5 検査結果
ジウンの背中を見送っていると、ロビーの中央で、辺りの様子を窺っている一人の男に気がついた。黒いハット帽に、無精ひげと浅黒い肌。体全体から漂う気だるさ。その独特の雰囲気は、遠くからでもキムだとすぐに分かった。
キムは私に気づいて手をあげた。会釈を返すけれど、視線はエレベータに乗り込むジウンの背を追い掛けてしまう。その姿が、閉じたドアで見えなくなると、何だか物足りない気持ちになった。
「えらい早カタんやな?なんや、えろう待たしてシモタみたいで」
その大きな声に、テラスを包んでいた穏やかさは打ち壊された。キムは相変わらず、悪役のようにどこか気の抜けたような笑みを浮かべ、私の前にいた。
「おい、そこの兄ちゃん!ワテにもコーヒー1つな!」
キムはさっさとジウンの座っていた椅子に座ると、ボーイに大声で注文する。ジウンのような品の良さなど、微塵にも感じられなかった。
「よう来てくれたな!チョト強引なやり方したで、来てくれへんだらどないしよかオモトったわ」
ちょっとどころか、かなりだけどな。
そう愚痴りたくなるのをなんとか押しとどめた。
「エイナはんには、ゼっタイ見てもらわなあかん。そうオモタんや」
差し出されたのは、A4サイズの真っ白い封筒だった。表にはアルファベットで記された宛先人と受取人。そこに‘DNA’という文字が印字されている。
「これ、もしかして?」
「そや。検査の結果や。あんさんの目で、確認してくれへんか?」
まるで会社の資料でも渡すかのように、淡々と告げるキムの表情からは、何も読み取ることはできなかった。
ただその口から、「違った」そう告げるだけでいいといのに。
「お待たせ致しました」
コーヒーを持ってきたボーイをよそに、私は封筒を手に取り、白い一枚の用紙を取り出した。思ったよりも厚みのある滑らかな手触りで、三つ折りにたたまれたそれを広げると、すぐに、「DNA鑑定結果」その文字が目に飛び込む。
肯定なわけがない。そう思っているはずなのに、手の平に汗がにじむ。
『比較対象の二者は、生物学上の同一両親あるいはどちらか一方の同一親による子供であることが否定されませんでした』
目を疑った。
何度も何度も見直すが、そこにある言葉は変わらない。それどころか、比較対象者の欄には私とチャン・ヨンウォン、その両者の名前がはっきりと記されており、その下には科学用語と数字が連なった、よく分からない表がこれでもかと言わんばかりに、その証拠を連ねているようだ。そして一番最下部の言葉が、こうとどめを刺す。
‘生物学上の兄妹である可能性…99.9%’
「こ、こ、こ、これ…?」
キムは、ゆっくり頷く。
「ヨンウォンとエイナはんは、間違いなく、血の繋がった兄妹や」
私は愕然とした。
訳が分からない。理解が出来ない。頭が真っ白だ。ただ分かるのは、これは非常事態だということ。
「驚いとるんか?」
意外そうに言うキムに、思わず声を荒げた。
「当たり前ですよ!」
まさか本当に、私がヨンウォンの妹だと?
そんなわけがない。私が取り違えられた子供だなんて。
もしも、もしもそれが本当だとしたら。
ここ数日間、そのことを考えなかったわけじゃない。
もしも、万が一にも。そう考えれば考えるほど行きつくのは、自分が父とも母とも姉とも、家族の誰とも血が繋がっていないことになるということ。私が今まで信じてきたもの、築いてきたものが揺らいでしまう。それは私にとってあまりにも恐ろしいことだった。
だから、頭をよぎる「もしも」は、あってはいけないことで、あり得ないことであるべきなんだ。
「そんなはず、ないですよ…」
漏れる声が、自分でもなんて弱々しいんだと思う。今さら血が繋がっていなかったからといって、家族を否定することなんて受け入れられない。私だけじゃない。家族も、私が偽りの存在だと知れば、私以上に傷ついてしまう。
「そもそも何で今さら⁉︎私もう25ですよ?
今さら、こんなこと分かったってどうしようもないじゃないですか⁉︎」
そうだ。知らない方がよかった。
大人になった今、血の繋がりがあるからという理由だけで、一度も会った事のない人間と簡単に家族になれるわけがない。
もっと昔に名乗りでることは、幾らでも出来たはずだ。それなのに、今頃やってきて私たちをかき乱そうとする。
私はヨンウォンに対して、怒りを覚えた。
私の顔つきが変わったのだろう。キムは眉を八の字に曲げて、悲しそうに笑った。
「エイナはんが怒るのも無理ない。ワテラかて、エイナはんのこと考えなかったわけやない。ただな、ただ…」
キムは溜息をついた。
「ヨンウォンには、時間がないんや」
「時間が、ない?」
そうれはどういう意味だ?
「一か月前にな、ヨンウォンの、ここ…」
そう言ってキムは、自分のオールバック頭を指差した。そしてその手を握りしめ、じっと見つめた。
「この拳より大きなシュヨウ、見つかってん…」
馬鹿でかいはずの声が、ただ小さく漏れた。
「大きすぎてな、もう手術できへん。薬で進行オソしても、あと1年や言われたわ」
どうしてだろう。驚きはなかった。
その言葉が私には予想できた。出来たからこそ、キムが言葉を告げる前から、心がぎゅっと何も入らせまいとその壁を硬くする。
私にとって、見ず知らずの人のために、例え余命が限られているからといっても、家族を失っていい理由にはならない。
「ヨンウォン、今は痛みないし、自覚ショウジョーあらへん。やで元気に見えるけどな、ホンマはいつ倒れるかわからん。頭に埋まっとるのは、破裂寸前の爆弾なんや」
眉間に深い皺をよせたキムは、握りしめた手をテーブルの上に降ろすと、懇願するように私を見上げた。
「わかっタテくれ。ヨンウォンはエイナはんの幸せ、壊したいわけやない。むしろ願っとるから今まで会わんかったんや。けどな…」
その鋭い目がどこか悲し気にぼんやりと宙を見つめた。
「あいつな、自分が死ぬ思たら、最後にただイモトォに会いたい。会わな後悔したまま終わる。そう…、泣きよった」
うな垂れるキムから、私は視線を反らした。
固めた心がぎゅうぎゅうと軋む。
「こんなこと、ヨンウォンの我がままやってことは分かっとる。ただな、今日だけでいいんや。ヨンウォンの願い、叶えてやってくれへんか?」
私は黙っていた。
私はどうなる?家族はどうなる?
もうすぐ死ぬからと、そう言えば何でも我がままが許されるのか。苛立ちが渦巻き、口を開けば意図も簡単に感情をぶつけてしまいそうだった。
「実はな今、ここのサイジョウカイにあるレストランで、ヨンウォン、待っとるんや。もしも会ってもええ思うてくれるんやったら行っ…」
私は我慢できず、キムの言葉を遮って立ち上がった。キムは口を閉ざして私を見上げた。
「会うかどうかは、私が決めていいんですよね?」
「そう、や?」
その細い目を逸らすことなく、キムはゆっくりと頷いた。目つきが悪いくせに、やけに穏やかな色を帯びていると思った。それがなんだか癪で、思いっきり睨みつけてやる。
「じゃ、失礼します」
私は荷物を鷲掴み、キムに背を向けた。




