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キンクマ異世界令嬢譚

シタ妻令嬢の末路

作者: キンクマ
掲載日:2026/10/07

シタ妻令嬢シリーズの二作目、王道ざまぁ。

「ねえ、エレノア。女として愛されない結婚生活って、どんな気持ちなの?」


 親友だと思っていた女からそう尋ねられた時、私はその意味を理解できなかった。


 王都でも指折りの高級宝飾店。その二階にある貴族専用の応接室で、向かいに座る伯爵夫人セシリア・モントレーは、宝石を散りばめた首飾りを自分の胸元に当てながら、楽しそうに笑っていた。


「どうしたの、急に」

「だって、アルフォンス殿下とは政略結婚でしょう? 結婚して三年になるのに、お子様もいらっしゃらないじゃない。寂しくないのかなって」


 私は第二王子アルフォンスの妻だ。王位継承権は第二位。第一王子である兄君にはすでに二人の男子がいるため、夫が王位を継ぐ可能性は低い。


 それでも王弟となる可能性の高い第二王子には、王家を支える義務がある。だからこそ私は結婚してから三年間、第二王子妃として公務に励んできた。


 孤児院への慰問、救貧院への寄付、地方領主から上がってくる陳情書の整理。外国使節を招いた晩餐会では、夫に代わって席次から料理まで確認することもある。


 王族とは、好きな時に好きな場所へ行ける身分ではない。ましてや第二王子夫妻に子がないことについて、他人に軽々しく話すべきでもない。


 それくらいのことは、伯爵夫人であるセシリアにも分かっているはずなのだが。


「殿下とは仲良くさせていただいているわ」

「ふうん」


 セシリアはつまらなそうに唇を尖らせた。その仕草を見て、私は少しだけ羨ましく思った。彼女は昔から自由だ。公爵令嬢として厳しく育てられた私とは違う。欲しいものがあれば欲しいと言い、嫌なものには嫌だと言う。


 だからこそ、学生時代から彼女と一緒にいる時間が好きだった。


「それより、それを買うの?」

「ええ。素敵でしょう?」

「素敵だけれど……ずいぶん高価ね」

「主人が買ってくれるって」


 そう言ってセシリアが笑う。モントレー伯爵は領地経営に熱心な、真面目な方だ。社交界にはほとんど顔を出さないが、妻を大切にしているという話はよく聞いていた。


「愛されているのね」


 私がそう言うと、セシリアの笑顔が一瞬だけ消えた。


「セシリア?」

「……ううん。何でもない」


 そして彼女は、いつもの笑顔に戻った。


「エレノアも、もう少し旦那様に甘えてみたら? 男の人って、頼られるのが好きなのよ」

「そういうものかしら」

「そうよ。エレノアは何でも一人でできちゃうから。殿下も可哀想」


 クスクスと笑う親友に、私は苦笑を返した。


 その時の私は知らなかった。


 彼女が身につけていた首飾りを買ったのが、モントレー伯爵ではなかったことを。そして――。


 私の夫が、彼女にそれを贈っていたことを。


     ◇ ◇ ◇


 夫の不貞を知ったのは、それから一月後だった。


「妃殿下。折り入って、お耳に入れたいことがございます」


 そう言って私の執務室を訪れたのは、侍女長のマーサだった。五十を越えた彼女は、私が公爵家から王家へ嫁いだ際についてきてくれた人だ。


「何かしら」

「……アルフォンス殿下についてでございます」


 嫌な予感がした。しかし王族の妻として、人前で感情を乱すことは許されない。


「続けて」

「こちらをご覧ください」


 差し出されたのは、王都西部にある高級宿泊施設の領収書だった。王族が利用する店ではない。名義もアルフォンスではなかった。


「これは?」

「殿下付きの従僕が、王宮会計院へ経費として提出したものです。処理に困った会計官が、わたくしのところへ」

「……なぜ?」

「日付をご覧ください」


 三月十四日。夫はその日、王都郊外の騎士団演習場へ視察に行くと言っていた。


 帰宅したのは夜だった。


『遅くなってすまない。疲れたから先に休む』


 そう言って、自室へ戻った。


「この日は一泊されております」

「……そう」

「あと、こちらも」


 二枚目。三月二十八日。

 三枚目。四月十一日。


 すべて、公務を理由に屋敷を空けていた日だった。


「お相手は?」


 自分でも驚くほど冷静な声が出た。

 マーサは一度だけ目を伏せた。


「……セシリア・モントレー伯爵夫人でございます」


 頭の中が真っ白になった。夫に裏切られたことより先に、宝飾店での彼女の笑顔を思い出した。


『女として愛されない結婚生活って、どんな気持ちなの?』


 そういうことだったのか。


「確かなのね。モントレー伯爵は?」

「すでにご存じです。伯爵家側でも夫人の外出を不審に思い、調査していたそうです」


 しばらく言葉が出なかった。

 やがて私は、深く息を吐いた。


「……分かったわ」

「妃殿下……お気を強く持ってください」

「マーサ。お父様に連絡を。それから王家の法務官を呼んでちょうだい」


 マーサが目を見開いた。


「殿下とお話し合いになられるのでは?」

「その前にすることがあります」


 王族の婚姻は、恋愛だけで成立しているわけではない。私がアルフォンスへ嫁いだ際、フォスター公爵家と王家との間では婚姻契約が交わされている。


 私の持参財産。

 第二王子家へ貸与されている別邸。

 父が出資した第二王子領の灌漑事業。

 将来子供が生まれた場合の相続権。

 婚姻を解消するのであれば、それらすべてを整理しなければならない。


「先ずはこれから負う罪の重さを計りましょうか」


 愛について話すのは、それからでいい。


     ◇ ◇ ◇


「離縁だと!?」


 翌日、アルフォンスは私が差し出した書類を見て声を荒らげた。


「まだ決定ではございません。王家の承認が必要ですので」

「そういうことを言っているんじゃない!」


 書類が机へ叩きつけられる。

 不貞の記録。

 宝飾品の購入履歴。

 婚姻契約に基づく財産返還一覧。


「セシリアとはそんな関係じゃない!」

「では、この宿泊記録は?」

「相談に乗っていただけだ!」

「寝室が一つしかない部屋で?」


 夫が黙った。


「三月十四日、二十八日、四月十一日。それ以外にも七回。すべて証人がおります」

「勝手に俺の金を調べたのか!」

「王室から支給される歳費を管理するのも、王子妃の職務です」

「プライバシーというものがあるだろう!」


 思わず失笑が漏れた。


「プライバシーよりも、不貞をなさったことを気にされてはどうですか?」

「……愛してしまったんだ。仕方がないだろう。俺はセシリアを愛してしまったんだ」


 突然の告白に、逆に私は冷静になった。


「……お前には分からないだろうな。何でも完璧にこなして、俺がいなくても一人で生きていけるお前には。セシリアは違う。俺を必要としてくれる。俺がいなければ駄目なんだ」


 つまり私は、一人でできることを一人でしたために裏切られたらしい。この男は、私の努力なんて何も見ていなかったのだと今更ながらに気付いた。


「分かりました。でしたら、離縁いたしましょう」

「待ってくれ! 俺にはまだお前が必要なんだ!」

「世迷言を。必要としてくれる女の方がお好きなんでしょう」

「それは……」

「でしたら、わたくしがお引き止めする理由はありません。三年間、お世話になりました」


 カーテシーをしてから、部屋を出て静かに扉を閉める。後ろから捨てられた仔犬のような視線を感じたが、振り返ることはしなかった。そして多分、もう二度とないに違いない。


     ◇ ◇ ◇


「エレノア!」


 廊下へ出ると、聞き慣れた声がした。セシリアだった。


「どうしてこんな大事にしたの!?」


 私はしばらく彼女を見つめた。


「……あなたがそれを言うの?」

「だって、私たちは親友でしょう?」

「ええ。そう思っていたわ」

「だったら分かってよ! 私だって辛かったの!」

「何が?」

「主人は領地のことばかり。王都へ来ても仕事、人脈、領民の話。私が髪型を変えても気づかない。新しいドレスを着ても褒めてくれない」


 目に涙を浮かべて、セシリアは言った。


「私は妻である前に女なの。愛されたかったのよ」

「だから、わたくしの夫と?」

「アルフォンス様だって苦しんでた! あなたといると息が詰まるって!」


 私は右手をあげて、こぼれ落ちそうなセシリアの涙を拭ってやった。そして、薄く笑って言った。


「モントレー伯爵は、あなたのために毎週領地と王都を往復していたそうよ。片道二日。それでもあなたが王都で暮らしたいと言ったから」


 その指の先で、セシリアの瞳が揺れる。


「あなたが欲しがった宝石を買うために、私有林の一部を売る予定だったとも聞いたわ」

「そんなの知らない!」

「ええ。あなたは知ろうともしなかったのでしょうね」


 セシリアの顔が歪んだ。


「あなたはご主人に、寂しいと言ったことがある? 髪を見てほしい。もっと一緒にいてほしい。そう伝えたことは?」

「うるさい!」


 手が振り上げられた。

 しかし私へ届く前に、その腕が止まる。


「やめろ、みっともない」

「あなた……」


 モントレー伯爵だった。彼は妻を見ないまま私へ深く頭を下げた。


「王子妃殿下。妻が取り返しのつかないことをいたしました」

「……伯爵が謝罪することではありません」

「いいえ。夫として、謝罪させてください」


 それからようやく彼はセシリアを見た。


「離縁状は提出した」

「……え?」

「君の持参財産は返還する。婚姻後に贈った宝飾品については、損害賠償との相殺を申し立てた」


 セシリアの肩が震えた。夫の袖を掴む。


「待って!」

「君の父上にも連絡したから、以後はそちらと進めてくれ」

「ねえ、待ってってば! 私、あなたと離婚するつもりなんてない!」


 その時だった。


「……どういう意味だ?」


 背後からアルフォンスの声がした。

 セシリアの顔が固まる。


「……今のはどういう意味だ、セシリア?」

「違うの、アルフォンス様」

「俺はお前のためにエレノアと別れると言った」

「そんなの頼んでないわよっ!」


 言ってから彼女は口を押さえた。辺りに静寂が落ちる。


「……では、何だったんだ」


 アルフォンスの声は、先ほどよりずっと小さかった。

 セシリアの唇は震えていた。


「だって……王子様との恋だったから」


 それ以上、言葉は必要なかった。


     ◇ ◇ ◇


 王家の処分は、私が想像していたより重かった。


 アルフォンスは王位継承権を放棄し、軍の名誉職と枢密院への出席資格を失い、第二王子宮も返還することになった。


「離婚しただけではないか!」


 国王陛下の執務室で、アルフォンスは声を荒らげたが、陛下はため息をついただけだった。


「王族が臣下の妻と不貞を働き、公務と偽って密会し、その費用まで王室へ請求した」

「それは従僕が勝手に――」

「……情けない奴だ」


 陛下は次の書類を開く。


「フォスター公爵家から提供されていた資産も返還する」

「資産?」


 私はその顔を見て初めて理解した。

 夫は本当に知らなかったのだ。


「お前が夏に使っていた湖畔の館は、公爵家の所有だ。領地の水路工事、その資金も公爵家からの貸付だ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「狩猟会の費用も、エレノア嬢の持参財産から出ている」


 アルフォンスの顔から血の気が引いた。


「では……俺には何が残るんだ?」

「王都南部の屋敷と、お前名義の土地が少し」


 陛下は息子を見た。


「自分のものだと思っていたものの大半は、自分のものではなかった。それだけの話だ」


 夫は何も言えなかった。その日私の夫は、生まれて初めて自分の暮らしを支えていたのは誰かを知った。


     ◇ ◇ ◇


 半年後。


 私は隣国ヴァレンティア王国にいた。


「エレノア嬢。こちらへ」


 差し出された手の持ち主は、王太子レオナード殿下。


 私より三歳年上の二十九歳。まだ婚約者はいない。そんな方が、なぜか晩餐会の相手として私を指名した。


「殿下。わたくしでよろしいのですか?」

「あなたがいいのです」


 迷いなく返される。


「六年前の通商会議を覚えていますか?」

「もちろんです」


 結婚前。

 父の補佐として出席した会議だった。


「我が国が小麦関税の引き下げを求めた際、代わりに羊毛の輸入枠拡大を提案した」

「……よく覚えていらっしゃいますね」

「あの案で双方が得をした。忘れませんよ」

「あれは父の――」

「公爵にも確認しました」


 逃げ道を塞がれた。


「あの提案をしたのは、あなただそうですね」

「……はい」


 レオナード殿下が笑った。


「私はあの時から、あなたを好ましく思っていました。ですが婚約者がいた。だから何もしなかった。そして、三年前にあなたが結婚して、それからはすっかり諦めました」


 殿下は少し困ったように笑う。


「他人の妻を奪う趣味はありませんので」

「そのジョークは今の私では笑えませんわ」

「失敬。そして半年ほど前。あなたが独身になったと聞いた。不謹慎なのは承知しています。それでも、私は嬉しかった」


 真っ直ぐに見つめられる。


「ようやく、あなたを望んでもよくなった」


 何を言えばいいのか分からなかった。


「ですが……わたくしは、一度夫に選ばれなかった女です。貴方に恥をかかせてしまうのではないですか?」


 ヴァレンティア王国は豊穣の地で産業も盛んな大国である。その王太子とあらばわざわざ傷のついた令嬢を選ばずとも、毎日の様に縁談の持ち掛けがあるだろう。

 けれど殿下の目は真剣だった。


「違います」

「え?」

「あなたは選ばれなかったのではない。選んだ男が、あなたを理解できなかっただけです」


 その言葉に私は顔を上げた。


「私は、あなたに私を必要としてほしいとは思いません。一人で立てるあなたが、それでも私の隣を選んでくれたら嬉しい。必要だからではなく、好きだから一緒にいる。それでは駄目でしょうか?」


 ずっと完璧でなければならないと思っていた。

 公爵令嬢だから。

 王子妃だから。

 誰かの妻だから。


 けれど、この人の前では。

 ただのエレノアでいてもいいのかもしれない。


     ◇ ◇ ◇


 一方、王都南部。


 かつて第二王子だったアルフォンスは、雨漏りする天井を見上げていた。


「修理は?」

「業者に頼めば金貨十二枚だそうだ」

「高すぎるわ」

「なら今年は我慢するしかない」


 セシリアが不満そうに唇を尖らせる。以前なら、その顔を見ればアルフォンスは何でも買ってやりたいと思った。だがもう知っている。愛では屋根は直らない。


 恋人同士だった頃は週に一度、綺麗な部屋で会えばよかった。それが今や、毎朝顔を見る度に小さなため息が出る。


 沈黙の中、セシリアが新聞を手に取ると、大きな見出しが目に入った。


『ヴァレンティア王太子、フォスター公爵令嬢との婚約を発表』


 紙面には、柔らかく笑うエレノアの姿があった。


「……どうして。どうして、あの子ばっかり……」


 記事の中の元妻は、自分の隣にいた頃より幸せそうに見えた。


「ねえ」


 セシリアが新聞を握りしめた。


「あなた、私が好きだったの?」


 その夜、二人は別々の部屋で眠った。


 一月後、セシリアは屋敷を出た。


 アルフォンスは追わなかった。


     ◇ ◇ ◇


 それから二年後。


 私はヴァレンティア王国の王太子妃になっていた。


「エレノア」


 執務室で書類を読んでいると、レオナードが後ろから私を抱きしめた。


「殿下、勤務中です」

「あと三十分ある」

「三十分しかありません」

「エレノア、愛している」


 その言葉を聞いた時、ふと昔の友人に言われた言葉が頭をよぎった。


『ねえ、エレノア。女として愛されない結婚生活って、どんな気持ちなの?』


 彼女は今、何をしているのだろうか。正しい道では無かったが、きっと彼女も自分に同じ問いをむけていたのかもしれない。胸の奥で少しだけ、かつての親友の笑顔がよぎった。


「エレノア?」

「ふふっ、失礼しました」


 私は今度こそ迷わず笑った。


「わたくしも愛していますよ。レオナード様」

ここまで読んでいただきありがとうございます!


ここが良かった、ここが今一つ、など評価、感想もいただけると幸いです(^^)


作者ページ、シリーズリンクに一作目もあります!

よければそちらとも読み比べてください♪

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配偶者に金稼ぎや仕事させるのは当たり前で自分は平然と浮気ってお似合いカップルだったんだな。
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