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聖女/令嬢

「三十路聖女は用済み」と言われたので、癒しを求め旅に出ます。くれぐれも放っておいてくださいね。

掲載日:2026/07/15

 先日、教団から引退勧告を受けました。「三十路聖女は用済み」だそうです。


 後任は十五歳にして「綺蹟(キセキ)」──女神さまの権能を自在に扱う天才美少女、しかもあざとさ(・・・・)まで兼ね備え、男性信者を中心にはやくも大人気の様子。

 舌足らずで噛み噛みの祈りを聞くために、大聖堂に行列ができる毎日です。

 かつては私も癒し系聖女としてなかなかの人気だったのですけどね。

 当時「何があっても最後まであなた様をお守りします」とのたまっていた同世代の聖騎士団長殿は、まったく同じセリフを五倍ニヤけたヒゲ面で新聖女に囁いていました。


 でもね。そんなこと、もうどうでもいいの。


 先代の聖女が恋人をつくって失踪したせいで、史上最年少の十歳で聖女に就任してから二十年。綺蹟(キセキ)もまともに扱えない状態から、ひたすら人々を癒し続けてきた。

 皆から向けられる感謝が心から嬉しくて、どんなに辛くとも心が折れたことはない。けれど、時々ふと思うことはあった。誰かのためじゃない、私自身の幸せ、私のための癒しは、どこかにあるのかなって。

 だから。もしかしたら、もう手遅れかもしれないけれど、とにかく引退生活(セカンドライフ)は自分自身が癒されるためだけに生きる。そう決めたのです。


 ──というわけで私、癒しを求め旅に出ます。二十年ぶりに王都という鳥かごの外へ!


「メイベルさまー! お待ち下さいメイベルさまー!」


 走り出した乗合馬車の小刻みな揺れのなか、そんな私の名を呼ぶ声が聞こえます。

 声の主は、聖騎士団が従者として押し付けてきたザックくん。まだ二十代前半の、顔立ちから人の好さが滲み出る好青年です。

 亜麻色の短髪がよく似合う美形(イケメン)で目の保養にはなるけれど、向こうは十歳近く年上の女なんて興味ないでしょう。気を使わせるのも申し訳ないし、気を使うのも面倒なので丁重にお断りしたのですが、「お役目ですので」の一点張りで聞き入れてくれず。


 そこで私は昨晩、腰まであった銀の長髪───自由に切ることも許されなかった「聖女の証」をばっさり首上でショートボブにカット、毛先を外ハネさせたりしてみた。そもそも髪色は、特殊な精油(オイル)によるツヤ増しで銀に見せていただけ。なので本来の灰色に戻っています。

 さらに服装も、毎日着ていた無意味にヒラヒラの重なる白法衣ではなく、旅の治癒士(ヒーラー)さんが着るような象牙色(アイボリー)のケープとスカートのセットアップ。めちゃくちゃ動きやすくて感動です。


 ふふふ、もはや元聖女(わたし)とは誰も気付かないはず。

 これで馬車の発着場に待ち受けるザックくんの横を、素知らぬ顔で颯爽と通過(スルー)する計画だったのですが。


「メイ……ベル……さま……?」


 けっこう離れた位置から、こちらをしっかり捕捉するザックくん。意外と手強い。ただ、ちょっと様子がおかしい。


「かっ……髪を……切られたのですね……」


 しかたなく歩み寄る私を見て呆然と口を開け、なぜか両手で目を半ば覆っています。


「ええ、まあ。旅に合わせてイメチェンです」

「ああ、なんてことを……聖女の証をそんな、そんな短く……あまりに、あまりにも……」


 目の前まで行くと、彼はぶるぶる震えています。別にいいじゃない、私はもう聖女じゃないのだから。


「あまりにも似合いすぎます! 尊すぎますッ! あとお衣装もキュートすぎるッ! ああだめだもう直視できない……」


 そう言うと両目を塞いでしゃがみ込んでしまいました。なんだろう、ものすごくオーバーなお世辞でしょうか。だからそういう忖度が嫌なんですけどね。

 とにかく、好機とばかりに彼をその場に放置して、私は馬車に飛び乗ったわけです。


「……どうかお待ちをぉぉ……メイベルさまあぁぁ……」


 遠ざかっていく彼の涙声に胸がチクリとするものの、ごめんなさい、私は気ままな一人旅がしたいのです。

 もしかしたら、もう王都(ここ)に戻ることはないかもしれない。

 未練はないけれど、ひとつだけ心残りがあるとしたら──いいえ、脳裏に浮かぶ灰衣の剣士様の姿を、かき消すように首を振る。あのひとには王都に、大切な役割があるのだから……。


 ──そうして馬車に揺られること、半日ほど。


 辿り着いた小さな町に、軽やかな足取りで降り立ちます。

 手にはいつもの聖なる金錫杖でなく、荷物をまとめた四角い革製カバンだけ。

 美しく艶めくワインレッドのそれは、王都で一番の革職人さんが、餞別にと贈ってくれた特別仕様(スペシャル)です。以前、患っていた大病を完治させたことがあり、その御礼も兼ねてとのことでした。

 足元に置くと、底面の四隅に生える短く尖った「脚」でちょこまかと歩き出し(・・・・)、私の周囲を仔犬のようにぐるぐる廻ります。


「ふふ、いいこね」


 荷物を自走して運んでくれるだけじゃなく、しっぽの代わりに持ち手(ハンドル)をパタパタ左右に振る姿はちょっとした癒し効果もあります。やたら重いくせに威厳アップ効果しかない錫杖より、遥かに頼れる旅のお供です。

 ちなみに職人さんは冗談めかして「こいつの素材は皇炎龍(カイザードラゴン)の翼皮膜なんだぜ」とかおっしゃってましたが、どこまで本当やら……。


 さて、カバンくん(・・・・・)のことはさておき本題に移りましょう。

 この町には、名産品の甘酸っぱいトゥマの実に、強烈な風味と旨味が同居するガリーを併せたソースで食べる「ンマトゥーマ」なる肉料理があるらしいのです。

 以前、大聖堂で私の祝福を受けた女性が「絶対に聖女さまに食べてほしい」と話していて、ずっと気になっていたの! そう、癒しと言えばまずは美味しい食事(ゴハン)


 さすがにちょっと目立つのでカバンくんは手に提げ、人通りまばらな大通りをきょろきょろしつつ進んで行くと、日の翳り始めた空を刺すように白い尖塔が目につきました。大聖堂の縮小版(ミニチュア)めいたその建物が、この町の教会のようです。


 一応「引退した元聖女が立ち寄るかも」と大聖堂から各地の教会に余計な通達を出したようですが、私はあくまで一介の治癒士(ヒーラー)として気ままに旅がしたい。なんなら冒険者さんのパーティーに紛れ込んでダンジョンとか潜ってみるのもいいかも。

 ただし治癒士(ヒーラー)は、エリアを管轄する教会から免許を付与されないと、治癒を使った仕事ができません。教会の権威を誇示するためだけの無意味な制度ですが、それでもルールはルールです。


 尖塔を目印に歩を進めて行くと、何やら言い合う男女の声が聞こえてきました。


「何度も言うが、これから大切な儀式の時間だ。明日、出直しなさい」

「でも! こんなに苦しそうなんです!」


 教会の白い扉の前で、法衣をまとった恰幅のいい男性に食い下がるのは、おそらく私と同世代だろう女性です。彼女のスカートには小さな女の子がしがみついて「けほけほ」と咳込み、息をするのも苦しそう。

 男性はこの町の教会を管轄するハモンド上級司祭。私への聖女引退勧告を主導していた人物です。そう忘れもしない、私に「三十路聖女など用済みだ」と言い放った張本人。


「ほう、ではその娘は儀式より優先されるべき、つまり女神さまより尊い存在だとでも? いずれは聖女様にでもなられるのかな」

「え!? ……いえ、決してそのような……ですが……」


 だぶついた顎をさすりながら詰める司祭に、女性は言葉を飲み込む。苦しげな少女の咳が重なるのを聞いて、私は早足で歩み寄りつつ口を開きます。 


「──いいえ。目の前で苦しむ幼な子よりも、優先すべき儀式などありません」


 思わず、大聖堂に説法を響かせる時と同じ発声になっていました。ビクンと全身を震わせた司祭は、呆然とした顔で私の姿を見詰めます。まずい、気付かれた……?


「……どちら様かな? ……見たところ旅の治癒士(ヒーラー)のようだが」


 大丈夫のようです。相手(わたし)が一介の治癒士(ヒーラー)に過ぎないと認識して、彼は「やれやれ」とばかりに肩をすくめました。


「はい。治癒免許をいただきたくて参りました。ええとあれです、私の浅い知識の中にそのような儀式はないけどなあ、という意味で……」

教会(われわれ)のおこぼれで稼いでいる治癒士(おまえたち)の知識など所詮その程度だろうさ。知りたくば修道女(シスター)にでもなって、しっかり神にご奉仕することだ。なんなら私が洗礼を授けてやろう」


 ひたすら見下してくる司祭。その間にも激しくなる少女の咳に、母親は泣きそうな顔で背をさすっています。


「ちょうどいい。免許はくれてやるから、お前がその娘を治癒しておけ」

「え……お待ち下さい、この咳は司祭様の治癒(ヒール)でなければ抑えられないと先日……」


 不安そうな母親の言葉に、ハモンド司祭は露骨なため息を漏らします。だいぶ苛立っている様子だけど、いったい何の儀式があるというのか。


「凡人の治癒(ヒール)でも咳を軽くするぐらいできるはず。お前、その歳なら十年はやってるだろう?」

「一応、十代から始めて二十年ほどになります」


 経験を聞くのにわざわざ年齢の話をする必要もなかろうと思いつつ、面倒なので素直に答えます。


「ふん、思ったより上だったな。なら、齢だけ重ねた無能ではないところを見せてやれ」


 彼は鼻で笑いつつ、懐から取り出した親指ほどの白い木札を放り投げました。私の足元に。


「……ええ、お任せください」


 もはや怒る価値もなし。内心呆れながら恭しく頭を下げ、木札を拾ってケープの内側に収める。

 それを一瞥し、司祭は背を向けそそくさと教会の白扉の向こうに消えてゆきます。薄暗がりで彼を迎え入れた女性の唇が、修道女(シスター)にしてはずいぶんと紅く艷やかでした。


 ──さて。


 変わらず苦しげな咳が響いています。カバンくんを背後に控えさせつつ、母親のすがる視線に微笑み返した私は、少女の胸元に手のひらをかざす。

 なるほど、よくない(・・・・)感触が伝わってきます。かなり根を張っている。


「ちょっとだけ苦しいかも知れないけど、頑張れますか?」


 目線を合わせ問いかければ、少女は咳き込みながらもうなずき返してくれました。うん、強い子。なら大丈夫。


「いとまばゆきは女神(あなた)の慈愛──」

 

 祈りと共に私の全身が白い光に包まれ、髪がふわりと広がる。


「──聖癒(ヒール)


 それらすべての光が手のひらに集い、少女の胸の中に吸い込まれてゆきます。


「……ッ!? ゲホッ、ごほッ……」 


 彼女は一瞬だけ息を呑んで、それからこれまで一番激しく咳き込む。たまらずしゃがみ込んだ口元から血のような液体がぼとぼと地面にこぼれ落ち、黒い染みが拡がります。


「ちょっ!? 何をしたのっ!」

「けふっ、こほっ……待って、お母さん……ちがうの」


 今にも私に掴みかからんばかりの母親を制したのは、少女の言葉でした。


「え……その声……?」

「喉も胸もすごく軽いの! 治ったみたい!」


 すっかり咳の収まった少女が、朗らかな声と共に微笑みます。母親は困惑しながらも、彼女を抱きしめる。

 それを確認した私は、地面に拡がる黒い染み──いまも輪郭がもぞもぞと蠢いているその瘴気(しょうき)を、ブーツの踵で踏みつけます。


浄滅(ピュリファイ)


 私の呟きに続いて靴底から漏れる一瞬の白光に、キキィーと甲高い音が重なり、染みは跡形もなく消滅しました。ちょっとお行儀よろしくありませんが、私もう聖女じゃないし。


「……司祭様の治癒(ヒール)はもっとずっとお祈りが長くて、それに咳が収まっても声は枯れたままで……完治には何年も掛かるから、定期的に寄附しなさいと……なのに、あなたは一体……」


 祈りの基本形は女神聖典に記されていますが、そこに修飾詞を付け足したり他の祈りと組み合わせれば、強化したり拡張したり特化したりできます。私のそれは逆に、二十年間で余分な言葉を削ぎ落とし限界まで研ぎ澄ませた祈り。


「お母さん知らないの? 聖女さまだよ!」

「……え?」

「さっきおねえちゃんが光ったとき、髪が銀色に見えたもん! 絵本の聖女さまといっしょ!」


 母親に向かって力説する小さな名探偵に、私は苦笑しながらシーっと人差し指を立てて見せる。そして彼女の頭を優しく撫でながら「もう(・・)聖女じゃないの」と小声で囁き、呆然とする母親にも声を掛けます。


「まだ咳は出るかもだけど、すぐにこの子が勝ちます。とっても強くて賢い子だもの」


 そしてカバンくんを手に立ち上がったとき、教会の扉の方角から視線を感じました。小さく開いた隙間から、いっぱいに目を見開いたハモンド司祭がこちらを覗いていて、私と視線が合った瞬間に扉をバタンと閉じる。

 儀式とやらは、どうしたのでしょうね。


「あの、どうお礼をすれば……」

「それじゃあ、ひとつ教えて欲しいのですが」


 ──こうして私は、町で一番のンマトゥーマを出すというお店の情報を入手したのです。



 ◇ ◇ ◇



 大通りから少し外れた路地をしばらく歩いた場所に、その宿屋兼酒場はひっそり佇んでいました。夕食にはまだ少し早い時間帯ですが、一階の酒場ではもう何人かの客が酒を酌み交わしていて、香ばしい料理の香りが鼻孔をくすぐります。


「いらっしゃい、お嬢さん。お一人ですか?」


 店の奥から現れたエプロン姿は、白髪交じりの髪をオールバックにしたダンディな男性です。端正なお顔に柔らかな笑顔が浮かび、目尻に刻まれた皺は彼の人生の深さを物語っているよう。


「はっはい、一人です……」


 お嬢さん呼びもあって微かに熱を帯びる頬を自覚しつつ、辛うじて目的を思い出しました。

 ちなみにカバンくんは飲食店への同伴が微妙なので、ただのカバンとして手持ちで入店してます。


「あの、こちらでンマトゥーマはいただけますか」


 その問いに「もちろん」と即答する店主。「うちで出すのが町一番と評判でね」と自慢げに続けます。ヨシ、と拳を握りしめる私。ここでまちがいない。


「ちょうど、仕込みが終わったところですよ」


 案内されたカウンター席に腰掛けて、待つことしばし。「お待たせしました」と目の前に供された白いお皿には、鮮やかな赤いソースをたっぷりまとい、こんがり焼き目の付いたひき肉のかたまりがでん(・・)と鎮座! そして白い湯気と共にたちのぼるのは強烈に食欲をそそるガリーの香ばしさ……!


「どうぞ、めしあがれ」

「いただき……ます」


 カウンター越しに見守る店主の前で、思わずゴクリと生唾を飲み込みつつ、私はナイフとフォークを手に取ります。ナイフを吸い込むような柔らかさのお肉を、ひとくちぶんに切り分けて、たっぷりソースまみれにして口の中に運びます。


 ──こっ、これは!?


 みずみずしいトゥマの実と強烈な風味のガリーが織りなすソースが、柔らかいお肉の旨味を最大限に引き出している。


「おいっ……しいっ……!」


 店主のおすすめで追加注文した白米(ライス)がまた怖いくらいにはかどる!


「……はふぅ……」


 何度目かの恍惚の溜め息。もうすぐ食べ終えてしまうのが切ない。

 他のお客さんの応対から戻った店主は、そんな私をカウンター越しで満足げに眺めています。

 気になって表情をチラ見すると、彼は何か気付いたように目を見開きました。そしてカウンター越しに身を乗り出し、私の耳元で「つかぬことをお伺いしますが」と囁いたのです。


 ──まま待ってお顔が近い! あと耳元に触れる微かな吐息がこそばくて、なんだかそのぅ!


 頭の中がンマトゥーマみたいに赤く蕩けかける私ですが、かまわず店主は続けます。


「もしや、聖女さま……いえ失礼を……先代聖女のメイベルさまではございませんか?」

「……え!? ええ、よくおわかりで……」


 あ、しまった! 勢いで認めちゃった!


「もう、十年以上も前になります」


 お顔を離した彼は、懐かしげに語りはじめました。


「重病を患っていた妻に、王都の大聖堂で『綺蹟(キセキ)』を施していただいたのです。あなたに」


 じっと見詰める眼差しで、鼓動はどんどん高鳴ります。


「私は付き添いで離れた場所から見ておりましたが、女神さまのような慈しみに満ちたご尊顔、忘れはしません。少しだけ、雰囲気がお変わりですね」


 今のお姿も素敵です。付け足してにっこり微笑むと、続けて静かに彼──マシューは昔語りを聞かせてくれました。

 綺蹟(キセキ)によって彼の妻は見違えるように元気になった。それから、彼女本来の明るい性格で繰り出す接客術もあいまって、店の評判はうなぎ上り。ついには「町一番のンマトゥーマの店」とまで言われるようになったのだと。


「ただ、そのせいで無理をさせてしまったのかも知れません。二年ほど前に病が再発して、そのまま眠るように静かに、女神さまの元へ……」

「そう、だったのですね」


 聖女だけが扱える綺蹟(キセキ)は、女神さまの代行者として授かった権能であり、通常のお祈りよりも段違いに強力な効果が期待できます。


 たとえば、戦いの中で両目に傷を負った若い聖騎士がいました。同行していた治癒士(ヒーラー)さんの治癒で傷口はすぐに塞がったけれど、残念ながら彼の視力は失われてしまった。騎士としての未来のみならず、もうすぐ生まれる我が子の顔さえ見れなくなってしまった。


 けれど彼は私の綺蹟(キセキ)によって、片目の視力を取り戻すことが出来ました。隻眼の騎士は今、父親としても聖騎士団長の右腕としても、立派に役割を果たしています。

 綺蹟(キセキ)を適用できるのは、相手の人生で一度きり、ひとつの事柄だけ。だから治せたのは彼の片目だけ。そして店主の奥様も、再発した病を再び治すことはできない。


「ほんとうに感謝しております。今この店があるのも、メイベルさまのおかげです」


 ──だいぶ、店内が賑わってきました。給仕の若い女の子が、私の前からなかなか離れようとしない店主(マシュー)を睨みつけています。


「そうだ、今宵の宿はお決まりですか? よろしければ当宿(うち)はいかがです? お代は結構ですから」


 断る理由もありません。私はありがたくその申し出を受けることにしました。もちろんお代はしっかり払わせていただきます。

 ぶっちゃけ聖女は衣食住の保障以外は無償奉仕で、収入と言えば大聖堂の売店で販売している、私自身が祈りを込めた聖護符(アミュレット)の売り上げぐらい。でも使い道がなかったので、二十年分の累積(ちりつも)がけっこうな金額になっています。

 もうすぐ新聖女版が入荷するということで半額以下で在庫処分されていた私の聖護符(アミュレット)を、思わず大量に買い取ってしまったけど、それでもまだ余裕あり。

 あとは免許も入手したことですし、治癒士(ヒーラー)として路銀を稼ぎながら旅していこうと思っています。


 すっかり賑やかな店内から階段を上って、あてがわれた廊下のいちばん奥の部屋へ。小ぎれいで、ひとりが寝泊りするには十分すぎる広さでした。 

 ケープを外して大きめのベッドに腰掛け、地図を広げてこれからの旅程を詰めます。

 明日は隣町まで街道を歩いて、逗留しているはずの商隊(キャラバン)に合流、そこから北の港町──私の生まれ故郷の近くまで同行させてもらう計画。

 隊を率いるサーリャとは幼なじみです。故郷の隣町のバザーで初めて会ったころは、お互い何者でもない子供同士だったなあ。

 

 ──そんなこんな想いを馳せるうち、気付けばベッドに突っ伏して眠っていました。


 慣れない旅でさすがに疲れたのかも知れない。なんとなくよくない(・・・・)夢を見て目覚めた気がするけど、内容は思い出せません。こういうときは大抵……。


 コンコン


 控えめなノックの音が聞こえて、心臓が跳ねあがります。


「……はい?」


 小さく返事をすると、一拍置いて聞こえたのは店主マシューの声でした。


「こんな時間にご無礼を。ランプの灯りが漏れていたもので」

「いいえ、うたた寝してしまって、ちょうど目が覚めたところです」


 しばしの沈黙。


「メイベル様に、お願いがあるのです」


 聞こえたのは店主としての彼とは違う、どこか寂しげで弱々しい声。二十年の経験で私は、それが助けを求めるひとの声だと知っています。

 私はベッドから降り、内鍵を外してそっとドアを開きました。廊下の暗がりに、思い詰めた余裕のない表情が浮かびます。


「ときどき、眠れなくなるのです。死んだ妻のことが忘れられず……」


 エプロンを外した彼の、少しくたびれたシャツに包まれた胸板が、私の目の前で呼吸に合わせ上下しています。二人を隔てていたカウンターは、もうない。


「だから欲しいのです。メイベル様、あなたの……」


 えっ、そそそれはもしかして「妻を忘れさせてほしい」的なあれですか!? さささすがに心の準備がまだですし、あとお口もきっとガリーの匂いがするからアレがソレですし、どっどどうしたらいいですか女神さまッ!?

 動揺する胸に、ゆっくりと彼の視線が向けられます。


「あなたの、心臓が」


 ──はい?


 ぽかんと口を開ける私の視界の端で、背に隠されていた彼の右手に、ランプの灯りを反射して短剣の刃がぎらりと光る。


聖女(あなた)の心臓を黒女神に捧げれば、妻が生き返るんだ……!」


 まるで自分に言い聞かせるような言葉と共に彼は、大きな体で覆いかぶさりながら刃を突き出す。胸に迫る鋭い切っ先、でも彼の目が迷子のこどもみたいに見えたから、私は両腕を広げてそれを迎え入れることにした。


「──とても、哀しく寂しいことですが」


 胸の真ん中を突く衝撃ごと、受け止めるように彼を抱きしめる。そして広い肩幅に顔を埋めながら、語りかけます。


「どうしたって、失われた命は戻らない。魂は不滅だとか言うけれど、あんなのは嘘っぱちです。人は死んだらそこまでだと、聖女を二十年続けてよくわかった」


 黒女神。それは私を聖女として選んだ白女神と対を成す、表裏一体の双子姉妹神の片割れ。

 その信者──黒の使徒たちの扱う禁術のひとつに、聖者の心臓を捧げ死者の肉体を蘇らせる儀式があります。けれど、それは。


「黒女神が作り出すのは、泣きも笑いもしない空っぽの肉人形。見た目が故人と同じだけのまがいものです。あなたは、そんなものが欲しいの……?」

「……まがい……もの……」


 彼は呆然として、私の言葉をなぞる。


「でもね、不滅なものも確かにあるの。このお店は、奥様と二人で作り上げたのでしょう? そこには彼女の意思(おもい)が生きている。お客さんに愛されるお店を見て、奥さまの人柄が思い浮かんできました」


 ──私はそっと目を閉じる。


「そう、笑顔のまぶしいすてきなひと……名前はたしかエライザでしたね」


 マシューが息を呑みます。


「……覚えて、おいでなのですか……?」

「ええ。私に、ンマトゥーマを絶対に食べてほしいと言ってくれたひと。それが彼女の心からの言葉だったから、私は引退して最初の目的をンマトゥーマにしたの」


 カラン、と店主の手から短剣が床に転がる。


「わかって、いたんだ。あいつらに、都合よく利用されるだけだってこと。でも……もしかして……あいつが元通りで戻ってきてくれるなら……その考えを、どうしても消せなくて……」


 彼の懺悔に私はうなずく。ゆるし難きは、人の哀しみに付け入る黒の使徒たちです。


「ああ……俺はなんてことを……しでかして……」

「いいえ、大丈夫。あなたは何もしていない」


 言って私は、足元の短剣に目を向けます。

 そこには血の一滴も付いていないし、私の胸元も紅く染まってはいない。首に下げていたペンダントを、胸元から取り出す。それは白く小さな雫型のお守り──私が自ら祈りを込めた聖護符(アミュレット)。そう、買い占めた在庫処分品です。中央に短剣の切っ先を受け止めた傷のあるそれは、役目を果たしてさらさら砂になり崩れてゆきました。


「よければ少し、使徒(かれら)のことをお聞きしたいのですが」


 私の言葉に彼がうなずいた、そのときでした。足元でカタカタと音がしたかと思えば、短剣が禍々しい黒色のオーラをまとって、ふわりと浮かび上がったのです。

 そして切っ先をまっすぐ私の心臓に向け、高速で飛来する。


「うぐ……」


 苦鳴を漏らしたのは店主。凶刃は、私をかばった彼の背中に深々と突き刺さっていました。


「ご無事ですか……メイベル様……」


 言葉と共に鮮血が溢れる。それは明らかな致命傷。

 呆然と首を縦に振るしかできない私に、彼は店に迎えてくれた時と同じ柔らかな笑みを浮かべて、膝から床に崩れ落ちるのでした。



 ◇ ◇ ◇



 宿屋の扉から一歩踏み出す。見上げた空は、まだ薄暗い。


 正しさだけが人を救うとは限らないと、知っています。

 慈愛と秩序の白女神、欲望と解放の黒女神、表裏一体の両者が均衡を保ちつつ人間を見守る。かつては、それが本来の世界の形だったのかも知れない。けれど。


 ほんの数歩進んだところで、路地の至るところからぞろぞろと走り出した黒衣の集団が、私の周りを取り囲んでいました。数はざっと十人います。


「何か、ご用でしょうか?」

「ふん、しくじったか。王都でなければ幽騎士(ファントム)めの邪魔もない、しかも『聖殺刃(セイントキラー)』まで貸し与えたというのに、まったく無能な男だ」


 正面に立つ黒い法衣に黒覆面の男が、私の問いを無視して吐き捨てます。「聖殺刃(セイントキラー)」とは、おそらくあの短剣のことでしょう。

 つまりこの集団こそ彼をそそのかした者たち──黒の使徒。空気にどす黒い殺気が漂います。


「──いいえ、彼の料理は素晴らしい。技術と創意工夫と真心が凝縮された逸品です。無能呼ばわりは、私が許さない」


 ゆっくりと、幹部と思しき黒法衣の言葉を否定する。これだけは絶対に譲れないことだから。取り囲む使徒の何人かが、息を呑む。


「命を狙われた相手さえ庇うとは、なんともお優しいことだな聖女よ。これから貴様の心臓を抉り出そうとも、我らのために祈ってくれるのか?」

「ええ、もちろんです」


 私の淀みない即答に、一瞬たじろぐ気配。


「……ッ……強がりをッ!」

「あ、ちなみに私、もう聖女は引退して普通の女の子になったのですが……」


 それとこれも伝えておきます。黒の使徒の皆さんにも情報共有しなくては。

 周囲から小さなざわめき。どうやら知らなかったメンバーもいるようですが、幹部はこれには動じません。


「新たな聖女など恐るるに足らん。だが聖女メイベルよ、貴様は二十年に渡って一日も休まず民を癒し続けた化け物だ……」


 気のせいか、すごく賞賛されてる気がします。


「この二十年で貴様の存在がどれだけ白女神の信仰を深めたことか! そんな貴様の命を奪い、心臓を黒女神に捧げ、信仰を絶望に裏返す千載一遇の好機!」


 なんだか自己肯定感がもりもり上がっちゃう。黒の使徒の立場から出た言葉なら、お世辞抜きの本心からの賞賛(?)ですからね。


「そうですか。ただね、新しい聖女のことも甘く見ないほうがいいですよ。つい先日も刺客をひとり篭絡(オト)したと、あの子から聞いたばかり」


 まったくもって頼もしい後輩です。本気か分からないけど、私のことを先輩として凄く尊敬してくれているようですし。

 そしてあの子を見ていると、聖女に選ばれる素質って治癒術の才だけでなく、綺蹟の代行者という重荷を背負っても平気なメンタルの強靭(ずぶと)さかも……と思えてきます。まあ私はあんまり自覚ないのですが。


「これからは癒し系でなく、あざと(・・・)聖女の時代なのですよ、ハモンド上級司祭どの」

「……なっ!? 何を言っている! 私はそのような名ではないッ!」


 その篭絡(オト)された刺客さんが、黒幕の正体をべらべら喋ってくれたようです。

 もう、あの子に任せておけば安心です。それに王都には()がいる。数年前に発生した使徒による大規模襲撃以降、何処からとなく現れては私を助けてくれた灰衣に仮面の剣士さま。聖騎士団に属さない隠密騎士──幽騎士ファントムと呼ばれるお方。

 これからは彼がきっと、私にそうしてくれたように彼女を守ることでしょう。


 王都に未練はないけれど、彼にだけは最後に伝えたかった。ありがとうと、さよならと、そして叶うことなら一緒に……いえ、それは困らせてしまいますね。


「ええい、もういい! 殺してしまえ!」


 あくまで正体を認めない幹部のヒステリックな号令で、周囲の黒衣が一斉に武器を構えます。

 聖護符(アミュレット)は新しいのを付けていますが、さすがに相手が多すぎる。とりあえず女神様に加護を祈ってみましょうか……などと思った瞬間のこと。


「──天誅」


 冷たく静かな声とともに、黒衣のひとりが前のめりに倒れます。

 その背後にゆらりと立つ灰色のコート姿。フードの下には目元を覆う銀仮面(マスカレイド)、片手にすらり美しい曲線を描く東方由来の片刃剣(カタナ)


「な……貴様は……なぜ、ここにいる……」


 幹部の声が震えています。

 ああ、そうだ。見違えようがない。幻のように佇む灰色の姿が煙のようにフッと消える。ほぼ同時に少し離れた場所の一人の胸から銀の刃が生え、膝をついて倒れます。その背後で剣を引き抜くと、真横から切りかかった一人を無造作に斬り捨て、血しぶきに紛れるように再び姿を消す。


「クソッ、どこ行った!? 速すぎる!」

「落ち着け無能どもッ! 私を守れッ!」

「後ろ! 後ろー!」

「ぎゃあ」

「おい話が違うぞッ、女をいたぶるだけじゃ無かったのか!?」

「ぎえええ」


 黒の使徒たちに動揺が拡がり、一人また一人その場に倒されてゆく。この戦い方も間違いなく、私の知るあの方です。


「ファントム……どうして、あなたがここに……」

「聖騎士団長より、貴女をお守りする命を帯びております」


 瞬く間に使徒の半数を無力化した彼は、私を背にかばって立ちながら問いに答える。


「もう聖女ではないのに?」

「団長殿は、それが貴女との『約束』だと申しておりました」


 ──団長(あのヒゲ)、覚えていてくれたんだ。「何があっても最後まであなた様をお守りします」という、かつての約束を。

 

「ええい! どいつもこいつも無能ばかりッ」


 苦々しく吐き捨てた幹部が、両手を頭上に掲げると、全身からゆらりと黒いオーラが立ちのぼります。

 そして法衣の裾から放出されたのは、禍々しい黒色のオーラをまといながら私へと切っ先を向ける六本の短剣──そう、あの「聖殺刃(セイントキラー)」です。


「ファントム、ちょっとだけ(しの)いで!」

「──御意に」


 私の心臓をめがけ次々と高速で飛来する短剣を、ファントムの舞うような剣戟が弾き、空にはね上げ、地面に叩き付ける。刃を掻い潜ったものは、コートの裾を翻しはたき落とす。

 けれど短剣はそのたびに何度でも浮かび上がり、私に切っ先を向けて襲い来る。


「メイベル様、これ結構きついです。長くは持ちませんよ」


 あくまで冷静に泣き言を漏らすファントム。剣風にはためくフードから、ちらりと覗いた彼の前髪が、綺麗な亜麻色だとこの日はじめて知りました。


「ふはは見るがいい! 私が十余年の歳月を費やし作り上げた禁術武装──聖者自動抹殺式『聖殺刃(セイントキラー)』を! これですべての白女神の使徒に絶望をくれてやる! 私を王都から追い出した大聖堂の枢機卿どもは、泣いて許しを乞うがいい!」

「──いいえ、そうはならない」


 声を裏返しながらまくし立てる幹部を、一言できっぱり否定します。


「なッ……何を根拠にッ!」


 覆面の下で目を剥く幹部。答え代わりに私がケープの内側から取り出したのは、黒いオーラをまとい乱れ飛ぶ短剣とそっくり同じもの。私を殺めるためマシューに与えられた聖殺刃(セイントキラー)──それを眼前に掲げ、短く鋭く祈りを捧げる。


黒き(かのじょの)ものは白き(あなたの)もの、白き(あなたの)ものは白き(あなたの)もの──」

「……なんだ、その乱暴な祈りは……?」


 同時に短剣を包み込むのは、清浄なる白きオーラ。


「──聖転(リバース)


 私の手から白の短剣がふわり舞い上がります。

 そしてファントムの真横をすり抜ける寸前だった黒の短剣の切っ先を、白光まとう刃で受け弾き飛ばす。弾かれた側の黒いオーラは霧散して、代わりに白いオーラが刀身を包んでゆきます。


「白女神と黒女神は表裏一体の姉妹神。ゆえに聖女(わたし)を殺す呪いなら、聖女(わたし)を護る祈りに容易(たやす)く反転する」

「な……容易くだと!? ふざッ……ふざけるな! そんな出鱈目(でたらめ)な芸当、貴様にしか出来ぬわッ!」


 あら、また褒められた気がする。

 続々と聖殺刃(セイントキラー)から聖護刃(セイントガード)へ転じた短剣たちは、私の周囲にふよふよと浮遊しています。そして今、最後の短剣の攻撃を阻止し、七本(すべて)の短剣は白いオーラに包まれ、私の頭上でゆっくり旋回して光の輪を描きはじめました。


「あれが……聖女……」

「見ろ……光の輪に照らされて、髪が銀色に……」

「なんて……神々しいんだ……」


 まだ意識のある黒の使徒たちが、地に這いながら囁く声が聞こえます。


「そのまま大人しくしていたら、あっちのファントム(こわいひと)には内緒で治癒(なお)してあげますね」


 しゃがんで目線を合わせつつ人差し指を唇の前に立てると、彼らは目を見開き、あるいはそこに涙を浮かべて私を拝んでくる。

 相変わらず、拝まれるのだけはどうしても慣れない。思わず困った顔をしてしまい、いつも枢機卿のおじいちゃんたちからネチネチ注意されていました。

 当のファントムは、おそらく苦笑を浮かべながら、呆然と立ち尽くす幹部に歩み寄ります。

 そして手にした刀を、彼の頭上から躊躇なく振り下ろしていました。


「ひィ……」


 情けない声を漏らしながら座り込んだ幹部の、覆面と法衣だけが綺麗に両断されて、その下のふくよかな顎と下腹がぷるんとあらわになります。

 完全にバレバレでしたが、やはりその顔はハモンド本人でした。もう言い逃れはできない。

 

「あなたには感謝していたのですよ、ハモンド。私を聖女のお役目から解放して、自由な人生を与えてくれた。そしてあなたも、もうこれで本性を偽らなくていい。お互いさまね」


 それを聞いた彼は、顔を真っ赤に染めてぶるぶる震えます。


「くそっ、三十路の用済み女が偉そうにッ! お前のような行き遅れの化け物に、人並みの幸せなどあるものかッ!」


 唾を飛ばしながら、さらに聞くに堪えない暴言を吐きつづける。


「──もういい、殺しましょう」

 

 冗談とは思えない口調のファントムに、首を横に振る。もう私は聖女ではないのだから、ハモンドの処遇は彼の大嫌いな枢機卿のおじいちゃん達に任せます。上級司祭クラスの背信行為、相応の厳罰が下ることでしょう。


「はっ。無抵抗のものを傷付けてはならない、か? 偽善の鎖に縛られた、愚かな白女神の信徒めが!」


 嘲笑うハモンド。そのとき、たったった、と足音が聞こえ振り向くと、カバンくんが私の傍らを走り抜けていきました。短い四つ足でハモンドにまっすぐ駆け寄った彼は、直前でぴょーんと跳躍します。


「ぺごッ!?」


 響いたそれは、顔面にカバンくんの(かど)が直撃した瞬間ハモンドの発した、言葉にならない声でした。


「なっなんだこいつは! おい止めえごッ!? やめてぐげッ!? たったすけ……」


 懇願を意に介さず、容赦のない角アタックを続けるカバンくん。

 傍観するファントムの肩が微かに震えているけれど、もしかして笑いを堪えているのでしょうか。


「ああちょっと、カバンくん……」


 …………うん、いいこね。



◇ ◇ ◇



 平原をまっすぐに隣町まで続く道、歩く二人を朝日が優しく照らします。遠くには透明な空に美しい山々が連なって、清涼な空気が流れます。


「きれい……」


 こんな景色を見るのも、子どものころ以来。思わず足を止めて見入ってしまう。

 王都に閉じ込められてきた私にとって、旅先で出会う世界のありのままの美しさだけでも癒しになるのです。


「はい、本当に!」


 私の少し後ろにカバンくんと並んで付き従うザックが、朗らかに同意します。


「でも、あの稜線よりメイベル様の横顔のほうが遥かにお綺麗です」


 だから、そういう取って付けたようなお世辞は要らないんだけどなあ。あまりに淀みなく自然に言うので、本気にしか聞こえなくてつい嬉しくなってしまうけど。


 ちなみになぜ(ザック)が一緒にいるのかと言えば──あの後、襲撃者たちの傷を「大人しくしていれば死なない」ぎりぎりに治癒し終えたタイミングで、ちょうどよく町の駐留騎士を連れて現れたのです。夜中にこの町に追いついて、そのまま私を探し回っていたのだとか。

 そして気付けばファントムの姿は、幻影のように消えていました。


「ところで、メイベル様。僕を旅の従者にしていただく件ですが──」

「ううーん、そうねえ」


 早足で私の前に回り込んだザックが問いかけてくる。町を出てからこれで五回目、さすがにそろそろはぐらかすのも可哀想になってきました。私は足を止めて、彼の瞳を覗き込む。


「ちなみにだけどザックくん、私に何か隠し事はありませんか?」

「えっ……? いっいや……そそそそんなことは……」

「その反応、やっぱり何かありそうですね。主に隠し事のある従者かあ、どうしようかなあ」

「ううっ……」


 彼は観念したように小さくうなずくと、下を向いたまま話し始めます。


「やっぱり、メイベル様はお見通しなのですね。たしかに僕には、どうしてもご一緒したい理由があります」


 理由? 聞きたかったのはそれじゃない気がするものの、彼の言葉からこれまで以上の真剣さが伝わってきたので、静かに耳を傾ける。


「僕の両親は、狂信的な黒の使徒でした。そして彼らは幼い僕を、禁術の儀式の供物として捧げた。でも儀式自体は失敗したらしくて、聖騎士団が地下教会に踏み込んだとき、祭壇に放置された僕は全身を瘴気に蝕まれ死にかけていました」


 思わず息を呑む。朗らかで人当たりよい今の彼から、想像だにできない壮絶な過去でした。


「そんな僕を救ってくださったのがメイベル様でした。あの時の温かい手、優しいお言葉は、今でも鮮明に覚えています」


 ────ああ、そうか。私も覚えています。

 

 聖女になって数年目、ようやく慣れてきたころ。まだ髭をたくわえる前の一介の騎士だった聖騎士団長殿が、深夜に泣きそうな顔で担ぎ込んできた少年。

 あのとき初めて私は、自分の意思で女神の権能──「綺蹟(キセキ)」を使うことができた。


 でもその少年は言ったのです。どうして助けたのですか、生きたくなんかなかったのに。生きる意味なんかないのに。ぽっかりと感情の抜け落ちた、虚ろな目で。

 両親に捨てられ、殺されかけたのだから、無理もないでしょう。

 自分勝手でごめんなさい。それでも私はあなたに生きてほしかった。だから、もし生きる意味が見つけられないのなら、私のために生きて下さい。震える小さな背中を抱きしめて願ったことを、覚えています。


「メイベル様は僕の命の恩人。そして…………初恋のひとです」

「え……!?」


 告白したザックの顔は、耳の先まで真っ赤になっていました。釣られて自分の頬も熱くなるのを感じる。そのまま会話が途切れ、しばしの沈黙。

 いいえ、ここは冷静になりましょう。これはあくまで「初恋」の話。彼が恋したのは十七歳の癒し系聖女メイベルであって、三十路の引退聖女じゃない。


「へえ、知らなかったな……」

「……だから僕は、聖騎士になってメイベル様を守ると決めました」


 私が素っ気なく答えると、ザックは少しだけ表情を曇らせてから、すぐに話を再開した。


「団長の家にお世話になりながら、そのためにひたすら文武を磨きました。……でも結局、黒の使徒の血を引く僕では騎士団に入れなかった」


 聖騎士団には、由緒正しい血筋でなければ入団できない縛りがある。高貴さの義務ノブレス・オブリージュと言えば聞こえはいいけれど、きっと治癒士(ヒーラー)免許のように権威やら既得権益やら、しちめんどくさい色々があるのでしょう。

 団長は自分の代でそれを変えようと頑張っているようです。がんばれヒゲ、遠くで応援しているぞ。


「ええと……それから、まあなんだかんだありまして……団長の口利きもあって、メイベル様の従者をさせていただく機会を得たわけです」

「急に大雑把になりましたね……」


 自分にはどうにもできない血筋のせいで、すべての努力が無駄になった。そこに葛藤がないはずないし、絶望していてもおかしくない。大雑把にしか語らないのは、私に重荷を持たせないための、彼の優しさなのかも知れません。


 ──と、それは置いといてザック(このこ)。本気でバレていないと思ってるの?


 髪の色、背格好、現れたタイミング、口調やトーンを変えても似通った声色。どう考えたって、ザックとファントムは同一人物(・・・・)

 右肩に荷袋と一緒に背負った細長い包みの中身も、きっと彼の愛刀でしょう。というかそれを包んでる灰色の布も、例のフード付きコートにしか見えない。


 おそらく、黒の使徒の活性化による人材不足に直面していた騎士団が、彼の実力に目を付けて非正規の隠密騎士として迎え──幽騎士ファントムが誕生した、というところでしょうか。

 正直なところ、ファントムの正体はもっと渋くて影のある流浪の剣士様(年上)を妄想していたのだけど。……あ、もしかして私の夢を壊さないために、ファントムの正体を隠そうとしてるとか……?


「これが僕の、メイベル様を従者としてお守りしたい理由です」


 聞きたかったのとはちょっと違うけど、でも確かに知っておきたかった事実を話し終え、顔を上げた彼は両目をギュッと閉じて私の言葉を待っています。何その忠犬(ワンコ)ムーブ、さすがに可愛すぎる。


「さてと、たくさん治癒して疲れました。おんぶ(・・・)して下さい」

「え? メイベル様なら、あのくらい朝飯前では……」


 目を見開いて首をかしげる。「それはちょっと解釈違いが」とかぶつぶつ言っている。

 そうか、その前にほぼ徹夜で店主(マシュー)に「綺蹟(キセキ)」を施し致命傷を完治(・・・・・・)させた件は、ザックには秘密でした。

 マシューはそろそろ、私の泊まった部屋のベッドで目覚めるころでしょう。机に置いた宿賃は、ちゃんと見付けてくれたかしら。


「……慣れない旅路の疲れもあるのです! ほら、はやくして下さいな従者どの」

「はっはい! ……え!? いま『従者どの』って……」

「これから遠慮なくこき使うので、覚悟しなさい」

「はいもうそれは望むところです! さあ、どうぞ僕なんかの背中でよろしければ……」


 心底から嬉しそうなザックは、肩の荷袋を横に寄せ、しゃがんで両腕を後ろに差し出す。私は両腕を彼の首に回して、体を預けます。


「……失礼いたします」


 スカートが捲れないよう気を使いながら、両腕で私の両足を抱え、彼は慎重に立ち上がる。ふわりと体が浮かぶ感覚。視界がいつもより少し広い。


「どう? 重くない?」

「あっ、ええとその……し……しあわせです……!」

「なにそれ、答えになってない」


 あの日、震えていた小さな背中が、今はこんなに大きくなって私を守ってくれる。胸の奥にじんわり拡がっていく温かな愛しさは、母性とは違うものの気がします。

 でも、それはきっと迷惑でしょう。だから。


「私の従者でいたいなら、そういうお世辞みたいなの一切やめなさい」


 ねえお願い、私をこれ以上勘違いさせないで。


「え? 僕は女神さまに誓って、メイベル様にお世辞なんか言ったことないです。だって、おんぶですよ。初恋から今日までずうっと、一筋に好きだったメイベル様を」


 ──ん? え? ずうっと? じゃあこれまでの言葉もぜんぶ、お世辞じゃなく本心?


 彼の言動を思い出して、いっきに顔が火照る。たぶん耳まで真っ赤になってる。顔が見えない体勢で良かった。


「そんなの、最高の幸せに決まってるじゃないですか」


 淀みなく言い切る言葉が、彼の背中の体温を通して、私の胸に沁み込んでくる。

 旅に出て二日目。私は早くも、最高の癒しを見つけてしまったようです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

★やブクマやリアクション、めちゃくちゃ喜ぶタイプの作者です。

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続きは…!?続きはどこで読めますか!? めっちゃ好きすぎるお話…!
よくある追放物かと思ったら、いきなり悪の組織(黒女神信者)出て来てワロタw 颯爽と現れる\タキ〇ード仮面様/もおるし、美聖女戦士? ザックくんとのその後が見たいですね。
なんだか漫遊記のようなテイストですね。 なんか弥七さんと八っつぁんが合体してますけど。 この後の旅模様も見られれば嬉しいです。
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