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韓流スターの妹  作者: 海之本
第1章 春
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4 予想外の出会い

会社を出ると、もうすでに雨が降り始めていた。

しとしとと降る雨粒と、ぴちゃぴちゃ水溜りを歩く音。ビニール傘から見える曇り空は、私の気持ちを映し出すように暗い色だ。


私の出生と重なる子供。その話が嘘でないにしても、それが自分だとも思えない。

きっと何かの間違いだ。そう思えてならない。だから、キムから連絡があったとしても結果なんて聞くつもりはなかった。

気にならないと言えば嘘になるが、知らない方がいい。そう思った。


なのに、キムが会社に変な申し出をしたばっかりに、雨の中わざわざ’出張’しなければいけないのだ。何だか気が重い。


仕事を昼過ぎで引き上げ、会社からそのまま電車に乗り、慣れぬ都心を右往左往すること一時間弱。やっとたどり着いたのは、キムが指定した都内でも有数の一流ホテル。


爽やかな笑顔のドアマンに誘導され、回転式の入り口をくぐりぬけるとそこは、見るからに豪華なホールが広がっていた。


ホールケーキを何段か重ねて逆さにしたような大きなシャンデリア。黄金色に煌めく天井や柱は鏡のように磨かれ、金の刺繍が施されたふかふかの絨毯が敷き詰められている。その柔らかい生地に沈む自分のノーヒール靴が、安物に見えた。ま、安物なんだけど。


ロビーのシックな雰囲気に溶け込んだ、細部に至るまで装飾された壁時計を見上げると、幾分早めに出てきたせいか、約束の時間よりずいぶんと早かった。


まだキムの姿もない。


静かで美しいメロディーが心地よい程度に流れ、見るからに上質のコートをまとった客が、あちらこちらで思い思いの時間を過ごしている。


だけど私は、場違いな場所にいるせいでどうにも落ち着かない。


どこか落ち着ける場所はないだろうかと見回すと、ふと、ガラス張りのテラスが目に入った。その空間は自然の色合いのままに明るく、人気もない。


私はそのテラスに向かった。


足を踏み入れると、その場所は少し冷んやりとしていた。ガラス張りの天井や壁面に、雨がちょろちょろと幾筋も流れ、雨音はしないのに、しっとりとした雨の気配が漂っている。まるで外の景色は、大きな泡の中から水中を見ているように滲んでいた。


他に客の姿はない。

静かなテラスの中、ゆったりとしたピアノの音色が響いている。


奥の席につこうと進んでいくと、幾つものテーブルが並ぶその先に、男が一人、窓際に座っていた。


皺一つない紺色のスーツを着た、30代位の商社マンと言ったところか。髪は短く切りそろえられ、ふわりと立ち上がった毛並みは柔らかそうだ。そして、伏せた眼と皺のよった眉間。筋の通った鼻や結ばれた口。


どこかで会ったことがあるような気がした。


少しめくり上げた袖から出ているしっかりとした腕。休むことなく忙しく動いている指。時折何かを考え、さらさらと走らせているペン。


思い出せそうで思い出せない。だけど、どうにも記憶の何かに引っかかる。


どうしてだろう。雨で日差しなんて無いはずなのに、なぜか眩しい。


不意に彼は手を止めると、顔をあげた。


つぶらな目と視線がぶつかる。


きょとんとした目とぽかんと開いた口。

それが、あまりにも無防備だったため、まるで小さな少年のように見え、私は思わず口元が緩んだ。


たったそれだけのことなのに、緊張で強張っていた心が和んだ。


すると彼は、はっと表情を変え、立ち上がって足早にこちらにやってくる。


目の前に立つ彼の姿は、思いのほか背が高く、見上げなければ顔が見えなかった。


「空本永奈さん、ですか?」


その澄んだテノールは、誠実な印象を抱かせる爽やかな響きがあり、私は直感的にこの声に好感をもった。


だが、やはり誰なのか思い出せない。

私は恐る恐る、そうだと頷いた。


すると彼の顔はパッと明るくなり、クシャと目を細め、大きな口から白い歯をこぼした。その笑顔はまるで悪戯っ気のある、キラキラした輝きで溢れた子供のようだった。


「私は、カン・ジウンと申します」


そう言いながら、肘のあたりを押さえ、右手で私に向かって名刺を差し出す。


名前を聞いて始めて彼が日本人ではないことに気が付き、驚いて受取った名刺をまじまじと見た。確かに名前は「姜志應」と日本名ではない。


「覚えて、いらっしゃいませんか?

先日、キム社長と中央会社を訪れた際、空本さんとお会いしてるのですが…」


私はそうだっただろうかと、首をひねる。


「キム社長との通訳を勤めさせて頂いておりました」


「ああ!」


そこで、やっと思い出した。

あの時は、キムにばかり気を取られていたが、確かに、キムと社長の間に入って談話を助けていた人物がいた。


「あの時の方だったんですね」


ジウンは、そうなんですと照れたように笑った。その笑顔には、彼の親しみやすい人懐っこさがにじみ出て、見る者の警戒心を解きほぐしていく。


「日本語が流暢なんですね」


そう言うとジウンは、ますますはにかんで笑った。


「ありがとう。日本の方に日本語を褒められると嬉しいな」


素直に喜びを表すジウンに、なんだかいい事をしたような気持ちになる。


「まさかこんな所でお会いするとは。もしや、キム社長とお約束ですか?」


ジウンはにこやかに笑いながら尋ねる。


「そうなんです。でも、ちょっと早く来すぎちゃった見たいで」


「ならいかがでしょう?私もちょうど、次の仕事まで時間を持て余しているんですが。

暇つぶしにでも、よかったらお約束の時間まで、一緒に世間話でもしませんか?」


彼は、にこりと笑った。


緊張を紛らわせたかった私は、喜んで一緒に彼の座っていた席へ向かいあって座った。


「飲み物はいかがです?」


ジウンはメニューを差し出した。

ああ、ここは喫茶なのか。そう納得すると同時に、急に口の中がからからに乾いていることに気がついた。


私が、何にするか決めたのを見計らったように、彼はすぐ軽く手をあげボーイを呼んだ。


「私は、コーヒーをおかわりしようかな。

空本さんは?」


ジウンはボーイが来るまでの、ほんの数秒のうちに私の望むものを聞きだし、それを注文した。この無駄のないやり取りに、ジウンがキムの下で働いているのは、単に語学に優れているからだけではないのだろうと思った。


会社で見かけた限り、ジウンはキムにとって単なる通訳者というより、むしろ秘書のような重要な役割を担っているように思えた。


「そういえば、キム社長。あの日あなたとお別れしてから、こんな偶然はないとおっしゃっていたのですが、以前からキム社長とはお知合いだったんですか?」


「え?ええ、まあ。知り合いというか…」


わざわざジウンを席から離したキムは、あれからどうやら何も話していないらしい。ということは、他言無用と念を押された私としては、下手のことを言わない方がいいのだろう。


「でもあの日のキム社長の驚きようは、普通じゃなかった。波多野社長を差し置いて、あなたの元に駆け寄ってしまうし。今日の予定も、突然キャンセルした理由についてキム社長は何も言いませんが、余程のことがあったんだと私は思っています」


ジウンは急に、まじめな顔をして私を見すえた。どうしてそんなに真っ直ぐ私を見るのか不思議に思った。


もしかして変な誤解をされているのか!?


「いやいやいやいやいや!」


私は顔と手をめいいっぱい横に振った。


「誤解です!誤解ですから!あんな蛇みたいな目のおじさん、父親なわけないじゃないですか!」


ジウンは目を丸くしたかと思えば、突然、


「うははははは!」


爆発したようにお腹を抱えて笑いだした。いや、笑い転げていると言った方があてはまるほど、大きな口を開け、あはははと腹を抱え笑っている。


「し、失礼しました」


謝りながらも苦しそうに腹を抱え、息を切らしている。


「ただキム社長が、あなたを引き抜きたがっているのかと思っただけですよ。でも、確かにあのぎょろりとした細い目とは似てませんね」


そう言いながらも、まだ身もだえしている。

先ほどのボーイがやってくると、ジウンは椅子からずり落ちていた腰をあげて座りなおし、口に手を当て、なんとか笑いを押し殺した。それでも肩はまだ揺れていた。


微笑の仮面をつけたボーイが湯気のったったコーヒーカップと、ティカップをそれぞれの前に置いて去っていく。


勘違いをして変なことを言ってしまった自分が恥ずかしい。何も言い訳することができず、まだ肩を震わせているジウンを横目で見ながら、熱いお茶を口に含んだ。


ふいにジウンの携帯バイブ音が鳴る。


「あ、すみません」


ジウンはまだ笑いを押し殺した声でそう言うと、胸ポケットから携帯を取り出した。


話し始めた瞬時に彼の口から流れ出した異国の言葉。初めてまともに耳にしたその独特の言葉に、これが韓国語なのかと、しばし聞き入ってしまった。


私には何が話されているのか、さっぱり分からない言葉。それを滑らかに話すジウンは、やはり異国の人なのだと改めて思う。


すっかり真剣な顔つきに変わったジウンを横目で見ながら、お茶を飲み続けた。


仕事で何かあったのかもしれない。


その横顔はペンを走らせている時と同じ、近寄り難くも見続けてしまう何かがあった。

私はなんとなく、話し終わるまでずっとその顔を眺めていた。


ジウンは携帯を切ると、


「お誘いしておきながら申し訳ないのですが、どうやら今すぐに向かわないといけない状況でして」


そう申し訳なさそうに言った。


「あ、それと、キム社長はああ見えて悪い人じゃないですから、あまり緊張しなくても大丈夫ですよ?」


そしてジウンは照れくさそうに笑うと、両手でガッツポーズをした。


「ファイティン!」


韓国では「ファイト」をそんな言い方するのか、と思いながらも、大の大人だというのにジウンが可愛く思えてて、顔がほころぶ。


去っていくその後ろ姿を見送りながら、近いうち、また会えたらいいのにと思った。


その時は、緊張する私を気遣ってくれた今日のことを感謝したい。そうしたら、また彼の笑顔が見れるだろうか。

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