仮面舞踏会 2
舞踏会のドレスは、淡いすみれ色の襟ぐりの開いた大人っぽいデザインのものだ。今まで着たことのない類のものだったので戸惑ったけれど、ルーイ様とヘルガに似合うと絶賛されて、悪い気はしないので、その気になってしまった。髪を結い上げ、化粧をしたドレス姿の自分を見てみると、意外と悪くないとか思ってしまった。
ルーイ様の胸にはドレスと同色のチーフが飾られていて、そのお揃いな感じが嬉しくもくすぐったくもある。
だが、しかし。
「…私、本当に必要だったでしょうか…?」
会場に入る前に渡されたそれを手に、そして既にそれを身に着けた人々を見れば、こういう疑問が湧くのも当然だと思う。
「各国の王族や国内貴族が互いに気兼ねせずに楽しめるようにという心遣いらしい」
と、私と同じようにそれを持つルーイ様が苦笑して説明する。そういう建前はもっともらしいが、手にしたものを見れば、そればかりでもないだろうと溜息をつく。
舞踏会の前に渡されたのは、仮面。
きらびやかな装飾を施された仮面を着けた人々が会場を賑わせている。つまりは、仮面舞踏会だ。
仮面舞踏会というのは、当初は身分の垣根を越えて楽しむためのものだったらしいが、今では、身分を隠して一夜の恋を求める、貴族の享楽の場となる場合が多い。
王宮で公に開かれるものだから、趣旨としてはルーイ様が言った通りなのだろう。仮面に隠れて他国の情報を仕入れることも目的なのかもしれない。だが、仮面舞踏会としての側面を考えると、パートナーを同伴する必要はない。仮に同伴したとしても、互いの火遊びには目をつぶる、というのが一般的だと聞いている。
「男に誘われても、付いて行くなよ」
仮面を着けたルーイ様が私の手を取る。私も渋々仮面を着けて、ルーイ様と共に会場に入る。女性を伴ってくる男は珍しい。自然と会場の視線が集まる。
みんな仮面を着けているから、どれが誰だかわからないが、すべては近隣諸国の王族か、ここブラシェールの有力貴族たちだ。失礼があってはいけない、と緊張する。ルーイ様の腕に添えた手に、そっとルーイ様が手を重ねる。
「踊ろう」
会場では、楽隊がワルツを奏で始めた。一曲目はパートナーと踊るのが慣例だ。パートナーを連れていない人たちも、近くの人たちで誘い合って会場中央へと進み出る。ルーイ様に腰と手を取られて私もダンスに加わる。緊張していたが、何とか足は動くようで、ルーイ様の足を踏んづけるようなことにはならなくて済みそうだ。
キラキラと輝くシャンデリア、華やかなドレスで舞う紳士淑女たち。ワルツに合わせて回る度に、きらびやかな仮面舞踏会に飲み込まれていく。
一曲目のワルツが終わると、ダンスをしていた人たちは、それぞれに散って行った。新たなパートナーを探す者、シャンパンを取りに向かう者。その中に、誰かと踊っていたらしい赤い髪の女性を見つけた。多くの男性にダンスを申し込まれているようだが、彼女は断っているようで、少しずつこちらへ近づいてくる。
壁際に避けていた私たちのほうへ歩いてきた彼女は、ルーイ様の前で立ち止まった。
「踊っていただけるかしら?」
舞踏会では、特別嫌でない限りは、誘われたらダンスを断らないのが暗黙のルールだ。
「喜んで」
だから、ルーイ様はそのルールに従った。しかも、誘ってきた相手はアニエス王女だ。仮面を着けていても、彼女の鮮やかな赤い髪と妖艶な声ですぐにわかった。この舞踏会の主催者であるブラシェール国王の娘の誘いを断ることは、むしろ失礼にあたる。
「悪いが、少し待っててくれ」
私の耳元にそう囁くと、ルーイ様はアニエス王女の手を取って、ダンスフロアとなっている会場中央へ向かった。
ルーイ様とアニエス王女の背中を見送って、私は溜息を押し隠して、壁の花となるべく会場の隅へ行こうとした。ところが、目的地に着く前に声を掛けられた。
「お嬢さん、私と踊っていただけますか」
綺麗な金髪の男性を見上げて、息を呑む。その人は、他の人と同じように仮面を着けていたけれど、その向こうの瞳に、思わず釘づけになる。
紫紺の瞳に、稲妻のように走る、金色の光。ルーイ様と同じ、稲妻の瞳。
あんなに珍しい瞳が、この世に二人といるのだと思った。そして、アニエス王女に最初に会った時のことを思い出す。彼女は、ルーイ様の瞳を褒めはしたが、驚いてはいなかった。きっと、金色の虹彩を持つ瞳を見たことがあったのだ。おそらくは、この人の。
「お嫌ですか?」
その声に我に返り、差し出された手に自分の手を重ねる。
「いいえ、喜んで」
仮面舞踏会でなくても、ダンスに誘われたら断らないのが礼儀だ。礼を失しないように、私はダンスの誘いを受けた。男性は微笑んで、私の手を取ってダンスする人たちの中へ誘った。
たくさんの人たちが踊る会場で、なぜかルーイ様とアニエス王女の姿はすぐに見つかった。アニエス王女が楽しげにルーイ様を見上げ、何か話しかけている。ルーイ様も口元に笑みをたたえてそれに応えている。
「アニエス王女は、あなたのパートナーをお気に召したようだ」
ダンスをしながら、至近距離で男性が囁いた。反射的に顔を上げる。男性は意味ありげに、ゆっくりと唇に弧を描く。
「あの負けん気の強いアニエス王女のこと、自分の婿がね探しの舞踏会に、わざわざ女性を伴ってきた彼を振り向かせたいのでしょう」
最初は渋っていたはずなのに、俄然やる気が出てしまったんでしょうね、と呟く。
「彼女の気性を知っていてやったのだとしたら、あなたのパートナーは相当な策士だ」
訊きたいことが多すぎて、何から訊けばいいのかわからず、黙って男性を見上げる。
「おや、ご存知なかったのですか。この舞踏会が、アニエス王女の婿探しのために催されたことを」
男は片眉を上げて言った。ダンス中でなければ、肩をすくめる動作を伴いそうな口調だ。
ブラシェール国王には、子どもがアニエス王女一人しかいない。王位は男性しか継げないから、世継ぎがいないことになる。そこで、アニエス王女に婿を取らせ、その婿に王位を譲り、いずれ生まれるアニエス王女と婿君の子が世継ぎとなる。
まあ、今のナハトシュタインと同じようなことですよ、と、訊いてもいないのに、男はそう説明してくれた。
「だからこの舞踏会に招かれたのは、近隣諸国の王太子ではない王子と、ブラシェール国内有力貴族の独身の子弟たちばかりなんです」
その中からアニエス王女が婿を探すという算段らしい。近隣諸国の王子を招待するのに、あからさまに婿候補だとは言えないので、そこはオブラートに包んで招待しているだろうが、近隣諸国の王族も、ブラシェールの意図を汲んで、何かと名目を付けて王太子ではない王子を出席させているようだ。おそらくは、ルーイ様が出席することになったのも、そういうことなのだろう。ルーイ様がそれを知っていたかどうかは、わからないけれど。
仮面舞踏会なのは、アニエス王女が誰を選んだとしても恨みっこなし、というフェアな状況を作るためだという。
「もちろん、舞踏会なので男性ばかりというわけにはいきませんから、国内貴族の令嬢も招かれていますがね。他国のご令嬢は、あなたくらいですよ」
冷ややかな笑みを唇に乗せる男の、紫紺の瞳を見つめる。この人は、何をどこまで知っていて、どういうつもりで私にこんな話をしているのだろう。
曲が終わり、ダンスを終えると同時に、私は男から離れてさっさと歩き出した。ダンスフロアを出た頃には次の曲が始まった。ちらりと視線を中央へ向ければ、アニエス王女とルーイ様が再び踊り出したのが目に入った。
艶やかな美しさを持つアニエス王女は、女の私から見ても、十分に魅力的だ。静かでありながら、どこか凄味のあるルーイ様の美貌と並んでも、引けを取らない。王族としての身分や立場を考えても、彼らの婚姻は、喜ばしいものだろう。
だけど、それなら、私は何のために、ここにいるのだろう。
涙が溢れそうになって、慌てて口元を手で隠して、周りに表情を悟られないようにする。
「ご気分がすぐれませんか?」
私の後ろに付いてきていた男が、親切そうに肩に手を掛けた。




