嵐の夜 2
エーリッヒ殿下は、王宮の侍女からしてみれば、最高の結婚相手だ。次の玉座を約束された、見目麗しき優しい王子様。第一王子付きの侍女になれれば儲けもの。あわよくば見初められるかもしれない。そう期待する侍女たちにとって、第二王子の侍女のくせに、突然現れて第一王子の侍女になった私は気に食わない存在なのだそうだ。エルマ曰く。
エルマは既に婚約者がいて、王宮には行儀見習いに来ている程度なので、エーリッヒ殿下のお相手になどという気はさらさらなく、そういう意味で私に嫉妬心を抱く要素はないのだと笑った。
そんなわけで、第一王子の侍女がどうの、モンスターがこうの、と言わないエルマといるのは心地よく、仕事のことで聞きたいことがあれば、私はエルマを頼るようになった。
侍女たちに言ったように、毎日の出来事をエーリッヒ殿下に逐一報告するなんてことはしていなかったが、仕事はどうだい?と尋ねるエーリッヒ殿下に、よく仕事を教えてもらっているとエルマのことは話した。エーリッヒ殿下は公正な方だから、私がどうということではなく、新人にきちんと仕事を教えたという点で彼女を評価してくれるだろう。
今日もエルマに仕事を教わり、その帰りに一人で宮殿を歩いていた。そこへ、見慣れぬ若い男が通りかかった。服装などから王宮に出仕している貴族だろうと推測して、頭を下げて道を譲る。それが王宮の習わしなのだ。たとえどんなに廊下が広かろうとも。
通り過ぎて行くはずの男性が、私の前で足を止めたので、何事かと顔を上げる。
「これは美しいお嬢さんだ。新しい侍女かな? お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
え、いきなりナンパ?と内心慌てる。ただ、相手は貴族なので、最近王宮へ来たばかりの侍女だと一応名乗る。
「リーゼロッテ嬢。ああ、王宮でこのような出会いがあろうとは。どうかわたくしに少しあなたの時間をくださいませんか?」
男が寄ってくるので思わず後ずさり、背中には廊下の壁が迫っていた。どうすんのよ、この状況!? 王宮を出会いの場所と考える侍女もいるって聞いたけど、こんな出会い要らないんだけど。男が私の手を取って今にも口づけそうになる。わあ、勘弁! 力いっぱい引き抜こうとして、男の向こうに救いを見つける。
「エーリッヒ殿下がお呼びです」
無表情で現れたギュンターが告げた。これ幸いと私は男から逃げ、ギュンターと共にエーリッヒ殿下の居室へ向かった。
「お気を付けください。王宮に新しい侍女が入ると、ああして声を掛ける不届き者がいるんです」
道すがら、ギュンターが言った。
「それって、からかわれたってこと? それなら良かった。相手は貴族だし、無下に断れなくて困ってたのよね」
からかっているのなら、バッサリ断れると安堵した。
エーリッヒ殿下の居室に通されると、出し抜けにエーリッヒ殿下に尋ねられた。
「ブラシェールのエクレール公爵とは知り合い?」
私は一瞬言葉に詰まる。知り合いと言えばそうだが、何故急に?と思いかけて、そういえば彼も舞踏会の招待客の一人だったと思い出す。
「はい。以前にルートヴィッヒ殿下のお供でブラシェールに伺った時に」
「そう。彼が君を自分の侍女にしてくれないかと言っているんだが」
何を言っているんだ、あの公爵は! 私は全力で首を左右に振った。そんな他国の貴族の我儘を聞き入れないでください、頼むから!
「急に迎賓館付きなんて無理だから、断っておいたよ」
私の願いが通じたのか、エーリッヒ殿下はいい仕事をしてくれていた。ありがとうございます、と心からの感謝を述べる私に、エーリッヒ殿下は容赦なく告げる。
「でも、君に会いたがっていたから、挨拶には行ってあげなさい」
「……はい」
自国が招待した賓客を無視するわけにはいかないので、渋々ながらエーリッヒ殿下の言葉に従って、私は迎賓館にセドリック・デクレール公爵を訪れた。
「やあ、リーゼ! 久しぶり。元気だったかい? 会いたかったよ!」
相変わらず紳士然とした嘘くさい綺麗な微笑みで、エクレール公爵は両手を広げて私を抱きしめようとした。
「お久しぶりでございます、エクレール公爵様。ご機嫌麗しいようで、なによりです」
それを無視して全力で拒む空気を出しながら、礼儀に則って挨拶をする。
「セディと呼んでと言ってるのに。相変わらず、つれないなあ」
呼べるか、他国の王族を。この舞踏会にブラシェール王の名代として来たということは、公爵としてというよりは王族として来ているのだろうに。エクレール公爵は悪い人ではないのだけど、好きでもない私に、政治的意義もないのに求婚するような人だ。ちょっと理解に苦しむ。
舞踏会も明日に迫った今日、ルーイ様が王宮へやってくる。私はエーリッヒ殿下の許可をもらって、ルーイ様をお迎えするための準備にとりかかった。部屋を整えて、それから部屋に飾る花を王宮の庭から摘んでくる。
花を抱えて庭から戻ってくると、丁度王宮の廊下を歩いていたエクレール公爵が私の前で立ち止まった。挨拶しようと頭を下げ掛けて、異変に気付く。
「リーゼ!」
抱き締められたかと思うと、そのまま地面に押し倒される。庭から王宮の廊下に繋がる場所だったので、廊下側から押し出されれば、そこは外ということになる。
ガシャン!と音を立てて、何かがすぐそばに落ちた。庇われたエクレール公爵の肩越しに見やれば、そこには壊れた植木鉢が落ちていた。王宮の廊下の上はテラス回廊になっていて、そこから植木鉢が落ちたのだろう。──とはいえ、普段は植木鉢など置いていない場所なのだけど。その事実に、背中がゾクリとして足がすくむ。
「リーゼロッテ嬢! 大丈夫ですか!?」
不意に、廊下から声が掛けられて、男が駆け寄って来た。見覚えのある顔だと思ったら、先日のナンパ男だ。
「私は大丈夫です。それより、エクレール公爵様を」
体を起こしたエクレール公爵に目を向ける。彼は「大丈夫ですよ」と微笑み、私のことを心配してくれるが、こんなところでブラシェール国王の甥に何かあれば、国際問題になりかねない。我が国の王宮警備だって問題視される。
ああ、私のバカ! 異変に気付いた時に、すぐに彼を庇うべきだったのだ。なのに、自分が庇われるなんて。
「何事だ?」
その声に、私の思考はストップする。顔を上げれば、そこには、ギュンターを伴ってルーイ様が立っていた。
「あっ、あの、植木鉢が落ちて来て、エクレール公爵様が私を庇ってくれて…」
半ばパニック気味に説明する私に、ルーイ様は苦笑を向ける。
「落ちつけ、リーゼ」
そう私を宥めてから、ルーイ様はエクレール公爵に怪我はないかと尋ねる。エクレール公爵は頷いたが、念のため医務官のところへ連れて行くようにギュンターに命じる。ギュンターに促されて立ち上がったエクレール公爵に、私は慌てて声を掛ける。
「エクレール公爵様っ……あの、セディ様、ありがとうございました」
地面にへたり込んだままの姿勢では失礼になるだろうが、どうにも立ち上がれずに私は、何とかお礼を言った。セディ様と呼んだのは、せめてもの感謝の気持ちだ。エクレール公爵はにこりと微笑んで、ギュンターと去って行った。
「大丈夫か、リーゼ?」
言うや否や、ルーイ様は地面に座り込んだままだった私を抱き上げた。王子様にお姫様抱っこされる侍女ってどういうことよ!?と私は慌てた。
「あの、ルートヴィッヒ殿下。よろしければ、私がお連れしましょうか?」
呆然としていたナンパ男が慌てたように申し出た。王族が侍女を抱き上げるなんてあり得ないので、彼の申し出は当然と言えば当然だった。
「その必要はない」
それだけ言うと、ルーイ様は私を抱いたまま廊下を歩き出した。
歩けるから大丈夫だと何度降ろしてくれるように頼んでも、結局ルーイ様は自室まで私を降ろしてはくれなかった。居室の侍女部屋に入りドアを閉めると、やっと降ろしてくれた。相変わらず侍女は誰も控えていない。
「あの、ルーイ様、ありがとうございました」
お礼を言って頭を下げたところで、自分のスカートに付いている花びらに重要なことを思い出す。
「あっ…お花…置いてきちゃいました。申し訳ありません」
部屋に飾ろうと摘んだ花を、あの騒動でバラ撒いてしまい、ぶちまけたまま忘れて来てしまったのだ。
「花などなくてもいい。お前がいれば十分だ」
唐突に囁かれる甘い言葉に驚く間もなく、口を塞がれる。甘い感触に、さっきとは違う意味で足に力が入らない。
「…王宮内で、侍女にこんなことをして、大丈夫なんでしょうか…?」
唇を離したルーイ様に、照れ隠しの意味もあって尋ねる。
「俺の部屋は見張られているかもしれないが、侍女部屋までは覗かないだろう」
不穏なことを、軽い調子で言ってルーイ様は笑う。でも、監視が付くくらいなら、廊下で私をお姫様抱っこしていたのは、バッチリ見られていたんじゃないだろうか。そう心配すると、それはわざとだから心配ないとルーイ様は人の悪い笑みを浮かべた。
「あれは、牽制だからな」




