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Monster  作者: 如月 望深
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Morgen Licht 5

 あれから、ルーイ様はエーリッヒ殿下と相談をして、黒幕を追い詰める策を練ったようだった。私にも重要な役割が与えられ、ギュンターの助けもあって、私はその役目を果たした。その前に、エーリッヒ殿下に相談して一つ懸案事項を片づけたこともあって、準備は万全に整った。

 王宮の一室。テーブルの上には紅茶とお茶菓子。そして綺麗に飾られた花々。柔らかな日差しがテーブルを囲み、まるで穏やかな午後のティータイムのようだ。

 ……口元に笑みを浮かべながら、テーブルを挟んで睨み合う男たちがいなければ。

「久しいな、ケンプフェルト」

「ご無沙汰しております、殿下」

 ルーイ様が名を呼ぶと、相手は落ち着いた様子で応えた。

「しかし、驚きましたな。王太子殿下の妃候補の姫君にお招きを受けて伺ってみれば、ルートヴィッヒ殿下がいらっしゃるのですから」

 エルマの時と同様、呼び出す役割は私──というよりも、王太子であるエーリッヒ殿下の妃候補が担うこととなった。それも当然と言えば当然で、意識不明のはずのエーリッヒ殿下に呼び出しは無理。逃亡中のはずのルーイ様も然り。公爵よりも位が下の伯爵家の次男坊のギュンターでは、いくらエーリッヒ殿下付きの侍従とはいえ、公爵を呼び出すことはできない。私だって伯爵家の娘というだけの立場なら、王家に連なる血筋であるケンプフェルト公爵を呼び出すことなんてできないし、したとしても相手が応じることはない。だけど、“王太子殿下の妃候補”という肩書があればこそ、この役割が可能になった。

 エーリッヒ殿下の容体が明らかではない今、将来の王太子妃、ひいては王妃になるかもしれない私の存在を、ケンプフェルト公爵は無視できないだろう、というのがエーリッヒ殿下とルーイ様の推察だった。

 果たしてケンプフェルト公爵は私の招きに応じ、こうしてこの部屋の椅子に座っている。

「軍が動く事態になってしまい、それを止めることも出来なんだ己の無力を恥じております」

 裏で手を引いて軍を動かしたのは自分のくせに、よくもぬけぬけと。このタヌキおやじ!と心の中でなじっているのがルーイ様に通じたわけではないと思いたいけど、ちらりとルーイ様は私を制するような視線を寄越した。

「グラウ城には人っ子一人いなかったと聞いて、殿下の御身を案じておりましたが、こうしてご無事なお姿を見られて安堵しております」

 言葉遣いは慇懃だが、どこかルーイ様を蔑むような視線を向けているこの男を、私が好きになれるはずもない。

「そのことで、そなたに相談があるのだが」

「わたしでお力になれることでしたら何なりと」

 ルーイ様は紅茶に口を付け、いったん間を置く。ケンプフェルト公爵にも紅茶を飲むように勧め、公爵もそれに従って紅茶を口にした。

「一部の貴族は、今回の件は、お気に入りの侍女を兄上に盗られた腹いせに俺が起こしたことだと言っているらしいが、そうでないことはそなたも理解できるだろう」

 ルーイ様の傍らに私がいることで、“侍女を盗られた”という理論は成立しなくなる。そもそも、ルーイ様と私が揃って王宮にいるということは、王宮内に味方がいるということだ。それを理解できない愚かなケンプフェルト公爵ではないだろう。

「もちろんでございます」

 調子よく応えたケンプフェルト公爵に、ルーイ様は何でもないことのように言う。

「そこでだ。兄上の命を狙い、俺を陥れようとした罪人として、そなたを捕えたいのだ」

「……は?」

 にこやかな表情を崩さなかったケンプフェルト公爵が眉間に険しい皺を寄せた。この男にこんな顔をさせただけでも、ルーイ様の攻撃は成功したと言えるかもしれない。

「……何をおっしゃっているのか、理解出来かねます。わたしに、濡れ衣を着ろとおっしゃるのですか?」

「濡れ衣などではない。これはそなたの罪だ」

 深い青に、金色の虹彩が光るルーイ様の眼に見据えられて、ケンプフェルト公爵は小さく息を呑んだ。

「そなたが兄上の紅茶に入れさせた“疲労回復の薬”は、無味のうえよい香りがするそうだな。そなたの紅茶にも同じものを入れておいたが、味はどうだ?」

「…そんな、まさか……ご冗談を」

 喉に手を当ててケンプフェルト公爵は飲み込んだ紅茶に眉を顰める。

「紅茶に入れたというのは冗談だ。あれは即効性ゆえ、本当なら、今頃そなたは普通ではいられまい」

性質たちの悪いご冗談はおやめくださいませ」

 笑顔を作ったケンプフェルト公爵に対して、ルーイ様は表情を変えない。

「兄上に毒を盛った下働きの女が、兄上の召し上がるものに毒を入れるよう指示するそなたの手紙を持っていた」

 ダナが持っていた手紙には、毒をお茶か食べ物に入れるようにと書かれていた。エルマが言うには、それを誰かに見咎められたら、疲労回復の薬だと言うように指示されたという。その手紙の筆跡は、地位ある年配の男のもの───字にはその人物が表れる。その字から人物像を、そして個人を特定することは、それほど難しいことではない。いくら崩して書いていても、何度もその字を見たことがある相手のものなら特定できる。

 ルーイ様は、その手紙の字を、この目の前にいるケンプフェルト公爵だと判断した。

「…何かの間違いでしょう。誰かがわたしを陥れようとしているのです」

 ケンプフェルト公爵は気色ばんでみせた。人の字を真似ることは確かに可能だ。だけど、どんなに巧妙に真似ても、やはり本人の素性が表れるものだ。そして、その手紙には、身分低い者が書いたような崩しが見られても、やはり身分ある者が書いた癖が出ていた。

「だとしたら、犯人はずいぶんと間抜けだな。そなたの字を真似るにしてはお粗末だ。それに、その女は字が読めなかった」

 ケンプフェルト公爵をかたるなら、もっと上手にケンプフェルト公爵らしい字を書かねばならないし、そもそも、字の読めないダナに手紙を持たせること自体が、ケンプフェルト公爵を陥れるには効果がない。

「そういえば、俺が疑われたのも、その女が俺の紋章が入ったペンを持っていたからだったな。だが、俺は読み書きできない者にペンを与えるような間抜けなことはしない。もっとまともな褒美を与えるだろう」

 エルマの話では、ダナとの直接のコンタクトを取っていたのはエルマだが、ダナの死後、彼女の所持品にルーイ様の紋章入りのペンを紛れさせたのはゲーベルス伯爵子息…あのナンパ男だったそうだ。彼はダナが読み書きできないことを知らなかった。

「わたしとて、字の読めぬ者に手紙を渡すようなことはいたしません」

「手紙は、そなたがエルマに渡したものだ。それを実行犯役の女が己の死後、真実が明らかになることを望んで手元に残していたのだ」

「先程から殿下はわたしを罪人だと決めつけていらっしゃるようですが、証拠はどこにもないではありませんか」

ケンプフェルト公爵には、まだ笑顔を見せる余裕があった。

「では訊くが、さっき俺はそなたの紅茶に“疲労回復の薬”を入れたとしか言わなかったのに、何故あんなに動揺したんだ? そなたの受け答えは、まるでそれが毒であることを知っているかのようだった」

「…殿下の思い違いでしょう。だいたい、殿下のお話に出て来た手紙というのは、一体どこにあると言うのです?」

「ここだ」

 その声に、ケンプフェルト公爵の表情は凍りついた。さっきまで顔に張り付けていた笑顔は剥がれ落ちていた。

「……エーリッヒ殿下……」

 静かに部屋に入ってきたのは、エーリッヒ殿下だった。手にはケンプフェルト公爵の筆跡で書かれた手紙を持っている。これで作戦は成功した。エーリッヒ殿下が陛下たちに事の次第を報告している間、ケンプフェルト公爵が動けないように私たちが足止めをしているという算段だったのだ。

「お話は、すべて伺いましてよ、ケンプフェルト公爵」

 エーリッヒ殿下の後ろから部屋に入って来た貴婦人に、ケンプフェルト公爵だけでなくルーイ様も息を呑む。

「…母上…」

 表れた王妃様は、その場にいる者を平伏させるほどの高貴さを持っていた。

「エーリッヒから、わたくしも陛下も、報告を受けました。あなたの罪を立証する証人も出頭しました。あなたが用意した毒も手紙も、こちらにあります。逃げ道はありません」

 罪を立証する証人とういうのは、エルマとゲーベルス伯爵子息だ。ルーイ様がエルマの命と引き換えに出した条件は、ケンプフェルトの罪を明らかにせよというものだった。エルマはそれに従い、ゲーベルス伯爵子息も同様の条件を呑んだ。

「…王妃様…違うのです」

「王太子の命を狙い、あまつさえ王子をはかった罪は大きくてよ」

 ケンプフェルト公爵は大きく首を横に振った。王妃様の権力は絶対だ。彼女の断罪は、国の断罪と同義だ。

「王妃様! 違うのです、わたしではありません。王妃様、モンスターとわたしと、どちらを信用なさるのですか!?」

「お黙りなさい。わたくしの息子をモンスターなどと呼ぶことは許しません」

 王妃様にぴしゃりと言われ、ケンプフェルト公爵は逆上したようだった。

「…っ王妃様だって、ルートヴィッヒ殿下を疎んでいたではありませんか!」

「それはわたくしが間違っておりました。ルートヴィッヒはわたくしがお腹を痛めて生んだ子です。あなたに愚弄される謂われはありません」

 そうのたまった王妃様は、まるで慈愛の女神のように神々しく、ルーイ様とよく似たお顔がより一層美しく見えた。



 ケンプフェルト公爵は捕えられ、彼の罪の証人となったエルマとゲーベルス伯爵子息とともに、沙汰を待つことになるだろう。

 王妃様は、陛下にとっては苦渋の決断になるでしょうけれど、それだけのことをあの男はしたのだから、と兄を裁かねばならない陛下の心情をおもんぱかっていた。

 ケンプフェルト公爵はエーリッヒ殿下の指示で衛兵たちが連れて行き、部屋には王妃様とルーイ様、そして私が残った。

「…母上…」

 ルーイ様は、少し戸惑ったように王妃様を呼んだ。まさか彼女がこの場に現れるとは思ってもみなかったのだろう。

「ルートヴィッヒ」

 王妃様は少し緊張した面持ちでルーイ様に向き直った。

「長年、あなたを疎んじてきたことを、後悔しています。わたくしがあんな態度を取らなければ、今回のようなことは起こらなかったでしょう」

 自分に近付く王妃様を、ルーイ様は茫然を見つめる。

「許してと言っても、今さら許されることではないと、理解しています。ただ、覚えておいて、あなたが生まれたことは、あなたの罪ではないと」

「……ずっと、母上は俺を憎んでいるのだと……」

「──憎んでいたのでは、ありません。恐れていたのです。あなたを見れば、己の罪を嫌でも思い出すから」

 罪の内容は、彼女は決して口にはしないだろう。

「けれど、彼女に言われて気付いたの。私の罪を、あなたに負わせるべきではないって」

 実は昨日、エーリッヒ殿下に頼んで王妃様に会わせてもらったのだ。彼女が自分の罪をルーイ様に見て、苦しんでいるのを感じたから、無礼を承知で申し上げた。「ご自分の罪から目を逸らすためにルーイ様を恨むのはもうやめてください。あなたのしたことは、罪かもしれません。けれど私は、ルーイ様を生んでくださったことを感謝しています」

 その時の王妃様のお顔を、私はずっと忘れることはないと思う。王妃様は、一瞬驚かれたように目を瞠り、それから、今にも泣きそうな少女のような、けれど強くて優しい母親のような、美しい微笑を浮かべた。

「リーゼロッテは、あなたを生んだことをわたくしに感謝してくれたわ。それだけで、わたくしは、あなたを生んで良かったと思えるの」

 あの時とよく似た微笑みを向けて、ためらいがちに手を伸ばした王妃様は、そっとルーイ様を抱きしめた。

 モンスターと恐れられてきた王子様は、秀麗な顔立ちで厳しい表情をすることもしばしばだけど、この時ばかりは小さな幼子のような顔をしていた。



 王宮で必要な仕事を終えると、ルーイ様はグラウ城に帰って来た。私は、ルーイ様の侍女として一足先にグラウ城に戻っていた。

「お帰りなさいませ、ルーイ様」

 ロゲールと共に出迎えた私に、ルーイ様は微笑みかける。

「ただいま、リーゼ」

 その顔は、前と同じ優しい笑顔だけど、前よりずっと柔らかなものに見えた。それはきっと、ルーイ様を取り巻く状況が、いいものに変わってきているからだと思う。

 その日の夜、ルーイ様に誘われて北の塔に登った。何度か登っている塔の階段は相変わらず怖くて、ルーイ様の腕すがってしまう。優しく手を取って歩いてくれるルーイ様の体温に、いつになく安堵する。

 こうしてこのグラウ城で過ごすのは、何だかひどく久しぶりな気がする。

「リーゼ」

 階段を上り切った先、塔の上は、初めてこの塔に登った時と同じように、満月の光で青く優しく照らされていた。

「…俺はずっと、夜の中にいた気がする。暗くて出口のない闇のように、光など射さないと思っていた」

 柔らかな青い光の中で、ルーイ様の美しい横顔は、どこか遠くを見ているようだった。

「でも、違った。俺にも朝が来て、光が射す」

 ルーイ様がこちらに視線を向けた。夜明け前の空を思い出させる深い深い青に、雷電のように輝く金色の輪。それは、夜の稲妻。

「その光は、お前だ」

 微笑んだルーイ様の眼に宿るのは、夜明けの光。

「お前が俺の光だ、リーゼ」

 思わぬ言葉に、私は黙ったままルーイ様を見上げていた。

 すると、不意にルーイ様は私の手を取ったままひざまずいた。それに合わせて視線を降ろした私は、王子様であるルーイ様が私に向かって臣下のように膝を折るという異常事態に混乱していた。

「ずっと俺の側にいて欲しい」

「……え、はい、それはもちろん」

「侍女としてじゃない。妻として、共に生きて欲しい」

 ルーイ様は恭しく私の手を持ち上げ、手の甲にそっとキスを落とした。そこまでやられて、やっとその意図がわかったけれど、あまりのことに言葉が出ない。

「……何か言え」

 呆然とする私に、しびれを切らしたようにルーイ様が促した。

「あ、はい。…えと、嬉しい、です」

 我ながら間抜けな返答だと思う。焦れたようにルーイ様が再び問う。

「俺の妻に、なってくれるのか?」

「はい、もちろん、喜んで!」

 慌てて答えると、ルーイ様が安堵したように微笑んだ。その顔に、心臓をギュッと掴まれたような気分になって、私の手を支えていたルーイ様の手をきつく握った。

 立ち上がったルーイ様がその手を引いて、私を抱き寄せた。繋いでいないほうの手で私の頬を撫でる。その心地よさに目を閉じると、唇に祝福が与えられた。

 朝の光のように明るい月が輝く夜、私は愛しい人に永遠に捕えられる。

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