騎士見習いの憂鬱
まったく、冗談じゃない。
どいつもこいつも、人の姉を捕まえて、揃いもそろって、ことごとく「モンスターの侍女」なんて、不謹慎極まりない呼び方をしやがって。
姉のリーゼロッテが、王都の北の森にあるグラウ城に住まうルートヴィッヒ殿下の侍女になってから、初めて公の場に顔を出すと言うので、貴族の子弟たちの間では話題になっていたらしい。友人であるバイルシュミット侯爵令嬢のヴェロニカ様に招かれてお茶会にリーゼが出席することは、なぜか誰もが知っていた。
「よ、エリク。モンスターの侍女殿がお帰りあそばしたって?」
「ディーター、お前まで!」
騎士学校の同級生である友人に声を掛けられて、憤慨して見せる。俺が姉をそんな風に言われることを快く思っていないのをわかっていながら、からかっているのだ。
「悪い悪い。それで、姉君はお元気か?」
まったく悪いと思っていない様子で謝り、一応姉を気遣う素振りを見せる。どう考えても、面白がっているだけだろう。
「元気だよ。こっちが拍子抜けするくらいに」
あの悪評ばかりの第二王子に侍女として仕えることになった時は、家族全員で心配した。第一王子のエーリッヒ殿下から直々に頼まれたのでは、断る術もなかったのだけど。その時も、リーゼは一人、平気な顔をしていた。「“モンスター”なんてあだ名はあるけど、相手は人間でしょ。言葉が通じれば、何とかなるわよ」なんて言ったのだ。そうはいっても、リーゼにだって不安はなかったわけではないだろう。ひとたび王都を離れてグラウ城へ行けば、容易には家に帰って来られない。
その姉が友人のお茶会に招かれ、主人であるルートヴィッヒ殿下の許可を得て家に帰って来たのは、昨日のことだ。
「リーゼ、本当に大丈夫なの?」
帰ってきた姉の自室を訪ねて訊けば、キョトンとした顔で訊き返された。
「大丈夫って、何が?」
「ルートヴィッヒ殿下だよ。変人なんだろ。嫌なこととかされてない?」
俺の心配をよそに、リーゼは微笑んだ。
「変人なんて、ただの噂よ。殿下はとても優しいわ」
そりゃ、相手は王子様なのだから、いくら家族にだって「嫌な奴だ」なんてことは言えないのかもしれないけれど。
「お金のことなら俺が何とかするから、無理しなくてもいいんだよ」
未だ騎士学校に通う騎士見習いの俺の身分では説得力のない台詞だが、いずれモルゲンリヒト伯爵家の家長となる身としては、姉を犠牲になどしたくない。
貧乏貴族の我が家の家計を守るために、リーゼが侍女の話を引き受けたということは、わかっている。今までだって、家のために、貴族の娘の侍女をしたり、庶民の食堂で町娘みたいにアルバイトをしていたのだ。
「エリク、心配してくれてありがとう。でも、無理なんてしてないわ」
「でもリーゼ…」
姉を心配して俺はなおも食い下がった。父様や母様には言えなくても、弟の俺にくらいは、本心を明かしてくれて構わないと思った。
「本当に殿下は優しいのよ。怖いのなんて噂だけ。このドレスだって、殿下が用意してくださったのよ」
なのに、リーゼは、本当に嬉しそうな顔をして、ルートヴィッヒ殿下がくださったというドレスを指差した。その様子に、リーゼがルートヴィッヒ殿下を嫌うどころか、敬愛の念を抱いているようだとわかった。
……何となく、俺は面白くない。
「…リーゼが、嫌な思いをしてないなら、それでいいんだけど…」
姉が辛い思いをしていないのは、嬉しいことなのに、なぜか釈然としない。そんな俺の様子をどう受け取ったのか、リーゼは幼子にするように俺の頭を撫でた。「子ども扱いすんなよ!」と抗議すれば、家にいた時みたいに朗らかな笑みを見せた。
「じゃあ、お前の姉君は、あのルートヴィッヒ殿下と上手くやってるんだな」
感心したようにディーターは言った。
「…縁起でもないこと言うな」
思わず俺は本音を零す。「え?」と瞠目したディーターは、「良好な主従関係を築いているって意味だったんだけど」と言って、ニヤリと笑った。マズイ、と思ったが、時すでに遅しだ。ディーターはニヤニヤと完全にからかう表情になった。
「へええぇぇぇ、シスコンエリクは、大事な姉君が王子殿下の寵を得たら困るってか?」
「不謹慎な冗談言うなよ!」
俺は思い切り眉間にしわを寄せてディーターを睨んだ。王子の侍女になんてなった時点で、そのテの噂が付きまとう。それが嫉みや妬みのタネになり、“モンスターの侍女”なんて侮蔑的な呼び方をされているのだ。王族の寵愛を狙って娘を侍女にする貴族の例もあるくらいだから、そういう邪推があるのは覚悟のうえだったが、あの現実主義者のリーゼがそんなわけないじゃないか。
…だけど、リーゼにその気がなくても、相手がその気になったら……。
──冗談じゃない!
だいたい、何なんだ、あのドレス。侍女のお茶会のドレスを自ら用意する主人なんて聞いたことがない。一体どういうつもりで、あんなものをリーゼに贈ったんだ!?
淡いレモンイエローの、男の俺でも上等なものだと一目でわかる生地の、令嬢たちの間で人気だという華やかなレースのドレス。
あんなのを、リーゼに着せるなんて!
俺が出かける時には既にお茶会の準備に取り掛かっていたリーゼは、袖を通したドレスを嬉しそうに俺に見せた。
「ねえ見て、エリク、このドレス! 歩くたびにフリルが揺れて、すごく綺麗!」
品のいい黄色のドレスは、リーゼの柔らかな蜜色の髪と相まって、彼女の優しげな雰囲気を増し、エメラルドの瞳を鮮やかに輝かせた。身内の欲目を差し引いても、どこの男が見ても、絶対可愛いに決まっている。
「生地も柔らかくて軽いの。レースも、見て、こんなに繊細」
興奮したように頬を紅潮させて、自分が着たドレスにうっとりしているリーゼを見ていると、ああこの姉も、普通の少女のようにドレスに目を輝かせるのだと思った。普段、リーゼは家の懐事情を知っているせいか、物欲を口にしない。だから失念していたのだ、姉も普通の年頃の乙女だってことを。
「これ、すごく高そうよね」
俺の思っていたことを否定でもするように、リーゼは俗物的な発言をした。
「…まさか、高く売れるだろうとか、思ってないよね?」
「売るわけないじゃない、ルーイ様からいただいたのに」
その言葉を、どう受け取るべきかと考えて、答えに詰まる。王子殿下からのいただきものだからという意味ではなく、“ルーイ様”からの贈り物だから、という意味、なのだろうか。
「まあ、でもエリク、覚悟はしておくべきかもしれないぜ」
ディーターの声で、回想から復帰する。
「覚悟って、何の?」
「姉離れのさ」
眉間にしわを寄せる俺にお構いなく、ディーターは続ける。「今までの侍女は一週間もしないで追い返されたっていう噂だ。だけど、お前の姉君は、昨日まで帰って来てなかったんだろ。それって、」勿体つけて言葉を一度切り、楽しそうにニヤリと笑う。
「殿下に気に入られてるってことじゃないのか」
…あのドレスを選んだのが、もし、リーゼ自身ではなくて、殿下の見立てだとしたら、それは間違いなく、殿下はリーゼの魅力に気付いていることになる。
ドレスを身にまとい、殿下の話をする姉の柔らかな笑みが脳裏をよぎる。
───攫われて、しまうかもしれない。
手の届かぬところに。
とびきり甘い毒を持つ、モンスターに。




