嵐の夜 3
舞踏会への出席が許されたのは、舞踏会当日の朝だった。エーリッヒ殿下直々に、私が頑張っていたからそのご褒美にとおっしゃった。その好意を断ることなんてできないし、嬉々として私のドレスを選ぶヘルガに何を言うことも出来ない。
個人的には、そんなものに出席して大丈夫か?と不安になるが、ルーイ様は、もともと私は貴族の娘なのだから、舞踏会に出る権利はあると言う。それを第一王子自らが許可したのだから、堂々としていろ、と後押しされた。舞踏会には、各国の賓客だけでなく、国内貴族も多く集まる。私の家族も来るし、友人のヴェロニカも出席する。舞踏会に出れば、彼らに会えるので、結局私はエーリッヒ殿下のご好意に甘えた。
舞踏会のエスコート役はルーイ様がしてくれたので、心強かった。侍女風情と私を見下す貴族令嬢たちも、さすがに本物の王子殿下と供に会場に現れた私に嫌味を言うツワモノはいない。
ルーイ様の許可を得て、会場に来ていた両親に会い(弟のエリクはまだこういう場には出てこない)、それからヴェロニカと再会を喜んだ。
「今日はルートヴィッヒ殿下のお伴で?」
「ううん、エーリッヒ殿下がお許しくださったの」
ヴェロニカは私がルーイ様と一緒にいたからルーイ様のお伴だと思ったようだが、ルーイ様は私に付き合ってくれただけなのだ。私をエスコートしてくれた後は、王族として各国の客人に挨拶をして回っている。
エーリッヒ殿下付きの侍女として頑張ったご褒美なのだと説明すると、ヴェロニカは「そういうもの…?」と腑に落ちないような顔をしていた。確かに、侍女を頑張ったら舞踏会に出られるなんていう制度はない。ただ、まあ、私の場合は事情が特殊だし、エーリッヒ殿下も気を遣ってくれたのだろうと思う。
ヴェロニカと久々の再開に会話に花を咲かせて楽しい時を過ごした。ツェツィーリア王女の誕生祝いも滞りなく進み、舞踏会は終わりにさしかかっていた。けれど、一つまだ終わっていないことがある。
「今宵お集まりの皆さまに、この場をお借りして発表したいことがございます」
宰相の声に、会場が一瞬静かになり、それからさわさわと囁きの波が起こる。私は既に何事かギュンターから聞いて知っているので、黙っていた。ヴェロニカも黙って宰相のほうを見ている。
「我がナハトシュタイン国第一王子、エーリッヒ殿下の妃候補4名をご紹介いたします」
ある意味、これが一番のメインイベント。妹姫の誕生祝いは、いわば人集めの口実だ。ざわめく会場。固唾を呑む人々。
「カファロ公国第二王女、イザベッラ殿下。ハウスドルフ公爵令嬢、エルゼ様」
隣国、カファロ公国の王女は今日の招待客にも含まれる。兄の王子殿下と一緒に出席されている。ハウスドルフ公爵令嬢は、以前からエーリッヒ殿下の妃の有力候補だと囁かれていた美しい令嬢だ。
「バイルシュミット侯爵令嬢、ヴェロニカ様」
思わず、隣のヴェロニカを凝視してしまった。自分の名が呼ばれることを知っていたから、ヴェロニカはさっき何も言わなかったのだ。でも確かに、ヴェロニカなら家格といい、美貌や聡明さといい、第一王子の妃に相応しい。
「モルゲンリヒト伯爵令嬢、リーゼロッテ様」
…え? 今なんて? …一瞬の間の後、人々の視線が一斉に自分に集まったことで、聞き間違いでは済まされなくなってしまった。
「え? 私? 何で…?」
救いを求めるように視線を巡らせば、遠くのルーイ様と目が合ったが、彼は驚いたように目を瞠っていたから、初耳だったのだろう。その近くにいるエーリッヒ殿下は、微笑みともつかない表情を浮かべるだけだ。
両親の姿を探し出しても、うろたえている様子で、家にあらかじめ話があったというわけもでなさそうだ。第一、そんな話があったのなら、私に一報あるはずだ。少なくとも、さっき会った時に話すはずだ。
ヴェロニカは「驚いたわ。あなた、このために舞踏会に呼ばれたんじゃないの?」と囁くが、「私も驚いたわ。こんな話、初耳よ」としか答えられない。舞踏会へ出ることを許してくださった時も、エーリッヒ殿下は一切こんな話はしなかった。
舞踏会が終わり、心配するヴェロニカに曖昧に頷いて、私は会場を後にした。それから、どうやって自室へ戻ったのか、ほとんど記憶にない。
私に与えられた部屋で待っていてくれたヘルガに手伝ってもらって舞踏会用のドレスから着替える。
働かない頭で、どうしたものかと考え、ここはやはりエーリッヒ殿下に聞くしかないと結論付けて、私はエーリッヒ殿下の侍女でもあるのだからと、彼の部屋へ向かった。ところが、そこにいたのはギュンターだけで、多忙なエーリッヒ殿下には今日は会えないとのことだった。舞踏会の後でも各国貴賓との付き合いがあるし、妃候補であるカファロ公国王女とも今のうちに会っておかねばならないのだとか。
「あなたは知っていたの? あのリストに私の名前があるって」
ギュンターは侍従だから舞踏会には裏方としてしか参加しないが、エーリッヒ殿下の腹心だ。彼なら何か知っているかもしれない。
「はい。舞踏会の前にお聞きしました」
「どうして私を? エーリッヒ殿下には、私を妃候補に入れるメリットが何もないじゃない」
「それは、わたくしには分かりかねます」
ギュンターは静かに、けれどもきっぱりと拒絶した。仮に彼が理由を知っていたとしても、エーリッヒ殿下の許可なく話すことはないだろう。
仕方なく理由を問い質すのは明日以降にしようと諦めて、私はエーリッヒ殿下の居室を後にした。
そして、次に私が向かった先は、ルーイ様のところだ。あの様子では、彼はこのことを知らなかったのだろうが、私だってそれは同じだと説明しておかなければならない。エーリッヒ殿下の侍女をするうちに、そういう話になっていたなんて誤解をされたくない。
部屋を訪ねると、ルーイ様は誰もいない侍女部屋に私を招き入れた。ルーイ様も王族として客人の相手をしていたらしく、今戻ったばかりのようだった。その証拠に、まだ舞踏会の礼服に身を包んだままだ。
「あの…ルーイ様、着替えのお手伝いを…」
だん、と音を立ててルーイ様がドアに手をついたことで、私の言葉は途切れた。私は背中を侍女部屋のドアに押し付け、ルーイ様と向かい合う形になる。
「…第一王子の妃候補が、第二王子の着替えを手伝う? どういう了見だ?」
目を眇めるルーイ様の金色の虹彩が、妖しく光る。その仄暗い光にゾクリと粟立つ。けれど、目を逸らすことも出来ない。
「…違います。あれは、私も初耳で。きっと何かの間違いです。でなければ、エーリッヒ殿下が私を妃候補にする意味がな…」
もう片方の手もドアにつき、ルーイ様とドアに囲まれて、私は身動きが取れない。
「兄上が間違いなどはしない。あの場でわざわざ発表したんだ。何か意図があるに決まっている」
「……意図……?」
「お前に惚れたか、あるいは、俺からお前を引き離すのが目的か」
「そんなはずありません。エーリッヒ殿下は、ルーイ様のことを心配なさって…」
だって、でなければ、あんなことを言うはずがない。『彼がここで心を許せるのは、君くらいだろうから』なんて。
「お前に何の話もなく、いきなりこんなことをした兄上の肩を持つのか?」
「そうじゃありません。でも、周りが言うほど、エーリッヒ殿下はルーイ様のことを嫌っていないと思うんです」
深い青の瞳が、金色の光を伴ってじっと私を見つめる。私に偽りなど何もないことを証明するように、私もそれを見つめ返す。暫く無言で、私たちは睨み合うように見つめ合っていた。それを先に終わらせたのは、ルーイ様だ。
ドアについていた片手を外し、顔を近付ける。反射的に目をつぶると、吐息が頬を撫で、そのまま通り過ぎた。ルーイ様の額がドアに触れたのが気配でわかった。
「……無理やりにでも自分のものにしておくべきだった。兄上の妃候補になどなられては、手も出せない」
耳元に小さな呟きが揺れて消えた。




