仮面舞踏会 3
差し出されたシャンパンを一口飲んで、深く息を吐いた。少し冷たい外の空気が火照った頬に心地いい。
「大丈夫ですか?」
目の前のこの男に連れられてやってきたのは、会場を出て、同じ建物内にある静かなテラスだった。ところどころにかがり火が点る暗い庭に続くテラスは、賑やかな会場とは対照的に静かだった。
「ええ、もう大丈夫です。すみませんでした」
落ち着きを取り戻した私は、男に頭を下げた。男に支えられるようにして会場を逃げ出した醜態を思うと、恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
最初から、ルーイ様と自分の身分差など、わかっていた。それなのに、いざ、彼が王族なのだと思い知らされると、どうしようもない思いに駆られる。お似合いのアニエス王女と仲睦まじくダンスする姿を見たくなくて、逃げ出してしまうほどに。
「申し訳ない。少し、意地悪が過ぎたようだ」
思いがけない言葉を男が口にして、私は首を傾げた。
「婿がね探しの舞踏会に、わざわざあなたを連れて来たのだから、それがアニエス王女への牽制の意味だなんてことは、わかっていたんですが」
男は唇に苦笑を乗せた。先ほどの笑みとは違い、冷たさはない。
「彼が選んだ女性が、どんな人なのか、興味があっただけなんです。リーゼロッテ嬢」
そっと手を伸ばして、男は私の仮面を奪った。仮面舞踏会で素顔をさらすなんて、本来あるまじき行為だけど、この人は私の名も知っているようだし、今さら意味のないことかもしれない。
「……あなたは、誰なの?」
男は自分の仮面を外した。甘やかで秀麗な顔立ちの中で、金色の虹彩が走る紫紺の瞳だけが、月明かりを受けて妖しく光る。明るい金色の髪も、眼の色も、顔の造りも、ルーイ様とは異なるのに、その瞳の金色の輝きのせいだろうか、どこかルーイ様と似た雰囲気を感じさせる。
「私の名は、セドリック・デクレール。アニエス王女とは、従兄妹に当たります」
それで、内情に詳しかったわけだと合点がいった。彼が、噂に聞く、エクレール公爵ということか。隣国ナハトシュタインにまで、麗しの若き公爵の噂は流れて来ていた。ブラシェール国王の弟君エクレール公のご嫡男。現在はエクレール家の家督はセドリック様が継いでいるから、彼がエクレール公爵だ。
「エクレール公爵様、ご無礼をお許しください」
仮面舞踏会なのだから、相手の身分はわからないし、ここでの振る舞いは無礼講とはいえ、私の今までの態度は無礼にあたるだろう。
エクレール公爵は、首を左右に振り、微笑んだ。許してくれるということだろうか。
「私のことは、セディとお呼びください」
手を取られて、驚いてエクレール公爵を見上げる。
「何をしている?」
不意に投げかけられた硬質な声に、反射的に思いっきり手を引き抜く。
「ルーイ様…!」
エクレール公爵の背後から、仮面を手に外したルーイ様が近付いてきた。その視線はエクレール公爵に注がれ、公爵のほうも振り向いてルーイを注視している。二人の金色の光が走る瞳が向かい合い、今にも雷が現れそうに睨み合う。
「あのっ、ルーイ様! 私がお酒に酔って気分が悪くなってしまって、エクレール公爵様が助けてくださったんです」
二人の険悪な雰囲気を何とかしようと、ルーイ様に話しかける。
「それは連れが世話になった。礼を言う」
私の隣に立ったルーイ様が、私の肩を引き寄せ、とても礼を言う雰囲気ではない氷の視線をエクレール公爵に投げつける。
「いいえ、どういたしまして」
ルーイ様の眼に怯むことなく、エクレール公爵は余裕の微笑みを返した。けれど眼は笑っていなくて、ルーイ様と似たような温度だ。
濃い茶色の髪を持つルーイ様と、明るい金髪のエクレール公爵。決して愛想がいいとは言えないルーイ様と、紳士然としたエクレール公爵。見た目も性格も対照的なのに、その金色の虹彩という共通点のせいなのだろうか、何故か同じような迫力がある。
「あの、エクレール公爵様、お手数をお掛けして申し訳ありませんでした。ありがとうございました」
二人の美男子が睨み合う図は、一部の女性は頬を赤らめて喜ぶかもしれないけれど、側にいる人間にとっては心臓に悪いだけだ。ここはエクレール公爵にご退席いただこうと暗に示して頭を下げた。
「セディ、ですよ、リーゼ」
私の意図がわかっているだろうに、エクレール公爵は空気を読まない発言をした。いつの間にか私の呼び方まで変わっていたが、聞こえないふりをした。
「では、リーゼ、また後で」
手を取られて、甲に口づけられる。手袋をはめているとはえ、突然のことに驚いて固まっている私に微笑みかけ、エクレール公爵は会場へ戻って行った。
「…“また後で”?」
「いえ、何も約束なんてしていません!」
ルーイ様の眼光に、慌てて否定する。
「男に付いていくなと言ったはずだが?」
「…違います! 気分が悪くなって外へ出たら、公爵様が心配して付いてきてくれただけで…」
実を言うと、会場を出た後、テラスまではエクレール公爵が連れて来てくれたのだが、今そんなことを言うと火に油なので黙っている。
呆れたように溜息を吐くルーイ様に、何となくムッとする。もとはと言えば、私を放ったらかしてアニエス王女とダンスなんて楽しんでいたルーイ様のせいじゃない。
「もういいんですか、アニエス王女は?」
せめてもの反撃にと訊いてみる。
「ああ、二曲も踊れば、義務は果たしただろう。ダンスの順番待ちも大勢いたことだし、譲ってやらないと悪いからな」
「…やっぱり、ご存じだったんですね。この舞踏会が、アニエス王女の花婿探しのものだって」
ルーイ様がバツの悪そうな顔をしたので、それが肯定の意なのだと受け取った。
「だから、わざわざお前を連れて来たのに、逆効果だったようだ」
「アニエス王女は負けん気が強いから、余計に燃えるんだそうです」
エクレール公爵の言葉を伝えると、あの王女の気性なんか俺が知るかよ、とルーイ様はげんなりしたように言った。
「リーゼ、お前はもう部屋に戻っていいぞ」
「え、でも…」
唐突な言葉に戸惑う。舞踏会の途中で抜けるなんて、失礼にならないだろうか。
「酒に酔って気分が悪いんだろ?」
「それは、もう大丈夫ですから。最後まで頑張ります」
「無理をすることはない」
ルーイ様の手が伸びてきて、頬に触れた。指先が顔の輪郭を辿り、首筋に降りる。そこから広く開いた肩へ滑る。
「このドレスを着せたことを、後悔している」
少しかがんだルーイ様の唇が、うなじへ落とされる。ピクリと体が反応して、みるみる顔が熱くなる。
「これ以上、お前を他の男に見せたくない」
耳元で囁かれ、顔は赤くなるばかりだ。肩に添えられていたルーイ様の手が、肌を伝って鎖骨をなぞる。そこから、大きく開いた胸元へ行きかけて、再び鎖骨をたどった。
「…ルーイ様…?」
もう一方の手で顔を固定されて、ルーイ様の唇を受ける。触れるだけだった口づけが次第に深くなりかけたところで、ルーイ様が顎を引いた。
「俺は付き合いがあるから、もう少し残る。お前はすぐに部屋に戻れ」
そう言い置いて会場へ戻って行くルーイ様の背中を、その場にへたり込みそうになりながら見送った。唇もうなじも、肩も首筋も鎖骨も、ルーイ様が触れたところすべてが熱い。




