囚われの身の上 5
結局、エーリッヒ殿下には、何も訊けなかった。呼び出された理由も、尋ねそびれてしまった。そんなことよりも、ルーイ様のことを思った。
兄であるエーリッヒ殿下が感じていた王妃様の感情は、直接それを向けられていたルーイ様には、どれほど深く突き刺さったことだろう。
幼い頃から、実の母親に気味が悪いだのモンスターだのと言われ、それにへつらう貴族や使用人たちにも疎まれて、王宮に、ルーイ様の居場所はなかった。エーリッヒ殿下がグラウ城へ移ることを勧めたのは、それを見かねてのことなのかもしれない。
グラウ城へ戻る馬車の中で、私はずっと考えていた。あの方の孤独を。あの方の背負う傷を。私が側にいて、何か出来ることがあるだろうかと。
馬車は日が傾いて暗くなり始めた森の中を進む。最初にグラウ城へ来た時には、馬車は途中までしか森に入れず、結局最後は歩かされた。けれど、ルーイ様と共に王都へ向かった時には、少し遠回りになるけど城から馬車で行けるルートを通った(そのルートはその時初めて知った)。暗い森を歩きたくなどないので、馬車で城まで行く。
出迎えたロゲールに、御者たちが暗い森を帰らなくてもいいように泊まれる用意をしてくれるよう頼み、私はルーイ様のもとへ向かった。
ルーイ様の部屋には姿がなく、どこへ行ったのだろうと考えて、ふと、あの場所を思いついた。
急いで来たため、足元を照らすものもなく、暗い螺旋階段は心細かった。前に来た時はルーイ様が一緒だったから、その腕に頼れたのに。
階段を駆け上がり、乱れた息を整えながら、青い光の差す塔の頂上を歩いた。ルーイ様の姿は見えない。不安な心を抱えたまま、塔の奥へ進む。すると、ルーイ様が壁にもたれ、ステンドグラスが床に映し出す青い光を眺めているのが見えた。
「ルーイ様、ただ今戻りました」
声を掛けると、「ああ…」と、ちらりと私に視線を向けた。ルーイ様に怒っている様子はなかったけれど、すぐに逸らされた視線が気になる。
「遅くなって申し訳ありません」
駆け寄って頭を下げ、ルーイ様を見上げる。
「家に帰りたくなったのかと思った」
逸らされたままの目に不安を覚える。
「違います。エーリッヒ殿下から王宮にお招きがあって…」
「兄上に俺のことで何か言われたか」
一瞬、言葉に詰まる。実際のところ、どうしてエーリッヒ殿下に呼ばれたのか、何を言わんとしていたのか、理解できないのだ。ただ…
「ルーイ様を案じておいでのようでした」
「そう言えと、兄上に言われて来たか」
思わぬ言葉に息を呑む。こみ上げる不安に、胸が痛む。この人は、まだ、私のことを信用していないのだろうか。
「…どうして、人の好意を素直に受け取れないんですか?」
小さい頃に辛い思いをした影響もあるんだろうけど、それにしたって、ルーイ様のこの反応はひねくれている。
「そりゃ、私はエーリッヒ殿下に言われてここに来たし、監視するようにとも言いつけられました。だけど、それをバラしちゃうような女なんですよ。なのに、私がそんな嘘をつくとでも思ってるんですか?」
いろんな思いが湧きあがって、結局口に出たのは怒りだった。
「私はいつだって、真心を込めてルーイ様にお仕えしてきたつもりです。ルーイ様もそれを感じたから、私をお側に置いてくださったんじゃないんですか?」
声が震えるのをこらえて、目を逸らしたままのルーイ様を睨みつける。
「ルーイ様は、私がお慕いしていることをご存知なんだと思ってました。だから…」
受け入れられた、と、思っていたのに。…私の勘違いだったの? 信用していないなら、どうして…。
「……それなら、何で、キスなんてしたんですか?」
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。
視線を落としたまま目を合わせようとしないルーイ様の顔を、両手で掴んで自分のほうへ向けさせる。
「こっち向いてください。目を合わせてもらえないのは、睨まれるより怖いです」
金色の光が、青い眼の中で戸惑ったように揺れて、やがて私を見つめた。
「私は、お側にいるって、言ったじゃないですか」
言い募ると、やっとルーイ様が口を開いた。
「…お前、俺の側にいるってことの意味が、わかって言ってるのか?」
「わかってますよ。当たり前じゃないですか」
「───じゃあ、もう黙れ」
頬に添えていた手を掴まれたかと思うと、簡単に体を反転させられて壁に押し付けられた。そして、抵抗する間もなく、この前よりも乱暴に口を塞がれる。私が逃げるのを許さないとでも言うように、両手首を掴まれ壁に縫い付けられ、口づけは息苦しいくらいに深くなる。
「……ん…っ…」
それなのに、それは甘く官能的で、神経を侵す。
やがて、やっと解放されたかと思うと、今度は強く抱き締められた。
「…正直言うと、お前が予定していた時間になっても帰って来ないことを心配すると同時に、もうこの城へ戻って来ないのではないかと疑った」
この人はやっぱり、私のことを信用していなかったんだと怒りたくもなったが、彼がそれほどまでに人間不信になってしまった理由を思えば、それも口に出来なかった。
「だからお前が帰ってきた時、安堵もしたが、怖くもなった。俺は二度と、お前を自由にさせてやれないかもしれない」
今回のように友人のお茶会に出してやることも、実家に帰してやることも、出来なくなるかもしれない、と。
「だから、逃げ道を用意してやったのに」
「…じゃあ、さっきの目を合わせてくれない、ひねくれた態度は、その逃げ道だって言うんですか」
「あれでお前が俺を見限って城を出て行くなら、仕方がないと思った」
私が抗議するように拗ねた声を出すと、ルーイ様は笑ったのか、耳元で空気が揺れる。
「なのに、自ら捕まりに来るなんて、バカだな」
「バ…バカとは何ですか。あんな態度取られたら、放っておけるわけがないでしょう!」
こっちは不安で、怖くてたまらなかったんだから!
「…リーゼ、俺が、お前をこの塔に連れて来た時に言ったことを覚えているか?」
「はい」
あの時、ルーイ様は、この塔は城主の『特別な人』だけに許された場所だと言った。そしてそれを隠して私を連れて来たのだと。
「あの話には、少々陰鬱な逸話がある」
どうしてルーイ様がそんな話を始めたのかわからなかったけど、黙って続きを促した。
「その昔、この北の塔は、城主が愛妃を閉じ込めていたのだという」
耳元でルーイ様の低い声が語る。
「その愛妃は隣国の姫君で、城主が奪うようにこの城へ連れて来たのだとか。そして、姫を取り戻そうと攻め入る隣国の者たちの目から隠すために、この塔へ閉じ込めたそうだ」
閉じ込められた姫君の心を慰めるために、城主はこの塔の美しいステンドグラスを施し、青い光の中で彼女を愛したのだという逸話が残っているらしい。
「……お前を、かつての城主のように閉じ込めてしまうかもしれない」
私を抱くルーイ様の手に力がこもる。
「──俺は、捕えた獲物を逃がしてやったりはしない」
物騒な台詞のはずなのに、耳元で囁かれる言葉は、甘くしか響かない。
「…逃げたり、しません」
この人の側にいると決めたのは、自分の意思だ。背中に腕を回して抱き締め返す。この人の孤独を、私の存在が少しでも癒すことができるなら、いつまでも側にいると誓う。
「私は、お側にいるって、言ったじゃないですか」
さっきと同じ台詞を、念を押すように繰り返す。
「……後悔するなよ」
見上げると、深い青の中で金色の光が妖しく輝いていた。それはまるで、獲物を狙う肉食獣の眼。あるいは、乙女の心を喰らう悪魔かモンスター。
───あなたが望むなら、私はその瞳に囚われても構わない。




