第四話 来ない日
夏が終わるころ、れいなは少し変わった。
最初に気づいたのは、笑う回数だった。
前は、くだらないことでよく笑っていた。
テレビのバラエティを見て、お腹を抱えるくらいに。
でも最近は、笑う前に一瞬、息を整えるようになった。
「……大丈夫?」
思わず聞くと、彼女はすぐ笑顔を作る。
「大丈夫だよ」
いつも通りの声。
だけど、言葉のあとに小さな呼吸が混ざる。
それが、妙に気になった。
八月の終わり、彼女と近所の公園に行った。
母に付き添ってもらい、車椅子を押してもらう。
夕方の空は、少しだけ赤かった。
子どもたちが遊び、セミの声が残っている。
夏の終わりの匂いがした。
「久しぶりだな、外」
「ね」
彼女はベンチに座った。
でも、いつもより静かだった。
「れいな?」
「……うん?」
「疲れてる?」
「ちょっとだけ」
笑っているのに、目が笑っていなかった。
風が吹いて、彼女の髪が揺れる。
そのとき、彼女は小さく胸を押さえた。
ほんの一瞬だった。
だけど、見間違えじゃない。
「今、痛かった?」
「え? なにが?」
「胸」
彼女は一瞬だけ黙った。
そして、首を横に振る。
「気のせいだよ」
僕はそれ以上聞けなかった。
聞いたら、何かが壊れてしまう気がしたからだ。
九月に入ると、彼女は来る日が減った。
前は週に何度も来ていたのに、週一回になった。
それでも来ると、以前と同じように話す。
学校のこと。
友達のこと。
どうでもいい日常。
けれど、帰る時間だけが早くなった。
「もう帰るの?」
「うん、ちょっとね」
理由は言わない。
僕も、聞けなかった。
十月。
その日、れいなは来なかった。
最初は、ただの用事だと思った。
テストかもしれないし、雨も降っていた。
次の日も来なかった。
三日目、スマホのメッセージを何度も確認した。
既読はつかない。
胸の奥が、嫌な感じにざわつく。
母に頼んで電話をかけてもらおうとした。
でも、言えなかった。
怖かったからだ。
四日目。
チャイムは鳴らなかった。
部屋の時計の音が、やけに大きく聞こえる。
僕は机の上の雪だるまのストラップを握った。
鈴が、小さく鳴る。
(大丈夫)
そう思おうとした。
(れいなは、明日来る)
理由はない。
ただ、そう思いたかった。
五日目の夕方、電話が鳴った。
母が出た。
リビングから、低い声が聞こえる。
短い返事を繰り返している。
「……はい」
「……わかりました」
通話が終わったあと、母はしばらく動かなかった。
それから、僕の部屋の前に来た。
ノックはなかった。
ドアが、ゆっくり開く。
母の目が赤かった。
その瞬間、僕は理解した。
まだ何も聞いていないのに、分かってしまった。
世界が、少しだけ遠くなる感覚。
「……お母さん」
声が震える。
母は、何も言えずに立っていた。
そして、やっと言葉を絞り出した。
「安田さんが……」
続きは聞こえなかった。
耳鳴りがした。
呼吸がうまくできない。
僕の手の中で、鈴が鳴る。
あの日、雪の中で出会った音と同じ、小さな音だった。
れいなは、もう来ない。
来ない理由だけが、はっきりと残った。
窓の外では、風が吹いていた。
木の葉が一枚、落ちる。
僕は初めて、祈った。
どうか間違いであってほしい、と。




