シタ妻令嬢の末路
シタ妻令嬢シリーズの二作目、王道ざまぁ。
「ねえ、エレノア。女として愛されない結婚生活って、どんな気持ちなの?」
親友だと思っていた女からそう尋ねられた時、私はその意味を理解できなかった。
王都でも指折りの高級宝飾店。その二階にある貴族専用の応接室で、向かいに座る伯爵夫人セシリア・モントレーは、宝石を散りばめた首飾りを自分の胸元に当てながら、楽しそうに笑っていた。
「どうしたの、急に」
「だって、アルフォンス殿下とは政略結婚でしょう? 結婚して三年になるのに、お子様もいらっしゃらないじゃない。寂しくないのかなって」
私は第二王子アルフォンスの妻だ。王位継承権は第二位。第一王子である兄君にはすでに二人の男子がいるため、夫が王位を継ぐ可能性は低い。
それでも王弟となる可能性の高い第二王子には、王家を支える義務がある。だからこそ私は結婚してから三年間、第二王子妃として公務に励んできた。
孤児院への慰問、救貧院への寄付、地方領主から上がってくる陳情書の整理。外国使節を招いた晩餐会では、夫に代わって席次から料理まで確認することもある。
王族とは、好きな時に好きな場所へ行ける身分ではない。ましてや第二王子夫妻に子がないことについて、他人に軽々しく話すべきでもない。
それくらいのことは、伯爵夫人であるセシリアにも分かっているはずなのだが。
「殿下とは仲良くさせていただいているわ」
「ふうん」
セシリアはつまらなそうに唇を尖らせた。その仕草を見て、私は少しだけ羨ましく思った。彼女は昔から自由だ。公爵令嬢として厳しく育てられた私とは違う。欲しいものがあれば欲しいと言い、嫌なものには嫌だと言う。
だからこそ、学生時代から彼女と一緒にいる時間が好きだった。
「それより、それを買うの?」
「ええ。素敵でしょう?」
「素敵だけれど……ずいぶん高価ね」
「主人が買ってくれるって」
そう言ってセシリアが笑う。モントレー伯爵は領地経営に熱心な、真面目な方だ。社交界にはほとんど顔を出さないが、妻を大切にしているという話はよく聞いていた。
「愛されているのね」
私がそう言うと、セシリアの笑顔が一瞬だけ消えた。
「セシリア?」
「……ううん。何でもない」
そして彼女は、いつもの笑顔に戻った。
「エレノアも、もう少し旦那様に甘えてみたら? 男の人って、頼られるのが好きなのよ」
「そういうものかしら」
「そうよ。エレノアは何でも一人でできちゃうから。殿下も可哀想」
クスクスと笑う親友に、私は苦笑を返した。
その時の私は知らなかった。
彼女が身につけていた首飾りを買ったのが、モントレー伯爵ではなかったことを。そして――。
私の夫が、彼女にそれを贈っていたことを。
◇ ◇ ◇
夫の不貞を知ったのは、それから一月後だった。
「妃殿下。折り入って、お耳に入れたいことがございます」
そう言って私の執務室を訪れたのは、侍女長のマーサだった。五十を越えた彼女は、私が公爵家から王家へ嫁いだ際についてきてくれた人だ。
「何かしら」
「……アルフォンス殿下についてでございます」
嫌な予感がした。しかし王族の妻として、人前で感情を乱すことは許されない。
「続けて」
「こちらをご覧ください」
差し出されたのは、王都西部にある高級宿泊施設の領収書だった。王族が利用する店ではない。名義もアルフォンスではなかった。
「これは?」
「殿下付きの従僕が、王宮会計院へ経費として提出したものです。処理に困った会計官が、わたくしのところへ」
「……なぜ?」
「日付をご覧ください」
三月十四日。夫はその日、王都郊外の騎士団演習場へ視察に行くと言っていた。
帰宅したのは夜だった。
『遅くなってすまない。疲れたから先に休む』
そう言って、自室へ戻った。
「この日は一泊されております」
「……そう」
「あと、こちらも」
二枚目。三月二十八日。
三枚目。四月十一日。
すべて、公務を理由に屋敷を空けていた日だった。
「お相手は?」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。
マーサは一度だけ目を伏せた。
「……セシリア・モントレー伯爵夫人でございます」
頭の中が真っ白になった。夫に裏切られたことより先に、宝飾店での彼女の笑顔を思い出した。
『女として愛されない結婚生活って、どんな気持ちなの?』
そういうことだったのか。
「確かなのね。モントレー伯爵は?」
「すでにご存じです。伯爵家側でも夫人の外出を不審に思い、調査していたそうです」
しばらく言葉が出なかった。
やがて私は、深く息を吐いた。
「……分かったわ」
「妃殿下……お気を強く持ってください」
「マーサ。お父様に連絡を。それから王家の法務官を呼んでちょうだい」
マーサが目を見開いた。
「殿下とお話し合いになられるのでは?」
「その前にすることがあります」
王族の婚姻は、恋愛だけで成立しているわけではない。私がアルフォンスへ嫁いだ際、フォスター公爵家と王家との間では婚姻契約が交わされている。
私の持参財産。
第二王子家へ貸与されている別邸。
父が出資した第二王子領の灌漑事業。
将来子供が生まれた場合の相続権。
婚姻を解消するのであれば、それらすべてを整理しなければならない。
「先ずはこれから負う罪の重さを計りましょうか」
愛について話すのは、それからでいい。
◇ ◇ ◇
「離縁だと!?」
翌日、アルフォンスは私が差し出した書類を見て声を荒らげた。
「まだ決定ではございません。王家の承認が必要ですので」
「そういうことを言っているんじゃない!」
書類が机へ叩きつけられる。
不貞の記録。
宝飾品の購入履歴。
婚姻契約に基づく財産返還一覧。
「セシリアとはそんな関係じゃない!」
「では、この宿泊記録は?」
「相談に乗っていただけだ!」
「寝室が一つしかない部屋で?」
夫が黙った。
「三月十四日、二十八日、四月十一日。それ以外にも七回。すべて証人がおります」
「勝手に俺の金を調べたのか!」
「王室から支給される歳費を管理するのも、王子妃の職務です」
「プライバシーというものがあるだろう!」
思わず失笑が漏れた。
「プライバシーよりも、不貞をなさったことを気にされてはどうですか?」
「……愛してしまったんだ。仕方がないだろう。俺はセシリアを愛してしまったんだ」
突然の告白に、逆に私は冷静になった。
「……お前には分からないだろうな。何でも完璧にこなして、俺がいなくても一人で生きていけるお前には。セシリアは違う。俺を必要としてくれる。俺がいなければ駄目なんだ」
つまり私は、一人でできることを一人でしたために裏切られたらしい。この男は、私の努力なんて何も見ていなかったのだと今更ながらに気付いた。
「分かりました。でしたら、離縁いたしましょう」
「待ってくれ! 俺にはまだお前が必要なんだ!」
「世迷言を。必要としてくれる女の方がお好きなんでしょう」
「それは……」
「でしたら、わたくしがお引き止めする理由はありません。三年間、お世話になりました」
カーテシーをしてから、部屋を出て静かに扉を閉める。後ろから捨てられた仔犬のような視線を感じたが、振り返ることはしなかった。そして多分、もう二度とないに違いない。
◇ ◇ ◇
「エレノア!」
廊下へ出ると、聞き慣れた声がした。セシリアだった。
「どうしてこんな大事にしたの!?」
私はしばらく彼女を見つめた。
「……あなたがそれを言うの?」
「だって、私たちは親友でしょう?」
「ええ。そう思っていたわ」
「だったら分かってよ! 私だって辛かったの!」
「何が?」
「主人は領地のことばかり。王都へ来ても仕事、人脈、領民の話。私が髪型を変えても気づかない。新しいドレスを着ても褒めてくれない」
目に涙を浮かべて、セシリアは言った。
「私は妻である前に女なの。愛されたかったのよ」
「だから、わたくしの夫と?」
「アルフォンス様だって苦しんでた! あなたといると息が詰まるって!」
私は右手をあげて、こぼれ落ちそうなセシリアの涙を拭ってやった。そして、薄く笑って言った。
「モントレー伯爵は、あなたのために毎週領地と王都を往復していたそうよ。片道二日。それでもあなたが王都で暮らしたいと言ったから」
その指の先で、セシリアの瞳が揺れる。
「あなたが欲しがった宝石を買うために、私有林の一部を売る予定だったとも聞いたわ」
「そんなの知らない!」
「ええ。あなたは知ろうともしなかったのでしょうね」
セシリアの顔が歪んだ。
「あなたはご主人に、寂しいと言ったことがある? 髪を見てほしい。もっと一緒にいてほしい。そう伝えたことは?」
「うるさい!」
手が振り上げられた。
しかし私へ届く前に、その腕が止まる。
「やめろ、みっともない」
「あなた……」
モントレー伯爵だった。彼は妻を見ないまま私へ深く頭を下げた。
「王子妃殿下。妻が取り返しのつかないことをいたしました」
「……伯爵が謝罪することではありません」
「いいえ。夫として、謝罪させてください」
それからようやく彼はセシリアを見た。
「離縁状は提出した」
「……え?」
「君の持参財産は返還する。婚姻後に贈った宝飾品については、損害賠償との相殺を申し立てた」
セシリアの肩が震えた。夫の袖を掴む。
「待って!」
「君の父上にも連絡したから、以後はそちらと進めてくれ」
「ねえ、待ってってば! 私、あなたと離婚するつもりなんてない!」
その時だった。
「……どういう意味だ?」
背後からアルフォンスの声がした。
セシリアの顔が固まる。
「……今のはどういう意味だ、セシリア?」
「違うの、アルフォンス様」
「俺はお前のためにエレノアと別れると言った」
「そんなの頼んでないわよっ!」
言ってから彼女は口を押さえた。辺りに静寂が落ちる。
「……では、何だったんだ」
アルフォンスの声は、先ほどよりずっと小さかった。
セシリアの唇は震えていた。
「だって……王子様との恋だったから」
それ以上、言葉は必要なかった。
◇ ◇ ◇
王家の処分は、私が想像していたより重かった。
アルフォンスは王位継承権を放棄し、軍の名誉職と枢密院への出席資格を失い、第二王子宮も返還することになった。
「離婚しただけではないか!」
国王陛下の執務室で、アルフォンスは声を荒らげたが、陛下はため息をついただけだった。
「王族が臣下の妻と不貞を働き、公務と偽って密会し、その費用まで王室へ請求した」
「それは従僕が勝手に――」
「……情けない奴だ」
陛下は次の書類を開く。
「フォスター公爵家から提供されていた資産も返還する」
「資産?」
私はその顔を見て初めて理解した。
夫は本当に知らなかったのだ。
「お前が夏に使っていた湖畔の館は、公爵家の所有だ。領地の水路工事、その資金も公爵家からの貸付だ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「狩猟会の費用も、エレノア嬢の持参財産から出ている」
アルフォンスの顔から血の気が引いた。
「では……俺には何が残るんだ?」
「王都南部の屋敷と、お前名義の土地が少し」
陛下は息子を見た。
「自分のものだと思っていたものの大半は、自分のものではなかった。それだけの話だ」
夫は何も言えなかった。その日私の夫は、生まれて初めて自分の暮らしを支えていたのは誰かを知った。
◇ ◇ ◇
半年後。
私は隣国ヴァレンティア王国にいた。
「エレノア嬢。こちらへ」
差し出された手の持ち主は、王太子レオナード殿下。
私より三歳年上の二十九歳。まだ婚約者はいない。そんな方が、なぜか晩餐会の相手として私を指名した。
「殿下。わたくしでよろしいのですか?」
「あなたがいいのです」
迷いなく返される。
「六年前の通商会議を覚えていますか?」
「もちろんです」
結婚前。
父の補佐として出席した会議だった。
「我が国が小麦関税の引き下げを求めた際、代わりに羊毛の輸入枠拡大を提案した」
「……よく覚えていらっしゃいますね」
「あの案で双方が得をした。忘れませんよ」
「あれは父の――」
「公爵にも確認しました」
逃げ道を塞がれた。
「あの提案をしたのは、あなただそうですね」
「……はい」
レオナード殿下が笑った。
「私はあの時から、あなたを好ましく思っていました。ですが婚約者がいた。だから何もしなかった。そして、三年前にあなたが結婚して、それからはすっかり諦めました」
殿下は少し困ったように笑う。
「他人の妻を奪う趣味はありませんので」
「そのジョークは今の私では笑えませんわ」
「失敬。そして半年ほど前。あなたが独身になったと聞いた。不謹慎なのは承知しています。それでも、私は嬉しかった」
真っ直ぐに見つめられる。
「ようやく、あなたを望んでもよくなった」
何を言えばいいのか分からなかった。
「ですが……わたくしは、一度夫に選ばれなかった女です。貴方に恥をかかせてしまうのではないですか?」
ヴァレンティア王国は豊穣の地で産業も盛んな大国である。その王太子とあらばわざわざ傷のついた令嬢を選ばずとも、毎日の様に縁談の持ち掛けがあるだろう。
けれど殿下の目は真剣だった。
「違います」
「え?」
「あなたは選ばれなかったのではない。選んだ男が、あなたを理解できなかっただけです」
その言葉に私は顔を上げた。
「私は、あなたに私を必要としてほしいとは思いません。一人で立てるあなたが、それでも私の隣を選んでくれたら嬉しい。必要だからではなく、好きだから一緒にいる。それでは駄目でしょうか?」
ずっと完璧でなければならないと思っていた。
公爵令嬢だから。
王子妃だから。
誰かの妻だから。
けれど、この人の前では。
ただのエレノアでいてもいいのかもしれない。
◇ ◇ ◇
一方、王都南部。
かつて第二王子だったアルフォンスは、雨漏りする天井を見上げていた。
「修理は?」
「業者に頼めば金貨十二枚だそうだ」
「高すぎるわ」
「なら今年は我慢するしかない」
セシリアが不満そうに唇を尖らせる。以前なら、その顔を見ればアルフォンスは何でも買ってやりたいと思った。だがもう知っている。愛では屋根は直らない。
恋人同士だった頃は週に一度、綺麗な部屋で会えばよかった。それが今や、毎朝顔を見る度に小さなため息が出る。
沈黙の中、セシリアが新聞を手に取ると、大きな見出しが目に入った。
『ヴァレンティア王太子、フォスター公爵令嬢との婚約を発表』
紙面には、柔らかく笑うエレノアの姿があった。
「……どうして。どうして、あの子ばっかり……」
記事の中の元妻は、自分の隣にいた頃より幸せそうに見えた。
「ねえ」
セシリアが新聞を握りしめた。
「あなた、私が好きだったの?」
その夜、二人は別々の部屋で眠った。
一月後、セシリアは屋敷を出た。
アルフォンスは追わなかった。
◇ ◇ ◇
それから二年後。
私はヴァレンティア王国の王太子妃になっていた。
「エレノア」
執務室で書類を読んでいると、レオナードが後ろから私を抱きしめた。
「殿下、勤務中です」
「あと三十分ある」
「三十分しかありません」
「エレノア、愛している」
その言葉を聞いた時、ふと昔の友人に言われた言葉が頭をよぎった。
『ねえ、エレノア。女として愛されない結婚生活って、どんな気持ちなの?』
彼女は今、何をしているのだろうか。正しい道では無かったが、きっと彼女も自分に同じ問いをむけていたのかもしれない。胸の奥で少しだけ、かつての親友の笑顔がよぎった。
「エレノア?」
「ふふっ、失礼しました」
私は今度こそ迷わず笑った。
「わたくしも愛していますよ。レオナード様」
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作者ページ、シリーズリンクに一作目もあります!
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