侍従の心配事
ブラシェールからの貴賓であるエクレール公爵は、エーリッヒ殿下に面会を申し込みたいと俺に言った。
回廊で上から落ちて来た植木鉢から、リーゼロッテを庇ったエクレール公爵を、念のためにとルートヴィッヒ殿下の指示で医務官に診せた直後のことだ。彼の立場や状況から言って断るべきではなく、俺はエーリッヒ殿下に取り次いだ。
エクレール公爵の話は、主に彼女のことだった。
「リーゼロッテが狙われている?」
聞き返すエーリッヒ殿下にエクレール公爵は頷いた。
「彼女は、私が狙われたのではと思ったようですがね。そんなことになれば、国際問題になります。第一、ナハトシュタインには私を狙う理由がない」
ふ、と唇を皮肉っぽく歪めてエクレール公爵は付け加える。
「私を良く思わないブラシェールの勢力もいないことはありませんが、ナハトシュタインで事を起こす必要もない。それならば、考えられるのはひとつです。あの状況で、狙われたのは、リーゼロッテ。彼女のほうです」
なぜ、と訊く必要はなかった。俺もエーリッヒ殿下も、その理由には心当たりがあったのだ。俺はエーリッヒ殿下に状況を説明する。
「…あの時、すぐにゲーベルス伯爵子息が現れました。もしかしたら、彼が彼女を助ける算段だったのかもしれません」
リーゼロッテは大事な駒だ。傷つけるつもりは、今のところないだろう。だが、彼女を取り込む必要はある。それならば、あえて彼女を危険な目に遭わせて、それを助けることで自分たちの側に取り込むつもりだったのかもしれない。
ゲーベルス伯爵子息は、リーゼロッテを口説いていた男だ。偶然その場を見かけて助け船を出したから、リーゼロッテはからかわれたのだと思ったようだ。もっとも、彼女はあの口説き文句に少しもなびいていない様子だったが。
ゲーベルス伯爵は、ケンプフェルト公爵の縁戚に当たる。
そして、エルマも。
侍女として仕官してきた彼女を、エーリッヒ殿下付きにしたのは、彼女を自らが監視するというエーリッヒ殿下の意図だ。
今回はリーゼロッテがエーリッヒ殿下付きになることから、彼女から遠ざける意味もあって迎賓館付きに配置換えしたのだが、こちらの知らぬうちにエルマはリーゼロッテと仲良くなっていた。リーゼロッテはエルマの素性など知る由もなく、他の侍女と違って親切な彼女に懐いてしまったようだ。
疑うことを知らぬ彼女らしいが、危険なことではある。
ゲーベルス伯爵子息のことも、エルマのこともエーリッヒ殿下には報告してあった。だからこそ、エーリッヒ殿下はエクレール公爵の言うことを笑い飛ばすようなことはしなかった。たかが侍女を狙うなど、通常では考えられないが、リーゼロッテには、狙われる理由がある。
「…エクレール公爵、ご忠告、有り難く思います。より一層、リーゼロッテには心を配ることにいたしましょう」
「そのことなのですが」
柔らかな笑みを浮かべて、エクレール公爵は爆弾を落とした。
「リーゼロッテを私に預けてはくれませんか?」
「…と、おっしゃいますと?」
「彼女を妻に迎えたい、という意味ですよ」
「………は?」
思わず、俺もエーリッヒ殿下と一緒になって問い返してしまった。貴賓に対して、失礼な反応ではあったが。
「ブラシェール王室は、ルートヴィッヒ殿下をアニエス王女の伴侶にと考えております。そして、私はリーゼロッテを妻にしたい。どうです、そちらに悪い話ではないでしょう?」
二人揃ってブラシェールに迎えたいと、エクレール公爵は言っている。
……ナハトシュタイン王家にとっては、悪い話ではないのかもしれない。他国に行ってしまえば、彼らに手出しは難しくなる。しかも、ブラシェール王の娘婿と、公爵の妻となれば、身分も申し分ない。
───だたし、それは彼らがただの主従の関係であったなら、の話だ。
「…それには、お答えいたしかねます。ルートヴィッヒのことはともかく、リーゼロッテのことは、彼女や彼女の家族が決めることです」
王家として、彼女に婚姻を無理強いするつもりはないことを、エーリッヒ殿下は含ませた。
「そうですね。リーゼロッテのことは、口説いている最中ですし」
エクレール公爵は穏やかな笑みを見せた。
「ですが、お困りの時はお声掛けください。私はブラシェール王室の一員として、そして、エクレール公爵個人として、いつでもお力になりますゆえ」
貴公子然とした人好きのする笑みと、額面通りに受け取れば心強い言葉を残して、エクレール公爵は席を立った。
エクレール公爵を見送り、部屋のドアを閉めた俺に、小さな溜息とともにエーリッヒ殿下は言った。
「……少々、困ったことになったね」
「そうですね」
「彼女には、まだこちら側にいてもらわなければね」
同意の意味を込めて頷きを返した。
その日の夜、エーリッヒ殿下は俺に仕事を言いつけた。
「ギュンター、一人、リストに書き加えてもらいたい」
それが何のリストで、その一人が誰なのか、容易に想像がついた。明日の舞踏会は、エーリッヒ殿下の妹姫ツェツィーリア殿下の誕生祝いだが、それだけではないのだ。確認を取れば、俺の想像は間違っていなかった。
言われた通りに手配をし、舞踏会のその日、エーリッヒ殿下の妃候補には、四人の名前が挙げられた。そのリストに名前を載せることで、エーリッヒ殿下は彼女を守ろうとしたのだ。彼女を、簡単には手出しの出来ない立場に置くことによって。それが、彼らに与える影響を、まったく考慮しなかったとは思わない。エーリッヒ殿下はお優しい方だ。おそらくは、エーリッヒ殿下はこれが最善の策と採られたのだろう。彼女がこちら側にいるほうが状況はいいのだから。
妃候補が発表された翌日、俺はその妃候補の一人に呼び出された。本当はエーリッヒ殿下に直接話をしたかったのだろうが、立場上それはできない。
バイルシュミット家を訪れると、すぐにヴェロニカの部屋に通された。バイルシュミット家は我がヘルツォーゲンベルク伯爵家と姻戚関係に当たる。だから、ヴェロニカとも幼い頃から互いに知っている仲だ。
「どういうことだか、説明していただける?」
どこか怒った様子で、ヴェロニカは俺を睨む。
「エーリッヒ殿下の妃候補のリストに入れることは事前に了解を取ったはずですが?」
「私のことじゃないわ。リーゼのことよ」
出された紅茶を啜る俺に焦れたように、「ギュンター」とヴェロニカは名を呼ぶ。
「詳しいことは申し上げられませんが、それが彼女のためです」
「リーゼはルートヴィッヒ殿下が好きなのよ。他の男の妃候補になどなりたくないはずだわ」
「…それでも、こうすることが最善とエーリッヒ殿下が判断されたのです」
その言葉で、聡いヴェロニカはおおかたを悟ったのだろう。自分を落ち着かせるように紅茶を飲み、溜息を吐いた。
「……まったく、これだから男って…」
そう呟くと、今度は呆れたような視線を俺に向ける。
「エーリッヒ殿下の意図は理解しました。けれど、それは浅慮というものですわ」
ヴェロニカの言葉は、自国の第一王子に対しても容赦がない。聞き役が俺ということもあるだろう。
「リーゼが、世間で何と噂されているかご存知?」
「“モンスターの侍女”?」
そういう風に彼女が呼ばれているのは聞いたことがある。
「…その意味はね、“モンスターの唯一のお気に入りの侍女”よ」
ヴェロニカは自分の友人がそんな風に揶揄されることは気に入らないようだが、その意味するところを理解している。
「“お気に入りの侍女を兄に盗られた弟が、兄を逆恨みした”と理由を付けられたら、どう対処するつもり?」
思わず言葉を失う。
彼女を守るためにしたことが、彼を陥れる隙を作ることになる、とヴェロニカの言葉は告げていた。…本当に、彼女の聡明さには頭が下がる。
「私はね、大切な友人を守りたいの。そのためには、あなたたちにも、始めたことの責任を取ってもらわなければならないのよ。わかっているわね?」
「……無論、承知しています」
気を引き締めるつもりで頷いた。
「───それから、あなたのことも」
テーブルに置かれていたヴェロニカの手を掴む。
「あなたに相応しい地位を得たら迎えに来るという約束を、忘れたわけではありませんよ」
途端にヴェロニカの頬に朱の色が差す。その愛らしい様に思わず口元が緩む。
「責任は、きちんと取ります」
そのために、他の男が彼女に手出しできないように、エーリッヒ殿下の妃候補のリストに名を入れたのだ。勿論、我が主にも手出ししてもらっては困る。
「愛しいヴェロニカ」
そう言って手の甲に口づければ、ますます彼女は顔を赤くして、そんな世迷い事を言っている暇があったら、さっさと今後の対策にでも行けと手を振り払われた。




