くリーゼロッテ様をお見かけして、後を追ったのはどうしてだと思いますか?」
今までの侍女なら、何処へ行こうともルーイ様はお気になさらなかったでしょう。と言って、すました顔でロゲールはコーヒーを飲んだ。
「あなた様のことを気に掛けていらっしゃるからです。何処にも行って欲しくないと、自分の側にいて欲しいと、そう願っていらっしゃるからではありませんか?」
…そういえば、あの人は最初、私の存在さえ無視しようとした。それなのに、私の行動を気にするなんて、矛盾していないだろうか。殿下は、私がエーリッヒ殿下の命を受けて来ていることを知っている。私があのまま出て行っても、エーリッヒ殿下の手下と繋がっていたとしても、今さら驚くようなことでもない。それを承知で私を置いていたはずなのだ。それなのに、どうして───。
のぼせ上るような感覚に、困惑して眉根を寄せる。
「お顔が真っ赤ですぞ、ふぉっふぉっふぉっ」
と、ロゲールがからかうように笑った。
ロゲールが変なことを言うものだから、私は殿下と顔を合わせにくくなってしまった。そうは言っても、お茶の時間には会うのだけれど、それまでは会わないようにコック長に頼んでキッチンに籠った。
もともと、殿下とは常に顔を突き合わせているわけではない。朝食のあと、午後のお茶の時間まで、たまにはボードゲームに付き合ったりすることはあるけれど、お呼びが掛からなければ、一度も会わないのだ。
けれど、城内をうろうろしていれば、殿下に遭遇する率は上がる。それならば、殿下が決して足を踏み入れないキッチンに籠れば、絶対に会わずに済む。
コック長にキッチンの一角を借りて、食堂のおかみさんに教わったホーニッヒシュニッテンを作ることにした。コック長が作る繊細なケーキではないけれど、はちみつの甘さと風味が優しい、庶民的で素朴な美味しさがあるお菓子だ。
十分に時間を費やして、上手に焼き上がったお菓子を、コック長が褒めてくれた。そして、あろうことか、今日のお茶菓子にしようと言い出した。こんな庶民的なお菓子を殿下になんて出せないと言い張ったのだが、「ルーイ様はリーゼロッテ様の市井のお話に大変興味を抱いておいでのようでしたから、お菓子も市井のものを出してみましょう」と、なぜだかロゲールまで加担してしまい、結局自分の焼いたお菓子を持ってお茶の準備に向かうことになってしまった。
殿下の部屋のドアをノックして、お茶のワゴンを押して部屋に入る。殿下と目が合って、気まずくて思わず視線を下げる。黙々とお茶の準備をしていると、殿下がテーブルにやって来た。そして、出されたお茶菓子がいつもと違うことに気付いたようだ。
「これは…」
「私が作りました。前に働いていた食堂のおかみさんに教わったんです」
興味津津の様子で殿下はフォークでお菓子を切り分け、口に運ぶ。
「美味い」
その感想にほっと胸をなで下ろした。続いて、今朝のローズで作ったローズティーを出す。甘く高貴な香りが部屋を満たしていく。
「…リーゼ、……すまない」
「何を謝るんですか?」
殿下の言葉の意味はわかったけれど、私は笑顔で知らないふりをした。
「私は、こうやって、殿下が私の作ったお菓子を召し上がってくださるだけで嬉しいです」
それは、殿下が私を信用してくれていると思えるから。
王族にとって、食事というのは、文字どおり生命線だ。生きるために必要な食事に、毒を盛られ命を落とした王族も過去に多くいる。だから王族は、口に入れるものに特に注意する。それなのに、私が作ったお菓子を殿下が躊躇いなく口に入れてくれたということは、私を信用してくれるという意思表示だ。
「さあ、ローズティーも召し上がってください。美味しく入りましたから」




