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4.

 その男は、細身のわりに手が大きくがっしりしていて、芽菜をつかんだ手の力は強かった。男がはめている銀の指輪が腕にかちりと当たった。それに、やけになれなれしい。片手を芽菜の肩に回すと

「ね、おもしろい所知ってるから、あなた、もうとりこですよ」

 スーツの袖からは、赤とオレンジのバラがプリントされているシャツがのぞいている。そばによると、ぷんと香水の淡い香りが漂った。

「あなたのような方、さがしている、それがぼくのお仕事。ほほほ」

 と変な笑い方をする。芽菜は困惑して、腕をふりほどこうとした。

「あら? どうしたのかな? 彼女。とにかく、だまされたと思って、ぼくに着いてきてみなさいって。そうすれば今まで知らなかった魅惑の世界が開けちゃうから! ほんとなんすから」

 芽菜は周りの人に助けを求めるように目を泳がせたが、誰も知らんぷりしている。

「あ…、あの…」

 とかすれた声を絞り出すのがやっとだった。

「あ、ごめん! 待たして」

 待つ人のない芽菜の前に、もう一人待たせたという人が現れた。

 それは肩まで伸ばした髪の下半分をピンク色に染めて、目の回りをアイラインで固めて、バチバチのつけまつげをした、太りぎみの少女だった。

 芽菜は目をみはる。

 少女はリュックを背負い、右手にスポーツバッグ、左手に透明ビニールで外側を包んでいる紙袋を持っていた。その紙袋の方を、芽菜に差し出して、「はい、持って」と無理矢理芽菜の左手に押し込むと、芽菜をつかんでいる男の手をはらい、男が握っていた場所をぎゅっと掴んだ。

「ざけんなよ。おまえ。ここらいつもフラフラしてるくせに」

「あたしだって、待ち合わせくらいすんの!」

 少女は男にべーっと舌を突き出して、芽菜の手を引っ張って足早に歩き出した。芽菜はどうしていいかわからなかった。でも、男に連れて行かれるよりはこの少女の方がましなような気がした。だから少女の方にくっついて行くことにした。

「おいおい、それはないんじゃないのかな?」

 男は二人の行く手を阻もうとする。待っている人の視線が集まっている。

「るさいなあ。どいて、どいて。この人、正真正銘のスミカのネエちゃんなんだからさ。スミカのこと迎えに来てくれたんだからさ」

 少女は大きな声で男に応戦し、声が時々かすれていてそれがなんだか心地よい。

「さ、ネエちゃん急いで、何やってんのよ! 行くよ!」

 そのスミカという少女に引っ張られて芽菜も足早に歩く。

「おい、そう簡単にいくと思うなよ」

 男はさきほどまでの丁寧な態度とは違い、ドスの聞いた大声でどなった。

 後ろを振り返るのは恐かった。びびっている芽菜とは対照的にスミカは平然と人混みをかき分けて信号を渡る。スクランブル交差点にどっとあふれた人の中に紛れて、すいすいと泳ぐように人を分け、芽菜はぶつかりそうになり、よろけながらスミカに必死に着いて行った。

 スミカは遅れそうになる芽菜の手を引きどんどんどんどん上り坂を上る。芽菜もどんどんどんどん上る。途中で脇道に入って、そこからはわけもわからず、とにかく少女に引っ張られるままに芽菜は進んだ。そして人がかなり少なくなったどこかの路地でスミカは立ち止まった。

 スミカは芽菜の手を放し、芽菜に向き合った。

 男は追っては来なかった。

「男、来ないね。ね、助かった?」

 スミカは芽菜に持たせたもう一つの紙袋をひったくり、二つをどんと自分の足の間に挟んだ。

 パステルピンク、ブルー、イエローが雲のようにアレンジしてあるプリーツのミニスカート。うす汚れている。

 スカートの中からにょっきりと生えている生足。たくましくしっかりと大地を踏みしめている。

「あ、ありがとう」

 なんだかよくわからない。でもとにかくこの少女が芽菜を助けてくれたことは確かだ。芽菜はうつむきかげんにお礼を言った。

 スミカはその芽菜の前に手のひらを上向きにして差し出した。つけ爪をしている。爪はブルーで金銀の星がキラキラ光っている。

 芽菜は意味がわからずその手のひらをじっと見つめた。

「やだ。おばさん! ぼけ?」

 さっきスーツ男に凄みをきかせたハスキーボイスでスミカは言った。

「え?」

「助かったんだったらさ、お礼ってのがあるよね、ふつー」

「お礼…」

 芽菜は口で繰り返した。のどが詰まっているみたいで、声は出て来ず、口の形だけで。

 スミカが芽菜の目の前でさらに手をひらひらさせる。

 「ああ、お金か」とわかるまで数秒。わかってから財布を見つける動作に移るまでまた数秒。

「うとい…。スローすぎ!」

 とスミカはあきれ、再び芽菜の手を掴んだ。

「こんなとこじゃなんだからさ」

 と、わりに古めかしい喫茶店を顎で指し示す。

「とにかく、なんか、飯、おごってよ」

 ふと顔を上げると、そこは連れ込み宿の並ぶ路地のすぐ入り口だった。スミカに引っ張られながら、ホテルの看板に目を奪われる芽菜。思考が出来事に着いていくのがやっとだった。

 昔だったらどこの街にでもあったような、昔風の喫茶店。芽菜の思考の中にある『渋谷』というイメージにはフィットしない。スミカはどんどんその中に入ってさっさと先に席に座ると、すり切れたメニューを見ながら、ぼんやりしている芽菜に、

「おばさん! ここ、ここ!」

 と呼びかけ、でももう気持ちはメニューに集中しているようで

「腹にたまるのがいいな…」

 と熱心にメニューに見入っている。

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