第七話:合流
地上と地下の境に築かれた砦――
厚い防壁が外界の風を遮り、内部は常に薄暗い。
その中層、階段を二つ下りた先に、小さな休憩所がある。
フォルたちはそこで座ってくつろいでいた。
休憩所の灯りは落とされ、ランタンの火が揺らめいていた。
室内には薬草の匂いと血の鉄臭さが薄く混じり合い、
奥の寝台では負傷者が静かに物資を見張っている。
棚の木箱には刻印入りの止血剤や簡易の魔力注射器が積まれ、
床に撒いた乾いた砂が足音を吸い込んでいた。
フォルは低く息を吐き、使い慣れたマチェットの刃を布で拭う。
刃は幾度も研ぎ直され、背には古い傷が走っている。
隣ではミスティアがその手元を見つめていた。
「……来るなら夜襲や。眠れるうちに眠っとけ」
「……眠くないです。落ち着かなくて」
ミスティアは小さく笑い、ランタンの火にかざして刃を覗き込む。
「それ、長く使ってるんですね」
「まぁな。もう何度叩き直したか分からん。
この街は優秀な修理屋が多くてな。最初の頃は貧乏で自分で叩いてたら、
"これ以上やったら刃が死ぬ"って怒られたよ」
ミスティアはくすりと笑い、火の色が頬に落ちた。
「……暗いのに見えてるんですね。」
フォルは短く頷く。
「暗い所でも最低限動ける訓練は、しといたほうがいいぞ。
いざって時に生き残れる」
少し間をおいて、フォルが続けた。
「元々は洞窟だったらしい。戦の最中、逃げ込めるように拠点として作り直された」
フォルは手元のマチェットを拭いながら続けた。
「入り口は二つ。俺たちが入ってきた通路と、地上の搬入口。ここは中間地点だ」
「……迷ったら帰れなくなりそうですね」
「いや、基本は一本道だ。そんなややこしい作りじゃない」
ランタンの炎がわずかに揺れ、二人の影が壁に滲む。
外では鉄板同士が擦れ合う乾いた音がときおり鳴った。
――そのとき。
休憩所の前を、誰かが横切った。
薄闇の向こうに、灰色の外套を纏った男。
フォルはちらりと視線を向けたが、すぐに手元のマチェットへ目を戻した。
特に変わったところはない。拠点内の誰かだろう。
だが——
ミスティアの眉間に、わずかにしわが寄った。
「……」
沈黙。
フォルが顔を上げる。
「どうした?」
「あ、いえ……その……」
ミスティアは言葉を探すように視線を泳がせた。
「あの人、なんというか……怪しく見えちゃって」
「怪しく?」
「はい……えっと、なんでって言われると困るんですけど……」
言いづらそうに、俯く。
「すみません、変なこと言って」
フォルは少し考え込むように沈黙した。
見た目には何もおかしくない。だが、この状況だ。内通者がいるかもしれない。
誰もが疑わしく見えても不思議じゃない。
それに、初めての任務だからって、こいつの感覚を無視するのは良くないな。
理由が分からなくても、何かを感じ取ったのなら——
それを無視する方が危険かもしれない。
「……そうだな。疑いすぎも良くねぇが——そういう感覚は大事だ」
ミスティアが顔を上げる。
「様子を見に行ってみるか。ここに居ても落ち着かんやろ」
彼はランタンの火を指でつまんで落とし、鞄から赤い葉を一枚取り出す。
「これを持っとけ。魔力を込めると火が灯る。灯りは見えなくても、使ってる本人だけは明るく見える」
ミスティアは恐る恐る葉を受け取り、魔力を込める。
淡い光が葉の表面に浮かび、手前の床や壁の縁が自分にだけはくっきり見えた。
「……不思議。私だけ明るく見えるんですね」
「便利なもんだろ。足音、消して行くぞ。相手が味方でも敵でも、まずは確かめんとな」
二人は静かに暗い廊下へ踏み出した。
外の風が鉄の壁を鳴らし、遠くで灯りが一つ、ふっと消える。
その闇の奥へ、フォルとミスティアの影が溶けていった――。
砦の防壁回廊を吹き抜ける風が、鉄の板を鳴らしていた。
ハクとアリアは壁の内側に沿った通路を進みながら、見張りを兼ねて外周を巡っていた。
ここは搬入口へと繋がる防壁回廊――地上と砦の境にあたる場所だ。
薄暗い夜の中、崩れた資材と影だけが並ぶ。
壁際の植え込みには黒く尖った草が揺れ、油の匂いがわずかに漂っていた。
「いいなぁ〜。俺も休憩所行きたかったよ」
「絶対あんたのせいでしょ」
アリアは鼻先をしかめる。
「生意気だな。鼻が利くからこっちに回されたんだよ」
「確かに。あんたの匂い、外の方がマシ」
「ひっどいなぁ」
ハクは肩をすくめて笑った。
やがて、上から声がした。
「お前ら元気だな。まぁ、いざって時にへこたれないでくれよ」
砦の上から見下ろす冒険者が、肘を欄干にかけて笑っている。
夜目に慣れた瞳が、手元の弩の弦と矢羽根の角度を確かめている。
背中には、長く使い込まれた槍が背負われていた。柄の中程に補修の痕があり、戦場の匂いを纏っている。
ハクは手をひらひらと振り返す。
「元気なのは此処にいるアリア嬢ちゃんだけどな」
「は? 何それ!」
アリアの耳がぴくりと動き、尻尾が苛立ちで軽く揺れた。
ハクは軽く笑い、声の調子を落として砦の男に問いかけた。
「で? 聞いときたいんだけど、怪しいやつとかいる?」
砦の冒険者が肩をすくめて返す。
「ん? お前以外にか?」
アリアがすかさず乗っかる。
「ほ〜ら、やっぱりあんた不審者じゃん!」
砦の男が笑い、ハクはそちらを指差して言った。
「甘やかすんじゃないよ」
その言葉に、砦の冒険者が苦笑しながら片手を上げた。
「悪い悪い。だが、真面目な話——デリアさんが最初に街へ派兵した連中、あの辺が怪しいって話は出てる」
ハクの笑みがわずかに薄くなる。
「……あの外でやられてた連中か」
砦の冒険者が頷いた。
「ああ、そうだな。あいつら六人は此処に来てまだ浅かったからな。まぁ……でも良い奴らだったみたいだ。一番弱い奴を逃がして殺られたんだろうな」
「ん?」
ハクは眉を寄せ、少し引っかかる。
夜風が壁の角を回り、乾いた塵を運ぶ。
「あの倒れてた奴は補助職だったとか、そういう意味か?」
「いや、あいつは前衛だろ? あの中じゃ一番経験の浅いアイアンだったはずだ」
ハクは頭を押さえ、上を見上げた。
アリアが首を傾げる。
「あれ……あの人、シルバーじゃ……」
「やっぱり、そうだったよな。しかも最悪だ」
ハクの声が低くなる。
「――あの六人の中に、アイアンのタグなんて居なかった」
砦の冒険者の顔色が変わる。
「おいおい、まじかよ。連れてった奴ら、気づかなかったのか?」
ハクは息を詰め、手早く状況を頭の中で組み直す。
タグの変色、搬送ルート、医務室の手順、そして——誰が、いつ、どこに居たか。
「今すぐ医務室へ行ってくる。あんたはデリアさんに報告してきてくれ」
冒険者は短く頷き、砦の上から飛び降りるように走り去った。
ハクも身を翻し、医務室へ向かう。
足元の鉄板が、急ぎ足のリズムで乾いた音を刻む。
後ろからアリアの声が追いかけた。
「急がなくていいの? フォルやミスティアはどうするの?」
「急ぐべきなんだろうけど……こういう時は罠に気をつけたほうが良い。相手は二人以上いるのは確定してる」
ハクの歩幅は崩れない。
「デリアさんの方が近いだろうし、伝えてくれるはずだ」
アリアは歩調を合わせながら考え込む。
「でも……どうしてアイアンタグのままにしなかったんだろう?」
「すぐに考えつくのは、アイアンは"奪った奴"で、もう二十四時間経過してたってことだな」
ハクの声が低く響く。
そのとき、どこかの鉄扉が遠くで軋んだ。
短く、乾いた金属音。
アリアの耳が音の方向を捉え、ハクの視線もそちらへ流れる。
風向きが変わり、薬草と油の匂いに、かすかな焦げの匂いが混じった。
ハクの足が止まる。
その目は、闇の先の医務室の灯りを睨んでいた。
薄暗い廊下の先に、ふたつの影が見える。
かすかに輪郭が浮かぶ。
「……あれ、ミスティア?」
アリアが思わず声を上げた瞬間、ハクが素早く手を伸ばして口を塞ぐ。
「静かにしろ」
低く、鋭い声。
ハクの視線が、フォルたちの"前方"に向く。
廊下の曲がり角の先——灰色の外套を纏った男が、医務室の扉へと手をかけている。
「……あいつ、何してる」
その瞬間。
男の手が止まった。
まるで何かに気づいたように。
そして——
ゆっくりと、こちらを振り返った。
暗闇の中、男の目だけが、一瞬だけ鈍く光る。
次の瞬間、男は身を翻し、医務室の扉を開けて中へ滑り込んだ。
扉が音もなく閉まる。
静寂の夜が、再び拠点を包み込んでいった——。
※本作は一部にAI支援による描写補助を含みます(戦闘描写・用語の検証・構成整理など)。執筆・編集・全体設計は作者本人が責任をもって行っており、AIは補助的な道具として活用されています。




