第八話:変化
医務室の前。
フォルとミスティアは扉の脇に身を寄せ、息を潜めていた。
灰色の外套の男は、扉を開けて中へ入った——はずだった。
だが、追いかけて医務室を覗いた時には、もう姿はなかった。
薬草の匂いと、かすかな血の鉄臭さ。
棚には包帯や薬瓶が並び、奥の寝台には負傷者が横たわっている。
窓は閉ざされ、裏口もない。
この部屋には、入り口は一つだけのはずだ。
「……消えた?」
ミスティアが小さく呟く。
フォルは室内を見渡す。
棚の裏、寝台の下、天井——どこにもいない。
まるで、最初からいなかったかのように。
その時、背後の壁を軽くノックする音が響いた。
フォルとミスティアは一瞬身構えたが、すぐに気配でハクだと分かった。
振り返ると、ハクとアリアが廊下の曲がり角から姿を現す。
「流石!。で、どうだった?」
ハクが息を整えながら尋ねる。
フォルが静かに手招きをした。
「怪しい奴、見かけなかったか?」
ハクが小声で尋ねる。
「奥にいるように見えたんだけどな。ついでに倒れてた奴の様子を見に来たんだけどよ……」
医務室の中を覗くと、一人の男が横たわっていた。
血の気のない顔。乾いた床の上に、かすかに赤い跡が残っている。
「あれ、運んでった奴の一人だよな」
ミスティアが寝台に近づき、男の首元に手を当てる。
冷たい。脈もない。
「……亡くなってます。まだ体温が残ってる……」
ミスティアが手を引く。
フォルが男の首元を確認する。外傷はない——いや、首の後ろに細い針痕。
「……刺されてるな。毒か、それとも……」
ハクが眉をひそめる。
「死後硬直も始まってない。殺されたのは、ここ数分以内だ」
「……俺たちが向かってる間に、か」
フォルは低く呟いた。
「負傷者だったのは人質なのか、俺達が敵を運んでしまったかだな……」
ハクが腕を組む。
「連れてきた奴は偽装タグだったっぽい。砦にいた冒険者の話だとな……」
「偽装タグ?」
「ああ。タグの色が違ってたらしい。シルバーだったろ?実際はアイアンだったみたいでさ」
フォルが顔をしかめる。
「……気づかれたから、殺されたのか」
アリアが眉をひそめる。
「じゃ……連れてきた人と、医務室のもう一人が敵?」
フォルが頷いた。
「その二人だけなら良いけどな。まぁ、こっからどうするかだな」
アリアが提案する。
「デリアさん達と合流する?」
ミスティアも頷いた。
「デリアさん達に合流した方が安全な気はしますよね」
フォルが低く呟く。
「……デリアは地上に近い区画にいるはずだ。合流して状況を整理した方が良いかもしれん」
ハクは腕を組み、首を横に振った。
「それもありだが——"まだ動き出した"からこそ、今は追いかけるべきだろ」
「どういう意味だ?」
「この潜伏、砦の奴の話だと割と信用が厚い連中が残ってる。罠は色々あるだろうが、今は敵の数を減らす事が大事だろ」
フォルは数秒、沈黙した。
デリアと合流するのが安全策だ。だが——
(……確かに、今なら敵は俺たちの存在に気づいていない)
いや——気づかれたからこそ、この負傷者は殺されたのか?
フォルは低く息を吐いた。
「……それが狙いかもしれないだろ」
その時——
ドンッ――。
突き上げるような衝撃が通路を走った。
金属が軋み、天井の砂がぱらぱらと降り注ぐ。
全員が反射的に壁に手をついた。
「っ……! 今のは……!」
アリアが息を詰める。
フォルが壁を叩き、音の方向を探る。
「下だな。反響が重い……倉庫の方か」
ハクが顔を上げる。
「地下の倉庫。隠れるにはうってつけだ」
その目が細くなる。
「……わざとか? 俺たちを誘い込むつもりか」
フォルが歯を食いしばる。
彼は医務室を振り返る。
灰色の外套の男は、この先にいる。
放置すれば、デリアたちが危ない。
「罠かもしれん。だが——一つ一つ潰すしかないだろ。倉庫へ行くぞ」
フォルの声が静かに通路に落ちると、四人は無言で周囲の動きを確かめ合った。
短い宣言に、無駄はなかった。
薄暗い壁に沿っていくつかの部屋が並んでいるが、どれも扉が閉じられ、内部の様子はわからない。
湿った鉄と油の匂いが混じり、煙で視界も悪かった。
通路の奥からは、低くうなるような空調音と、遠い金属の軋みが響いている。
どこかで火がくすぶっているのか、壁の隙間から微かに熱が伝わってきた。
狭い空間の空気は重く、呼吸するたびに喉の奥がざらつくようだった。
ミスティアは赤い葉を握りながら、声を上げた。
「……なんにも見えないですよね。暗いし……アリア、何か匂いでわかりそうなことない?」
アリアは周囲の空気を嗅ぎ、少し考える。
「変な匂いがする。」
ハクは呆れた顔で文句を言う。
「俺見て言うなよな!」
フォルが口を挟む。
「俺には分からんが、気をつけた方がいいな。
……こういう時は、五感より"勘"を信じた方がいい。
長く潜ってると、危ない時は空気が重くなるのが分かるんだ」
そう言うと、フォルは鞄から紙と紐のついた小さな筒を取り出し、
筒の中に紙を入れて出来るだけ奥へ投げ込む。
そして、筒についた紐をゆっくりと引っ張り始めた。
アリアが小首を傾げる。
「へぇ……そんなのあるんだ。色々鞄に詰め込んでそうでるもんね」
ハクが代わりに答える。
「あれは周辺の空気を調べる魔道具だよ。洞窟とか、臭いに異変を感じた時に使うのさ。
光らないから、敵にもバレにくい」
フォルは再び筒を手に取り、紙を広げた。
先ほどまで白かった紙がじわじわと赤く変わり、いくつもの印が滲み出る。
「……濃度が高いな」
フォルは低く呟いた。
「魔力じゃ反応しない簡易式だ。空気に人間に害がある成分が混じると、こうやって紙や印が出たりして変化するんだよ。
この反応……身体に影響が出るレベルだ。近づかないほうがいい」
ハクが肩をすくめる。
「……相手は捨て身覚悟なのかもな」
フォルは頷き、紙を筒に戻す。
「身体に影響が出る濃度だ。ここで深入りするのは得策じゃない」
フォルが通路の奥を睨む。
相手は捨て身覚悟だ。毒ガスを充満させてでも、こちらを倒すつもりだろう。
アリアが振り返る。
「じゃあ……この奥の奴はどうするの?」
ハクが肩を竦め、ニヤリと笑う。
「どいてな、アリアお嬢ちゃん。こういう時は嫌がらせすりゃいいんだよ。どうせ一本道だ」
ハクはあからさまに見える紐付きの罠を仕掛け始めた。
アリアが眉をひそめる。
「こんなのバレるでしょ」
「それでいいんだよ。罠が"ある"って意識させるだけで動きは鈍る」
ハクは壁に簡易的なスクロール魔法陣を貼り付けると、ポーチから二つの容器を取り出す。
フォルが呆れたように言う。
「盛大だな……高いだろ、それ」
「命があれば稼げるさ」
ハクはピンを抜いて奥へ投げ込んだ。
直後、淡い煙が通路を満たし、ご丁寧に結界のトラップまで仕掛けてしまう。
ミスティアが顔をしかめながら尋ねた。
「これで……背後は気にしなくて良くなるんですね。何を投げ込んだんですか?」
ハクがにやりと笑う。
「魔物用の臭い玉と、目が辛くなる奴。――何も起きないことを願うよ」
アリアがうめく。
「最悪……」
その直後——
ドンッ。
今度は上から。地上側からの爆発音が響いた。
金属がうなり、壁の奥で何かが崩れる音が伝わる。
ハクが舌打ちする。
「……やられた。デリアさんたちが狙われてる」
爆発音が響いた後、しばらく沈黙が続いた。
天井の砂がぱらぱらと降り注ぎ、壁の亀裂から水が滲む。
ミスティアが不安そうに上を見上げる。
「……大丈夫でしょうか、デリアさんたち……」
フォルは壁に手を当て、揺れが収まったことを確認する。
「……建物は持ちこたえてる。デリアなら大丈夫だろう」
だが、その声には確信がなかった。
フォルが眉をひそめる。
「にしても、こいつらイカれてんのか? 建物が頑丈に出来てて良かったな」
ミスティアが不安そうに上を見上げた。
「地上までの道、塞がってなければ良いけど……」
ハクは小さくため息をつき、肩を竦める。
「生き埋めは勘弁。――さっさと戻ろうよ」
四人は通路を引き返し始めた。
背後には、徐々に濃くなる薬臭と獣臭が残り続けていた。
誰も口を開かず
足音だけが、鈍く湿った金属を叩く。
まるでこの砦そのものが、彼らの動きを監視しているようだった。
視界の先には、地上へと続くわずかな光――そこだけが、息の出来る場所に見えた。
※本作は一部にAI支援による描写補助を含みます(戦闘描写・用語の検証・構成整理など)。執筆・編集・全体設計は作者本人が責任をもって行っており、AIは補助的な道具として活用されています。




