囚われの身の上 3
やっとドレスの試着が終わって人心地着いて、ヘルガが淹れてくれた紅茶を飲んだ。はあ、王宮のお茶も美味しいと味わっていると、向かいに座るルーイ様が名前を呼んだ。
「俺は兄上と仕事の話があるから、お前は家に帰っていいぞ」
「え?」
では、王宮滞在中のお世話は誰がするのだろう。そのために私を連れてきたんじゃないんだろうか。ヘルガ一人では大変だろう。
「それが終われば俺は城へ帰る。お前は家でゆっくりしてくるといい」
わざわざ王宮へ来て、仕事の話だけして帰るなんて。生まれ育った家なのに。そこが、ルーイ様にとって、居心地のいい場所ではないのだと、改めて知らされる。
「ヘルガ、馬車を用意してやれ。自由に使っていいからな」
前半はヘルガへ、後半は私へ向けてルーイ様が言った。
「ありがとうございます」
ルーイ様が私を王宮へ連れて来たのは、きっとドレスを用意してくれるためだったのだと気がついて、深々と頭を下げた。
エーリッヒ殿下のもとへ向かうルーイ様を見送ってから、私はヘルガに馬車へ案内された。用意された馬車は、私が使いやすいようにと王家の紋章などが入っていないシンプルなものだった(とはいえ、我が家のオンボロ馬車よりずっと立派なのだけど)。
「リーゼロッテ様」
馬車に乗り込もうとした私をヘルガの声が引きとめる。
「殿下を、どうぞよろしくお願いいたします」
振り向いた私の手を取ってヘルガは祈るように言った。
「はい」
私が頷くと、ヘルガは安堵したように微笑んだ。
家に帰ると、家族総出で迎えてくれた。「おかえりなさい」と言ってくれる両親と弟に、私には心安らぐ場所としての家があって良かったと心から思った。そして同時に、それがないルーイ様のことも思った。
「元気にしていたかい?」「はい、お父様」と頷く。
「暮らしに不自由はない?」と問う母に、いえ、むしろ家にいる時より豊かです。とは、口にはできないので、「ええ、大丈夫。みなさん良くしてくれます」と答える。
ひとしきり再会のやり取りが終わり、自室に引き上げると、ヘルガがまとめてくれた明日のお茶会用のドレスの箱を解く。
そこへ、ドアをノックする音があった。返事をすると、弟のエリクが入ってきた。
「リーゼ、本当に大丈夫なの?」
生意気盛りの弟は、私のことを「姉上」とか「姉様」とは呼ばない。
「大丈夫って、何が?」
「ルートヴィッヒ殿下だよ。変人なんだろ。嫌なこととかされてない?」
…ああ、噂って怖い。エリクはいっちょ前に私を心配してくれているらしい。
まだ騎士学校へ通っているけれど、後には我が家を継ぐ身。今だって、金銭的なことは頼りにならないお父様や、お嬢様育ちで浪費家の気があるお母様に代わって、家計を預かっている。お陰で、年の割には堅実で現実主義者だ(そう教育したのは私だけど)。
「変人なんて、ただの噂よ。殿下はとても優しいわ」
「お金のことなら俺が何とかするから、無理しなくてもいいんだよ」
領地からの収入は、使用人への給金や、貴族の付き合い、お父様が名誉院長をしている孤児院への補助、教会への寄付に消えて行く(貴族の体面を守るのはお金がかかるのだ)。そして借金の返済に充てれば、ほとんど残らない。エリクはまだ学校へ通う身だし、家の補修だとかそういったお金は私の給金に頼らざるを得ない。それをエリクは心苦しく思っているのかもしれない。
「エリク、心配してくれてありがとう。でも、無理なんてしてないわ」
「でもリーゼ…」
「本当に殿下は優しいのよ。怖いのなんて噂だけ。このドレスだって、殿下が用意してくださったのよ」
広げたドレスを指差すと、エリクはそれをじっと見つめた。
「…リーゼが、嫌な思いをしてないなら、それでいいんだけど…」
どこか拗ねたような響きを含む声に、頭を撫でると、子ども扱いすんなよ!と怒られた。
お茶会の場へ出るのは久しぶりで、夜会ほどではないけれど、やはり貴族の社交場という側面を持つこの催しは、多少の緊張を伴う。
「リーゼ!」
久々に見る貴族の大群にちょっとビビッていると、今日のお茶会の主催者であるヴェロニカが私を見つけて駆け寄った。彼女の変わらぬ笑顔に安堵する。
「本日は、お招きいただきありがとう」と挨拶をすると、「来てくれて嬉しいわ」と言ったヴェロニカは、エーリッヒ殿下の使者を務めていた騎士はバイルシュミット家縁の者で、彼がルートヴィッヒ殿下のもとへ遣わされると聞いて、手紙を頼んだのだと、経緯を教えてくれた。
それから、ヴェロニカは質問の雨を降らす。
「元気にしていた? お仕事はどう? 大変じゃない? 王都から遠い城での暮らしは不便でしょ? ルートヴィッヒ殿下に酷いことされてない? 意地悪されてない?」
ああ、ここにも噂に振り回されている人が一人。
「大丈夫よ、殿下は酷いことも意地悪もなさらないわ。とても優しい方よ」
私はエリクにしたのと同じように、噂を否定する。ヴェロニカはそれをどう受け取ったのか、綺麗な顔に困ったような笑みを浮かべた。
「やあ、ヴェロニカ嬢、ご機嫌いかが」
そこへ、数人の貴族の子弟がやってきた。お茶会の主催者であるヴェロニカに挨拶に来たのだろう。「相変わらずお美しい」とか「いつにも増してお綺麗です」とか褒め称えたあと、彼らは私にも笑顔を向けた。
「こちらはヴェロニカ嬢のご友人ですか。負けず劣らず可憐な方だ」
お世辞まで言ってくれちゃって、さすがは世渡り上手な貴族の子息だと感心する。
「そうでしょう、リーゼは自慢の友達だもの」
ヴェロニカはふふ、と笑って、彼らを私に紹介してくれた。私でも名前を聞いたことのある名門貴族の子息たちのようだ。
「彼女は私の友人で、モルゲンリヒト伯爵様のご息女、リーゼロッテ様よ」
そして、今度は私を紹介する。
「えっ!? モンスターの侍女の?」
「え、本当に? こんなに可愛らしい方が? お可哀そうに」
…何故だか激しく同情された。
「まあ! リーゼロッテ様はルートヴィッヒ殿下の侍女を?」
「そう、それは…」
近くにいた貴族令嬢たちが会話に乱入し、憐みと、そして何かあまり気分の良くない意味ありげな色が混じった視線を私に投げかけた。
「モンスターでも、王子は王子ですものね」
『王子の侍女』という立場は、彼女たちにとってみれば、やっかみの対象となるらしい。たとえその王子が、忌み嫌われる“モンスター”だったとしても。
同情されるのも色眼鏡で見られるのも、何だかムカついて、私は精一杯の笑顔を作った。
「“モンスター”って、どなたのことをおっしゃっているのかしら? もし万が一それがルートヴィッヒ殿下のことだとしたら、噂って不思議だわ。殿下はとても温厚な方でいらっしゃるのに」
どいつもこいつも、ルーイ様のことを何だと思ってるんだ。そりゃ私だって最初は怖いと思ったわよ。あんな噂しかないし、無愛想だし。だけど、あんたたちにルーイ様の何がわかるって言うの? ていうか、そもそも、ルーイ様を人前で“モンスター”なんて言った時点で不敬罪じゃないの?
私の言葉で一瞬凍りついた空気は、ヴェロニカのとりなしで、何とか表面上はもとに戻った。
帰り際、ヴェロニカに雰囲気を悪くしたことを謝ると、こちらこそ、と謝られた。
「ねえ、リーゼ」
ヴェロニカは私を自室まで引っ張って行き、二人きりになったところで真剣な顔をして尋ねた。
「もしかして、ルートヴィッヒ殿下のこと、好きなの?」
一気に顔が熱くなるのがわかった。
「…な、なに、言ってるの? 向こうは、王子…様、で、私は…ただの、侍女…よ?」
しどろもどろになる。きっと顔はバレバレなほどに真っ赤だ。
「……リーゼ……、殿下の側にいるのなら、気を付けなさい。あの方のお立場は、想像以上に危ういわ」
私の両手を握り締め、真剣な眼差しを向けるヴェロニカに、私は得も言われぬ不安に囚われた。彼女が何の根拠もなく、こんな不安を煽る忠告をするわけがない。




