Monster 2
このグラウ城へ来て三日。はっきり言って私は暇だった。呼ばない限りは来るなと主に命じられた以上、私は声が掛からないと仕事がない。実際、ルートヴィッヒ殿下の身の回りの世話は、執事のロゲールがしており、私には侍女としての仕事は与えられなかった。
あまりに暇なので、城の中を探検して時間をつぶしていた。部屋から出歩くことを禁じられたわけではない。噂の幽霊城は、好奇心をくすぐるには十分で、私はあちこち歩き回っていた。
戦のために造られた城は通路が複雑で、迷うことも何度かあったが、だいぶ城内に詳しくなったと思う。さすがにまだ首なし騎士の幽霊が出るという北の塔には怖くて行けなかったけれど、いつか行ってみようと思っている。
今日は、庭へ出てみた。広さの割に使用人の少ないこの城では、他の使用人に会うことも少ない。この庭まで来る間にも会わなかったし、庭にも、一人の庭師も見当たらない。けれど、庭は綺麗に手入れをされていた。
広い庭には、お金持ちの貴族の庭でさえも見られないような珍しい植物が多くあった。品よく整然と植えられた植物たちが、この殺風景な城の唯一の彩のように輝いて見えた。香りの良いワイルドローズの生け垣にうっとりする。
庭の一角にハーブ園を見つけて、思わずしゃがみ込む。貧乏だったゆえか、食べられる植物に異様に興味があるのだ。お世話になっていた食堂でも、ハーブはよく料理に取り入れられ、ハーブで香りをつけた紅茶などもよく淹れていた。
種類豊富なハーブたちを見ていると、ふと、名案が思い浮かんだ。
コンコン、とノックして、相手の返事を待たずにドアを開けた。
「お茶をお持ちしました」
「…俺は頼んでいない」
「ええ、勝手に持ってきましたので」
読んでいた本からちらりと視線を上げて、不機嫌そうにルートヴィッヒ殿下が言うが、それを無視して、紅茶セットの乗ったワゴンを押して部屋に入る。殿下にさほど怒った様子はないので、さっさとテーブルを拭いてお茶の準備を始める。
「呼ばない限りは来るなと言ったはずだが?」
「殿下は私を一度も呼んでくださらないじゃないですか。はなから呼ぶつもりなどなかったのでしょう」
答えながら、作業を続ける。
「でも、それでは、私の仕事がなくて困るんです」
紅茶のポットにお湯を注ぎ、蓋をして蒸らす。
「私は『働かざる者食うべからず』を信条としているんです。仕事がないのでは、堂々と給金をもらえないじゃないですか」
あんな破格の給金を、何もしないで城内をうろついているだけでもらうなんて、とてもじゃないが、私にはできない。他の貴族の令嬢なら、自分の存在にそれだけの価値があると胸を張って言えるかもしれないが、私は庶民的な思考回路の持ち主なのだ。
「……俺の監視ができずに困る、というのが本音か?」
手にしていた本を机に置いて、殿下は瞳を私に向ける。
初めて見るその瞳に、一瞬ゾクリとした。青い瞳に走る、金色の光。噂では金色の瞳だと聞いていたが、実際には、殿下の瞳は青だ。その深い青の中に、金色の虹彩が異様に目立つ。まるで、夜の稲妻だ。
そして何より、恐怖を覚えるのは、その瞳の冷たさだ。温度の感じられない視線に、思わず目を逸らしたくなる。
けれど、ここで引き下がるなんて、私の意地が許さない。
「それも、まあ、そうですけど。でも、それは、何かあった時に報告すればいいことになっているので」
ルートヴィッヒ殿下は、私が何を言われてここに来ているのか見抜いているようだったので、偽る必要もないだろうと正直に答えた。おそらく、殿下が私に部屋に来るなと言った理由も、そこにあるのだろう。
「ずいぶんと、あっさり認めるんだな」
殿下の声は、驚きとも呆れとも取れる調子だった。
「口止めはされておりませんので」
実際、私にルートヴィッヒ殿下を監視するよう命じた第一王子のエーリッヒ殿下は、口外するなとは、一言もおっしゃらなかった。もっとも、私がこんなに簡単にルートヴィッヒ殿下にバラすとは思わなかったから、あえて口にしなかっただけなのだろうけど。
でも、どうせルートヴィッヒ殿下は見抜いているのだし、私がエーリッヒ殿下に報告すべき内容があるわけでもない。この状況で嘘をつくことは、得策ではない。
私を見つめていた殿下の視線が、ふと和らいだかと思うと、プッと小さく噴き出した。
「変な女だな」
独り言のように失礼なことを呟いて、殿下は私に再び視線を向ける。けれどそれは、さっきまでの冷たさはなくて、温度が感じられた。
「…名は、何と言ったか?」
「リーゼロッテにございます」
やっぱり、ろくに名前も覚える気がなかったな、このやろう、と思いつつ、笑顔で答える。覚える気が出たなら、許してやろう。
「もう一つ茶器を持ってこい」
「え?」
「お前の分だ」
机から立ち上がった殿下は、私がお茶を用意していたテーブルにやって来て椅子に座った。
「そこに座って、お前も飲め」
殿下は自分の向かいの席を指し示す。
「王宮の手の者が淹れた茶など、易々と飲めるか。俺の目の前でお前が毒見して見せろ」
どうやら私に仕事をさせてくれる気になったらしいので、言われた通りにカップをもう一つ用意して、殿下の分と自分の分の紅茶を淹れた。
毒見、ということで、私が先にお茶に口をつける。
ああ、美味しい~っ! やっぱり使ってる茶葉が違うからかしら。安物のお茶しか飲めなかったから、王室御用達の高級茶葉の美味しさに感動する。殿下の前だということもすっかり忘れ、ほんわりした気分になって、ついついおかわりしようとポットに手を伸ばす。毒見用だからと、あまり量を注がなかったのだ。
「主を差し置いて、おかわりかよ」
呆れたように向かいの殿下が呟いた。「すみません」と手を引っ込めると、「かまわん、飲め」と殿下が笑った。
笑うと、すごく優しい顔をする。
「…なんだ?」
カップに手を掛けた殿下が、じっと殿下を見つめる私の様子に眉根を寄せる。
「初めて笑い掛けてくださいました。嬉しいです」
「…何を…」
何か言いかけて、照れ隠しするように殿下は紅茶に口をつけた。
「…良い香りがする」
「レモンバームです。お庭にあったものを使ってフレーバーティーにしてみました」
勤めていた食堂のおかみさんがハーブティーやフレーバーティーを淹れる名人で、私も手ほどきを受けたのだ。庶民の飲むお茶はあまり質の良くないものが多かったので、ハーブをブレンドしてフレーバーティーにして飲むことが多かった。
さっき庭でハーブを見つけ、コック長に頼んで、殿下の紅茶でもフレーバーティーを試してみたのだ。茶葉が美味しいと、一層美味しくなることがわかった。
「レモンバームは、イライラを和らげる効果があるんですよ」
ハーブの効能は、食堂のおかみさんに教えてもらった。
「俺はイライラしているように見えるのか」
「はい」
正直に答えると、殿下は再び笑った。
「お前の淹れる紅茶は美味いな、リーゼ」
名を愛称で呼ばれ、思わず笑顔になる。気難しい野良猫を手懐けた気分だ。
「殿下がお望みならば、いつでもお淹れいたします。私は殿下の侍女ですから」




