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Monster  作者: 如月 望深
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王妃の告白

 めくるめく恋の代償は、後悔と懺悔、そして恐れだった。


 病や勢力争いの結果、王家の正当な血筋を引くのはわたくし一人になってしまった。女のわたくしでは王位を継ぐことはできないため、わたくしには相応しい夫が必要となった。そこで選ばれたのが、王家の血を引き、年齢的にも丁度いいわたくしの従兄だった。

 若くして政略結婚を強いられたわたくしは、恋など知らぬ小娘だった。夫は優しかったし、わたくしを大切にしてくれたが、それはわたくしの立場あってのことだと知っていた。そんな夫を、わたくしは良くいえば温厚、悪くいえば弱腰だと思っていた。

 王になった夫とは、それなりに穏やかな夫婦生活を送っていた。嫡男のエーリッヒを設け、わたくしを経て正当な王家の跡継ぎを作り、王家の存続を図るというわたくしの役割は果たせた。

 そんな時だった。あの人が現れたのは。

 芸術の国と言われる隣国ブラシェール出身の放浪の画家だと名乗った。けれど、彼の所作は美しく、どこか貴族的な高貴さがあった。そして、深い青の瞳に輝く金色の虹彩。彼の美しさに、小娘だったわたくしが夢中になるのは時間が掛からなかった。

 彼はわたくしを受け入れてくれた。そう思い、わたくしは浮かれていた。夫のことなど、露ほども思い出さないほどに。

 けれど、彼は放浪画家。わたくしの絵を描き終えると、来た時と同じように、何の前触れもなく、ふらりと去って行った。残されたのは、あの人が描いたわたくしの肖像画と、置いて行かれたという寂しさ、わたくしを顧みなかった男への憎しみ、そして、わたくしの体に宿った小さな命。

 それを知った時、初めてわたくしは恐怖におののいた。夫を裏切り、恋に溺れ、こうして不貞の証拠を残してしまうなんて。

 産まれてきた子どもを見て、わたくしは思わず声を上げた。

 その子の眼は、あの人と同じ、深い青に金色の虹彩。

 こんな眼をした人が、この世に二人といるわけがない。夫もかの放浪画家とは面識があった。これで自分の裏切りが夫に知れてしまうと恐れた。夫は何も言わなかったけれど、それはわたくしに言えなかっただけなのかもしれないと疑った。

 本来は、愛した男の残した愛しいはずの子ども。あの人の面影をその瞳に宿した愛しいはずの存在。

 けれど、その子が無垢な瞳でわたくしを見る度に、わたくしは恐怖に駆られた。まるでわたくしの罪を見通しているような透明な視線が恐ろしかった。あの人と同じ眼で見られることで、自分の罪を告発されているような気がした。

「近寄らないで! 気味が悪い」

 思わず、口から零れたのはそんな言葉だった。

 この子の眼が恐ろしい。一刻も早く自分から遠ざけたかった。

 母であるわたくしに拒絶されることが、幼いルートヴィッヒにとってどれほど酷なことか、あの子のいない冷静な時にはわかる。それなのに、いざあの子を目の前にすると恐怖が先に立つ。わたくしの暴言に、幼い頃は傷ついた顔をしていたルートヴィッヒも、やがて自分からわたくしに近付くことはなくなった。

 わたくしは失念していたのだ。自分が王宮内で絶対の権力を持つ存在だということを。わたくしのあの子への拒絶に追従するように、周りはあの子のことを「モンスター」や「翼を隠した悪魔」と呼ぶようになった。最初は陰で、次第におおっぴらに。

 ルートヴィッヒの背中に、生まれつき翼をもがれた痕のような赤い痣があったことも、それに拍車をかけた。あの子の神秘的な青と金の瞳は、人に疎まれ蔑まれることが多くなると自然と鋭くなって行き、その凍りつくような視線に人々は怯えた。

 それらがすべて自分のせいだとわかりつつも、わたくしは何もすることができなかった。わたくしの罪で、わたくしが蒔いた種で、自分の子どもを傷つけているというのに、もはや差し延べる手の出し方さえ忘れてしまった。

 そうして、ルートヴィッヒは王宮を去り、特別用事がない限りはグラウ城から出てくることはなかった。

 わたくしはそれを、心のどこかで安堵していた。あの子の顔を見ることがなければ、自分を責め罪の意識にさいなまれることはないと。自分の犯した罪がなくなるわけではないというのに。

 そうやって、わたくしは誤った時の使い方をし、大切なはずの息子とずっと疎遠になっていた。


 そのことの重大さに気付かせてくれたのは、幼い頃のルートヴィッヒのように真っ直ぐな瞳を持つ少女だった。

 わたくしの居室を訪れた少女は深く頭を下げ、リーゼロッテと名乗った。モルゲンリヒト伯爵令嬢である彼女を知ってはいたけれど、居室に招くような間柄でもない。ましてや、エーリッヒをルートヴィッヒが毒殺しようとしたなどという噂が出回る騒動が起こっている最中にお茶をする相手でもない。わたくしの不審を感じ取って彼女はエーリッヒに頼んだと白状した。この時、わたくしと陛下には、二人の息子の無事と噂がまったくの嘘であることは、エーリッヒから報告がされていた。

 エーリッヒが彼女を妃候補に指名したことは知っていたが、候補は四人。一人に特別な便宜を図るほどエーリッヒが公平さに欠いたことをするはずがない。

「先日、エクレール公爵様と伺ったお話のことで、不躾とは思いましたが、どうしてもお話をしたくて」

 それを聞いて合点がいった。先日わたくしを訪ねて来た隣国ブラシェールの公爵セドリック・デクレール卿と一緒にいた少女だ。夫を裏切った罪悪感から、わたくしが定めた、王妃は二人きりで王以外の男性と会ってはならない、という決まりごとに従って、エクレール公は内密な話だからと人払いする折りに彼女を側に置いていた。あの時は、エクレール公があまりにあの人に似ていることと、彼の話に動揺してしまい、彼女のことをすっかり失念していた。

 その時のことで来たというのなら、エーリッヒではなくて、ルートヴィッヒがらみということだ。そういえば、この少女は伯爵令嬢でありながら、ルートヴィッヒの侍女をしていた。

「どういったお話かしら?」

 この少女が何を言い出すつもりかはわからなかったけれど、先日の話を持ち出されてしまうと、このまま追い返すわけにもいかなかった。わたくしは人払いをしてリーゼロッテを促した。

「余計なお世話だということはわかっていますが、ご無礼を承知で申し上げます」

 リーゼロッテは顔を上げ、若葉のようにきらめく瞳で真っ直ぐにわたくしを見た。

「ルートヴィッヒ殿下に背を向けるのは、もうおやめください」

 それこそ本当に余計なお世話だった。こんな娘に言われなくても、そうしていることが間違っていることなど、わたくし自身が一番よくわかっている。

「ルートヴィッヒ殿下は、ずっとご自分が皆に嫌われているのだと思っていらっしゃいました。王宮からグラウ城へ遣わされた侍女を嫌ったのは、誰のことも信用していなかったからです。エーリッヒ殿下の兄として当然の心配も信用できないほど人間不信になっていたのです」

 リーゼロッテの口調は非難する調子ではなかったが、それらはすべてわたくしのせいだと責めているようだった。

「それは、わたくしの責めだと言いたいの?」

「そうです。王妃様がルートヴィッヒ殿下と向き合っていれば、こんなことにはなりませんでした」

 思いがけず肯定されて、一瞬言葉に詰まる。

「…無礼なことを申すものではなくてよ。自分の立場をわきまえなさい」

「ですから、ご無礼を承知で申し上げます、と先に申し上げました。王妃様が私の言葉を無礼だとお思いになるのは、それが図星だからです」

 見た目は可愛らしい少女のくせに、リーゼロッテの言葉は容赦がない。

「王妃様は、今回の事件が、ご自分がルーイ様を疎んじ、周りがそれに追従したことから目を背け続けていたことの報いだとお気づきのはずです」

 その言葉に、頭を殴られたような衝撃が走った。ルートヴィッヒがエーリッヒを毒殺しようとした、などという、あってはならない噂がまことしやかに囁かれ、誰もそれに異を唱えなかったのは、エーリッヒとルートヴィッヒの不仲説を誰もが信じ、ルートヴィッヒが王宮のはみ出し者であったからだ。

 それらはすべて、わたくしが引き起こしたこと。

「ご自分の罪から目を逸らすためにルーイ様を恨むのはもうやめてください。あなたのしたことは、罪かもしれません。けれど私は、ルーイ様を生んでくださったことを感謝しています」

 またしても、リーゼロッテの言葉に衝撃を受けた。わたくしがルートヴィッヒを生んだことに感謝するなんて。今まで、わたくしはずっと、ルートヴィッヒを生んだことは罪だと思っていた。わたくしの罪の証があの子なのだと。

 けれど、罪深いと思っていたあの子のことを、こんな風に思ってくれる人がいるなんて。



 ルートヴィッヒを陥れようとし、あまつさえエーリッヒを毒殺しようとしたケンプフェルトを糾弾したわたくしに、ルートヴィッヒは戸惑ったように声を掛けた。

「…母上…」

 わたくしがこうして事件の場に出てくるとは思っていなかったのだろう。

「ルートヴィッヒ」

 その名を呼ぶ時、少なからず緊張した自分に笑ってしまいたくなった。

「長年、あなたを疎んじてきたことを、後悔しています。わたくしがあんな態度を取らなければ、今回のようなことは起こらなかったでしょう」

 驚きを隠さずにわたくしを見つめるルートヴィッヒに歩み寄る。こうして近付くのは、どれほどぶりだろうか。

「許してと言っても、今さら許されることではないと、理解しています。ただ、覚えておいて、あなたが生まれたことは、あなたの罪ではないと」

「……ずっと、母上は俺を憎んでいるのだと……」

 青と金の瞳を幼子のように歪めて、ルートヴィッヒは小さく呟いた。

「──憎んでいたのでは、ありません。恐れていたのです。あなたを見れば、己の罪を嫌でも思い出すから」

 その罪の内容を、ルートヴィッヒに言うつもりは決してない。

「けれど、彼女に言われて気付いたの。私の罪を、あなたに負わせるべきではないって」

 もしかしたら、彼がエクレール公爵やリーゼロッテから聞いていたとしても、決してわたくしは認めるつもりはない。ルートヴィッヒはわたくしの子。正当なナハトシュタイン王家の子なのだから。

「リーゼロッテは、あなたを生んだことをわたくしに感謝してくれたわ。それだけで、わたくしは、あなたを生んで良かったと思えるの」

 こんな風に言えるようになったのは、昨日のリーゼロッテの言葉のおかげだ。単純だと人には笑われるかもしれないが、彼女がわたくしに感謝してくれたことは、わたくしの心を少し軽くしてくれた。

 わたくしは、勇気を出してルートヴィッヒに手を差し出した。今までずっとためらっていたこの手で、ルートヴィッヒに触れる。手を振り払われたり身をよじって逃げられたりしたらどうしようと怖かったが、ルートヴィッヒは何も言わずにじっと受け入れてくれた。

 そっと抱き締めると、ルートヴィッヒの体が一瞬強張った。それから、やがて息を吐き出すように体から力を抜いた。

 もっと早くに、この子をこうして抱きしめていたら、良かったのかもしれない。


 事件の後、ルートヴィッヒはしばらく王宮に残り、エーリッヒと共に事に当たっていた。そんな二人の姿を頼もしく思い、小さな頃はエーリッヒがよくルートヴィッヒの面倒を見て二人一緒に遊んでいたものだと思い出した。

 仲の良い兄弟だった彼らを引き離してしまったのも、また、わたくしのせいだった。それを後悔すればきりがない。けれど、グラウ城に戻る前にお茶に呼んだリーゼロッテは笑ってこう言った。

「過去のことは、残念ですが、どんなに後悔しても変えられません。ですが、これからのことは、いくらでも王妃様の思い通りにできます」

 それは、わたくし次第でルートヴィッヒとの関係が変わるという意味なのだろうか。

「…あの子は、わたくしを拒絶しはしないかしら」

「それはわかりません。王妃様のなさってきたことは、ご自分でそう心配なさるくらい、ルートヴィッヒ殿下を傷つけてきました」

 正直者のリーゼロッテは、こんな時でさえ言葉を繕うことをしない。けれど、今はそれが心地よかった。

「ですが、ルートヴィッヒ殿下は、王妃様をお許しになると思います。だって、王妃様に抱き締められた殿下は、小さな男の子みたいでしたもの」

 この少女は何と真っ直ぐで強くて、そのくせ柔軟で深い心を持っているのだろう。

 リーゼロッテの笑顔につられて、わたくしも笑みを浮かべた。ルートヴィッヒとは、まだ少し言葉を交わす程度しかできていない。お互いの出方を探っている状態だ。でも、リーゼロッテの言う通り、わたくし次第で関係は修復できるのかもしれないと思えた。

「ルートヴィッヒを、よろしく頼みます」

「はい、王妃様。お任せください」

 頼もしく応えたリーゼロッテは、きっとルートヴィッヒの光となるだろう。おこがましい言い方をすれば、母の勘とでも言おうか。そう。母の勘でわたくしは確信する。リーゼロッテは、わたくしたち母子を導く光だと。

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