第八章:存在しないLINE ID
佐藤先輩と再会してから、1週間。
特に何かがあったわけでもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
週末。
高校の頃からの親友・大春未来と会う約束をしていた小春は、待ち合わせ場所に1時間も早く着いてしまっていた。
ベンチに座り、スマホを握りしめたまま、ぼんやりと考え込む小春の前に、スタバのカップを片手にした未来がどかっと腰を下ろす。
「ちょっとアンタさ、顔に“何かあった”って書いてあるんだけど?」
「えっ、バレてた?」
「バレバレ。…で?誰?職場の誰にときめいたの?」
小春は思わず吹き出した。
高校の頃から、どんなことも全部話してきた親友。
看護師になった今も、こうして時間を作って会いに来てくれる存在。
「先輩が、異動でうちの部署に来てて…」
「え、どの先輩?」
「……佐藤先輩」
その名前を出した瞬間、未来の目がまんまるになった。
「えええええ!? あの、図書室の!? え、マジ!? どんな再会!? なんでそれもっと早く言わないの!?」
「いや、私も…ほんとに最近知ったの。インフル明けで職場に戻ったら、ディスクの上にお菓子置いてあって
付箋が貼ってあったからその、文字を見て“あれ…?”ってなって…」
小春の中にある、嬉しさと戸惑いが混じった気持ちを、未来はすぐに察した。
「……あんた、もしかしてまた好きになっちゃったんじゃないの~?」
「そ、そんなわけないじゃん!再会したばっかだよ!
戸惑いと驚きの方が大きいってば!」
「ならいいけどさ、あんなデタラメな連絡先渡してくる男なんか、やめときなさいよ!!
彼女いるのに小春に色目使うなんて、最低な男だからね、本当に!」
「わ、分かってるよ…」
──忘れられるわけない。
卒業式の日の、あの記憶があるから。
勇気を振り絞って、連絡先を聞いた。
そしたら先輩は、ノートの端にそっと書いて、それを破って小春に渡してくれた。
「連絡して、待ってる。」
先輩は小さく呟いた。
嬉しくて、嬉しくて、思わず紙をぎゅっと握りしめた。
「先輩、卒業おめでとうございます。
家に帰ったら、あ、あの…」
全部を言い終える前に、
“彼女”が現れた。
「も〜友也!探したんだよ!
皆で記念写真撮るから、早く来て〜!」
彼女は、当たり前のように先輩の腕に自分の腕を絡めて
先輩を連れて行ってしまった。
──あの夜。
恐る恐る、もらった紙に書かれたIDをスマホに入力した。
けれど、表示されたのは――
「入力したIDは存在しません」
その文字を見た瞬間、涙が止まらなくなった。
やっぱり、先輩からしたら迷惑だったんだ…。
彼女がいるのに、連絡先を聞いた自分も最低だと思った。
後ろめたくて、悲しくて、どんどん涙が溢れ出して
心の奥に閉じ込めたまま、先輩との関係は、そこで終わった。
はずだったのに…