二章闇と決意
アンは翌日の朝早くに起きた。
念入りに身支度をするためだ。
ゾフィーにシンシア、イザベル、カトリーヌにシェリーの五人で髪飾りや装飾品、ドレスを選びにかかる。
それが終わると身支度を始めた。
「…御方様、まずは湯浴みをなさってください。それが終わったら、マッサージをして。髪の結い上げとお化粧をしますから」
てきぱきとシンシアが説明をする。
それを聞きながら、アンは浴室に向かう。
後をゾフィーとシェリーの二人が追いかけた。
湯浴みを念入りにすませると髪に香油をなじませながら、顔や手などに保湿のクリームや薬草の入った化粧水を塗り込んだ。
マッサージはシェリーが引き受けてくれて、なかなかうまいとアンは思った。
それが終わり、お化粧や髪の結い上げにかかる。
ゾフィーたちがお化粧を施していく。
まず、白粉をうっすらとはたき、眉を引いたり、アイラインを描いたりする。
最後に頬紅や唇にも紅をひくと、完成であった。
「見違えるようね。ゾフィーたちの腕はなかなかだわ」
「誉めていただけて光栄です。わたしたちは元はレイシェル様にお仕えしていましたから。その間に鍛えられました」
にこやかに笑いながら、ゾフィーが答えた。
立ち上がるように言われて、アンは全身を映す鏡の前まで行った。
なかなかの出来映えに我ながら、ほれぼれする。
黒髪と琥珀色の瞳では落ち着いた色のドレスと相場が決まってしまっているのだ。
けれど、今着ているものは淡い黄色で細やかな花の刺繍が施されたものだ。
可愛らしいものでアンには不釣り合いのように見えるが、髪を下ろして、同じような色の造花のバレッタをつけているので違和感がない。
カトリーヌたちはよくお似合いですとほめながら、アンにお茶会の時間だと知らせてくる。
「もう、行かなくてはいけません。わたしも同席いたしますので」
シンシアに促されて、アンはかかとの高いヒールを履いて、廊下に出る。
「…緊張するわね。けど、ご令嬢方には負けないわ」
「御方様。お茶会にはかのリナリア様も出席なさいますので。ご安心ください」
シンシアは意外な事を教えてくれた。
「それは本当なの?」
「ええ。リナリア様はアン様が後宮に来られたいきさつをご存知ですから」
それを聞いて、アンはひとまず胸を撫でおろした。
扉を開けて、廊下へと出た。
待機していた騎士が四人とシンシアの合わせて五人がアンの後を続く。
かつかつとアンのヒールの足音が大理石の床や壁に響いた。
「御方様、今回のお茶会の主催者は東の御方、名前はアリサ様です。後、北がジュリア様、南がスージー様になります」
すらすらと言われたがアンはかすかに頷いた。
しばらく歩いて、正妃の宮の中庭にたどり着く。
そこには色とりどりの花が咲いていた。カーネーションや小さな薔薇、他の花ヶが競うように咲き誇り、芳香が辺りに漂う。
中庭だけが別世界のようで権謀術数渦巻く王宮である事を忘れさせる。
アンは見とれながらも一歩ずつ歩みを進めた。
じきに、椅子や机が配置された所に行き着くと花に負けまいとばかりに着飾った側妃たちの姿が目に入る。
中心になる机の前に艶やかに笑う一人の燃えるような赤毛の美女が立っていた。その美女はアンに気づいたようでゆっくりと近づいてきた。
「…あら、黒髪の方がいるなんて珍しい。あなた、もしや。シンフォード家のご令嬢かしら?」
不思議そうな顔で尋ねられたが、アンは仕方なしに頷いた。
「そうです。私はメアリアン・シンフォードと申します」
「やはり、そうだったのね。はじめまして、わたくしはアリサ・ハーラルソンといいます。東の御方と呼ばれていますの」
髪と同じく赤茶色の瞳ではあるが。
顔は笑っているが、目は笑っていない。新参者がと嘲るような色が浮かんでいるのをアンは見逃さなかった。
「…それにしたって、暗闇を溶かし込んだような髪だこと。まるで、魔に魅入られたような色ですわね」
「…アリサ様。月の女神の化身のようとおっしゃったらどうですの?魔に魅入られただなんて失礼ですよ」
ぴしりとたしなめるような声が聞こえて、アンは振り返った。
後ろには背の高いすらりとした女性が立っていた。
金色の緩やかに波打った髪に淡い緑色の瞳が印象的な女性である。顔立ちはぱっちりとした二重の瞳とすっきりとした鼻筋、薄桃色の唇の可憐で端正な美女だ。
「…あなたはリナリア様!公女殿下の前で失礼しました」
慌てて、アリサは頭を下げると他の側妃たちがいるらしい向こうへと行ってしまった。
「…あの、何と言っていいのかはわかりませんけど。ありがとうございました」
「あら、お礼はいりませんよ。アン様でしたね?」
「はい」
リナリアとおぼしき美女はアンに近づいてくると肩にそっと手を置いた。
「…母上から話は聞いております。あなたは今狙われているわ。あのアリサ様や他の側妃方には気をつける事ね」
「わかりました」
「では、わたしは行くわ。お茶会だからといって油断しないように」
アンが頷くとリナリアは満足したらしく、アリサや他の側妃方のいる一角に同じく行ってしまった。アンはそれを見送るとアリサのいた場所に歩いていく。
風が吹いて、アンの黒髪をなびかせる。シンシアや騎士たちは遠巻きにしているため、辺りは静かだ。
ため息をつきながら、アンは側妃たちのいる一角に近づいた。
途端に鼻にきつい香水の匂いが届いてくる。
花の香りの方がよっぽどよいと思った。
「…あら、あれが例の。魔女に呪いをかけられたとかいう」
「本当ね。恐ろしい。よく後宮に上がれたものだわ」
ひそひそと嫌みを言われる。
「あの方、琥珀色の瞳は初代の大公妃と一緒だとはいうけれど。わたくしには魔の色に見えるわ」
「…白百合の君、いえ。アリシア様、聞こえていますわよ」
魔の色といった女性はアリシアというらしい。
確か、白百合の君というのは二つ名、ニックネームだったはずだ。
やんわりと注意した女性は何を思ったのかアンの方を向いた。
そして、小走り気味で近づいてくる。
「…あの、あなたは西の御方でしたわね?わたしは南の御方と呼ばれているの。名をスージーといいます」
「スージー様ですか。私はメアリアンといいます」
「メアリアン様ですね。じゃあ、メアリ様と呼んでいいですか?」
「ええ。かまいません。皆からはアンと呼ばれる事が多いのだけど」
そういうと、スージーはにっこりと笑った。
「あら、可愛らしい!アン様と呼ばれているのですね。けど、メアリ様の方が上品でいいとわたしは思うわ」
「…だったら、お好きなように呼んでください。スージー様」
「わかりました。メアリ様。後、先ほどはごめんなさい。皆、リナリア様が連れ去られそうになったと聞いているから躍起になっていて。新しいお妃が来たというから、焦ってもいるみたいで」
小声でスージーはアンに説明をしてくれた。
では、また後ほどといってスージーはアリシアのいる方へ行ってしまった。